ニセ科学と俗流若者論の関連性
「PSJ渋谷研究所X」の管理人が、「『水からの伝言』の基礎知識」なるコンテンツを発表している。これはいわゆる「水からの伝言」論の紹介と、その問題点を抑える上では基本的なコンテンツとなっている。左巻健男の『水はなんにも知らないよ』や、田崎晴明の「「水からの伝言」を信じないでください」と併せて読みたい。また、「Interdisciplinary」でも、森昭雄の『ゲーム脳の恐怖』を精査するという連載が始まった。こちらにも注目したい。
ところで、「『水からの伝言』の基礎知識」を読んでいて吹いてしまった箇所がある。
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●著名人等の影響
芸能人や著名人で、肯定的に引用したり共感を示すような発言を示した例として次の方々が知られています。芸能人・文化人等:倖田來未、ヨーコ・オノ、松任谷由実、平原綾香、さとう珠緒、安野モヨコ、谷村新司、米倉千尋、窪塚洋介、瀬戸龍介、柴田理恵、白鳥哲(映画「ストーンエイジ」の監督)、川島朗(東京女子医大附属 青山自然医療研究所クリニック)
政治家:松あきら(当時参議院議員)、大仁田厚(当時参議院議員)
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いや、私は何も、これほどまでの人が「水伝」を信じていたのか、ということに対して吹いたわけではない。少なくとも「芸能人・文化人等」で瀬戸より前に挙げられている人が信じていたことは既知だし(特に松任谷、谷村、米倉は個人的にファンなだけにどうかと思っている)、松が国会で「水伝」論をおおっぴらに宣伝したことも知っている。
問題はこの人。《川島朗(東京女子医大附属 青山自然医療研究所クリニック)》だ。いやあまさかこの人が「水伝」の信者なんて、言っちゃ悪いけど実に納得してしまった。そもそも川島は、『心もからだも「冷え」が万病のもと』(集英社新書)なる本で、現代人の身体の以上は全部冷え性が原因だったんだよ!(な、なんだってー!!)といった内容の主張を展開している。しかも同書6章によれば、少年犯罪や「ひきこもり」も、身体が冷えているからだそうだ。
とはいえそれを論証するための「証拠」が、自分が見た事例を一般化しているばかりなので、全く信頼性に欠ける。こういうのは、森昭雄や岡田尊司、あるいは幕内秀夫や丸橋賢などといった疑似医学系の通俗的な若者論では常に見られる論法である。
ところでこれはあくまでも仮説なのだが、俗流若者論にはまる人って、ニセ科学に親和的なんじゃないだろうか。これはその逆よりもかなり関連性が強いのではないかと思う。要は通俗的な青少年に対する認識、要するに今の子供や若年層は根本的に異常である、ということを「納得」するため、あるいは「異常」な若年層を「矯正」する論理を構築するために(もちろん、両方である場合もある)、ニセ科学が使われる、ということだ。
例えば森だ。『ゲーム脳の恐怖』の余りにも有名な一説である。
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昨年、幕張メッセで開催されたテレビゲームショーに行くチャンスがあり、見学してきました。その会場の異様な雰囲気に私は驚き、ショックを受けてしまいました。というのも、中学生風の女の子が、左右に立派な白い羽をつけたエンジェルの格好をして、真面目な顔で歩いているのです。しかし、会場をよく見回してみると、テレビゲームのなかに出てくるキャラクターそっくりの衣装に身を包み、無表情で歩いている小中高生が、彼女のほかにも百人前後いることに気がつき、再度ショックを受けました。
このとき、私はこの子たちの将来、そして日本の未来はどうなってしまうのだろうかと心配になってしまいました。本当に自分が別世界に来たみたいで、自分の意識を一瞬疑ってしまいました。
(『ゲーム脳の恐怖』pp.4-5)
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少なくとも同書、あるいは森の他の著書にあたれば、森の展開する「ゲーム脳」論が、このような若年層に対する歪んだ視線と決して無関係ではないことがわかる。また、森の言説を教育に持ち込もうとしている人たちや(高橋史朗とか)、あるいは森の理論に依拠して若い世代を語ろうとしている人たち(瀧井宏臣とか)も同じだろう。香山リカにしても、最初は「ゲーム脳」論に懐疑的だったけれども、岡田尊司が「脳内汚染」論(これも「ゲーム脳」論の二番煎じに過ぎないのだが)を展開すると、岡田は常に子供と向きあっている人間だから、岡田がそう実感しているのであれば、もしかしたら正しいのではないかなどと考えるようになっている。
「水伝」が教育に導入された事例も同じ構造だろう。そもそも菊池誠や田崎や左巻、あるいは「『水からの伝言』の基礎知識」も指摘しているとおり、「水伝」が教育に用いられる際には、《およそ「人体や地球表面の大半は水なので、人間や環境も言葉の影響を受けます。だからよい言葉を使いましょう、水や自然、人に感謝しましょう」といったこと》(「『水からの伝言』の基礎知識」)という目的で使われる。もちろん、このような主張に対して、そもそも言葉などの美醜は文化によって差があったりするので、それをさも科学的な事実として証明されたということを偽装して、ある種の主張の押しつけに使っているのではないかという批判はされるべきである(このことを揶揄する論法として、「shine」という言葉を水に見せたらどうなるのか、というものがある。これは英語では光を表すが、ローマ字で表記された日本語であると考えると「死ね」になる)。ただ、他方で、なぜこんな非科学的で下らないものが道徳の授業に使われるのか、ということについても考える必要があるのではないかと思う。
先に挙げた川島にしても、冷え性がどうとかというよりも、少なくとも青少年問題については、そもそも子供たちが異常になっている、という考え方があって、そこから冷え性原因論、あるいは水伝への肩入れになってしまったのではないか、という考え方もできるかもしれない。ニセ科学批判は、その非科学性に対する批判も必要であるが、それと同時にイデオロギー批判としての側面からのアプローチも可能であるし、こういうときこそ社会学などの出番なのではないかと思う。
〈補記〉
川嶋について商品を楽天で検索してみたところ、なんとこういうのがあった。「【DVD】波動医学連続講義波動医学実践試論 講師:川嶋朗」
「波動」!これって明らかに、物理学でいうところの波動ではなく、ニセ科学でよく使われる類の「波動」なんだろうなあ。大体これが売られているショップの他の商品を見てみると、怪しげな健康商品がたくさん出てくる。東京女子医大はこういう人が教員(准教授)を務めていることについて、どう考えているのか。
ちなみにこの川嶋、江原啓之(笑)が編集した『KO・NO・YO』(新潮社)なる本にも登場している。嗚呼。
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コメント
水伝にしろ、ゲーム脳にしろ、基本的にイデオロギーを喧伝するための単なる方便ですよ。
投稿: 室井健亮 | 2008年3月 1日 (土) 22時04分
> 贈られた本を全部読みもしないのに批判するなんて、しかも本論と違うところのみを捉えて、きくちさんも一線を越えましたね。
> 浜先生の非科学を批判するなら、厚生労働省の研究班の非科学、あるいはそれに乗っかったこのブログのコメントをなぜ批判されないのか私は理解に苦しみます。
浜六郎氏の本を送って頂いた(ので批判する)
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1203501660#CID1204305017
投稿: 室井健亮 | 2008年3月 1日 (土) 23時21分
ラベリング論で問題にされるのは、レッテルを貼る側に基準がなく、あるいは仮に基準があっても曖昧で解釈次第であり、ラへリングが恣意的に運用されることである。
社会的強者が弱者に対して恣意的にレッテルを貼るという危険性を問題視した社会学理論である。
社会学的に見て、ニセ科学批判は、レッテルを貼る側の基準が実に曖昧であり、恣意的に運用されるおそれが非常に大きい。
科学を装うというのは、どのようなことを指すのか、それ自体共有されておらず、完全に恣意的であり、ニセ科学批判者の主観に委ねられている。
現状では、ニセ科学批判は、ニセ科学批判者の恣意性・主観性に委ねられており、解釈次第である。
いや本当に恣意性・主観性をどのように克服するのか知りたいものである。
ニセ科学批判の恣意的運用の危険性
http://mercamun.exblog.jp/8106244/
ダメなニセ科学批判=科学(万能)主義
http://mercamun.exblog.jp/8105938/
投稿: ニセ科学批判=俗流若者論 | 2008年3月 1日 (土) 23時30分
ニセ科学批判とは何か?あるいは、何であるべきか?
http://slashdot.jp/science/comments.pl?sid=393093&cid=1312684
投稿: 津村さん | 2008年3月13日 (木) 22時00分