カテゴリー「373 教育政策」の記事

2009年8月24日 (月)

選挙「後」の青少年関連政策を考えるための5冊+α

 ああ、本来であれば1週間ほど前に、選挙の政策を考えるための新書・文庫20冊程度を紹介するという記事を本家のほうで書こうと思っていたのだが、諸般の事情によりできなかった(苦笑)。というわけで、ここでは、選挙の「後」で、特に青少年関連の政策(教育、雇用、労働中心)を考える上での本を採り上げてみることとする。

 というのも、マスコミ報道なりマニフェストなり、あるいは(労働や経済などの)専門家のブログなどを読んだりすると、自民党にしても民主党にしても、まともなブレインを立てて政策や政権公約を構築したという形跡がどうにも見あたらないからである。これではまともな政策が打ち立てられる可能性は低いし、ましてや票田にならない(とされている)若年層、子供関連など絶望的というほかない。とはいえこのような状況を変える上で、若い世代に投票に行け、と(半ば脅しの意味を込めて)言うのは得策ではないと私は考える。第一にそもそも人口が少ないのと、第二に次世代のための政策が世代間のパワーゲームで決まってしまうことに対する危惧である。

 通俗的な青少年言説、あるいは政治の上での青少年問題という枠組みは、特に教育や雇用、労働の問題が経済や法律や制度の問題であることから逃げるための口実になっているわけで、従って投票者としての我々が考えるべきことは、そのような「青少年問題」という枠組みを外してものを考える、ということにつきる。今回はそのためにたぶん必要となる10冊くらいを、まあ駆け足で紹介することとする。

 ・後藤和智『「若者論」を疑え! 』(宝島社新書)
 いきなり拙著か。しかし基礎的なデータとかはここに十分あると思います。
 ・苅谷剛彦『教育と平等』(中公新書)
 この秋から米国に旅立つ著者の置き土産みたいなもの。教育の地域間格差の解消、平等化とはどういうものだったか。
 ・濱口桂一郎『新しい労働社会 』(岩波新書)
 労働環境に関する制度、及び法律的問題を考える上での基礎的書物であり、なおかつ現時点で最高の書物。
 ・田中秀臣『雇用大崩壊 』(NHK出版生活人新書)
 こちらは経済的問題を考える上での資料。ちなみに田中は最近のブログのエントリーで《各政党とも「都市部の貧しい若者(10~30代)は無視してもかまわない」と思っているからである。それに尽きる。》と書いているけれども、まあ近年の「景気刺激策」なるものを見ているとそういう考えに至るのも非常によくわかる。
 ・山野良一『子どもの最貧国・日本 』(光文社新書)
 政府による所得移転の前と後では後のほうが貧困率が高くなってしまう我が国の再配分政策や、主要先進国に比べて低すぎる家族・教育関連支出の対GDP比など、子供や家族政策を考える上での材料が満載。

 ・次点
 「実存的解決」だとか「革命」とか「精神的貧困の解消」だとかと比べていまいち人気がないのが「既存の学術的手法や法律の活用」。少なくとも経済問題や労働問題の解決に関してはこれより効果的なものはないと思うのだが。これも精神の貧困というものだろうか。なおおすすめの書籍としては、経済なら飯田泰之ほか『経済成長って何で必要なんだろう? 』(光文社)、労働法なら今野晴貴『マジで使える労働法 』(イースト・プレス)あたりが適任かな。

 あと、飯田といったら、雨宮処凜との共著『脱貧困の経済学 』(自由国民社)は、少なくとも『経済成長~』の出版記念トークイヴェントの内容を聞いた限りではかなり期待できる内容である。

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2009年1月31日 (土)

まだまだ続くようだ

 「あああああああああ」の続き。「水紋鏡~呪詛粘着倶楽部~」のコメント欄で知った。本当いい加減にしてくれ。

教育再生懇談会:「スポーツ」朝原氏と「科学」小林氏、メンバーに内定 知名度に期待(毎日jp)

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 政府は30日、教育再生懇談会(座長=安西祐一郎・慶応義塾塾長)のメンバーに、ノーベル物理学賞を受賞した小林誠・高エネルギー加速器研究機構特別栄誉教授(64)=と北京五輪男子四百メートルリレー銅メダリストの朝原宣治氏(36)=を加える人事を内定した。

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 一度はこの「懇談会」廃止の方針が出たのに、その方針は撤回され、今度は新メンバーの追加ですか?しかもまだ追加の予定があるらしいし。もう続ける気満々だろ。そもそも「教育再生」とは安倍晋三内閣の公約であり、また「教育再生懇談会」の元となっている「教育再生会議」はメンバーから提言まですべて駄目であったことは今まで何度か述べた通り。

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 「科学技術人材育成」「スポーツ立国」などがテーマとなることから起用が固まった。知名度が高い両氏をメンバーに加えることで、教育問題に積極的に取り組む姿勢をアピールする狙いもある。

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 へー。知名度が高い人を加えることが《教育問題に積極的に取り組む姿勢》のアピールになると考えているんだ、政府は。これでは教育再生会議となんら変わりはないわけで、とっとと廃止するのがよろしい。中教審とかでは駄目なのだろうか。

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2008年12月 6日 (土)

あああああああああ

教育再生懇存続へ…文科省、発言力確保狙う(YOMIURI ONLINE)

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 麻生首相は4日、首相官邸で塩谷文部科学相と会談し、政府の教育再生懇談会(安西祐一郎座長)について、当初の廃止方針を転換し、存続させることを決めた。

 首相直属の検討機関として引き続き活用し、政府一体で教育改革を推進する。麻生政権発足後初めて、今月中旬に全体会合を開催する。

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 なんてことするんだ麻生太郎!第一件の懇談会の前身である教育再生会議は、人員だけは無駄に豪華だが、提言は青少年や親に対する通俗的な認識に潤色され、具体的な施策はほとんどなく、さらに委員の内一人(義家弘介)が途中でほっぽり出したという極めて問題の多い会議なのですよ。そんなところが出した提言を実行するための懇談会など不要としか言いようがないだろうに。

 最近、苅谷剛彦が、平成19年に筑摩書房のウェブサイトで連載していた(教育再生会議が存在していた期間だったので、ほとんどそれに対する批判だった)企画が、最近『教育再生の迷走』として書籍化したので是非読んでほしい。教育再生会議の政治的意図がよくわかるから。とにかくこの懇談会は、(現行の教育基本法も含めて)安倍晋三政権の負の遺産でしかない。とっととやめろ。

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2008年2月22日 (金)

学習指導要領改正案への疑問

 「冬枯れの街」の「神様なんていつもそうよ理不尽なことばかり・・・。」で、私は下のようなコメントを書いた。

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>学習指導要領

 はっきり言って、これでは時間増の意味はないと感じました。だって、どうせ武道を小学生の段階から必修にするとか、伝統と文化云々とか、職場体験とかに費やされるわけですから、今までの教育政策のどこが間違っていたのか理解できていない。

 第一、教育再生会議とか、あるいは今回の指導要領の改訂とか見ていますと、「ゆとり教育」なんて終わっていませんよ。同人誌でも書きましたけれども、私は「ゆとり教育」の本質とは、要するにポジティブリスト方式にあるのではないかと思います。言い換えれば、教育万能主義が政策に反映された形。今回はさらにそれを推し進めている形になっているわけですから、抜本的転換とはどうも言い切れない気がします。

 第一寺脇研だって、今の子供は自然の経験がないから問題を起こすのだとか、社会が教育をやれば青少年問題はすぐに解決する、とか電波を飛ばしているわけでしょう。要は、寺脇のほざくところの「社会教育」みたいなものを地域がやるのか(=寺脇)、学校がやるのか(=今回の指導要領)の違いしかないと思うのでありますよ。

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 実際問題、文部科学省の「教育基本法の改正に対応した学習指導要領案の主な改訂点」(PDF)を読んでみても、なんのために授業時間を増やしたのかと訝ってしまうような改定案だ。第一、「道徳教育、体育や食育を充実」「感動を覚えるような魅力的な教材」「規範意識、人間関係を築く力、みんなのために働くことや社会参画への意欲や態度の育成」「自然の中での集団宿泊活動」なんて電波ゆんゆんで、こういう無駄なことのために授業時間が費やされてしまうのかと思うと、これを作った人の頭の中を疑ってしまうわ。そんなことを考える暇があるなら、まず現代の青少年に関する教育学や社会学などの研究成果をレヴューしなさい。

 そもそもこの報告書を読んだだけでも、改正案の基となっている現行の教育基本法それ自体が問題をはらんでいる代物だということがはっきりとわかってくる。現行法は偏狭なナショナリズムに基づいているとか何とかいわれがちだけれども、実際には八方美人、要するに平成18年10~11月に教育再生会議あたりで話題になっていた(もちろん、中には間違った形で話題になっていたものもある)トピックを考えもなしに詰め込んだだけのものに過ぎないのではないか。

 ところで我々が頭に入れておくべきなのは、少なくとも青少年「問題」については、「ゆとり教育」の先導者ともいわれる寺脇研と、そしてそれを批判する側(要するに今回の学習指導要領の改正案)の認識が共通しているということだ。寺脇については、『それでも、ゆとり教育は間違っていない』(扶桑社)という本で、その認識の偏狭さを余すことなく示している。いちいち挙げておくときりがないので、「冬枯れの街」の「申し上げたではありませんか、ご安心くださいと。もうすぐ仕掛けておいた罠が動き出しましょう。~国賊、寺脇研の醜態~」に丸投げしておく(苦笑)。

 あとは藤原和博。この人も寺脇と並んで、宮台真司あたりとつるんで(ちなみに宮台は寺脇のブレーンであり、たびたび宮台と寺脇は対談している)「教育改革」(笑)を推進した人であるのだが、こいつもまた『新しい道徳 』(ちくまプリマー新書)なる言い訳がましい本を出した。これもまた笑えるのだが、何よりも驚くべきなのが以下の下り。

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 もう、読者は理解したに違いない。
 復興すべきは「美しい日本」という国の姿ではない。(略)
 それより、むしろ一人一人の「美意識」のようなもの。新しい国づくりは、100年以上前の前例に習って、まず「人づくり」から始めなければならない。
 真に復興すべきは、コミュニティに生きる人々の「美意識」。
 だから、教会の代わりに、学校を核にして地域社会を再生していく努力が望まれるのである。
 日本では、もし「教会」の替わりが務まる組織があるとすれば、それは、「学校」しかないからだ。(藤原『新しい道徳』pp.174-175)

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 私は同書を、昨年末の冬コミのために東京に向かう高速バスの中で読んだのだけれども(余りにも内容が薄いので30分ほどで読み終えた)、これは正高信男の新刊か(俗流のテレビ批判、携帯電話批判、ブランド批判とか…社会認識が数年前でフリーズしているような気がする)と見紛うような第1章はともかく、藤原がこういう思想でもって「教育改革」を推し進めていること自体、驚くべきことではあるまいか。ついでに寺脇だってこういっている。

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 「三丁目の夕日」みたいな映画観て泣くんじゃなく、「三丁目の夕日」の時代にやっていたことを、子供と一緒にやればいいわけですよ。子供に「こんな遊びがあるんだぜ」とか言って、プレーパークで童心に帰って一緒に遊べばいいだけのこと。それで「一日遊ばせてもらってありがとう」って1万円とは言わずとも、千円も置いていけば、プレーパークの運営費なんかすぐ出ちゃいますよ。(寺脇『それでも、ゆとり教育は間違っていない』p.129)

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 少なくともこれだけ見ていると、今回の指導要領の改正案と、寺脇や藤原との違いが全く見えてこない。それどころかほとんど同一に見えてくる。そしていずれにも欠けているのが若い世代に対する真に科学的な検討と、そしてそれに基づく政策だ。それも経ないまま、ひたすら「ゆとり教育」、というよりもそれを受けてきた世代に対する不当なバッシングが横行するという奇妙な自体になってしまっている。少なくとも国際的な統計(というかPISA)を見てみる限りでは、我が国の子供の学力は、主要先進国(アメリカ、イギリス、ロシアなど…)に比すれば格段に高い。さらにいうと、東京理科大の調査によれば、少なくとも高校の理系学生においては、数学力がむしろ向上している、との結果すら出ているという。現代の我が国の子供たちは、言うなれば「もっと(正しく)評価されるべき」なのだが、今や「ゆとり教育」を擁護する側も叩く側も、そろって子供や若年層を叩いている。

 なんというか、昨今の「教育改革」って、寺脇や藤原、そして宮台みたいな人間と、その取り巻きだけが理想とする教育の実現なのではないか、という錯覚すら覚えてしまう。そういう点においては、『それでも、ゆとり教育は間違っていない』と『新しい道徳』は、まさに全国民必読の書、なのかもしれない。また、「今日行く審議会@はてな」の「ゆとり教育から脱却していないし転換もしていない」が示すとおり、そして私も冒頭で述べたとおり、「ゆとり教育」からの転換とか脱却なんて、ない。

 もう一つ。寺脇を批判した「教育ニュースへのツッコミ」の「既成事実化に対する私的な繰り言」という記事に、以下のような下りがある。

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寺脇の著書は、主たる主張を通す側に立ったものが責任を明確にしろといっているように聞こえるのだが、それで自分はどうなのかとつつかれて終わっているような気がする。
自分と同じ立場の人を量産してもダメだと思う。
最近、だれの?というよりも、まず自分の足下を守るような消極的な闘いになってきていると感じる。

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 ごもっとも。特に寺脇のブレーンである宮台の『幸福論』(NHKブックス)なんて、まさにそんな内容だな。だって同書で語られていることって、「いかに年長世代(=宮台)が考える「よいこと」を、教育を通じて下の世代に伝えるか」ということばかりなんだし。

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2007年11月 6日 (火)

「少年家庭省」新設だって!?

NIKKEI NET:「少年家庭省」創設提言へ・教育再生会議(日経新聞)
EU労働法政策雑記帳:少年家庭省

 いやはや驚いた。もはや野依良治は教育を語るに値する人物じゃないね(今に始まったことではないが)。どうせ今回の件も、こいつの鶴の一声で決まったんでしょ(失笑ものの「塾禁止」もこれだったし)。

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 教育再生会議(野依良治座長)は5日、子供や家庭が抱える問題を総合的に支援する体制を整えるため、少年家庭省(仮称)の創設を提言する方向で検討に入った。児童虐待、いじめといった子供が抱える問題の多様化を踏まえ、各省庁に分散する子供、家庭向けの機能を統合。一元的に指導・情報提供できる組織が必要と判断した。

 再生会議は6日の合同分科会で、問題を抱える子供や家庭に対する関係省庁の連携策を議論。年末にまとめる第三次報告に新組織創設の提言などを盛り込む方向だ。

 現行の子供や家庭の問題に関する機関では、法務省が所管する少年鑑別所、厚生労働省が所管する児童相談所、文部科学省が所管する教育委員会などがあるが、連携不足が問題となっていた。再生会議では縦割り解消に向けた少年家庭省のほか、子供の権利保護や紛争解決のための少年家庭審判所(仮称)の創設検討も打ち出す。(07:01)

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 省庁どころか裁判所まで新設!教育再生会議って、本当に何をやりたいんだ。まずお前らが青少年問題について基礎的なところから勉強することが最初だろうが。

 しかし、ここまで思いつきを並べて、それが政策提言として報じられるって、教育再生会議とはなんて気楽な仕事なんだ。何でも教育って叫んでいればお墨付きがもらえるんだから。もういい加減解散しろよ、冗談でなく。

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2007年10月10日 (水)

教育再生会議再開だってさ

教育再生会議、今月下旬に再開へ(読売新聞)

 単なる妄想や、あるいはエビデンスや教育学の成果に基づかない空論を生産してばかりの教育再生会議は、結局のところ存続の方向で決まったらしい。しかしあれだな。こういう光景を見ていると、いかに我が国の教育政策が自称「知識人」の偏見と妄想に基づいているか、ということがよくわかるな(しかも安倍晋三政権はその傾向を一段と強めた)。この「会議」がいかにおかしいかということは、既に多くの教育学者によって指摘されている。

 あと、読売の記事で気になったのが以下の部分。

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 教育再生会議は、安倍前首相が首相官邸主導で教育改革を進めるため、首相就任直後の昨年10月に設置した。これまで2度の報告で、「ゆとり教育の見直し」「授業時間の10%増」などを打ち出した。

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 (森昭雄を「科学的根拠」に用いている)「親学」は採り上げないんだ(笑)。

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2007年10月 2日 (火)

いい加減にしろ池坊保子

次代の教育など考える諮問機関 池坊文科副大臣、発足(朝日新聞)

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 福田内閣でも留任した池坊保子・文部科学副大臣が9月末、二つの私的諮問機関を発足させた。

 このうち、「次世代の教育を考える懇談会」は、政府の教育再生会議や中央教育審議会(文科相の諮問機関)と一線を画し、長期的な視点で教育のあり方を考えるのが目的という。

 副大臣が自ら選んだ15人のメンバーは多彩。安西祐一郎・慶応義塾長や陰山英男・立命館小副校長ら教育関係者、北城恪太郎・日本IBM最高顧問ら経済人、警察庁出身の竹花豊・元東京都副知事ら行政経験者もいる。

 26日の初会合では、家庭と地域の教育力の低下が学校へ及ぼす影響などを議論。半月に1回会合を開き、年度内に報告書をまとめる予定だ。

 一方、神戸市で高校生が自殺した事件などを受けて、いじめと携帯電話・インターネットの問題について考える会議も発足。いじめ自殺が問題化した昨年11月にできた「子どもを守り育てる体制づくりのための有識者会議」が、携帯やネットの問題に特化して再編成された。

 28日の初会合で、群馬大の下田博次教授(社会情報学)は「携帯電話の普及で、起きてから寝るまでずっとインターネットを使えるようになった。この問題 に家庭だけで対応するのは難しく、全く新しい仕組みを作らないといけない」と述べた。会議は毎月1回程度開かれ、報告書やアピールを出していく予定だ。

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 正直言って、吐き気以外の何物も起きない。まず「次世代の教育を考える懇談会」についてだが、我々が求めているのは、それこそ苅谷剛彦や広田照幸などといった教育「学」の専門家であって、本田由紀(この人もどこかの教育関連の審議会に入って現政権に対し毒を振りまいていただきたいが)風に言えば「教育を科学することができる」人材だ。というよりも、この団体って、教育再生会議(ここも存続の公算が高まってきたが)とどこが違うのかしら?

 さらに「子どもを守り育てる体制づくりのための有識者会議」だが、これも警察庁の「バーチャル社会の弊害から子どもを守る研究会」(それにしても長い名前だな)とどこが違うのだ。ここについても、必要なのは科学的視点であって、例えば(「バーチャル社会の弊害から子どもを守る研究会」でほとんど唯一良心を保っていた)坂元章のような人材が必要なのだ。

 ちなみにこれらの元締めたる池坊保子の青少年問題についての認識は、例えば「若者の人間力を高めるための国民運動」などで示されており(詳しくは「西野坂学園時報」の「人間力運動批判Vol.008……万死に値する伊藤・長崎市長&池坊・文部科学副大臣」と、「「反ヲタク国会議員リスト」メモ」の記述を参照されたし)、このような人間が安倍晋三内閣から福田康夫内閣に至るまで文部科学副大臣としてのさばっていることを、我々は無視してはならない。

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2007年9月15日 (土)

祝!教育再生会議解散(の可能性高まる)

教育再生会議は存続困難の見通し、肝いり首相の退陣で(読売新聞)
冬枯れの街~呪詛粘着倶楽部~:王座を巡る戦いとは醜いものですわ、関わり合いになりたくないものですわね。~さようなら教育再生会議♪~

 いやはや、慶賀の至り、慶賀の至り。専門家を完全に排除し、単に偏った世間知に基づく「提言」で自己満足し、客観的な統計を無視して、現場を締め付けるだけ、得するのはこの「会議」でヒーローぶっている連中だけ、という、最悪の「会議」もまた、安倍晋三の退陣表明によって存続することが難しくなりました。それにしても、《再生会議はここからが本番だった。3次報告まで頑張ってもらいたかった》(読売)って、さんざん自社の労働環境を破壊しまくっているお前が言うな渡邉美樹!

 結局、教育再生会議の功績って、なんだったのかしらね。「冬枯れの街」のコメント欄にあるような、

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結局、教育再生会議で結論がでたのは「DJ OZMAはひどい」だけでした。

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 くらいではないのか。そんなのだったら、巷の小学生にもできるわ。

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2007年9月12日 (水)

安倍が辞めると?

 というわけで、安倍晋三が辞意を表明しちゃいました(笑)。内閣もあと少しで終わりですね。とりあえず個人的に気になるものを書いておくこととする。

 ホワイトカラー・エグゼンプション…自民が意地でも進めたいと思われる政策なので、今後もゾンビの如く復活してくる可能性は大。財界が考えを大きく改めない限りは注視するしかない。

 教育再生会議…安倍の直属だから解散するか、あるいは次の首相に引き継がれるか(教育改革国民会議はこのパターンだった)。微妙なところ。

 中教審…文科省の直属だから、当面継続するでしょう。ああ、鬱だ。既にここは第二教育再生会議と化している。

 メディア規制…自民党には規制派が多いので、どうせまた誰かが主張する。もし麻生太郎が首相になったらこの傾向は加速する危険性がある。

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 追記。子安潤氏が教育再生会議の解散を訴えていた。興味深い意見なので、以下、メモする。

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なぜなら、内閣の下に置かれているが、安倍内閣の下にあったんだから、その安倍が居なくなるわけだから辞めるべきだ。また、安倍自身が委員で主催していたわけだからもう即辞めないといけないだろう。
安倍に辞令をもらったそういう性格の各種委員はすべて辞任しないと説得力がなくなるというものだろう。

教育再生会議の方針を鵜呑みにした中教審の方針部分についてもついでに考え直したらいいと思ったりもする。

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 とりあえず、私としては、既に第二教育再生会議と化した現在の中教審も解散したほうがいいと思いますけれどもね。言い過ぎか。

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また中教審か!

学士力を中教審が定義 大学卒業に厳格な認定試験も(読売新聞)
今日行く審議会@はてな:「学力」「学力」ってバカじゃなかろか

 「学士力」…。はいはいナントカ力ナントカ力。こういう変なナントカ力の押しつけには、それを推進する側に対して、「では、あなたにはそのナントカ力が備わっているのですか?」と問いかければいい。しかし、教育再生会議は大学生に卒業試験を課すべきだと主張していたし、あるいは教員免許を更新制にするといい、どうして我が国の教育政策って、制度を作る側が「こうすれば教育は再生する!」みたいな幻想にとらわれているのかしら。

 そういえば、かつて経産省の出した「社会人基礎力」なる珍概念があったな。これが「人間力」(厚労省、内閣府)の経産省ヴァージョンだとしたら、「学士力」はこの中教審=文科省ヴァージョンとなるわけだ(笑)。

 大体、かつての大学生は授業に出席すらせず、またそれが誇りとして語られるわけだが、彼らの「学士力」はいったいどうなってるのかしら?

 それにしても、

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【技能】
 ▽コミュニケーション能力
  日本語、特定の外国語で読み、書き、聞き、話すことが出来る
 ▽情報活用力
  インターネットなどの多様な情報を適切に使い、活用できる
 ▽論理的思考力
  情報や知識を分析、表現できる

 【態度】
 ▽チームワーク、リーダーシップ
  他者と協力して行動したり、目標実現のために方向性を示せる
 ▽倫理観
  自分の良心や社会のルールに従って、行動できる
 ▽生涯学習力
  卒業後も自ら学習できる

 【創造的思考力】
  知識、技能、態度を総合的に活用し、問題を解決することができる

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 このへん、まんま「社会人基礎力」じゃないですか。

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