選挙における若年層幻想
「たこの感想文」で、三浦展の『下流社会 第2章』が批判されていたことを受けて書く(いつもながらすばらしい批評でした)。三浦にしろ、あるいは多くの「左派」にしろ、平成17年の衆院選における結果を若年層のせいにしたわけだが、果たしてそれは正しいと言えるか。
ちょうど、「論座」の現在発売中の号に、飯田泰之が選挙について述べている文章がある。選挙というものは、モデル化してみれば価格競争がなく、また1人1票という状況であるため、二大政党下の条件においては、《2大政党はともに全選挙民の中央値にあわせた政策を主張する。その結果、かけ声やスローガンでは敵陣との違いを強調しながらも、具体的には差の少ない似たり寄ったりのマニフェストが》(飯田泰之「政権選択局面で封殺されるもの」、「論座」平成19年11月号、pp.23)できあがるということになる。そしてそのような状況下においては、《支持率を左右するのはイメージとスキャンダルになる》という。そして…
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接戦の中で、両党ともに少しでも多くの支持者数を維持しなければならない。その結果、選択されるのは、「多数の有権者にとって得だが、少数に痛みを与える政策」である。(略)
このような状況で、またしてもワリを食うのは若年層である。
1975(昭和50)年以降に生まれた有権者数に対して、高齢者と壮年世代の数は圧倒的に多い。未成年者には投票権がなく、多忙を極める若年労働者の投票率は低い。おのずと、選択される政策は高齢・壮年層の自尊心を満足させ、若年層に金銭的・精神的負担を課すものに傾きやすくなる。この傾向は、すでに始まっているといってよい。
(飯田、前掲pp.23)
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この説を検討してみよう。総務省の国勢調査(平成17年)によれば、仮に20~30歳の人数をあわせると1750万4223人だが、31歳以上の人数は8569万1816人に及ぶ。ちなみに未成年者は2408万9614人。
ましてや、私がよく引用している読売新聞(H17.9.28)の出口調査の分析や、あるいは朝日のアンケート調査(「朝日総研リポート AIR21」H17.11)でも、若年層よりも高年齢層のほうが自民党の支持率は高いのである。
ついでに、三浦展の本で調査が為されている、20~44歳の人数をあわせてみても、4220万1881人に過ぎず、それ以上は6099万4158人。
そう考えると、2大政党、少なくとも自民党は、より多くの有権者から支持を得るためには、中高年層のほうに目を向けるのはある意味合理的なのであって、若年層が無視されるのはある意味理の当然と言うこともできなくもない。
で、そのような状況下において、最大の票田たる中高年層が、若年層に対して変なイメージを持っていたら?要するに(最近は若干緩和してきたとはいえ)現在の青少年言説と政策をめぐる状況である。とすると、必要なのは、若年層の苦境を正しく上の世代にも知ってもらうことであって、決して若年層を叩いて済むような問題ではない。
あと、選挙が近くなると必ずどこぞの新聞が必ず言う「若者が投票に行かなければ政治は気づいてくれない」と。アホか。仮に20代が全員投票に行ったとしても、それは全有権者数のたかだか17パーセント程度に過ぎない。そうなれば、若年層にとっては選挙という手段に訴えるのはかなり絶望的で、やるのであれば自分から立候補するか、あるいは運動を起こすなどして中高年層に若年政策の大切さを理解させるしかない。
というわけで、選挙における「若年層幻想」は二つあって、第一に「若者が投票に行かなければ政治は気づいてくれない」、第二に「若者が自民党に投票したから衆院選は自民党が大勝したのだ」。このような幻想が強く横たわっている限り、少なくとも左派は永久に若年層から支持を得られないだろう(笑)。
せっかくなのでこれも放言しておくか。もしどこかの新聞が「若者が投票に行かなければ政治は気づいてくれない」と言ったら、こう返しましょう。「じゃあ、あなたは、選挙権を持たない子供たちに対しては政治は何をしてもいいのですね」、と(苦笑)。
(補記)
「論座」についてはもう1本書くつもり。
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