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2007年11月 4日 (日)

「食の安全」で本来考えるべきこと(あるいはTBS「サンデーモーニング」の頽廃)

 久々にTBSの「サンデーモーニング」の「風をよむ」を見たわけだが、相変わらず酷かった。TBSときたら筑紫とか亀田(笑)とかを叩く人は多いけれども、少なくとも「サンデーモーニング」だって十分に酷いよ。

 「風をよむ」のテーマは「食の安全」。まあ、学力低下している(笑)「サンデーモーニング」だから、まともな内容を期待する方がおかしいのだけれども、今回は明らかに納得がいかなかった。

 コーナーの構成としては、まず、製造時間などが明確に管理され、ある程度時間が経ったものは破棄するという寿司屋。次に、賞味期限が切れた食べものは絶対に食べない、という子供、食べさせないという若い親。さらに、食品の製造日表示が賞味・消費期限の表示に変わったのは欧米の「外圧」という指摘。

 そこから、「かつては個々人が食べ物の品質の管理を行なっていた」として、そのための様々な道具や手法が紹介され、高齢者に対するインタヴュー。ところがそれが近年になって失われているという「食文化研究家」の指摘。そして、出演者たちの話で、全てが人任せになってしまった現代においては人々の感性が衰退してしまったと述べ、そこから話は教育の話題になってしまう(当然、「食育」なんてのもでてきました。ついでに「食育」の怪しさについては「怪しい「解決策」」を参照されたし)。

 相変わらずの「感性が豊富だった「一昔前」/豊かになったけれども感性が衰退した「現代」」という対立図式にうんざりだけれども、こと今日の「風をよむ」に限って言うならば、以下のことについて述べる必要がある。

 第一に、戦後、我が国における栄養状況は大幅に改善されたこと。これについては「怪しい「解決策」」でも述べたので、二言はしない。ただ、そのようないい点を見過ごして、ただ単に感性や想像力が貧困になった、ということを言う人に対しては、あんたの知識のほうがよっぽど貧困じゃないか、と優しく指摘してあげましょう(笑)。

 第二に、このような量的な分析や、あるいは改善された面を無視して「昔のほうがよかった」と述べ、それを肯定することは、ニセ科学の温床である。これも先ほど採り上げた記事で述べた。

 第三に、今まで問題にならなかったのが現在になって急に問題視されるようになった、という観点の欠如。典型的なのが犯罪言説における「心」の問題であろう。森真一は以下のように述べる。

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 さまざまな事件や病理現象が起こるたびに、マスコミに登場するキャスターや評論家、専門家は“現代人の道徳意識や自己コントロール能力が衰退してきている”という趣旨の発言を繰り返している。(略)しかし現実にそうなのだろうか。むしろ、道徳的でしかも高度な自己コントロール能力の要求に応えようとする「聖人」のような人たちこそ、増えているのではないだろうか。
 (略)
 現代社会はデュルケムのいう「聖人たちから成る一社会」あるいは「僧院」のような社会である。また、「共同意識がより協力となり」人々の間のズレが僅少化している社会でもある。それゆえ、人々は相互に「共同意識」からの微妙なズレも見逃さず、これを非難する。(後略)
 (森真一『自己コントロールの檻』講談社選書メチエ、pp.60-62)

―――――

 まあ、「僧院」の元締めたるマスコミが、自らの信奉する道徳から少しでも外れたものは叩きたくなるのは当然の理かもしれないが(笑)、人々の「安全」に対する敷居が限りなく高くなることもまた(社会的に構築されるものとしての)「問題」を生み出す、という視点も必要だと思う。何もこれは犯罪に限ったことではなく、給食費の未納に関する「問題」や、あるいは子育てだってそうだろう。

 そもそも「食の安全」が脅かされていると言われる昨今の「事件」においていったい何人の人が死んだのだろうか。こういうことを考えるのは極めて愚かなことはわかっているけれども、このような「事件」が騒がしく取り沙汰されることによって、他に採り上げられるべき問題が隠蔽されてしまう。というよりも、今この状態で集団食中毒なんて起こったら、果たしてどのような反応をマスコミはしてしまうのだろう。

 こういうときこそ、現実と実感の乖離によって起こる「モラル・パニック」を鎮めるための言説が必要なのではないか。変な「食文化研究家」など出さず、科学者や栄養学の専門家を出すべきだ。

 渡辺正は以下のように述べている。

―――――

 残留農薬は「食品衛生法の基準値を超えた~」という報道もありますが、基準値は、体に影響がないレベルよりずっと低く決めた値。基準値の10倍や100倍の農薬が残っている野菜を食べ続けても心配いりません。アルコールのほうが影響大。もし農薬と同じ基準でアルコールを規制したら、1日に飲めるお酒はわずか2滴(0.1ml)に。僕は毎晩その3000倍飲んでいますよ(笑)。

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―――――

 BSEに感染する確率は、危険部位を除いた場合、ある試算によると、日本では100年にせいぜい1人。それを心配するなら、日本はお風呂で年間約3000人亡くなっていますので、風呂を100回に1回減らすほうがずっといいでしょう。確率論的には、牛肉を食べてBSEに感染する心配は、隕石に当たる心配をするようなもの。仮に100年間の全頭検査費用を2000億円としたら、税金が使われるわけで、もっと有効な使い道があると思いませんか?
 (以上2つ:安原宏美「「危ないニュース!」のウソ・ホント」、「おはよう奥さん」2007年7月号、学習研究社、pp.188。「冬枯れの街」の「ふつうに生活してる分には何の問題もありません!by 渡辺正 日本化学会副会長」から、本文を参照した上での孫引き)

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 後者の狂牛病の検査に関する議論は若干割り引いて考える必要はあるかもしれないけれども、今この瞬間にも経済的な苦難で自殺する人はいるだろうし(厚労省の統計(「自殺死亡統計(人口動態統計特殊報告)」平成17年版)によれば、最近になって30代の人口あたりの自殺者数がわずかながらであるが増加している)、風呂場や階段で死ぬ人(特に高齢者)もたくさんいるという事実もまた直視されるべきだろう。

 また我が国においては食品の安全管理はかなり徹底されており、渡辺正が言っているとおり「普通に生活している分には何の問題もない」。さらに言うと、これらの「事件」は、ただ単に賞味・消費期限の表示が偽装されていただけで、製造工程で異常なまでの菌が入っていたなどの、真に危険視すべき情報は(少なくとも報道に依拠する限りでは)ない。

 「食の安全」で本来考えられて然るべきことは健康とリスクの観点であり、「日本人の感性が衰退した」などという反証不可能かつ左翼くずれ高齢者層の「癒し」にしかならないことを述べるのは論外もいいところだ。

 しかし、こういう議論を見て、生産者や農村部の人たちはどういう風に思っているのだろう。ま、不二家の「事件」に際して、ありもしない職員の「発言」を捏造したTBSのことだから、こういう人たちの意見を掬い取ることなんて眼中にないんだろうけど。

 〈補記〉

 そういえば、賞味・消費期限表示の「偽装」報道について、「何日分」偽装していたかのことについて、触れたマスコミって、あっただろうか。少なくとも「サンデーモーニング」は触れていなかったけど。

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コメント

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>まともな内容を期待する方がおかしい

そのとーり!まともな内容を期待するほうが端からおかしい、というわけで後藤さんも有罪ってあれ?(笑)という冗談はさておき、

>全てが人任せになってしまった現代においては人々の感性が衰退してしまった

そんな人任せではない発展途上国の人々は感性がさぞかし発達していて、まさか慢性的な下痢やら疫病が蔓延るなんてことはないんでしょう!TBS理論によると海外食糧援助で缶詰やレトルトなんて使うのはもってのほかですね。

>後者の狂牛病の検査に関する議論は若干割り引いて考える必要はあるかもしれないけれども、今この瞬間にも経済的な苦難で自殺する人はいるだろう

余談ですが、渡辺教授はくだらないこの手の環境対策に使うお金があったら、自殺対策(たとえば自殺者にいくばくかずつでも纏まったお金渡せる)に使えばいいのにと述べておられます。

投稿: 遊鬱 | 2007年11月 5日 (月) 01時28分

こちらの方も、書いてますね・・・。
>食生活の崩壊は実は3世代がかりの「総力」をあげた努力の成果なのである。
http://blog.tatsuru.com/2007/11/01_0936.php
きっとここもくるなーって思ったところに、この人もくるだろなーって思った人がどうしてピタッとくるんでしょうねorz

このへんって「争点」になりにくいんですよね。「早寝早起き朝ご飯」とかって、別にまあ「ぜったい許さん!」ってことはないでしょう?「子どもを守る」スローガンもそうだけど。「みんながそろって朝ご飯」とか、そりゃいいですけどそれを「食育」で啓蒙するってことは、効くのは「そうとは思ってなかった」人だけじゃない?そんな「朝ご飯なんてバラバラの孤食がいいんです!」なんて人、いないに等しいと思うんですよ。幼稚園生じゃあるまいし。日本人の家庭で家族全員がそろうのって夜の9時から10時30分くらいでやっと50%以上になるくらいなんですよ。(厚生労働省の調査) だから「したいけどできない人」、つまり労働環境の改善とセットじゃないと、ほんとにそんなこといってもしょうがないわけで、だいたい朝ご飯って15分から30分の話です(これも厚生労働省の調査)。それで家庭がうまくまわって「食育」いうところのキレる子供が激減したら、世話ないですよ。

投稿: 安原 | 2007年11月 5日 (月) 16時04分

まあ、いい加減な話だ、ってことは明らかだけど、要するにこれは「一緒に食事をしたいんだ」という叫びだと理解して、
労働環境の改善に向けて善用する方向で持って行くのがいいんじゃないの?

投稿: ふま | 2007年11月 5日 (月) 23時55分

あなたの考えには半分同意します。サンデーモーニングは良質な報道番組とはいえません。しかし、科学者ではなくても、登場した食文化研究家は変な人ではなく、何100人の長寿の方を取材して導き出された考え方をもとにして話されています。「普通に生活している分には問題ない」のは、今現在だけであって、未来を見据えた話だと思います。
また、たしかに、トラックバック先にもあったように佐高さんの反論、もしくは指摘がなかったのは残念でした。

投稿: 通りすがり | 2007年11月10日 (土) 09時15分

産経の【食品偽装】に関する論説を鋭く批判する
TAKESANの論考が届きました

http://seisin-isiki-karada.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/post_5b9d.html

投稿: 比ヤングはバカw | 2007年12月14日 (金) 20時21分

後藤和智「さらば宮台真司」が、「俗流化」「ニセ科学」を経て「結語ー葬送」に至るという大変刺激的な論考です。

宮台なんていう「誰も科学として見てはいないようなもの」をあえて「ニセ科学」に結びつけるところが、「ニセ科学」という言葉の使われ方を逆に示していていいですねえ。

投稿: 投稿者 hamachan 時刻 13時04分 | 2008年1月16日 (水) 20時42分

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