2009年6月 2日 (火)

告知(H21.6.2)

 あああ、この告知を忘れてた。

 神奈川県高等学校教職員組合のシンクタンクである神奈川県高等学校教育会館教育研究所の広報誌「研究所ニュース ねざす」第62号に「ある人物の「転向」」という文章を寄稿しました。とはいえこれの発行は今年3月なのですが、近い将来(63号が出たときに)ネットで公開されると思います。

 ちなみに内容は、『ヤンキー文化論序説』(河出書房新社、平成21年3月)に続き、義家“ヤンキー先生”弘介(そしてこの御仁がタイトルの「ある人物」である)ネタです。だって依頼主が神奈川の教職員組合なんだもん!神奈川(というより横浜)で教育ときたら義家ネタでいくしかないでしょう!前掲書とできるだけネタがかぶることを避けたつもりです。

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2009年5月31日 (日)

貧困と監獄

 なんだか「女子リベ  安原宏美--編集者のブログ」の中の人とか「水紋鏡~呪詛粘着倶楽部~」の中の人とかに急かされているような気がするので書いておく(笑)。

 というわけで、去る平成21年5月16日、東京・御茶ノ水の明治大学リバティタワーで開催された「貧困と監獄~厳罰化を生む「すべり台社会」」(主催:監獄人権センター、共催:アムネスティ・インターナショナル日本)に行ってきました。なによりすごいのはパネリスト。

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 登壇者:
 湯浅誠(反貧困ネットワーク事務局長/『反貧困』著者)
 浜井浩一(龍谷大学法科大学院教授、臨床心理士、元法務官僚/『犯罪統計入門』編著者)
 森千香子(南山大学准教授/ロイック・ヴァカン『貧困という監獄』訳者)
 菊池恵介(東京経済大学ほか非常勤講師/同上)

 (なお、全体の進行としては、前半は森→湯浅→浜井の順番に講演、後半は海渡雄一(監獄人権センター副代表)が司会で上記4人のパネルディスカッション)

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 名前を見るだけでもものすごく議論が深まりそうだと思うのは私だけでしょうか(笑)。というか実際そうだったし。ちなみに私は開始の20分前くらいに会場に到着し、そのころは十分に空きがあったのだが、気がついたら会場は満席になっていた。これも湯浅の力か。浜井とかはそれほど有名でもないと思うし(浜井先生ごめんなさい)。

 内容については、結論からすれば「ずっと浜井のターン」とでも表現していいくらい浜井が会場のペースをつかんでいたように思える。何せ浜井の話は、刑事政策やら厳罰化やらといった堅い話でありながらなぜか要所要所で会場は笑いに包まれるほど(いや、冷静に考えるとまったく笑えないのだけど…すみません、私も笑ってました)、話の引きつけ方が上手いのである。

 以下、私のノートから各発言者の発言の要旨。

 ◎講演
 ○森
 (概ね『貧困という監獄』の紹介)
 ・貧困と監獄は不可分の関係にある。ネオリベラリズム的な政策による社会不安の増加と厳罰化が同時進行。
 ・1970年代半ば、米国のとあるシンクタンクが福祉国家批判のための宣伝を行う。さらにその中で、生存権の危機による社会不安は厳罰化で対応すればいいとする。

 ・このような「処罰イデオロギー」はその後様々な国にローカライズされて導入される。

 ・米国の刑務所の収容者数が驚異的に増大。カリフォルニア州では1975年に1万6千人程度だったのが1995年にはおよそ16万人に。ただし犯罪の件数は増えているわけではない。

 ・フランスでは、移民や若年貧困者が多く住む地域の落書きなどといった、それまでは処罰の対象にならなかったものが、治安悪化の印象を受けさせるとして処罰の対象に(割れ窓理論)。結果として、監獄の中で貧困が加速(ちなみにフランスの囚人数は1975年でおよそ2万6千人だったのが、1995年には5万1千人、2006年には6万5千人)。

 ・フランスでは、刑務所の中ではなんとか生活できるものの、ひとたび刑務所に入ると社会保障が受けられなくなるほか、釈放時の支出や、家庭崩壊により再び貧困に直面する。いわば刑務所が貧困を再生産している(後藤注:多少事情は違うが日本でも似たような現状がある。詳しくは山本譲司の諸著作を参照されたし。『累犯障害者』も最近文庫になったしね)。

 ○湯浅
 ・「すべり台社会」化する日本。非正規雇用の拡大により労働して生活できる状況が厳しくなっている。公的な融資制度は全く機能しておらず、雇用保険も未加入者が増大。生活保護ですら水際作戦などであまり機能していない。生活保護が本当に受けられる人の内、実際に受給している人の割合はせいぜい2~4割程度。というかそもそも教育・家族関係の公的支出が極めて低い(後藤注:このあたりは山野良一『子どもの最貧国・日本』に詳しい)。結果としていったん貧困に陥ると貧困の固定化、どのような労働環境においても反抗ができなくなる「NOと言えない労働者」に。

 ・このような貧困者の選択肢は、家族の下に帰るか、自殺するか、ホームレス化するか、犯罪を起こすか、それとも「NOと言えない労働者」であり続けるのかというものに限られてしまう。さらに「NOと言えない労働者」の増加により、非正規・正規社員の労働条件が悪化、さらに貧困の増大。湯浅の言うところの「貧困スパイラル」(後藤注:この図式は湯浅が当日考たことしい)。

 ・米国では、生活保護を受けるためには最低賃金関係なく労働をしなければならない(湯浅の言うところの「懲罰的ワークフェア」)。日本にも押し寄せつつある。

 ・先の「貧困スパイラル」の構造はまだ全体が語られているわけではない。今回の文脈でいうならば、犯罪と貧困を往復し続けるというケースもありうるため、貧困問題の論者が監獄の問題に関心を持っていないのは問題である(逆もまた真なり)。

 ○浜井
 ・自分は元法務官僚で、刑事政策の決定や犯罪白書の執筆にかかわったり、心理系の専門職として刑務所で仕事をしたこともある。

 ・1990年代から新確定受刑者が急増、まだ執行していない死刑囚も100人を突破。ただし殺人(他人の暴力による死亡)は減っているし、また諸外国に比しても極めて少ない。

 ・刑務所人口と死刑囚が同時に増加しているのはアジアで日本とパキスタンだけ(後藤注:なお、あとで紹介する『グローバル化する厳罰化とポピュリズム』によれば、この2国の人口10万人あたりの被拘禁者数については、調査開始初年(日本1992年、パキスタン1993年)は日本はパキスタンを大きく下回っていたものの(それぞれ36人、54人)、最終年(それぞれ2007年、2005年)は日本のほうが若干多くなっている(それぞれ63人、57人))。

 ・受刑者数の増大や治安「悪化」について説明する排除型社会論などは話としてはおもしろいが実務家として考えるともっと適切に現状を説明しうる概念は他にもあるはずだ。そこで注目すべきなのがPenal Populism(ある程度適切な訳語を当てはめるならば「ポピュリズム的刑事政策」など)が先進国で起こっているという考え方である。

 ・Penal Populismには二段階ある。前段が、治安悪化キャンペーンや、個々の犯罪に対する劇場的報道。そしてそれらによる「わかりやすい」図式が専門家(司法官僚など)に対する不信感を(大衆レヴェルで)醸成すること。後段が、その影響により実際に政策決定に専門家が排除されること。前段は多くの先進国で起こっている。ただし北欧やフランス・ドイツ・カナダなどでは前段で留まっているのに対し、英米、日本、ニュージーランドでは後段に進行している(なお、カナダは米国をある意味反面教師と見なしながら国を運用してきたという側面があるためこういう結果になっていると見ることもできる)。

 ・ニュージーランドにおける、日本と酷似するPenal Populismの進行。同国は元々修復的司法で先進的な国であったが、1990年代あたりからの厳罰化を求める世論と、2000年代初頭ごろからのSensible Sentencing Trust(「法と秩序」を求める圧力団体)による厳罰化のキャンペーンなどにより、厳罰化と拘禁の長期化が進行。

 ・我が国は、仏独のように司法官僚の政治的な独立性が高く、それがPenal Populismの防波堤となるはずなのだが…

 ・ヨーロッパにおける監獄の収容者数の分析。結果…まず、犯罪統計などの犯罪指標と刑務所人口に関連性はない。また、拘禁率は、福祉予算が低い、国民が個人主義寄りである、2大政党である、司法官僚の養成課程に犯罪学がない、などの要因で上昇する。特に最後のものが提示されたときに会場爆笑。笑うところじゃないだろ。俺も笑ったけど。

 ・以上の研究については、昨年犯罪社会学会で特集を組んで様々な国から論文の寄稿を募ったことが元となっている。とはいえ日本の論文誌でありながらすべて英語であったので、すべて日本語に訳してこのたび『グローバル化する厳罰化とポピュリズム』という本にまとめた。

 ◎討議
 (この前にたまたま会場に来ていた福島瑞穂がコメントを出していたけど別にどうでもいいので割愛)
 ・先の講演で浜井が話しきれなかった「なぜ社会的弱者が刑務所に入るのか?」というもう一つのテーマについて話すことを求められる。実質、浜井の講演第二部。

 ・年間の受刑者数はおよそ3万7千人弱。全体の認知件数のおよそ2分程度。また新たな受刑者の内6割が詐欺、窃盗、覚醒剤。

 ・(凶悪犯罪などを除いて)起訴されやすい犯罪者の特徴として、家庭や仕事などといった受け皿がない、示談をしていない、謝罪の意思表示をしていない(頑固者)、コミュニケーション能力が低い(精神障碍など)。詐欺で刑務所に入れられる人の大多数は無銭飲食。

 ・刑務所内の高齢化の速度は一般社会のおよそ2~3倍。

 ・さらに帰るところのない受刑者、無職受刑者の増加。刑務所内で死ぬ人も急増。

 ・米国では受刑者を増やしたことによって失業率を減らしたという研究もある。

 (ここから本格的な討議。以下主な内容を示す。最初のほうで、海渡が湯浅に対して昨年6月の秋葉原の事件について質問していたがどうでもいい内容なので割愛)

 ・海渡が会場からの質問を紹介。家庭の問題、医療など。

 ・浜井:刑事政策(論)が社会政策(論)に対して独立しすぎ。刑務所を出た人に対する支援の必要性。微罪処分(高齢者の万引きなど)の再犯率は非常に高い。居場所の問題としての高齢受刑者などの刑務所への志願。

 ・湯浅:この社会が刑務所よりマシな空間になればいい。更生保護施設は、就労しろとは言うが生活保護を申請しろとは言わない。

 ・菊池:治安悪化の嘘、治安悪化と刑務所人口の相関はないなどといった正しい知識を持つことが重要。米国の刑罰政策は割高で、4人家族の生活保護費のおよそ3倍が囚人1人に充てられている。

 ・浜井:失業率と受刑者数の相関は普通はほとんどないが、なぜか日本はそれらの相関性が高い。近年の経済危機により、米国・カリフォルニア州の囚人数が減少傾向に。理由は刑務所に金がかかりすぎているから。

 (最後にアムネスティ日本のお偉いさんのお話があったけど、この人は死刑とかPFI刑務所とかを単純に悪と決めつけて糾弾しても問題は解決しないということわかっているのかねえ)

 ◎結論
 非常におもしろかった。まさに今年初頭に私が「AERA」で理想であると言った、様々な「知」の有機的なつながりがここにはあったような気がする。少なくとも浜井は以前より貧困と監獄の問題に少し取り組んでいたが、ここがその新たな出発点となるだろうし、湯浅にしても犯罪と貧困、そして社会政策との関係性という回路の形成に大いに役立っただろう(事実、湯浅は浜井に生活保護費と刑務所を運営するための費用について聞いていたという)。

 なにより湯浅はプレゼンテーションの能力が高いと思ったし、浜井の話も聴衆を引きつける「仕掛け」が随所にあった。そして、俗説に囚われず、信頼性の高いデータや学説などを用い、それをつなぎ合わせ、適切な政策提言を行っていくことの必要性も感じられた。そしてそれは、私の執筆活動(商業、同人問わない)のテーマでもある。

 参考文献
 以下、このシンポジウムに関連の深そうな本を示しておく。興味があったら是非読まれたい。

 ロイック・ヴァカン(著)、森千香子、菊池恵介(訳)『貧困という監獄』新曜社

 日本犯罪社会学会(編)、浜井浩一(責任編集)『グローバル化する厳罰化とポピュリズム』現代人文社

 湯浅誠『反貧困』岩波新書

 山本譲司『獄窓記』『累犯障害者』共に新潮文庫

 浜井浩一(編著)『犯罪統計入門』日本評論社

 ミシェル・ヴィヴィオルカ(著)、森千香子(訳)『レイシズムの変貌』明石書店

 山野良一『子どもの最貧国・日本』光文社新書

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2009年3月30日 (月)

業務連絡

 平成21年3月25日付で東北大学大学院工学研究科博士課程前期を修了し、修士号(工学)を取得しました。また、一身上の都合により進学はせず、東京都内に住所を移しました。お仕事でつきあいのある方や、コミケなどで名刺をいただいた方などには何らかの方法で新しい住所を連絡しておりますが、もし仕事を依頼したい方や、あるいは私の名刺を持っていて新しい住所が知りたい方などはメールをいただけますと幸いです。

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2009年3月 8日 (日)

告知(H21.3.8)

 1. 「サイゾー」平成21年3月号にて、ライターの速水健朗氏と対談を行いました。

 2. 五十嵐太郎(編著)『ヤンキー文化論序説』(河出書房新社)にて、「「ヤンキー先生」とは「何だった」のか」という論考を寄稿しました。内容は「ヤンキー先生」こと義家弘介に対する批判です。この本の中では結構異色だと思っています(苦笑)。

 3. 以下の既刊同人誌のダウンロード頒布を、「Circle.ms」サイト上で開始しました。
 『「若者論」を狙え! ~『「若者論」を疑え!』著者による公式副読本~』400円
 『[改訂版]若者論で使える用語集』200円
 『市民のための統計解析[基礎編Extend+多変量解析編]』700円

 なお、以上の同人誌のダウンロード版は、サークルペーパーやブログで提示した訂正を反映したものとなっています。また、購入金額の3パーセントが、Circle.msで使えるポイントとして還元されます。

 また、これらの同人誌は、無料体験版も頒布を行っておりますので、有料版の購入の前に動作確認のためにも体験版もダウンロードされることをおすすめします。

 あと、この有料頒布機能を使っていろいろとやっていきたいです。気が向いたら、ですけど。

 4. 「メディアマーカー」に登録しました。気が向いたら読書記録を更新するつもり。

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2009年2月10日 (火)

あまりに勘違いに満ちた…

 さて、以前に予告していた通り、鈴木謙介『チャーリー式100Q/100A』(ランダムハウス講談社。以下、断りがないならここからの引用)におけるニセ科学批判批判(Q80)について論評してみるよ…と思ったのだが、改めて読んでみると、どうも勘違いに満ちているというか、大多数のニセ科学批判言説とここで採り上げる鈴木(+荻上チキ)の議論がかみ合わない気がするのである(蛇足だけど、他の「質問」が概ね3~4ページくらいで終わっているのに対し、なぜかこの「質問」だけ5ページもスペースが費やされている)。なんというか、彼らの脳内で「ニセ科学批判者」のイメージをでっち上げ(ちなみにモデルはほぼ確実に私だろう)、具体的な言及を避けて、そのイメージに対して攻撃を仕掛けている感じがする。

 ま、この「質問者」(24歳男性という設定。ついでに宮城県在住、大学院生とか書いてくれれば完璧なのに)の台詞からして、

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 こんなのがあるから日本はダメになってしまうんだ!本当にこの国はまっとうな近代社会なの?(p.245)

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 などと書いてあるのが駄目。第一、そういう風に考えている人っているのかしらね。

 それはさておき。《菊池誠さんのような人が批判しているニセ科学》を《明らかにニセ科学なケース》であると述べているけれども、菊池(ほかニセ科学批判者)が批判しているのは別にそういったケースばかりでもないだろう。だが問題はここから。

―――――

 ゲーム脳だってそう。「肉ばかり食べていたらダメ」とか「ゲームのやりすぎはダメ」っていうのは、科学的な問題じゃないでしょう。(pp.246)

―――――

 ハイその通りではあります。しかし、ゲーム脳論批判において外せない論点としてあるのは、そのような《ゲームのやりすぎはダメ》という道徳律を、「ゲーム脳」の如きニセ科学で正当化することの問題である。これは「水からの伝言」論も同じで、「きれいな言葉遣いを心がけましょう」などといった道徳律の正当性を「水」に仮託することの問題点についても、採り上げられているはずである。

 そういう指摘を無視して、《どこまでをニセ科学と捉えるかという話をすると、科学論の話になるよね》(p.246)と軽々しく言わないでいただきたい。

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 質問者とはおそらく、話が逆なんだ。「世の中合理的にいくはずなのに、邪魔してるニセ科学のせいでうまくいかない」んじゃない。私たちは、「非合理的なもの」を世の中の中心からどんどん切り離してきた。(p.246)

―――――

 この点はよく誤解される(というか向こうが勝手に脳内で誤解している)ことなのだが、ニセ科学批判論者で《世の中合理的にいくはずなのに、邪魔してるニセ科学のせいでうまくいかない》などと考えている人はどれだけいるのだろう。少なくとも個別の非合理な議論に対する批判はいくらかあれど、非合理的なものすべてを呪詛しているような言説を展開している人はほとんどいない。

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 だから、なぜニセ科学が出てくるかって聞かれたら、「私たちの社会が合理的に運営されている近代社会だからです」としか言いようがないんだ。(p.247)

―――――

 この点も、ニセ科学批判者が考えるような原因論とかなり違っているように見える。少なくとも我々の(?)理解では、ある種のニセ科学がはやってしまう理由は概ねこれくらいに収束されるのではないかと思う。

 第一に、特定のイデオロギー的性向に対し、それを「正当化」してくれるものとしてニセ科学が流行るというもの。例えば脳の重さに基づく民族の優位性の主張とかがそれにあたる。第二に、一般の科学が曖昧な答えしか提示しないのに対し、ニセ科学の多くは明確な「答え」を出してくれる故に流行るというもの。怪しげな健康情報なんか典型で、それの戯画化に成功したのがMOSAIC.WAVの「ギリギリ科学少女ふぉるしぃ」である(笑)。そしてこのあたりの「解決」が困難であるのはむしろニセ科学批判論者のほうが肌で感じていることなのではないかね。

 しかもp.247では荻上(?)がいきなりこんなことを言い出す。

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――「メディアリテラシー弱者叩き」「ニセ科学叩き」をしている人は、必ずしもそれが「間違っているから」叩くわけではないですよね。合理性同士の衝突に、根拠を与えるために利用されている部分もある。どうして私たちは、他人の合理性にまで口を出すのでしょう。(p.247)

―――――

 いや、だから、多くのニセ科学批判者は他人の合理性に口を出そうとはしていないと思う。それになんで唐突に《メディアリテラシー弱者叩き》なんて言葉が出てきたのかわからん。多くのニセ科学批判者は、たといニセ科学を批判しても、それを信奉する人を嘲笑するなんてしないだろう。《必ずしもそれが「間違っているから」叩くわけではないですよね》などと言うのであれば、まずどのような状況でそういうことが起こっているのか示すべき。それでは単なる嘲笑となんら変わりない。

 また荻上(?)の発言。

―――――

 ――「科学」についていえば、(略)たとえば「水伝」については科学的に「反証」は可能ですよね。だとすれば「ニセ科学」というレッテル貼りだけではない検証が求められる。でも、そういう検証にコミットするよりも、多くの場合は「プギャー」と嗤いたいだけ、バッシングが先鋭化する人もいます。(p.248)

―――――

 これを受けて鈴木は言う。

―――――

 一般に「ニセ科学批判」が問題になるのは、そうでない人(引用者注:専門家でない人)による場外乱闘でしょ。(略)「科学的知識」を基にしたそうした振る舞いは、あくまで「政治過程のコミュニケーション」だから。(略)

 でもあるとすれば、「プギャー」という行為の先に何を求めるかをはっきりするところからだよね。その批判に依って、相手を改心させたいのか、それは無視して動員したいのか、あるいはもっと狭い身内だけで喜びたいのか、相手を深いにさせて楽しみたいのか。改心させたいなら、相手を怒らせてもしょうがない。説得しつつ、動員をやっていくのであれば、ユーモアや滑稽さを提示しつつ、少しずつ外堀を埋めていくという狡猾さが必要。(pp.248-249)

―――――

 「注文」つけられました。しかし、これを読む限りでは、ずいぶん誤解が多いし、特に後段はニセ科学批判を莫迦にしている印象すら受ける。少なくともここまでの論旨の展開を見るのであれば、《「ニセ科学批判」が問題になるのは、そうでない人による場外乱闘》という物言いは、ニセ科学批判を意図的に《合理性同士の衝突》みたいなものに矮小化させている行為にしか見えない。

 第一、鈴木らがニセ科学批判に《政治過程のコミュニケーション》=《「プギャー」という行為》程度の認識しか持っていないのであれば、なぜニセ科学が批判されるのかについて思慮が浅くなるのは当然だし、またそれが個々のニセ科学について違ってくることもわからないと思う。そもそも、(《政治過程のコミュニケーション》=《「プギャー」という行為》ではない)ニセ科学批判は専門家にしかできないという認識それ自体が間違いだろう。

 ちなみに《たとえば「水伝」については科学的に「反証」は可能ですよね。だとすれば「ニセ科学」というレッテル貼りだけではない検証が求められる》などと軽々しく述べられているが、少なくとも「水伝」については別に実験しなくとも今までの経験で概ね間違いであると見なせるのは、田崎晴明の「「水からの伝言」を信じないでください」の中で述べられている通りである。

 ここで採り上げた部分以外は、概ねニセ科学批判者が見たら「そんなの知ってるよ」と言うことばかりなのではないかと思う。政策や教育に関する議論とコミュニケーションに関する議論を分けよ、というのは概ねわかりきっている(しかし、単なるコミュニケーションのツールに過ぎないものが、血液型ハラスメントなどの社会的に有害な行為につながったりという例に見られるとおり、政策論とコミュニケーション論は明確に分けられないとも思う)だろう。

 結局鈴木らのニセ科学批判批判が的外れに見えるのは、ニセ科学批判の現状も、またその周辺や根本に位置する科学論、科学哲学への言及も薄いまま、ニセ科学批判論者の(鈴木らが考えるところの)社会学の言葉を使ってメタに立ったつもりになっているからだろう。結局「プギャー」と言いたいのは鈴木らのほうなのではないか、という疑念が私からは消えないのである。

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2009年2月 4日 (水)

2000年代の若者論再考のためのアイデアスケッチ

 『おまえが若者を語るな!』(以下『語るな』)では若年層の「理解者」や、あるいは子供の「心」や「実存」の「翻訳者」として振る舞った人たちが、結局のところ若年層に対する誤解を広めた(そして彼らはそのように語られた若年層像を都合よく利用した)ことを述べたが、それをより深く検討するためには、(それこそ私が『語るな』でしきりに用いた)「宮台学派」みたいな特定の論者の影響を強調するような言葉ではなく、もう少し体系的に語れる言葉(現状では「日本型ポストモダン」くらいしか思いつかないけど)を使って、それらの論者が果たした役割を整理するという仕事が必要なのではないかと思う。

 とりあえず彼らの最近の社会や若年層に対する考え方を整理すると、
 ・今の若年層は、郊外化や情報化、消費社会化による実存の空洞化で個々人が孤立している状態。故に若年層は地元志向になったり、ナショナリズムに走ったりする(その逆で、第1文で示した状況がある故に、現代の若年層は国家や社会とのつながりを失った故に簡単に犯罪を起こすようになったりするというものもある)。
 ・人々は「大きな物語」を見失い、自分のまわりの「小さな物語」に拘泥するようになった。
 ・今の時代的状況として、「事実」とは個々人が選び取ったものでしかありえない。

 ということになる。そこから生み出される若者論の傾向として、
 ・(1番目の理由故に)今の子供たちは「教育」が困難になっており、それが若い大人世代まで広がっている。故に今の「教育」の課題とはそのような「消費社会化」した、もしくは「ポストモダン」の子供をいかに「近代化」させるかということである。(諏訪哲二、内田樹など。文化保守的傾向?蛇足だけど、少なくともここ5年くらいの諏訪って本当に同じことしか言わないよね)
 ・愛国心、もしくは国家への帰依の主張(藤本一勇『批判感覚の再生』言うところの「ポストモダン保守」的傾向)
 ・情報化社会以降の若年層に対する宿命論の押しつけ(鈴木謙介『ウェブ社会の思想 』)
 ・「実存」を集めることにより若年層を巡る問題を解決しようとする態度(鈴木謙介『サブカル・ニッポンの新自由主義』)
 ・決断主義の扇動(宇野常寛『ゼロ年代の想像力』)
 ・(1番目の理由故に)若年層の「分断」や「無関心」などを過剰に危険視する態度(疑問:運動に参加しない日本の若年層は本当に「民度」が低いのか?外国の事情と我が国の事情の比較は行ったのか?その過程を無視して日本の若年層は政治に無関心と批判することは許されないと思う)

 というものが挙げられる。それらを検討する上でとらえるべき視点としては、
 ・上記の言説の実証性の欠如(『語るな』の視点)
 ・上記の言説が生み出す世代論の不毛(同上)
 ・上記の言説が、ちょうどそれらの言説で語られる若年層に対し、自らの実存に関する所与の条件として受容されることの問題(ゼロ年代のアカデミズムなど)
 ・「ゼロ年代をサヴァイヴ」なるお題目の問い直し(どうせ中身なんてないんだろうけど)
 ・90年代以降の若者論、社会論の政治経済学的分析
 ・実効性のある議論や政策論をいかに語るか
 ・上記の言説が生み出される上での、主としてルーマンやギデンズの議論の我が国における受容
 ・付随する問題としての専門知や統計の軽視

 1. 「水紋鏡~呪詛粘着倶楽部~」(「半径3m以内に大切なものはぜんぶある。」)によれば、東浩紀は「潮」H20.10号でこういうことを述べていたそうな。経済学者は怒っていいと思うよ。

―――――

 近代経済学のロジックは、出発点がバラバラな個人だから、共感の効果について語るのがむずかしい。社会がバラバラになった時代には適合的なんでしょうけど。

―――――

 2. 鈴木謙介『チャーリー式100Q/100A』の第80問「ニセ科学は許さん!」――どう見てもモデルは俺です、本当にありがとうございました。なるほど、この御仁に私のような者はこう見えているのだな、と。しかも、仮に私がモデルでないとしても、ニセ科学批判をかなり誤解している節がある。そのうち書く。

 ・最後に…超素朴な疑問:なんで「2000年代」ではなく「ゼロ年代」なの?

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2009年2月 3日 (火)

同人誌通販のお知らせ(第1期・2)

 同人誌の「楽天オークション」での頒布を行います。平成21年2月13日まで注文を受け付けます(同梱の依頼も可能です)。

 対象となる同人誌は以下の通りです。
 1. 市民のための統計学 [基礎編Extend+多変量解析編] 950円 30部
 http://auction.item.rakuten.co.jp/10420370/a/10000003
 2. [改訂版]若者論で使える用語集 350円 15部
 http://auction.item.rakuten.co.jp/10420370/a/10000004

 なお、楽天のアカウントをお持ちでない方などは直販でも引き受けますが(http://c10000088.circle.ms/oc/pp/Paper.aspx?CPID=10535 参照)、オークションの受付締め切りである平成21年2月13日までは直販では10部までの取り扱いとし、オークションで申し込まれた方を優先させていただきます(11部目以降申し込まれた方は、楽天オークションのキャンセル待ちとなります)。

 また、繰り返し申し上げますが、サークルペーパーについては、Circle.msの私のサークルの作品ダウンロードページ(http://c10000088.circle.ms/oc/wr/WorkList.aspx)からダウンロードしてくださいますようよろしくお願いします。

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2009年1月31日 (土)

まだまだ続くようだ

 「あああああああああ」の続き。「水紋鏡~呪詛粘着倶楽部~」のコメント欄で知った。本当いい加減にしてくれ。

教育再生懇談会:「スポーツ」朝原氏と「科学」小林氏、メンバーに内定 知名度に期待(毎日jp)

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 政府は30日、教育再生懇談会(座長=安西祐一郎・慶応義塾塾長)のメンバーに、ノーベル物理学賞を受賞した小林誠・高エネルギー加速器研究機構特別栄誉教授(64)=と北京五輪男子四百メートルリレー銅メダリストの朝原宣治氏(36)=を加える人事を内定した。

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 一度はこの「懇談会」廃止の方針が出たのに、その方針は撤回され、今度は新メンバーの追加ですか?しかもまだ追加の予定があるらしいし。もう続ける気満々だろ。そもそも「教育再生」とは安倍晋三内閣の公約であり、また「教育再生懇談会」の元となっている「教育再生会議」はメンバーから提言まですべて駄目であったことは今まで何度か述べた通り。

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 「科学技術人材育成」「スポーツ立国」などがテーマとなることから起用が固まった。知名度が高い両氏をメンバーに加えることで、教育問題に積極的に取り組む姿勢をアピールする狙いもある。

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 へー。知名度が高い人を加えることが《教育問題に積極的に取り組む姿勢》のアピールになると考えているんだ、政府は。これでは教育再生会議となんら変わりはないわけで、とっとと廃止するのがよろしい。中教審とかでは駄目なのだろうか。

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2009年1月27日 (火)

同人誌の通販について

 「コミックマーケット75」で出品した同人誌の通販を行います。なお、前回までは楽天オークションを使っていましたが、今回は直接販売を行います。販売の詳細については、circle.msの私のサークルのページの「ペーパー」にある通販の案内をご覧ください。

 なお、このページでは、当該イヴェントで配布したサークルペーパーを無料でダウンロードすることができます(同人誌の訂正なども掲載しております。「作品」をクリックしてください)。なお、circle.msで有料頒布機能が実装され次第、「「若者論」を狙え!」「市民のための統計学 [基礎編Extend+多変量解析編]」「[改訂版]若者論で使える用語集」のダウンロード販売を開始します。

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2008年12月20日 (土)

「コミックマーケット75」のお知らせ

 「コミックマーケット75」に出展します。

 日時: 平成20年12月30日(火)
 場所: 東京ビッグサイト(りんかい線「国際展示場」駅正面、ゆりかもめ「国際展示場正門」駅正面)
  西2ホール「な」ブロック16b

 今回は、新刊はないですが、既刊の増補改訂版が2冊、既刊が2冊、委託が1冊です。

 ・「市民のための統計学 [基礎編Extend+多変量解析編]」
 「サンシャインクリエイション41」既刊の統計学本に、「共分散と相関係数」「カイ二乗検定」「分散分析」「回帰分析」「主成分分析」「因子分析」を加えたものです。A4、88ページ、950円、100部。

 ・「若者論で使える用語集 [改訂版]」
 「コミックマーケット73」で出した同人誌に収録した用語集を一冊の同人誌として独立させたものです。さらに、「ポストモダン」「自殺報道」「ゆとり教育世代」「反貧困運動」「児童ポルノ法」などを加筆しています。B5、28ページ、350円、100部。

 ・「「若者論」を狙え!――『「若者論」を疑え!』著者による公式副読本」
 「コミックマーケット74」で出した同人誌を再販します。A5、48ページ、500円、若干部(少なくとも20部は置いておきます)。

 ・「義家汚染――ヤンキー脳の恐怖」
 「コミックマーケット74」で刊行した合同誌で、「ヤンキー先生」こと義家弘介・参議院議員の、ある意味でファンブックです。私もいくつか寄稿しています。A4、50ページ、600円ですが、私の手持ちが少ないので配布部数は極めて少ないです。

 ・また、上記の同人誌の企画の大元である「ヤンキー風俗研究会」の新刊同人誌を委託販売します。

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