告知(H20.7.17)

 NPO「POSSE」のイヴェントに出ます。(POSSE member's blog:「7月21日 ハケンと秋葉原殺傷事件に関するイベント開催」

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日時:7月21日 14時から16時半

場所:代沢東地区会館(小田急線・京王井の頭線下北沢駅より徒歩11分、京王井の頭線池の上駅より徒歩6分)

講師:講師プロフィール(五十音順)
・池田一慶
大学卒業後、日野自動車で派遣社員として働く。2006年には製造現場などで働く非正規労働者のためのNPO法人「ガテン系連帯」http://www.gatenkeirentai.net/index.htmlを設立し、2007年には日研総業ユニオンなど、加盟する多くのユニオンが労働条件の改善を勝ち取る。詳しくは『偽装雇用―立ち上がるガテン系連帯』(大谷拓朗著、旬報社)。今回の秋葉原事件に関しても、派遣先であった関東自動車への申し入れを行った。

・後藤和智
 東北大学大学院博士課程前期在籍。2004年にブログ(「新・後藤和智事務所」)を開設し、膨大な数の「俗流若者論」を批評してきた。主著に『「若者論」を疑え!』(2008年、宝島社新書)、『「ニート」って言うな!』(2006年、光文社新書、共著)。「後藤和智事務所OffLine」で「コミックマーケット74」参加予定(3日目、西地区 "ち" ブロック19b)。

・竹信三恵子
朝日新聞記者。非正規労働者の均等待遇やワークシェアリングなど、生活と労働に関わる問題に長年取り組んできた。主著に「ワークシェアリングの実像~雇用の分配か、分断か」(2002年、岩波書店)、「『家事の値段』とは何か」(99年、岩波ブックレット)など多数。記者としても労働チームに所属、2007年4月からは労働分野の編集委員に就任し、労働問題の最前線に立ち続けている。

当日プログラム
14:30~14:45 竹信三恵子さんのお話
14:45~15:00 後藤和智さんのお話
15:00~15:15 池田一慶さんのお話
15:15~15:25 休憩
15:25~16:25 座談会(司会:NPO-POSSE代表今野晴貴)
16:30       終了

*イベント終了後、懇親会を行います。

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 皆様ふるってご参加ください。

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勘違いしないように!

 明らかに見出しがミスリードな記事。「秋葉原でナイフ持った男逮捕、逃走試み警官にけがさせる」(読売新聞)。少なくともこの見出しでは、「男」が故意に警官を怪我させたとしか読めないのだが…。

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 巡査長が男をパトカーに乗せようとしたところ、男は巡査長からナイフを奪い返して逃げようとしたため、傷害と公務執行妨害の疑いで現行犯逮捕された。この際、巡査長はナイフをつかみ、親指と人さし指に軽傷を負った。

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 《この際、巡査長はナイフをつかみ、親指と人さし指に軽傷を負った》と書いてあり、これはどちらかというと「事故」(それも業務上の過失でもない)ではないか?故に《傷害と公務執行妨害》ではなく、単に公務執行妨害だけではないかと思う。また、《逃走試み警官にけがさせる》などと書かれる筋合いはないのではないか。

 この犯人に意図的に警官を怪我させようとした意図があるかどうかはわからない。故に、なぜ傷害で立件したのかも不明だ。それどころか記事を見た限りでは、なんで自分が職務質問を受けなければならないのか腹が立ったのかもしれない。もちろんこのように暴力でもって対応するのは言語道断である。

 犯人も警察も読売も、勘違いしてはならないのである。

 参考:「忍び寄る警察国家の影」(白川勝彦)

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思考が止まって莫迦を言う――狂気の東国原英夫・宮崎県知事

 某知事がまた何か言っています。「東国原知事「愛のムチ条例できないか」…県議会で発言」(読売新聞)。

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 宮崎県の東国原英夫知事は18日、学校教育の場や地域での子どもとの接し方について、「『愛のムチ条例』や、『愛げんこつ条例』ができないか。検討に値するかもしれない」と発言した。

 この日の県議会一般質問で、自民党県議が「昔は隣近所の年配の方からもよく指導され、げんこつをもらった。今は体の五感を使って学ぶ体験が少なすぎる」などと県教育長の見解をただした。

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 そーなのかー(超棒読み)。というか、こんなことを言う県議も県議ならば知事も知事だ。この男は以前若年層をたたき直すために徴兵制を導入せよ、なんて言って、徴兵制はまずいのではないかと言われたら徴農だ、と言った人間だ。道路特定財源問題でもいろいろとぼろを出しているらしいし。

 昔はそんなにすばらしい時代だったのかしらね。だって少年犯罪は、凶悪犯罪の検挙件数に限って言えば1960年代のほうが現在よりも格段に多いわけだし、学校の長欠率も1950年代が現在とほとんど変わらない(もしくはそれ以上)くらい高いし…って、もう飽きた。こういう人たちにとっては、今の子供や若年層、若い親などは新聞やテレビなどがおもしろがって採り上げるような連中がすべてなんだろうな。統計とか学術的な研究は無視なんだろう。

 それよりも、条例化して、いったいどうするというのだろう。単なる努力目標?それとも罰則をつけるのだろうか。いずれにせよ、多くの親にとっては余計なお世話、としか言いようがないんじゃないか。子供や若年層や若い親をなっていないと罵って、こいつらをどうにかしなければならないから条例を作るぞ、っていえば許されると思っているんだろうか。つくづく政治って軽くなったものだ。

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捏造される現代史(笑)

 先ほど発表された、本日の「よみうり寸評」があまりにもひどい、いや、それを通り越しておもしろい。

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遺族への謝罪や反省も口にしない。「絞首刑は残虐」と発言した。彼の犯行こそ残虐そのものではないか。あれから事件が変わったという見方もある◆その後、神戸の連続児童殺傷から先日の秋葉原事件まで宮崎事件に類似する数々の犯行が続いた。家庭の崩壊、学校や社会で人間関係が築けず、ネットなど仮想世界に逃げ込んで犯行に走る◆元祖オタクは危険千万な系譜を残した。

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 宮崎勤が「元祖オタク」て。あんたらが誤報まで使って(アニメとは関係ない雑誌の山に、意図的に一番上にアニメの雑誌を置くことによって、犯人がさもアニメに耽溺していたかのように報じたことなど)勝手に捏造したイメージじゃないのか。しかも宮崎勤事件を契機に犯罪の質そのものが変わったわけではないだろうが。変わったのはおまえらマスコミの犯罪に対する見方のほうだ。しかもわざわざここに来てネット叩きですか。江戸の敵を長崎で討つなよ。第一犯罪(あるいは犯罪者)の質の変化を見るにはサンプルが少なすぎるし、なおかつ極端すぎる。こういう安易な文章ばかり生産して、本当に気楽な稼業だよなあ。

 捏造される現代史とは、このことを言う(笑)。

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お知らせ(H20.6.15)

 昨日起きました、岩手・宮城内陸地震について、様々な方からメールやmixiのメッセージをいただきました。私は、家族や身内も含めて無事ですので、ご心配なさらなくても結構です。誠に勝手ながら、このエントリーをもって返信とさせていただきます。

 最後になりますが、この地震で亡くなられた方のご冥福をお祈りします。

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告知(H20.6.13)

 昨日行われた青葉区の防災訓練について、OhmyNewsに書きました。「「あの地震」から30年、仙台で大規模防災訓練

 (雑感)コミックマーケット74、私の隣は井出草平らしい。

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告知(H20.6.7)

 1. 平成20年6月2日付「Sankei Express」(産経新聞社)にインタヴューが掲載されています

 2. 第74回「コミックマーケット」に当選しました。サークル名は「後藤和智事務所OffLine」、日程は平成20年8月17日(3日目)、場所は西地区 "ち" ブロック 19bです。内容に関しては追々説明いたします。

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コメントへの返信(H20.5.11)

 昨日のエントリーである「さすがにこれには腹が立った」に対し、「on the ground」のきはむ様よりコメントをいただきました。それについてお答えしようと思います。

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次に、丸山や吉本を批判する「義務」などを負わせてなどいません。私が書いたのはただの願望であって、今やこの調子で舌鋒鋭く戦後思想を斬る後藤さんの文章が読みたくなってきたというだけのことです。そうすることに必然性があるなどとは主張していません。

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 少なくとも《思想」とか「批評」とか、ほんとまじうざいもんねー。爽快、爽快》などと揶揄されているものが《願望》のようには、私には思えないのですが。私の読解力か想像力が低いためなのかもしれませんが、あのような書き方では単に莫迦にしているようにしか聞こえません。

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それから、いわゆる「思想」についてですが、これはむしろお聞きしたい。後藤さんが東など(宮台はここでは措いておきましょう)を批判するなら、彼らと(大雑把な括りになりますが)「方法」としては大差無い仕方を採っている萱野や仲正を評価するのは何故なのか。後藤さんは「方法」こそを問題にしているのだと言っているのだけれども、実際には「内容」によって色分けが為されているのではないか。

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 東と萱野や仲正が「方法」において大差ないと私は思っていません。そもそも萱野や仲正などは、東の如く(例えば「ギートステイト」などに見られるように)、インターネットやそれに関するところのテクノロジーの進展により、特に若い世代においてどのような心性の変化が生じるか、あるいは現在生じているか、ということから今の社会を覆う「現実」、あるいはこれからの「未来」について語る(少なくとも「ギートステイト」や「動物化するポストモダン」などはそういった内容ではないでしょうか)ということはしていないように思えます。また、例えば萱野の国家や暴力に関する伝統的な学説や歴史などの分析から現代の国家などを読み解くというやり方(『国家とはなにか』や『カネと暴力の系譜学』あたりがそうですね)や、あるいは仲正の現代思想そのものや、あるいはその受容をめぐる流れから現在を読み解くやり方(時論や左翼批判なども含めて)も、東のやり方とは一線を画しているはずです。むしろ東と仲正や萱野の方法論的な共通点を探す方が難しいような気さえします。

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挑発的な言い方を重ねることになってしまいますが、後藤さんの「方法」というのは要するに、後藤さんの中にある何らかの基準によって若者の「敵」ないし「敵」になり得ると判断された言説に対して、定量的な実証がされていないというほぼ一点を衝いて攻撃を加えるもので、反面、「味方」にし得る言説に対しては「お目こぼし」があるのではないか。いや、これは具体的な箇所を挙げて述べるべきことですので、批判まで行かない疑問として受け取って欲しいのですが。

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 まあ、私にそういう側面がないとは言い切れないのでこれについて反論するのは難しいのですが、とりあえず《定量的な実証がされていないというほぼ一点を衝いて攻撃を加える》というのは間違いです。定量的に実証したと自称している言説について理論的な視点で反論を加えることも多いですし(それこそ本家でやっている「統計学の常識やってTRY」シリーズですね)、基本的な統計や歴史の間違いを指摘することもありますので、そのような物言いはないと思います。それともう一つ、きはむ様には、宮台が石原慎太郎などという極めてわかりやすい権力者とつるんでいることについてはどう思っているのかということを、ぜひお聞きしたいですね。

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こうした後藤さんの問題意識は理解できるのですが、そこで東を宮台と並列して「若者論のレジーム」を作ったと言うのは、明らかに的外れです。そもそも「動物化」論は若者論ではありませんから。

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 《そもそも「動物化」論は若者論ではありません》というのは、少なくとも私からしてみれば誤読を含んでいる物言いだと思います。というのも「動物化」論というのは、出発点に関しては明らかに若者論を意識しているからです。そもそも東は『動物化するポストモダン』(講談社現代新書。以下「動ポモ」)p.14においてこのように語っています。

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 たとえば、コミックやアニメ、コンピュータは世代を越えて強い関心を集めているが、第一世代でSFやB級映画に向けられていた関心は、第三世代ではおおむねミステリやPCゲームへの関心に置き換えられている。また、第三世代は一〇代半ばにインターネットの普及を迎えており、その結果、彼らの同人活動の中心はウェブサイトに、イラストの中心はCGに変わり、先行世代とは流通経路も表現形式も大きく変わっている。本書の議論は、そのなかで、どちらかといえば第三世代の新しい動きに焦点をあてて組み立てられている。

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 このような言明の他、東が同書p.132あたりで宮台の『制服少女たちの選択』を引いて、オタクの消費行動と、この本において宮台が示した女子高生の消費行動には「動物化」という共通性があるという趣旨のことを述べていたり、東が「近代的な人間」と「ポストモダンのオタク」(「動ポモ」pp.136-137の周辺。「動ポモ」を読んでみる限りでは、このように名指しされる対象は東の言うところの「第三世代」と思われます)の人間性の違いについて述べていたりと、かなり若者論を意識しているように見受けられます。このような反論に関しては、先の引用文の後に続くこの部分に関しても同様です。

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私も宮台が真っ当な水準の社会学を実践しているとは思っていませんので、彼に対する方法論的な論駁には賛同し易い。後藤さんの宮台に対する批判において私が違和感を覚えるのはむしろ、彼の問題意識や理論的前提を考慮しなさすぎではないか、ということです(これは、後藤さんには歴史観が足りないのではないかという疑問と繋がっています)。これに対して、東批判の方は、賛同できる部分が無い。私には方法論的な問題があるようには思えないからです。「荒唐無稽」と評される程の致命的な問題があるのなら、東と度々対話の機会を持っている萱野や、著書の中で東の「動物化」論に度々言及している仲正が、なぜその点を論難しないのか。

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 とりあえず《彼の問題意識や理論的前提を考慮しなさすぎではないか》という批判につきましては、むしろ宮台の《問題意識や理論的前提》を考慮したからと言って、宮台に対する批判を再考すべきとは私は思いません。なぜなら宮台がほとんど自前の《問題意識や理論的前提》をいいように換骨奪胎して若者に対する一方的なイメージ(それがポジティブなものであれネガティブなものであれ)を、さも若者の代弁者であるかの如く流布してきたことこそが問題であると私は考えているからです。そしてそうした行為の行き着く先に、近年の宮台における権力者へのすり寄りや、あるいは恋愛論(という名の的外れなオタクバッシング)などがあるとすればなおさらです。

 東への批判に対する論難に関しましても、きはむ様のこの文章を純粋に読むだけでは、仲正や萱野が東を批判しないから後藤は間違っている、という論難にしか聞こえません。あと、どうもきはむ様の私の東批判に対する反応を見る限りでは、どうも私が東の言説を「荒唐無稽」と表現したこと「のみ」を非難しているような気がします。

 さて、きはむ様が私の書いた文章、ないし座談会に対して言及したものについては、次のものが挙げられると思います。
 「「俗流若者論」批判は切れすぎる刀か」(H19.6.26)
 「幾つかの局地戦と「大局」」(H19.10.9)
 「後藤さんの宮台批判について」(H20.1.19)

 いずれも批判的言及なのですが、種々の論考の内容についてある程度踏み込んで批判しているのは、少なくとも私の読む限りでは一つ目の記事くらいではないかと思われます。それ以外については、いずれも私の論考の内容をさして吟味しないまま、私の「態度」だけについてひたすら愚痴っているようなだけ、という印象を受けます。その様な態度の不毛さに関しましては、特に後ろの二つの記事において「冬枯れの街」の管理人の方が述べておられますので、特に付け加えることはありません。

 とりわけ「後藤さんの宮台批判について」のコメント欄において、きはむ様は私についてこのように評しておられます。

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でも、こういった指摘は後藤さんには全く必要でないかもしれません。どうもここまでの私の感触だと、後藤さんは科学的であるよりも、ずっと政治的であろうとする人のようです。その選択そのものに難癖つけることはできませんから、この問題はもう後藤さん宛てではない形で書いた方がいいかなという気がしてきました。個人的に。

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 《後藤さんは科学的であるよりも、ずっと政治的であろうとする人のようです》と私のことを評されるきはむ様は、おそらく自身の方法論は私よりも科学的である、と思われているようですね(ところでこの文章における「政治的」とはどういった意味なのでしょうか。ちなみに私は『「ニート」って言うな!』の執筆過程で、この言葉を多用したところ、原稿を取りまとめていた本田由紀に散々だめ出しを食らったのですが)。そういった人が科学的な認識に基づく議論に対して、《歴史を遡って、丸山だろうが吉本だろうが、ロクなデータも示さずに日本や社会を語ってきた輩を縦横無尽に斬って斬って斬りまくって欲しいものです》とか、あるいは《「データ萌え」?「統計萌え」?》とか論難できるのでしょうか。私には不思議に思えてなりません。あと、

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結局、後藤さんが宮台に引き続いて東を批判したのは、影響力のある(ように見える)論者を叩くことそのものが主目的だったのではないか。それは、言説の「効果」という面だけでなく、それによって一種のカタルシスを得るという意味でね(「陶酔」と書いたのはこういう意味です―何しろ宮台「葬送」論文公表の際に随分盛り上がっていらっしゃったので―)。意地の悪い見方ですが、どうも私はこの疑念を払拭できない。解り易く言うとカウンター言説の「ネタ」化への危惧ですか。

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 ということに関しましても、私のブログの内容などに触れないまま難癖をつけているだけですね。少なくとも「現代の理論」については、私がなぜ宮台を批判するのかと言うことについて論理立てて説明しているはずですし、カタルシスを得るのが主目的ならば、宮台や東の言説を徹底的に叩けばいいわけだし、わざわざ速水由紀子などの通俗的な「格差」論に絡めて批判するようなことはしないでしょう。

 ただし、私がここまできはむ様のコメントについて返信したことは、あくまでも部分的なことであり、全体に関する疑念については、つとに赤木智弘様とTAKESAN様、特にTAKESAN様が指摘されているとおりです。とりわけTAKESAN様の以下のような質問――

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えっと、ではきはむさんは、

 >「データ萌え」?「統計萌え」?

などという表現を、いかなる認識に基づいて書かれたのでしょうか。さっぱり理解出来ません。定量的な評価を軽んじていないという言と、この皮肉の表現は、とても整合するようには思えないのですけれど。

―――――

 に対する答えとして、きはむ様は以下のように応えられています。

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ご指摘の表現は、稲葉(振一郎)さんがポストモダン左翼に向けて言い放った「他者萌え」という言葉を踏まえています。主に様々な場面でいわゆるマイノリティの存在ばかりをありがたがるような風潮に対して浴びせられたものですが、私自身はこの発言を行ったからといって稲葉さんが「他者」を軽視しているとは考えていませんので、言説上の整合性が欠けているとは認識しておりません。

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 少なくとも稲葉がポストモダン左翼に対して「他者萌え」と言うのと、きはむ様が私に対して《「データ萌え」?「統計萌え」?》と言うときの「萌え」なる表現の使い方は明らかに違うものではないかと思われます。このような答え方では、稲葉がこういっているんだから、その概念を転用している自分は間違っていない、というもの以上の答えにはなっていないと思います。ここで問われているのは、稲葉の言うところのポストモダン左翼が「他者」に対してとっている行動と、私がデータや統計に対してとっている行動が正しく対応しているか、ということではないでしょうか。いずれにせよ、萱野や仲正が東を批判していないから後藤は間違っているとか、あるいは稲葉がこういっているから自分の罵倒は正しいのだ、という態度では、まさにコメント欄でワタリ様がおっしゃっていた《大先生幻想(ブルデュー、「教師と学生の「コミュニケーション」)》に他ならないのではないでしょうか。

―――――

 きはむ様以外にコメントをくださった方に対しても、この場を借りてご返信させていただきます。

>古鳥羽護様

 少なくとも永山、昼間『マンガ論争勃発 2007-2008』での東の発言には、殊更おかしかったりする箇所はないと私は思います。ただ、東の近年のプロジェクトである「ギートステイト」や、あるいはかつて東などを中心に執り行われていた国際大学のグローバル・コミュニケーション・センター(GLOCOM)における議事録を見る限りでは、東の国家観やテクノロジーへの認識について、誤解というか少々危険なところがあるのではないか、という疑念を私が持っているのも事実です。ですので、東に対しては批判的な態度をとらざるを得ない、というのが現状です。

―――――

ただ問題は、本質的に純粋科学になりえない分野の専門家の見解に対して、どの様に科学的な批判を加えていくべきかという部分だと思います。

私が個人的にお世話になったから言うわけではありませんが、例えば精神分析学の専門家である斎藤環さんだとかをどう扱うのか? 彼が「思春期ポストモダン」の中で、俗流若者論に対抗する為にとして、若者の「無気力性」と「凶暴性」が一緒くたに論じられている事を批判する為に、「引きこもり系」と「自分探し系」の2つのモードを若者たちが行き来するという説を書いていますが、これとて、彼が臨床経験から分析した説に過ぎないわけで、どうしても「疑似科学」的な部分を排除できない精神分析学の限界事態を判った上で書いておられるように、私には見えるわけです。

なので、やろうと思えば、誰に対しても「若者の理解者のふりをして、若者を叩いている」と斬りかかれてしまうわけですが、おそらく、後藤さんが斬りかかっているのは、自分の手法の限界について述べずに、「私は若者の理解者であり、私の若者論は科学的かつ論理的であり、俗流若者論であるはずが無い。」と言って憚らない相手なのではないかと思います。

―――――

 この点につきましては私も同意しますし、難儀な問題だとも思います。ただ《おそらく、後藤さんが斬りかかっているのは、自分の手法の限界について述べずに、「私は若者の理解者であり、私の若者論は科学的かつ論理的であり、俗流若者論であるはずが無い。」と言って憚らない相手なのではないかと思います》というご指摘にあるとおり、若者論や若者についての「現代的」と言われている現象を述べることで図に乗って、国家や社会、あるいは未来のあり方についてあることないことを饒舌に語っている人たち(私はこのような人については、特に宮台を意識しています)については、やはり手厳しい批判を与えていく必要はあると思います。

―――――

ただ、それでも本音を言えば、「児ポ法改定問題」について、反対派側の年長の論客たちは、既に同じ事を何度も言わされる破目になっていて、ウンザリしてきているという話が出てきているので、後藤さんが作り出した流れが、この問題の反対派内での、「世代間闘争」になってしまいやしないかという心配が、私の胸にはあるわけですよ。

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 そうですね、確かに私にもそのような危惧があります。ただだからこそ、私の言っていることが単なる世代間闘争ではなく、あくまでも若者論における思想や科学のあり方の問題であるということを(こういう表現は少々難ですが)理解させる、という努力が私には必要なのかもしれません(少なくとも現在の論壇状況では、そういう問いかけですらも単なる世代間闘争に貶められてしまう危険性は十分にあり得ますので)。

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さすがにこれには腹が立った

 『「若者論」を疑え!』や、「m9」の論考などについて、いろいろとご感想をくださった皆様、誠にありがとうございました。自分に対する称賛や批判に対して突っ込みを入れるのは余り乗り気ではないのですが、今後の私の活動方針などを考える上で、大いに参考にさせていただきますので、書評など遠慮なさらずにお願いします。

 だがさすがにこれには腹が立った。さすがにここまで莫迦にされると言及せざるを得ない。「on the ground」の「田村・東・稲葉、徒然に」という記事。元々この人は、私が宮台真司や東浩紀などを批判的に取り扱っていること「それ自体」に対していろいろとけちをつけたがるようだが、今回のは特に酷い。

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 凄いね、『動物化するポストモダン』=「荒唐無稽」だって。宮台が済んだから、次は東だ、と。局所的「ビッグネーム」を叩くほどに、陶酔の度、ますます深まれり。他方で、これも立ち読みの限りでは、新書の新著は高く評価できそうなのですが。こうなったらもう後藤さんには、歴史を遡って、丸山だろうが吉本だろうが、ロクなデータも示さずに日本や社会を語ってきた輩を縦横無尽に斬って斬って斬りまくって欲しいものです。「思想」とか「批評」とか、ほんとまじうざいもんねー。爽快、爽快。

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 本当にこの書き手は私の論考や本を読んだのだろうか。第一、基本的な誤りだけを指摘したとしても、私は「m9」の論考においては宮台も批判しているので宮台への批判が「済んだ」なんてことは決してない。さらにいうならば、私があの論考で批判の主眼においたのは、速水由紀子や渋井哲也、三浦宏文などの、昨今の「格差」の原因を若年層の心性の変化に求めた議論に対してであり、宮台や東などはそのような言説の形成に影響を与えた存在(「m9」の論考のタイトル風にいえば「元凶」)として採り上げたに過ぎない。次に《「思想」とか「批評」とか、ほんとまじうざいもんねー》とかなんとか、私の気持ちを「代弁」してくれているが、過去の書評を見れば、例えば私が萱野稔人や仲正昌樹などの、まさに「思想」を職業にしている人たちの言説に対して高く評価しているのはわかるはずなのだが。大体なんで宮台とか東などを批判しただけで、そういう風ないわれ方をされたり、あるいは丸山真男や吉本隆明まで批判する義務を負わせられなければならないんだろうか。

 私が宮台や東などの批判的に言及する理由は、彼らの論説によって形作られた若者論のレジームが、若年層をめぐる問題に対して定量的、あるいは科学的な視点でものを見るという姿勢をかすませ、青少年問題を疑似問題化したという疑念があるからである。こんなことは「現代の理論」や「m9」(特に私は後者の論考で、そのことを端的に示したはずなのであるが…)を読んでいれば(読んでいれば!)わかるはずだと思う。

 そういうことを(意図的かどうかは知らないが)無視して、私が「思想」全般に対して煙たがっているように書いてしまう気が知れない。宮台や東こそが現代思想の最先端であり、代表格である、という風にこの書き手が考えているのではなさそうだが。

 ところで先の引用文には注釈がつけられているのだが、腹立たしいを通り越して、むしろおかしくさえある。

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*2:「データ萌え」?「統計萌え」?

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 少なくともこの人がエビデンスに基づく議論、あるいはそれにできるだけ近づけようとする態度に対して莫迦にした態度をとっていることが見え隠れするわけだが、まあ先の引用文を含めて、こういう風に人を莫迦にした態度をとるような人に《立ち読みの限りでは、新書の新著は高く評価できそうなのですが》などと言われたくない。

 とはいえ、なんで宮台とかを批判しただけで、このように社会学や社会思想全体を毀損したみたいな言われ方をしなければならないのだろう(第一ここ数年の、特に宮台の振る舞いを見ていれば、宮台こそが現代思想を毀損しているようにしか思えないんですが)。これはこれで、私にとって新たな思想的課題が見えてきた気がする。まあ、このような課題は「現代の理論」に採用された論考を書いていたときから持っていたし、今年の夏頃に角川書店から出る新刊(同人誌などで何回か予告しておりましたが、先月末に初稿が上がり、現在鋭意校正中です)で結構突っ込んで解き明かすつもり。同書では宮台などに対してもっと突っ込んで批判しているし、宮台、東およびその周辺以外の現代思想や哲学などの議論も十分に参考にしていますよ!

 〈補遺〉
 相手先になかなかトラックバックが送れない。なんでだろう。

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告知(H20.4.27)

1. こちらでの告知が遅れましたが、私の初の単著である『「若者論」を疑え! 』(宝島社新書)が発売されました。

2. 晋遊舎の新雑誌「m9」第一号に、「宮台真司、東浩紀――若者の「理解者」こそ若者の「敵」 インチキ「若者」論の元凶はコイツらだ!!」を寄稿しました。それにしても登場している人がすごすぎます。ちなみにこの文章は、「現代の理論」第14号に寄稿した「さらば宮台真司――脱「90年代」の思想」の、いわば格差論編として書きました。著者がそういっているんだから信じて。

3. livedoor Wikiに、「後藤和智の若者論Wiki(暫定版)」を設置しました。前に「はてな」で運営していた若者論用語集が頓挫したので新たにWikiを作ったのですが…こちらも公開前に頓挫してしまい、コンセプトを大幅に変えてこのような形での公開と相成りました。

4. Circle.ms のページに、私の個人サークルである「後藤和智事務所OffLine」のページを作成しました(サークルページ代表個人ページ)。Circle.ms 経由で即売会の申し込みをやっている人は是非ご笑覧ください。

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«「いじめ」対策は大変な勘違いをしていきました