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2008年2月13日 (水)

平和というか何も考えていないというか

「いじめをしません」舞鶴・白糸中 バッジで宣言(京都新聞)

 ううむ。この手の「対策」って、果たして効果があるのだろうか。例えば私が怪しさを感じた点は次の通り。

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 1年生と3年生はそれぞれ、「みんなと仲良くします」「誰とでも笑顔で接します」と後野文雄校長に誓ってバッジを受け取り、胸元に着けた。2年生には13日に手渡す。教職員も付ける。

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 こういうことが行なわれる光景を考えただけでも、かなりおかしいというか(笑えるという意味で)、ぞっとするというか、そんな感じである。だって、校長に「誓う」のよ。それで「いじめ」が解決できるなら苦労しないし、それ以前に何か押しつけがましさを感じるな。府教委はどう考えているのだろうか。

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 後野校長は「いじめ被害を言いにくければバッジを外してほしい。教諭たちがすぐに相談に応じるから」と呼びかけていた。

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 まさに狂気。まず、教師の視点からすれば、教師は常にどの生徒のバッジが外れたかということについて常に目を光らせていなければならないし、生徒の視点からすると、バッジを外すことによって、お前は人に助けを求めようとしている、調子に乗るなという理由で新たないじめが発生する可能性は強いと思う。どう見てもこれは「自分の学校はいじめに積極的に取り組んでますよー」、という、マスコミ向けのアピールでしかないように見える。

 こういう手法を「開発」すれば「いじめ」は減らせる、あるいは解決されると考えるのは、まさに平和ボケというか、あるいはアピールしか考えていないとしかいいようがないだろう。第一「いじめ」が起こったときに外部に相談するような圧力を下げるような努力を何もしないで(こういう視点から考えると、むしろ必要なのは相談体制の強化とかのように思えるのだが)、こういう試みがさも画期的であるように喧伝する様子を見ていると、つくづく、一昨年の秋から続いている「いじめ」祭りは収束していないと痛感する。大体、そこで行なわれている「いじめ」が犯罪性を伴っているのだったらどうするのよ、マジで。

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コメント

何かを始めないといけないという焦りは分かりますが、
もっと他のやり方があるでしょうに。というのが率直な感想です。
「バッジを外した瞬間に全校生徒にイジメを暴露するシステム」なんて、
イジメを受けたことのない人間の考えそうなことですね。

投稿: 雨龍 | 2008年2月13日 (水) 23時42分

システムの作り方自体に問題がある気がするよ。
どうも正規品を作って、それに人を合わせようとする考えが見え隠れしている気がする。
そうではなく、お互いに失敗すること、誤解することを前提として、お互いに譲歩しやすいようなものを作ってはどうだろうか?
今回のシステムだと、絵踏みのような気がして、結局問題をいたずらに大きくしかねない気がする。

投稿: S1 | 2008年2月13日 (水) 23時53分

このバッジを作る費用だけでも、かなりの費用が掛かるでしょうね。
膨大な費用を使って、ちょっと考えれば何も意味のないことを行う。まさしく「壮大な無駄遣い」の典型のように思います。

それとも、表面上、やっていることをアピールしながらわざと「言いづらい」システを作って、「統計上の」いじめ件数を減らすのが目的でしょうか(苦笑)

投稿: たこやき | 2008年2月15日 (金) 00時25分

小学校の頃こんなことが起こりました。嘘泣きが得意な女子生徒とそれとつるむクラスのリーダー格たちのグループがいました。それに対してもともといじめられていた男子がいました。で、頻繁にいじめられっ子は因縁をそのグループにつけられ、反応すると嘘泣きが得意な生徒が意図的に嘘泣きするんです。そうするとクラス、あるいはその人らが仲のいい仲間は一勢に非難をあびせます。そして暴力を振るわれたり、無視されたりとまぁ典型的なパターンにあるわけです。そこで教師がやってきます。嘘泣きを続け、嘘の被害を言いつけます。見てもないし関係がないクラスメイトでも付和雷同的に言いつけます。教師はいじめられっ子に説教し、殴る蹴るなどの体罰をしてました。理由なんか聞きません。それからいじめられっ子の親に対して嘘泣きする生徒の親に謝罪するように要求したそうです。さてこのようなことからたやすく想像できるように、この学校がすることはいわば結論ありきの人民裁判のようになりやすいと思うのです。ともかく人に依存する考えを押し付ける教育や緊密な集団教育をなんとかしないと本質的に減らすことは不可能だと存知ます。

投稿: ムーミン | 2008年2月29日 (金) 10時33分

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