カテゴリー「368.7 青少年犯罪」の記事

2008年6月26日 (木)

勘違いしないように!

 明らかに見出しがミスリードな記事。「秋葉原でナイフ持った男逮捕、逃走試み警官にけがさせる」(読売新聞)。少なくともこの見出しでは、「男」が故意に警官を怪我させたとしか読めないのだが…。

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 巡査長が男をパトカーに乗せようとしたところ、男は巡査長からナイフを奪い返して逃げようとしたため、傷害と公務執行妨害の疑いで現行犯逮捕された。この際、巡査長はナイフをつかみ、親指と人さし指に軽傷を負った。

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 《この際、巡査長はナイフをつかみ、親指と人さし指に軽傷を負った》と書いてあり、これはどちらかというと「事故」(それも業務上の過失でもない)ではないか?故に《傷害と公務執行妨害》ではなく、単に公務執行妨害だけではないかと思う。また、《逃走試み警官にけがさせる》などと書かれる筋合いはないのではないか。

 この犯人に意図的に警官を怪我させようとした意図があるかどうかはわからない。故に、なぜ傷害で立件したのかも不明だ。それどころか記事を見た限りでは、なんで自分が職務質問を受けなければならないのか腹が立ったのかもしれない。もちろんこのように暴力でもって対応するのは言語道断である。

 犯人も警察も読売も、勘違いしてはならないのである。

 参考:「忍び寄る警察国家の影」(白川勝彦)

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2008年6月18日 (水)

捏造される現代史(笑)

 先ほど発表された、本日の「よみうり寸評」があまりにもひどい、いや、それを通り越しておもしろい。

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遺族への謝罪や反省も口にしない。「絞首刑は残虐」と発言した。彼の犯行こそ残虐そのものではないか。あれから事件が変わったという見方もある◆その後、神戸の連続児童殺傷から先日の秋葉原事件まで宮崎事件に類似する数々の犯行が続いた。家庭の崩壊、学校や社会で人間関係が築けず、ネットなど仮想世界に逃げ込んで犯行に走る◆元祖オタクは危険千万な系譜を残した。

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 宮崎勤が「元祖オタク」て。あんたらが誤報まで使って(アニメとは関係ない雑誌の山に、意図的に一番上にアニメの雑誌を置くことによって、犯人がさもアニメに耽溺していたかのように報じたことなど)勝手に捏造したイメージじゃないのか。しかも宮崎勤事件を契機に犯罪の質そのものが変わったわけではないだろうが。変わったのはおまえらマスコミの犯罪に対する見方のほうだ。しかもわざわざここに来てネット叩きですか。江戸の敵を長崎で討つなよ。第一犯罪(あるいは犯罪者)の質の変化を見るにはサンプルが少なすぎるし、なおかつ極端すぎる。こういう安易な文章ばかり生産して、本当に気楽な稼業だよなあ。

 捏造される現代史とは、このことを言う(笑)。

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2008年2月13日 (水)

平和というか何も考えていないというか

「いじめをしません」舞鶴・白糸中 バッジで宣言(京都新聞)

 ううむ。この手の「対策」って、果たして効果があるのだろうか。例えば私が怪しさを感じた点は次の通り。

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 1年生と3年生はそれぞれ、「みんなと仲良くします」「誰とでも笑顔で接します」と後野文雄校長に誓ってバッジを受け取り、胸元に着けた。2年生には13日に手渡す。教職員も付ける。

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 こういうことが行なわれる光景を考えただけでも、かなりおかしいというか(笑えるという意味で)、ぞっとするというか、そんな感じである。だって、校長に「誓う」のよ。それで「いじめ」が解決できるなら苦労しないし、それ以前に何か押しつけがましさを感じるな。府教委はどう考えているのだろうか。

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 後野校長は「いじめ被害を言いにくければバッジを外してほしい。教諭たちがすぐに相談に応じるから」と呼びかけていた。

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 まさに狂気。まず、教師の視点からすれば、教師は常にどの生徒のバッジが外れたかということについて常に目を光らせていなければならないし、生徒の視点からすると、バッジを外すことによって、お前は人に助けを求めようとしている、調子に乗るなという理由で新たないじめが発生する可能性は強いと思う。どう見てもこれは「自分の学校はいじめに積極的に取り組んでますよー」、という、マスコミ向けのアピールでしかないように見える。

 こういう手法を「開発」すれば「いじめ」は減らせる、あるいは解決されると考えるのは、まさに平和ボケというか、あるいはアピールしか考えていないとしかいいようがないだろう。第一「いじめ」が起こったときに外部に相談するような圧力を下げるような努力を何もしないで(こういう視点から考えると、むしろ必要なのは相談体制の強化とかのように思えるのだが)、こういう試みがさも画期的であるように喧伝する様子を見ていると、つくづく、一昨年の秋から続いている「いじめ」祭りは収束していないと痛感する。大体、そこで行なわれている「いじめ」が犯罪性を伴っているのだったらどうするのよ、マジで。

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2007年11月13日 (火)

「いきなり型」の少年犯罪は増加したか

 今更ですが、「少年犯罪データベース」管理人・管賀江留郎様のご著書『戦前の少年犯罪』(築地書館)の発刊を、心よりお慶び申し上げます。とにかく同書は、冗談ではなく、少年犯罪言説に関わるものなら自腹を切ってでも、というよりも1日食事を抜いてでも読むべき本である。

 そもそも戦前は少年犯罪の質が違う(笑)。何せ、(同書(及びこの段落)においては、少年の年齢は全て数え年で表記。満年齢に修正すると1~2歳ほど下回る)17歳の少年が女性を10人以上通り魔で襲うわ(『戦前の少年犯罪』pp.18)、小学生3人が同級生を火あぶりにして殺人未遂で捕まるわ(pp.96)、クラス一丸となって教師を暴行するわ(pp.151)、親殺し、老人殺しも頻発、さらにはしょっちゅう町中で暴れ回って暴虐の限りを尽くした旧制高校生とかの話も抱腹絶倒。でも、笑ってしまうのは、これらの事件が自らとは無関係だと思えるからだろうなあ。

 とにかく必読である。それどころかメディアで少年犯罪について妄想(犯罪統計すら読まずに少年犯罪が「急増」しているとか…)を語っている人がいたら、意地でも読ませるべきである(笑)。とはいえ現在の少年犯罪すらまともに論じることのできない論者に、ましてや戦前なんて、と言うこともできるかもしれないが、少なくともこれで現在流布している少年犯罪をめぐる「神話」(凶悪化、低年齢化…)の多くを否定できる。昔は普通に銃を用いた少年犯罪が起こっていたのだが、今はナイフごとき(もちろんこれは皮肉)で大騒ぎする時代だからねえ…。本書の事例について、是非ともテレビや雑誌などでおなじみの人たちの「分析」をお訊きしたいものである(まあ、彼らはあれこれ屁理屈をこねて戦前の少年犯罪を美化するんだろうな。昔の少年犯罪はよい犯罪、今の少年犯罪は悪い犯罪といった具合に)。

 さて、話は現在の少年犯罪に飛ぶ。ここで紹介したい論文がある。少年犯罪「神話」の一つ、「最近の少年犯罪は「普通の子」がいきなり凶悪な犯罪をしでかすようになった」というものに対する異議を唱えた論文だ。

 科学警察研究所の岡邊健と小林寿一による「近年の粗暴的非行の再検討:「いきなり型」・「普通の子」をどうみるか」(「犯罪社会学研究」30号、pp.102-118、2005年10月)である。同論文の問題意識はこうである。

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 普通の子がいきなり重大な事件を犯すようになった――。少年による粗暴的非行について、このような説明がしばしばなされる。2003年の長崎の男児殺害事件、翌年の佐世保事件で、加害者がいずれも「普通の子」であったと報じられたのは記憶に新しいが、重要なのは、「いきなり型」・「普通の子」といった概念によって、ごく少数の特異な事例だけでなく、青少年犯罪の一般的な傾向が語られがちな点である。そしてそのような傾向はしばしば、近年になって生じた変化として捉えられている。(岡邊健、小林寿一「近年の粗暴的非行の再検討:「いきなり型」・「普通の子」をどうみるか」(「犯罪社会学研究」30号、pp.102-118)pp.102、2005年10月。以下、断りがなければ全てここからの引用)

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 そして上記のような指摘は、たいていは以下のような認識によって論じられる。曰く、

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 このような指摘は、社会的適応や家庭環境面における目立った負因がないことを,粗暴的非行を犯す最近の少年の特徴であると捉えている点で共通しているが、多くの場合、その根拠として挙げられるのは特定の事例の特徴か、いわゆる「実務感覚」である。(pp.104)

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 というわけで、本当のところはどうなのか、統計(1979~2003年)と事例(凶悪犯・粗暴犯で補導された少年と、その犯人に対して事情聴取を行なった警察官への質問紙調査)を用いて検証してみましょ――というのがこの論文であるわけだが、結論はこうだ。

 1, 「いきなり型」の少年犯罪は近年増加傾向にあるわけではない。
 「いきなり型」の少年犯罪についてはどう捉えるのかは難しいので、この論文では基本的に各罪種(強盗、暴行、傷害、恐喝。殺人については実数が少ないので除外していると説明してある)の少年検挙人員における初犯者の割合で計算しているが、ここで用いられている全ての罪種について、平成8年頃までは微増傾向にあったが、近年になって微減し、結局ここ25年間での比率はほとんど変わっていない。

 2, 「いきなり型」の犯罪をしでかした少年の起こした事件が、非行歴のある少年の事件と比して「凶悪」であるわけではない。
 事件の「凶悪さ」については、計画性、共犯者の有無、共犯の場合主導的だったか追従的だったか、被害者が複数いたか、被害者との面識があったか、というもので、質問紙調査の記述を用いている。結果としては、非行歴のない少年に比して、非行歴がある少年の犯罪は、「共犯が多く」、さらに「被害者との面識はない」。従って、同論文において《非行キャリアが進むにつれて非行性が増していくという非行の発達モデルが、現在においても有効であることを、以上の結果は示唆している》(pp.110)と主張されているとおり、少年犯罪や非行について、決して新しい状況が生じたわけではない「らしい」。《むしろ、生育環境上のリスク要因を持つ者が、比較的軽微な逸脱から非行の世界に入り込み、非行キャリアを積み重ねるにつれて非行性をしだいに深めていくという、伝統的な非行の発達モデルは、今日でも十分有効なのではないだろうか》(pp.115)というのがこの論文の大筋の結論であるようだ。もちろん、著者らも認めているとおり、「いきなり型」と言われる少年犯罪についての研究は余り多くないけれども、まあ現段階においては「いきなり型」の少年犯罪が深刻化している、という結論には至らないようである。

 ありきたりな結論だけれども、「今報道で騒がれているような」少年犯罪だけで世の中を論じることだけは控えめにしましょう。戦前や戦後20年くらいはともかく、今の我が国は世界に類を見ないほど少年犯罪は少ないんだから。

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2007年10月19日 (金)

気になる本(H19.10.19)

 伝説のサイト「少年犯罪データベース」の管理人が、築地書館より『戦前の少年犯罪』という本を出すらしい。早速私も(当然管理人のブログ経由で!)予約した(というわけで皆様も「管理人のブログ経由で」予約してください。そうすれば管理人にアフィリエイトの報酬が入ります)。それにしても章のタイトルがすばらしすぎる。

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 1.戦前は小学生が人を殺す時代
 2.戦前は脳の壊れた異常犯罪の時代
 3.戦前は親殺しの時代
 4.戦前は老人殺しの時代
 5.戦前は主殺しの時代
 6.戦前はいじめの時代
 7.戦前は桃色交遊の時代
 8.戦前は幼女レイプ殺人事件の時代
 9.戦前は体罰禁止の時代
10.戦前は教師を殴る時代
11.戦前はニートの時代
12.戦前は女学生最強の時代
13.戦前はキレやすい少年の時代
14.戦前は心中ブームの時代
15.戦前は教師が犯罪を重ねる時代
16.戦前は旧制高校生という史上最低の若者たちの時代

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 もうこれだけで笑いがこぼれてしまいますな。戦後の少年犯罪については、赤塚行雄の『青少年非行・犯罪史資料』や、最近では「新潮45」平成18年8月号の特集「昭和史「恐るべき子ども」13の事件簿」などがあるわけだし、多くの論者によって統計などで「少年犯罪の急増・凶悪化」に疑念が提示されてきた。そして、ついにこれで戦前についても書籍という形でフォローされるようになった。

 これさえ読めば、少なくとも戦前の若年はすばらしかった、というでたらめな「若者論」は語れなくなりそうだ(というよりも、赤木智弘がそのように紹介している)。是非とも同書で教育再生会議の連中をぶん殴ってやりましょう(笑)。以下、赤木による紹介を引用する。

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 実は本を管理人さんからいただいて、もう私の手元にあるのですが、本を開くと、いきなり小学生がナイフや雪駄(!)で、パッカパッカと人を殺しております。「最近の子供はナイフで鉛筆を削ることもできない」などとご高説をたれ流す人もいますが、戦前の小学生たちは鉛筆を削った肥後の守で、他人の命も削っていたのです。

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