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2004年11月18日 (木)

統計学の常識、やってTRY!

 1・平成の常識?
 TBS系列、日曜昼1時からの番組「噂の!東京マガジン」の中に、「平成の常識やってTRY!」(以下、「平成の常識」)なるコーナーがある。司会の森本毅郎氏の前口上によると、「若者の非常識ぶりから平成の常識を探る」というコーナーらしい。
 このコーナーに趣旨というものがあるとすれば、それは、アポなしで出演する、いかにも「今時の」若い女性が、この番組の主たる視聴者である中高年の間で「常識」とされていることができないことを嘆き、笑い飛ばすことだろう。
 だから、このコーナーは、エンタテインメントでしかないのである。
 ところが、このコーナーの結果を真面目に受け止めてしまう人もいるのである。例えば、評論家の佐高信氏と、コラムニストの中野翠氏である。佐高氏は、このコーナーに出てくる若年と引っ掛けて、「新しい歴史教科書をつくる会」への賛同を表明した林真理子氏や阿川佐和子氏の「頭の悪さ」を批判し(佐高信[1998])、中野氏に至っては、番組によって意図的に「選別」させられた若年を批判して、なんと「日本人の美徳」の喪失を嘆いてみせる、というものなのだ。
 中野氏曰く、
 《毎回、あまりのメチャクチャさに呆然となるのだが、一番ショッキングだったのは、ただの四角い箱を作るときの、ある男の子の釘の打ち方だった。(略)突如、「松の事は松に習へ、竹の事は竹に習へ」という芭蕉の言葉が、数十年ぶりに(略)鋭く浮上してきた。「自然に従う」心性は日本人の美点で、そこからすぐれた文化(略)が生まれてきたと思うのだが……もう駄目なのか》(養老孟司[1998]の解説)
 一人の「今時の若者」を嘆いてみせて、そこから飛躍して天下国家を論じてみせる、というのはまさしく俗流若者論の典型的パターンなのだが、それにしても明らかに「お遊び」のコーナーの結果をここまで本気にしてしまう感性も、凄い、というより呆れてしまう。「今時の若者」が関わっていれば、中野氏にとっては何だって「憂国」の材料になってしまうのだろう。「サンデー毎日」の中野氏の連載にも、このような姿勢が垣間見える。

 2・「平成の常識」の統計学的分析
 このコーナーが単なるエンタテインメントでしかないこと、すなわち、結果に信頼を置くことができないことは、次の点に留意すれば容易にわかる。
 ・サンプリングが雑(いかにも、という感じの人選ばかりしている)
 ・母集団がわからない(「若者の非常識ぶり」と森本氏は言っているが、「若者」って誰?)
 ・サンプル数が少なすぎる(たいてい10~20人である)
 ・比較の対象がない(若い女性以外をまるで考慮していない)
 ・映像とナレーションの効果
 第1、第2のの論点について。ある社会調査の結果が信頼を置けるものであるためには、まずサンプリングが適切であることが最低条件となる。例えば、新聞社が行う社会調査は、多くの場合、層化2段階抽出という方法を使っている。また、青少年に対する意識調査の場合、その多くが学校のクラス単位で行われる。これらの方法は、母集団が定まっており、またその母集団に属する全てのものが等しく調査の対象になる。
 ところが「平成の常識」の場合、テレビカメラが大型のショッピングモールやテーマパーク、あるいは江ノ島などに赴いて、アポなしで行ううえ、調査地点が1箇所しかないので、サンプリングが適切であるとは言いがたい。例えばチャーハンを作る場合、その取材場所で15人を取材し4人の人が正しく作れたとしても、全国的にチャーハンを作れる若年層と作れないそれが4対11の割合で存在しているとは到底言えない。
 母集団に関しても、冒頭で採り上げた森本氏の発言から、このコーナーが視聴者に想定してほしい母集団は若年層全体なのかもしれないが、このコーナーを見ている限りでは、どう考えても取材地における若年で、しかも女性限定である。
 まあ、50万歩ほど譲って、「平成の常識」におけるサンプリングが、現代の若年層を代表したサンプリングであると仮定しよう。しかしここで第3の論点にぶち当たる。例えば、先ほどのモデルケースで、チャーハンを作れるかどうか、ということを15人に取材して4人が正しく作れた、と書いたが、現代の若年層の人数に比べ、15人というのはあまりにも少なすぎる。そこで、この回答における有効正答率を統計学的手法を用いて算出してみると、信頼係数95パーセントで55.1~7.1パーセントの若年層がチャーハンを正しく作れる、という結果が出た。このように結果に開きがあるのも、サンプル数が少ないからである。
 さらに第4の論点についても注視する必要がある。このコーナーは若い女性の「非常識ぶり」を嘆いているけれど、それでは若くない(失礼!)女性や、男性全般に関してはどうなのだろうか。仮に中高年の女性に、「平成の常識」と同じ方法でインタヴューを試みて、このコーナーが問題にしたい若い女性よりも正答率が低かったらどうなるのだ。本書で血祭りにされる若い女性と比較されるのは「記憶」または「思い込み」であり、比較という観点から見るとまったく不公平としかいえない。
 第5の論点については、実際に番組を見てもらわないとわからないが、特にナレーションが「被験者」である若い女性の非常識振りを際立たせている。
 結局、統計学的に見れば、この種の番組は単なる「お遊び」でしかないのである。「平成の常識」は、統計学の非常識なのだろうか。
 然るにわが国ではこのような企画が後を絶たない。「若者の意識を調査する」とかいった名目で渋谷とか原宿に「突撃インタヴュー」を試み、ことに政治や社会問題についてはその「意識の低さ」を嘆き、若年層が得意である(とされている)ファッションなどに関しては、その「博識ぶり」を遠まわしに賞賛しつつも、やはり自分(中高年層)からかけ離れた世界の「不可解さ」を嘆いてみせる。情報の受け手である我々に必要なのは、このような企画や記事はエンタテインメントと割り切り、その統計学的誤りを突っ込み、「この企画(記事)は決して若年層全体の姿を現しているのではない」と自分に言い聞かせることである。
 それでは、これから読者の皆様を、若者報道の非常識振りから統計学の常識を探る「統計学の常識やってTRY」のコーナーへ誘おう。
 統計学の常識、やってトーーーーライ!

 3・若者の7割が小泉首相を支持?
 平成16年4月。イラクで日本の民間人3人が拉致された。政府とイスラーム指導者の努力で何とか救出されたものの、帰国した3人を出迎えたのはいわゆる「自己責任論」であった。私はこの動きを見て胡散臭いものを感じていて、結局これは「若者論」なのではないか、と思った(これが「若者論」であったことは、「正論」2004年6月号のあまりにも低俗な読者投稿特集が示している)。
 そんな面持ちで、朝日新聞社の発行している週刊誌「AERA」の04年4月26日号を読んでいると、「「自己責任」噴出のココロ」なる記事が掲載されてみた。「自己責任バッシング」を多く読んでいた私にとって、このような記事に出会えることは一種の喜びであった。しかし、この記事をよく読んでみると、タイトルからして「自己責任」を「AERA」お得意の「ココロ問題」として矮小化させているし、内容も空疎。「週刊金曜日」04年5月14日号に載った、アンドリュー・デウィット立教大学教授の「自己責任」批判でも読んで出直していただきたい。
 さて、私の目に止まったのは19ページに載っていたコラムである。見出しは「政府支持若者男性で7割」。どうやら「AERA」編集部は、この記事のためにネットでアンケートしたらしい。今回1つ目の「TRYマスコミ」(「平成の常識」では、サンプルである若い女性を「TRY娘」と呼ぶ)はこの記事である。
 記事によると、男性153人、女性154人に、「イラクで日本人3人が武装勢力に誘拐され、人質にとられた事件で、「誘拐犯グループの要求に応じて自衛隊を撤退することはあり得ない」という政府方針を支持しますか?」というアンケートをしたそうだ。結果は以下の通り。

 ※「「支持する」/「わからない、どちらとも言えない」/「支持しない」」で表示、単位%
 全体:56.4/22.1/21.5
 男性
 20代:67.7/19.4/12.9
 30代:74.2/12.9/12.9
 40代:61.3/12.9/25.8
 50代:60.7/3.6/35.7
 60代:59.4/25.0/15.6
 女性
 20代:50.0/34.4/15.6
 30代:35.5/29.0/35.5
 40代:38.7/35.5/25.8
 50代:56.7/23.3/20.0
 60代:60.0/23.3/16.7

 第一に注目すべきは、世代ごとのサンプル数及び回答者数であろう。ここでは男性153人、女性154人にアンケートしたというが、世代ごとの回答者数が公表されていない。仕方ないので、ここでの回答率から世代ごとの回答者数を割り出すしかないだろう。
 そこで、それぞれの回答率から世代ごとのサンプル数と、それぞれの答えの回答者数の中で最も信頼性の高いであろう物を割り出してみた。ただし、年齢の「~代」は省略する。
 ※「「支持する」/「わからない、どちらとも言えない」/「支持しない」/合計」で表示

 男性
 20代:21/6/4/31
 30代:23/4/4/31
 40代:19/4/8/31
 50代:17/1/10/28
 60代:19/8/5/32
 女性
 20代:16/11/5/32
 30代:11/9/11/31
 40代:12/11/8/31
 50代:17/7/6/30
 60代:18/7/5/30

 さて、世代ごとのサンプル数が決定したところで、いよいよ有効回答率を求めよう。各回答ごとの有効回答率を求めるのは少し面倒なので、ここでは小泉首相の決定に「賛成」した人の有効分布を求める。
 ただし、サンプル数が31人前後と中途半端に少ないため、これを大標本とみなすか小標本とみなすかは微妙なところである。なので、両方について検定してみよう。

 ※「統計回答率/小標本とみなしたときの有効回答率/大標本とみなしたときの有効回答率」で表示、単位%、信頼係数95%

 男性
 20代:67.7/78.7~54.8/81.5~53.9
 30代:74.2/83.9~61.7/87.1~61.2
 40代:61.3/73.1~48.1/75.7~46.9
 50代:60.7/73.1~47.0/75.9~45.5
 60代:59.4/71.3~46.4/73.7~45.1
 女性
 20代:50.0/62.7~37.3/64.5~35.5
 30代:35.5/48.5~24.0/49.6~21.3
 40代:38.7/51.8~26.9/24.3~53.1
 50代:56.7/69.1~43.4/41.8~71.5
 60代:60.0/72.1~46.7/74.7~45.3

 ご覧の通り、この統計では誤差がなんと10~15パーセントになってしまうので、この記事から簡単に小泉首相の態度に対する日本人の見方を示すことはできないのだ。さらに、世代別で見てみると、たった1人の回答が全体に約3パーセントの影響を及ぼしてしまう。はっきり言って、サンプル数が少なすぎる、というほかない。然るにこの記事の執筆者は、思わせぶりな見出しをつけて、さも若年層が政府の「自己責任」バッシングに加担しているかのように書いてしまう。記者の感覚を疑わざるを得ない。

 4・クロス集計
 この記事の問題点はまだある。質問を再録してみよう。曰く、「イラクで日本人3人が武装勢力に誘拐され、人質にとられた事件で、「誘拐犯グループの要求に応じて自衛隊を撤退することはあり得ない」という政府方針を支持しますか?」である。
 ここで我々が注意すべきなのは、この質問が「政府方針を支持するか」というところで止まっていることである。しかし本来ならば、この質問に加えて、例えば「イラクに自衛隊を派遣した首相の責任を問うべきか」という項目を加えるべきだろう。さもないと、この記事のように、政府の方針を支持したものはみんな自衛隊の派遣に肯定的である、といった誤解を読者に植え付けかねない。
 この質問には、「救出費用を被害者が負担すべきか」という最も大切であるはずの質問がない。首相の方針を支持した人のうち、何人が「自己責任」バッシングに加担したか、ということこそ、物事の本質であって、本来なら爆弾の質問とこの質問の2つでクロス集計を行うべきだったのだ。首相の方針を支持=「自己責任」バッシングという図式がいかに杜撰であるかは、明確である。
 ちなみに私はこのとき、政府の方針を支持した。「テロに屈してはいけない」という短絡した理由からではない。この事件と自衛隊の撤退はあくまでも別個のものだからである。自衛隊を撤退させるならば、この事件の背景を深く読み取って、いかなる条件の下で撤退すべきか、ということを鑑定しなければならない。撤退すれば全てが解決する、というのは何も考えていないのと同様だ。もちろん、人質は一方的な被害者なのだから、政府は人質の救出に全力を尽くすべきである。ましてや、被害者に救出費用を負担させるなど、もってのほかである。
 閑話休題、この記事は、小泉首相の方針を支持=自衛隊のイラク派遣を肯定=「自己責任」バッシング、という論法や、若年層が「自己責任」バッシングに加担している、という虚妄の問題設定を振りかざして、肝心の検証を怠った、デタラメな記事というほかない。このような記事が簡単にまかり通ってしまうようでは、編集部における記事のチェック機能も麻痺している、といわれても仕方ないのではないか。安易な「憂国」(何も「憂国」をやるのは自称「右翼」「保守」だけではない)を先立たせた、まさに「若者報道」の帰結の一つとして明記されるべきだろう。

 5・意識調査の問題点
 二つ目の「TRYマスコミ」は、01年1月26日付の朝日新聞夕刊(首都圏版)第1面である。見出しは「いまどきの17歳 他人に厳しく自分に甘く」であるが、この記事を見ると、《他人に厳しく自分に甘く》はまさにこの記事を書いた朝日の記者というべきだろう。
 記事を全文引用する。

《飲酒や朝帰りは当然オッケー、映画館で鳴るケータイは絶対に許せない。親が子を殴るのは半数以上が許すけれど、子が親を殴るのはダメ――。少年事件の多発で注目を集めているいまどきの「十七歳」はどんな道徳感を持っているのか、東京都の高校教諭(37)が生徒にアンケートを取ったところ、こんな結果が出た。更に生徒自身に分析させると、他人の迷惑好意は不快に感じるのに、自分がする時はむとんちゃく、という若者像が浮かび上がる。二十七日に東京で開幕する日本教職員組合(日教組)の教育研究全国集会で報告される。
 アンケートは、教諭が勤務する全日制都立高校生で三年生(十七、十八歳)の四クラス計百五十人を対象に実施。大人が問題にしがちなマナーやモラルに関する二十六種類の行為について「許す」か「許さない」かをきき、結果を生徒自身に評価してもらった。
 主な行為を「許す」割合が高い順に並べたのが表だ。常識的な結果と見ることも出来る。
 教諭が注目するのは生徒たち自身の受け止め方だ。「自分や友達がやっていそうなことは許す」「許せない行為の中には、自分がやる文には構わないが、他人がやると腹が立つものが多い」という傾向を読み取ったという。「利己的だ。情報化で他人の影響を受ける機会が減ったせいだろう」と分析する生徒もいた。
 学級崩壊や少年事件の続発を受けて、教育改革国民会議派奉仕活動を若者の全員が行うようにすることを提案。東京都は「他人の子どもにがまんさせよう」などと呼びかけて「心の東京ルール」と読んでいる。教諭はアンケートとは別に、三年生全員、約二百五十人にこれらへの意見を書いてもらった。
 「東京ルール」には、過半数が積極的に評価するか「いいのではないか」と理解を示した。一方、奉仕活動については、七割以上が否定的だったという。》
 表は以下の通り。
《高校生のバイト 100%
 高校生の茶髪 93%
 未成年の飲酒 88%
 高校生の朝帰り 87%
 電車の中の化粧 59%
 親が子を殴る 55%
 電車の中でいちゃつくカップル 47%
 ヤマンバギャル 46%
 電車の床に座る若者 40%
 不倫 26%
 援助交際 21%
 子が親を殴る 19%
 万引き 10%
 映画館で鳴る携帯電話 0%》

 この記事も、自己検証を怠った典型的な「若者報道」というほかない。まず、サンプルを取った地点が1地点しかないことだ。これでは、正確なサンプリングとは到底いえない。また、虚心坦懐にこの記事を読んだ限りでは、この「意識調査」は《教諭が勤務する全日制都立高校生で三年生(十七、十八歳)の四クラス計百五十人を対象に実施》であるから、記事はあたかもこの調査が「標本調査」であるかのように書いているが、本来は「全数調査」というべきである。
 「全数調査」なのだから母集団は必然的にこの教師が勤務していた全日制都立高校の3年生になる。この教師とこの記事を書いた記者は、全数調査と標本調査の違いを知らないのだろうか。この二つの調査の違いは中学校の数学で習う範囲であって、それを知らないとは言わせまい。
 1億歩ほど譲って、この調査が「標本調査」であると仮定しよう。しかし、ここでサンプルとされている全日制都立高校生の回答を一般化するためには、大幅な留保が必要になる。第一に、この全日制高校が、都立高校の中でどのような位置にあるか、ということだ。例えば、都内全体の偏差値的に見て高い学校と低い学校の格差や、あるいは普通科が中心の学校か専攻科が中心かということで生まれる格差など、判断すべき格差はいろいろある。どちらが正しい答えを得られるかはわからないが、少なくとも一つの高校における判断を一般化すれば、間違う可能性のほうが格段に高いことだけは言える。さらに言えば、この調査では東京以外の地方の状況を判断することができないので、この点から見てもこのアンケートの結果を《いまどきの17歳》全体に適用できない。
 もっとも、マスコミ的な《いまどきの17歳》のイメージを満足させるためにこの記事を書いたのであれば、私も納得できるが。
 ここから先は、わが国に怪物の如く横行している「意識調査」全般に関して言えることだが、この種の「意識調査」の目的は、高々マスコミで流されているような「今時の若者」のイメージを確認する、すなわち自らの色眼鏡の色の正しさを確認する行為に他ならない。第一に、他の国との比較がない。場合によっては、渋谷とか原宿とか東京都内だけで満足し、日本のほかの地方との比較がない。ちなみに、朝日新聞の近藤康太郎記者によると、米国内においてはトイレで飲食するのは珍しくないという(近藤康太郎[2004])。近藤氏によれば、米国ではある雑誌社が、電車内での行為をどこまで許すか、という特集記事を組んだところ、なんと電車内でスネ毛をそることまで許された、という。また、「世界まる見えテレビ特捜部」などの番組を見ていると、自分の親のあまりの莫迦ぶりに平行してしまう、という若い子供の証言を採り上げるイギリスの番組が紹介されたりもする。わが国のマスコミは、米英のマスコミのユーモアと寛容性を少しは見習ったらどうだ。
 話がそれた。ちょっと感情論に走ってしまったようだ。申し訳ない。
 第二に、時系列での比較がない。または、世代間の比較がない。前掲の朝日新聞の記事は、「大人たち」が「当然として」「問題に思っている」ことを集めたのだが、実際にどれほどの大人が問題に思っているのか、という数値的なデータは出てこない。わが国の「若者報道」では肝心なこの部分が省略されることが少なくないけれども、それでいいのか。
 昔は駅の中でしゃがむのは日常茶飯事だった、という証言もある。そして、「若者論」にうつつを抜かしているマスコミは、評論家の斎藤美奈子氏の以下の文を声に出して読むべきだろう。声に出して読みたい日本語である。
《露出過多の服装を「下着のようだ」「娼婦のようだ」と評するのは自由だが、昔の日本人は本物の下着姿(おばさんのシュミーズ、おっさんのステテコ)で外を歩いていたんだぜ。》(斎藤美奈子[2004])
 蛇足。ここで採り上げた朝日新聞の記事の中に、《教諭が注目するのは生徒たち自身の受け止め方だ。「自分や友達がやっていそうなことは許す」「許せない行為の中には、自分がやる文には構わないが、他人がやると腹が立つものが多い」という傾向を読み取ったという。「利己的だ。情報化で他人の影響を受ける機会が減ったせいだろう」と分析する生徒もいた》というくだりがある。この高校生たちは、「優等生」なのだろう。然るに、これらの証言、特に最後のものに関しては、懐疑的なものも多い、ということを肝に銘じてほしい。最後のものについては、「世界」2004年12月号で、明治大学教授の内藤朝雄氏が批判しているので、参照されたし。

 6・マスコミへの要望
 今回の「統計学の常識やってTRY」は、これでおしまいである。しかし、最後に、マスコミに言っておきたいことがある。
 それは、「今時の若者に特有の病理」みたいな表現を極力使うな、ということだ。このような問題設定をすることは、冷静な検証から自らのみを遠ざけて、「安全地帯」に逃げ込む行為であり、「善良な」読者の支持は得られても、問題の本質には迫れない。また、「今時の若者」を嘆く前に、まず古今東西の新聞記事や文献などを参照するべきだし、あるいは、過去の犯罪統計も読んでおくべきである。安易な「憂国」言説の氾濫は、国益を失う。国民が豊富な知識と冷静な判断力を持ち、本質を見極める能力を持ち、なおかつ自由に発言できることこそが国益であって、「若者論」の大盛況は国益と正反対の位置にある。
 それでは、次回の「統計学の常識やってTRY」をお楽しみに。面白そうなネタがあったらコメントかトラックバックで。

 参考文献・資料
 近藤康太郎[2004]
 近藤康太郎『朝日新聞記者が書いたアメリカ人「アホ・マヌケ」論』講談社+α新書、2004年7月
 斎藤美奈子[2004]
 斎藤美奈子『物は言いよう』平凡社、2004年11月
 佐高信[1998]
 佐高信『タレント文化人100人斬り』現代教養文庫、1998年7月
 養老孟司[1998]
 養老孟司『続・涼しい脳味噌』文春文庫、1998年10月

 谷岡一郎『「社会調査」のウソ』文春新書、2000年5月
 パオロ・マッツァリーノ『反社会学講座』イースト・プレス、2004年5月
 ダレル・ハフ『統計でウソをつく法』高木秀玄:訳、講談社ブルーバックス、1968年7月
 広田照幸『教育には何ができないか』春秋社、2003年2月

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