トラックバック雑記文・04年12月31日
今年も残りわずかとなりました。ここで私の今年最後の雑記文です。
私が朝起きたら、「やじうまプラス号外版」というテレビ番組(テレビ朝日系列。私の住んでいる地域では東日本放送)で、少年犯罪に関して、出席している「知識人」たちが侃々諤々の議論をしていたのですが、結局、そこらの「若者報道」を超える結論が出なかった。ま、所詮こんなもんでしょう、と思いましたが。少し古い記事になりますが、
歯車党日記:ネットについていけないマスコミの姿を露呈する佐世保・小学生殺傷事件(石黒直樹氏:ライター)
は、一読に値すると思います。とりあえず、「インターネット」とか「少年犯罪」に関する安易なイメージに逃げない、という努力が、マスコミには欠けているような気がします。無論、ここから逃げない人もいますけれども(「良識派」ですね)、このような人の文章になかなかお目にかかることができない、というのがわが国の少年犯罪報道、さらには若者報道の悲しいところであると思います。
若者報道がらみで言ったら、社会学者の北田暁大氏の「試行空間」に掲載された、渋井哲也「大人が知らない小学生のどっぷり「ネット生活」」(「中央公論」2005年1月号)に関する評価も参考になります。あと、香山リカ、森健『ネット王子とケータイ姫』(中公新書ラクレ)も必読でしょう。
少年犯罪報道で、常套句として使われる言葉の一つに「子供は大人社会の鏡である」という表現があります。木村剛氏のブログにもこのような記事があります。
週刊!木村剛:子供は大人を映す鏡である(木村剛氏:エコノミスト)
残念ながら、私はこのような言葉が大嫌いなのです。なぜかというと、このように「納得」してしまうことは、少年犯罪その他を「消費」する考えでしかないからです。また、これを言い換えれば、「子供」をスケープゴートにすることによって「社会」を糾弾する、というあまりにも反動的な策動が見え隠れします。
木村氏がそうだとは言いませんが、このような言葉を平気で振りかざす人は「子供」のことにかんしてかなり歪んだ幻想を持っているように思えます。同時に、「子供は大人社会の鏡である」と言う人々は、なぜ社会のいいところが子供達に反映されないのでしょうか。無論、良いところは見えづらい、ということはあります。しかし、よいところも評価しないと、公平な評価、とはいえないのではないのでしょうか。
これは新聞の投書欄にも見出すことができます。たとえば、一部の若年が不逞な態度を取ると「現代の若者の側面を垣間見た」だとか「こういうことが全国で起こっていると思うと恐ろしい」とかいった言葉がさも「お約束」の如く振りかざされます。逆にいいことがあると「こういう人は少ないが、…」「この殺伐とした時代に…」という言葉が必ず出てくる。このネガティヴさはいったいなんなのでしょうか。このような「大人」たちの思考態度も問題視すべきではないかと思います。
蛇足ですが、「2004年・今年の1冊」でも採り上げた、東京大学大学院助教授の広田照幸氏の著書『教育』(岩波書店/思考のフロンティア・2004年5月)の文章を引用します。
青少年の道徳教育をめぐる言説や制度は、「正しい人間」「より道徳的に価値の高い生き方」を社会的に定義する機能を果たす。それは成人を対象にした一般行政におけるよりもはるかに踏み込んで、人の生き方の序列付けを行うことになる。……青少年の道徳の問題に仮託してなされる議論は、むしろ社会全体における道徳的基準を再定立(略)する機能を果たす(それゆえ、「子供に道徳を押し付ける前に、まず大人が襟を正せ」という議論は、提示されている道徳的基準をそのまま社会全体で受け入れる危うさを持っている)。(74~75頁)
少年犯罪に関する言論であれば、「ン・ジュンマ(呉準磨)の備忘録」に掲載された「やはり日本が「歴史の終わり」の先駆?」という文章のほうがかなり説得力があります。
今年もいろいろありましたね。私が気になったことに関してほかのブログなどからの記事を集めてみました。
天皇制をめぐる問題
千人印の歩行器:天皇萌えの世紀?(栗山光司氏)
MIYADAI.COM:「開かれた皇室」論者は自分が何を言っているのか分かっているのか(宮台真司氏:社会学者)
「自己責任」バッシング(これに関する私の見解は、「統計学の常識、やってTRY!」に記されております)
MIYADAI.COM:右翼思想からみた、自己責任バッシングの国辱ぶり
性教育の問題
試行空間:荒川から考える1前/後(北田暁大氏:社会学者)
評論家の福田和也氏が、著書『晴れ時々戦争いつも読書とシネマ』(新潮社)の中で、「年の終わりに往く人、来る人」なる文章を書いていたことがあります。「往く人」は「往ってほしい人」で、「来る人」は「来てほしい人」です。福田氏の文章では、「往く人」にスペースを使いすぎて、「来る人」を書くスペースがなくなってしまった、というオチでしたが、私なりに2004年の「往く人・来る人」のトップ3をあげてみるとこうなります。
「往く人」第3位:海老沢勝二氏(NHK会長)
海老沢“エビジョンイル”勝二氏はいかにして進退を決めるのでしょうか。
第2位:荷宮和子氏(ライター)
『なぜフェミニズムは没落したのか』(中公新書ラクレ)も、「相変わらず」でした。
第1位:正高信男氏(京都大学霊長類研究所教授)
この人の暴走を誰か止めてやれ…
「来る人」第3位:イチロー氏(メジャーリーガー)
第2位:田臥勇太氏(NBA選手)
わが国のスポーツ界にも革命をもたらしそうですね。田臥氏は今後の活躍が期待されます。
第1位:小沢一郎氏(元・民主党代表代行)
やはり、民主党には小沢氏がいなくちゃ。
11月に始まったこのブログで、今年私が書いた文章は以下の通りです(お知らせと、トラックバック雑記分を除く)。
正高信男という病 -正高信男『ケータイを持ったサル』の誤りを糾す-
「生物学的決定論」が蔓延する病理と、その病理を広めるマスコミについての断片的考察
統計学の常識、やってTRY!
正高信男という堕落
2004年・今年の1冊
2004年・今年の1曲
私の今後の方向性としましては、現在「正高信男という頽廃」「再論・正高信男という病」「センセイ!荷宮和子はおやつに入りますか!?」「カウンセリングが俗流若者論と結託するとき~江原啓之という病」を執筆中です。また、来年の初めのほうには、なぜ私が「子供は社会の鏡である」という言葉が嫌いか、ということを論じた文章を掲載します。来年は、今年よりももっと若者報道に対するアンテナを立てていこうと思いますので、どうぞごひいきに。
それでは、よいお年を!
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