トラックバック雑記文・04年12月09日
まず、「週刊!木村剛」からトラックバックをいただきました。ありがとうございます。
週刊!木村剛(木村剛氏、エコノミスト)
木村氏の文章とはあまり関係ないのですが、先日発表されたOECDの学力調査に対する個人的な見解を。
確かに、現役の大学生の私にも、件の学力調査の結果は衝撃的でした。ですが、私がさらに衝撃的だったのは、これを報じたマスコミが、さも鬼の首でもとったかのような安易な文部科学省批判ばかりやっていたことです。
これでいいのでしょうか。
私は、学力低下の原因をひとり学習カリキュラムの削減に求めるのは愚策だ、と思っています。確かに、学習カリキュラムを削減すると、学力は低下するかもしれませんし、今回の調査はそれを裏付けた、とも言えるでしょう。
しかし、私は学力低下の問題には、もっと大きな問題がぶら下がっているのではないかと思えてなりません。
最近になって、東京学芸大学の山田昌弘教授が盛んに唱えている「希望格差社会」という概念があります。この言葉を広めたのが、山田氏の最近著『希望格差社会』(筑摩書房)および『パラサイト社会のゆくえ』(ちくま新書)です。あいにくながら私はこの2冊を読んでいないのですが、「中央公論」の2004年12月号に掲載された山田氏の論文は、学力低下問題の一側面を言い当てているのではないか、と思います。
私が注目したいのは、近年(略)、経済的な指標で測られる量的な格差以上に、質的な生活状況の格差、いわば「ステイタス(立場)の格差」というべきものが出現してきたことである。……
「ステイタスの格差」という言葉で表現したいのは、普通の人が通常の努力では埋めることができない質的な格差である。
《普通の人が通常の努力では埋めることができない質的な格差》。そういえば、わが国の中学生は先進各国に比べて学習時間が少ない、という統計も同時に出ていました。しかし、いくら努力しても報われない社会が目の前にある、というのであれば、ある意味、学習時間が減少するのも仕方ないのではないでしょうか。
学力低下の問題も含めて、最近の若年をめぐる深刻な問題の解決が難しい理由の一つに、それらの問題の「原因」が既存の「若者論」で説明できないところにあるのではないか、と思えてなりません。「社会的ひきこもり」にしろ、失業や無業者の問題にしろ、れっきとした社会的背景があることは、すでに多くの論者によって実証されています。学力低下の問題も、おそらくこの範疇に入るでしょう。
ところが「若者論」は、それらの議論が発している最も重大なメッセージ――これらの問題の「原因」を、若年の精神の脆弱さに求めるのは徒労だし、単純な強硬論は事態を深刻化させるだけだ――を、簡単に棄却してしまい、「今時の若者は…」なんていう「愚痴」に収束させてしまいます。かくして「ひきこもり」とか「フリーター」とかいった言葉は、論者の目的とは明らかに違った形で世間に広まってしまいます。とくに保守的な雑誌の投書欄を見ていると、この傾向が明らかに現れています。そして、「若者論」で納得できなければ、「あいつらは俺たちとは根本的に違うんだ」といって、生物学的な決定論に逃げてしまいます(『ゲーム脳の恐怖』『ケータイを持ったサル』なんてその典型です)。
しかし、「若者論」でいいのか。この国には、マスコミにも、学者にも、役人にも、「若者論」を排してものを考えることのできる人はいないのか。私は、わが国のさまざまな分野が、「若者論」に陵辱されるのが耐えられないのです。
蛇足ですが、「スタンダード 反社会学講座」の第15章「学力低下を防ぐには」は、「学力低下」論の裏をついていて、非常に読ませます。
日頃、週刊誌などが報じる公務員の不祥事や官僚の天下りに怒り心頭のみなさんも、自分の子どもには思いっきり甘い汁を吸ってほしいと願う、この矛盾。親子の関係や心情は、統計や理屈では割り切れないのです。家族や親子のあるべき姿、模範や理想像なんてものは存在しないのだという真理に、文学は紀元前から気づいています。社会学はいまだに気づく気配もありません。
(略)
ということで、どうせたくさん勉強しなければならないのなら……と考えて行き着く先が、早期英才教育です。自分がバカなのは、小さい頃から勉強しなかったせいだ、だから子どもには他人より早く猛勉強を始めさせよう――と、自分の怠けグセを棚に上げて子どもに強制する都合のいい教育法です。
(略)
いまから思うと、当時の人たちが、なんで勉強や読書をしないとテロリストになると考えたのか不思議です。だって、浅間山荘事件のつい3年前には東大紛争があったばかりだったんですよ。日本で一番勉強や読書をしていた人たちが暴れまくっていたというのに。世論なんてものは、その時々の印象的な事件に左右されて、すぐに180度変わってしまう無責任なものなのです。
(略)
でも、じつは、学力低下が起こっているかどうかなんて、どうでもいいことなのです。学力が低下したから勉強しよう、ってのもなんだかおかしな理屈です。ちょっと太ったからダイエットしよう、みたいなのとは違うと思うんですね、勉強というものは。 学力が低下していようがいまいが、みなさん、勉強は続けなければいけません。勉強していないと、へっぽこ学者の強引な理論にねじ伏せられてしまいます。最近ではゲーム脳理論がいい例です。医学の専門知識がなくても、ある程度の学力・読解力を持ってる人なら、あの本を一読しただけで論旨や根拠にクビをひねるはずです。それなのに、大学の先生の研究だから間違っているはずがない、と無批判に取り上げる新聞・雑誌の多いこと。大手マスコミ各社は、大卒の社員しか採用していませんから、やっぱり大学生の学力は低下しているようです。
MIYADAI.com(宮台真司氏・社会学者)
元衆議院議員の白川勝彦氏が警察から違法な職務質問を受けたそうです。この文章にはわが国の警察機構に対する重大な問題提起が含まれています。
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コメント
はじめまして。
一読して、胸の内にあったモヤモヤがすっきりといたしました。
ほんとうにその通りだと思います。
「勉強しても、どーせ・・・」という子どもたちに、明るい未来への夢
を持たせてやりたいと、子育て中の母親の一人として痛感しています。
投稿: rabbitfoot | 2004年12月16日 (木) 20時33分