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2005年1月 5日 (水)

トラックバック雑記文・05年01月05日

 あけましておめでとうございます。
 昨年から今年にかけて、声優の田村ゆかり氏や野川さくら氏がカウントダウンライヴを行ったそうです。5日の深夜に、文化放送でやっていた、野川氏のラジオ番組「野川さくらのマシュマロ♪たいむ」で、野川氏のカウントダウンライヴのために作られた曲「にゃっほ~♪New Year」(野川さくら「Joyeux Noel ~聖なる夜の贈りもの~」ランティス、2004年12月に収録)のライヴヴァージョンが放送されていたのですが、ラジオを聴く限り、ずいぶんと盛り上がったそうで。カウントダウンを終えたときの野川氏が、本当に楽しそうでした。

 さて。
 歯車党日記:いったい何だったんだろうね、フィギュア萌え族(仮)(石黒直樹氏:ライター)
 走れ小心者 in Disguise!:「おまえらなー……」(克森淳氏)
 奈良女児誘拐殺人事件における、マスコミのオタクバッシングまとめサイト
 奈良の少女誘拐殺人事件の犯人がとうとう逮捕されましたね。このことについては、「トラックバック雑記文・04年12月05日」でも触れたのですが、ジャーナリストの大谷昭宏氏がさらに暴走したようです。大谷氏が書いた文章「趣味と犯罪の境界 社会が決めるべき ― 「フィギュアマニア」に改めて思う ―」は、もはや言い訳としか言いようがない。
 私もこの事件をめぐる報道を見ているのですが、私の持った感想は「やっぱり「若者報道」は変わらない」です。昨年、少女性愛志向、いわゆる「ロリコン」の人が凶悪犯罪を起こしたとき、日本テレビ系列の「真相報道バンキシャ!」が、フィギュア会社の「ボークス」に置かれているドールを引き合いに出して、このようなものに熱狂するやつが凶悪犯罪を起こすのだ、という報道をして、ボークス社から抗議を受けた、という「事件」がありました。私もその抗議文を読んだのですが(ネットで公開されていました)、ボークス社の対応は正しいと思います。
 もちろんわが国では表現の自由が保障されています。しかし、表現の自由というものは、個人の表現したものに対して抗議する自由も伴っているはずでしょう。
 今回、大谷氏に対して抗議した人もきわめてまっとうです。大谷氏への質問状がネットで公開されているので、引用してみましょう。

 大谷様の記事は、過日、奈良市で起こった少女誘拐殺人事件について、犯人がまだ分かっていない時点で、犯人像について想像をし、その趣味嗜好にまで言及したものです。そこで大谷様は、「フィギュア萌え族」なる新語を用いられ、「フィギュア」や「萌え」といった趣味と、今回の犯罪の手口を結びつけて論じておられます。  たとえば、犯人が被害者を誘拐して時間をおかずに殺害したことを「解剖結果から誘拐直後に殺害しているということは、犯人は一刻も早く少女をモノを言わないフィギュアにしたかったことは間違いない」と断じておられます。未知の犯人の内面について、なぜかくも「間違いない」と断じられるのか、たいへん不可解です。
 また、同記事中の「フィギュア」趣味や、パソコンゲームの描写も出鱈目です。
 大谷様は克明に「パソコンの中に出てくる美少女たちとだけ架空の恋愛をして行くというのだ。そこにある特徴は人間の対話と感情をまったく拒絶しているということである。少女に無垢であってほしいのなら「キスしたい」という呼びかけに「ワタシ、男の人とキスしたことがないから、どうしていいのかわからない」と答えさせ、その答えに満足するのだ」とお書きになっていますが、このようなパソコンゲーム(いわゆる「エロゲー」や「ギャルゲー」)は、皆無であると断言できます。システム上、このような形式で個々のユーザーの気持ちに合わせて応答させることは不可能だからです。この一点だけでも、実状とは大きく乖離しております。また、文章上のレトリックとしても到底、成立しているものとはいえません。
 つまり、現時点では、大谷様の記事は全て想像に基づくものと考えるのが最も妥当な解釈と言わざるを得ません。しかし、想像であるかどうかは措くとしても、こうした記事が広く流布されることで、特定の趣味嗜好を持つ人々があたかも「犯罪予備軍」であるかのような誤った認識を多くの人々に与えるものであることは明白です。

 当然過ぎるほど当然な抗議だと思います。これに対して大谷氏の対応は、この抗議文を大谷氏に出した人を犯人と同じメンタリティだと断定してしまうのです。

 そうした趣味の人たちから寄せられる抗議の大半は、それらの趣味の中にも種々あって、それぞれ傾向が違う。なのになんでもかんでも一緒にするな、というのがまず一つ。もう一つは、あくまでバーチャルな世界のことであって、そのことと犯罪は結びつかないというものである。
 だけど世の中にはさまざまな人がいる。みんながみんな、きちんと境界を設けられるものではない。そうである以上、なんらかの歯止めをかけることが必要なのではないか。もし、欧米であのような劇画や動画を流したとしたら、厳しい懲役が待っている。
 今回の事件で被害にあった女児は一体、自分に対して何が目的で、あのような目にあわされたのか、まったくわからないまま亡くなって行ったのではなかろうか。社会がそんな被害を未然に防ぐために努力するのは、いわば当然のことではないのか。
 それでも彼らは人の趣味趣向に言いがかりをつけるなと言い張るのだろうか。警告を発する者には一方的に質問状を送りつけるのだろうか。
 利己と、自己しか彼らの目には映らないようになっているとしか私には思えない。
(日刊スポーツ・大阪エリア版「大谷昭宏フラッシュアップ」平成17年1月4日掲載)

 ここで少し思想的な問題に入るのですが、〈社会〉によって〈嗜好〉の優劣が付けられるべきなのでしょうか。無論、誰かの(大谷氏の)主観的な判断によって〈嗜好〉の優劣が付けられることは当然としてあると思います。
 しかし、だからといって、特定の〈嗜好〉が犯罪を誘発するものだとして糾弾されていいものでしょうか。大谷氏は少女性愛志向(ロリコン)が、少女に対する犯罪を誘発する、と考えているようですが、下手をすれば、例えば犯罪小説の愛好者は完全犯罪を起こそうとしているとか、経済小説の愛好者は経済でもって世界を征服しようとしているとか、そういった捉え方も可能になってしまうのではないでしょうか。
 大谷氏がロリコンを快く思わない、というのは自由です。しかし、それを目の前の猟奇犯罪と結び付けて、ロリコンや「オタク」に対してさしたイメージを持たない一般市民に歪んだ認識を植え付けてしまうのは、問題視されるべきだと思います。
 私が腹が立ったのは、大谷氏の次のくだりです。いわく、《警告を発する者には一方的に質問状を送りつけるのだろうか。利己と、自己しか彼らの目には映らないようになっているとしか私には思えない。》と。《警告を発する者》は常に正義であって、それに対してまっとうな抗議をするものですら《利己と、自己しか彼らの目には映らないようになっているとしか私には思えない》と誹謗されるのでしょうか。
 最近(に限らず、昔からですが)、「警鐘」などと称して身勝手な理論を振りかざす人が大勢います。しかし、仰々しい「警鐘」こそ、最も疑われてしかるべきなのです。そのためには、「警鐘」というものをまず疑う、という姿勢を市民が育てていくべきでしょう。道徳の体現者を気取るマスコミや自称「文化人」が形成する「道徳」は、果たして正しいのか。今回の事件報道、あるいはボークス社が抗議を行ったときの報道に共通しているもの――いや、昨年10月ごろに相次いで起こった「ひきこもり殺人」にも共通している――は、「得体の知れない他者」をいかにして「認める」か、ということだと思います。「得体の知れない」=「共同体の「善」を犯す」という図式を解体するしかないと思うのですが、「安心」という殻に閉じこもる「善良な大人」「優等生」たちや、彼らの目ばかりを伺って空疎な理論しか生み出せないマスコミがどこまでこれを理解できるか。
 この問題に関する参考文献としては、水谷修『夜回り先生』(サンクチュアリ・パブリッシング)あたりをお勧めします。

 週刊!木村剛:「週刊!木村剛」をどうすべきか?(木村剛氏:エコノミスト)
 私が思うに、「週刊!木村剛」は、ブロガーの交流の場の一つになっているのではないか、と思います。木村氏が発言して、それに関して多くの人がコメントをして、その中から木村氏が興味を持ったものを紹介したあと、木村氏に紹介された議論に関して新しい議論が生まれる。私も「トラックバック雑記文・04年12月09日」で、東京学芸大学教授・山田昌弘氏の「希望格差社会」論を紹介したところ、多くの方から反響をいただいて、嬉しい限りです。中には、私の所論を批判する人もいましたが、「そういう見方もあったか!」と膝をたたいてしまうようなものもありました。
 木村氏は、ブログ界の新しいスターを生み出すことに、少なからず貢献しているのではないかと思います。木村さん、今年もよろしくお願いします。

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コメント

 この度はトラックバックありがとうございます、克森淳です。後藤さんのようなお若い方が真摯にこの問題を考え、正鵠を射た発見をなさっている姿に感激しています。

>ここで少し思想的な問題に入るのですが、〈社会〉によって
>〈嗜好〉の優劣が付けられるべきなのでしょうか。

 このくだりを読んで思い出したのが、昔東郷健氏の「雑民党」が選挙の時出した新聞の広告(?)に書いていた、故・浅沼稲次郎社会党委員長による「ホモは病気であり、社会主義者になれば治る」という発言(東郷健氏は自ら「オカマ」である事をカミングアウトしている)。

 浅沼稲次郎の発言も、今回の大谷氏の発言も「自らの勧める社会形態に適した人間になれ、出来ないものは『病気』だ」と断ずる点で共通していると思います。

 また、なにか事件があるたびに、容疑者(犯人とイコールではない)の「人物像」をことさら悪く述べ立て、「人物像」に近い点がある者まで同類(酷い時には同罪)とする事件報道のやり方もいい加減にして欲しいものだと考えます。

 それでは今後のご活躍をお祈りいたします、またなにかありましたら。

投稿: 克森淳 | 2005年1月 5日 (水) 22時43分

遅ればせながら、AMIの「報道被害」の分家という形で、人形趣味者としての立場から、大谷問題を取り上げるサイトを作ってみました。
私はスーパードルフィーの愛好者なのですが、バンキシャ!の例の報道は、直接みました。それで、近親者に「殺人犯の人形」などと言われる等の精神的苦痛を受けております。にもかかわらず、奈良の事件での大谷氏の偏見報道が行われてしまい、とても哀しい思いをしております。
大谷氏は2月14日の時点でも小林容疑者の水着人形を「フィギュア」だと言い張ったり、「少女を縛り上げたり、傷つけたりするという、アニメやフィギュア」と言ったりと、人形趣味者を傷つける発言をしております。私や私達が、大谷氏にとってどれほど得体が知れないかは判りませんが、そこまで強い偏見を正義の名の元に振り回して良い筈がありません。この事が、とてつもなく哀しいです。

投稿: 古鳥羽護 | 2005年2月19日 (土) 02時37分

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