消費主義的な環境対策?
「冬枯れの街」の「こういうのコペ転って言うんですよね?コペルニクス的転回、だから私は…。」という記事で知ったニュース。いやあ笑えた。
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「ゴールデンウィーク」を「グリーンウィーク」に。5月の連休をきっかけとして、二酸化炭素を出さない休日の過ごし方を考えようと、小池百合子元環境大臣らがキャンペーンへの参加を呼びかけました。
(略)
小池元環境相らは、「グリーンウィーク」キャンペーンを通じて二酸化炭素を出さない休日の過ごし方を考えたいとしていて、東京タワーを緑色にライトアップするなど、多くの人に参加を呼びかける計画だということです。
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上流の文化を消費することが上流になる道なのだ!みたいなこと(大雑把)をいうような三浦展の『下流社会』論が若年層の「格差」を正確に語った本であると受け入れられるような国ならではですね(笑)。ところで、こういう「運動」みたいなものに関わらない人は、「お前は環境問題に対して無関心だ!」と嘲笑されたり、あるいは批判されなければならないんだろうか。第一我が国で(局所的に?)流行っている「LOHAS」とか「スローライフ」みたいなのって、少なくとも我が国での動向を見ていると、金持ちの道楽に過ぎないと思うんだが(そーいえば、三浦は我が国での「LOHAS」運動を牽引しているといわれている「ソトコト」とかゆー雑誌によく出ているような気がする)。これって単なるお祭り騒ぎで、政府とかが主導してやるようなことではないのでは?
「どこを向いて走っているのか」という記事で、「とうふ連九条の会」の莫迦な真似を採り上げたけれども、我が国のこのような社会派ぶった「運動」って、参加することに意義がある、というよりも、こういう「運動」に参加して、「自分は社会問題を真剣に考えているんだ!」と実感している自分に陶酔するようなものに過ぎないのではないだろうか。そういうのって、結局のところ単なる消費文化の犬というか、あるいは自己満足でしかない。三浦みたいなどこぞのマーケティング言説に絡め取られるのが落ちだろう。
同様の「運動」の周囲を見ていると、特に若い世代が先導しているような運動について、どうも「僕たちみたいな若者が無関心だから問題なんだ!」みたいなことを喧伝して、結局叫んでいるだけの運動って、結構多い気がする。そうではなく、しっかりとした根拠に基づき、なおかつ(できれば)実際の利益を生み出す、あるいは利益に結びつけるような運動や言説こそがまず求められているのではないだろうか。それこそ昨今の「新しい」(原点回帰とも言えるけど)労働運動みたいに。
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