カテゴリー「146.1 精神分析学」の記事

2007年10月16日 (火)

気になる本(H19.10.16)

 忘れないうちにメモしておく。安原宏美がブログで『臨床心理学における科学と疑似科学』なる本を紹介していた

 安原によれば、このようなことが書かれているらしい。

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 「心」に問題が集約することに問題意識を持っている方、逆に以下のような話を信じている方にも、決定版の本が出ました。

●虐待を受けた子どものほとんどが虐待する親になる

●アルコール依存症の子どもはアルコール依存症になる

●子どもは性的虐待について決してうそをつかない

●ロールシャッハテストのような投映法は、性格異常、精神病的な多くの形式、性的虐待を正当に診断する。

 すべて誤りです。

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 すごく気になるのだけれども、いかんせん高いな。修論などのためにもいろいろと勉強しなければならないこともあるし。さて、どうするか。

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2007年9月30日 (日)

「ネオリベラリズムの精神分析」への違和感

梶ピエールの備忘録。:[読書][グローバリズム]光文社新書雑感

 タイトルにもある、樫村愛子『ネオリベラリズムの精神分析』(光文社新書、平成19年8月)だが、一応私も読んだけれども、最後まで違和感をぬぐい去ることはできなかった。

 というのも、同書で取り扱われているのは、ネオリベというよりは主として青少年問題(それも著者がおそらくマスコミ報道で聞いたものや、あるいは自分の指導している学生を見ただけの傾向)であり、ネオリベ及びそれを推進する勢力に対する批判は、ほとんど為されていない(せいぜい安倍晋三と麻生太郎の著書を批判した下りだけか?)。

 それ故、例えば同書に書かれていることは、「若者はなぜ右傾化するのか?」「最近の若者はなぜ人とぶつかっても誤らないのか?」「(略)なぜ学術的な知を軽視する反面、精神分析的な知はありがたがるのか?」などといった些細なことに過ぎず、それはネオリベの精神分析でもなんでもない(なぜならこれらは客観的に確定したことではないからだ)。せいぜい、ネオリベに毒された(と著者が勝手に思いこんでいる)若年層のコミュニケーションに対する批判でしかない。

 だがネオリベを「分析」するとか銘打っておきながら、この程度の「分析」に終始してしまうという傾向は、ひとり樫村だけにあらず。というよりも、このような傾向は、例えば宮台真司や香山リカ、あるいは大塚英志などの、サブカルチャーに出自を持つ「左翼」によって先導されてきたものであり、またその強い影響下にある若手の学者(東浩紀、鈴木謙介など)がそれをフォローしているものである。このような、サブカルチャー-コミュニケーション-ナショナリズムの直結という、例えば政治のシステムやマスコミによる世論形成、ないし他の世代との比較などによる客観的な検討を軽視した「分析」が、現在の「左翼」による青少年言説の主流になっている。こういう人たちは、表向きでは若年層を理解しているそぶりを見せつつ、実際には単なる説教よりも厄介な通俗的青少年言説を発信しているという点では、いわゆる「保守反動」な人たちよりも恐ろしい(宮台なんて、東京都青少年問題委員会の委員になって、典型的な「保守反動」たる石原慎太郎とつるんでいるし)。

 「梶ピエールの備忘録。」で紹介されている赤間道夫による同書への評価にはこうある。

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精神分析理論による社会分析が「左翼的な批判の狭さを越えて」(はじめに)いるとは言い難い。

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 というよりは、私にしてみれば、《左翼的な批判の狭さ》をサブカルチャー系の「左翼」が強化し、樫村の精神分析理論はそれに追従しただけ、という方が適切だと思う。

 〈補記〉H19.10.15

 その『ネオリベラリズムの精神分析』についてなのだが、紀伊國屋書店のブログで本田由紀が高く評価している。まあ、私の社会認識や、あるいは「ニート」言説に対する態度は本田とは変わらないし、この書評に関しても同感である部分は多いけれども、やはり樫村に対する評価の相違は、見るところの相違から来ているように見える(私は、樫村の本に見え隠れする若年層に対する蔑視的な認識ばかりが鼻についていたので)。それとも、私のような読み方は、本書にはふさわしくないのだろうか。ううむ。

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