トラックバック雑記文・05年02月25日
[ゴーログ]日本は本当に資本主義の国なのか?(木村剛氏:エコノミスト)
痛い指摘だなあ。でも、本当にそう思ってしまうことも少なくありません。
もとより、私は「日本は本当に資本主義の国なのか?」というよりも、「日本は本当に法治国家なのか?」ということです。そんな私の意識を強めたのが、下のような文章です。
弁護士山口貴士大いに語る:石原知事「ババァ」発言、女性たちの賠償請求棄却(山口貴士氏:弁護士)
山口氏はさすがに弁護士ということもあってか、《今回の判決の結論は概ね妥当ではないかと思います》と発言していますが、当然の帰結でしょうね。もしここで損害賠償が請求されたのであれば、まず明らかに損するのが、石原氏の「ババァ」発言(ちなみに、この発言の趣旨は「文明がもたらした最も悪しき有害なものはババァ」というもの)に怒り心頭を覚えながらも、訴訟しなかった人たちです。あと、自らの発言を恣意的に曲げられた、宇宙物理学者の松井孝典氏か。
評論家の斎藤美奈子氏(斎藤美奈子『物は言いよう』平凡社)が指摘するとおり、確かにこの発言は暴言です。しかし、一政治家(及び言論人)が不特定多数の人を誹謗した発言に対して、その不特定多数(ここでは「ババァ」と蔑まれた人たち)の代表を自称するような人が発言者を提訴し、それで損害賠償を取れたとしたら、それこそ「声の大きい者が勝ち」的な歪んだ意識を生み出しかねず、我が国は些細なことで訴訟を起こしてしまうような国になるかもしれません。もしこれで損害賠償が取れたら、俺も正高信男(京都大学霊長類研究所教授)と森昭雄(日本大学教授)と澤口俊之(北海道大学教授)と荷宮和子(フリーライター)と大谷昭宏(ジャーナリスト)と江原啓之(スピリチュアル・カウンセラー)…を提訴しようかな。冗談ですが。
石原氏のごとき暴論に対しては、それこそ良質な言論で対抗すべきなのです。悪質極まりない暴言であってもそれを訴訟という形で国家という「お上」に処理してもらう、というのは、それこそ国家に頼りすぎ、というほかありません。ここで自称「代表者」がやるべきだったのは、石原氏の倫理的責任を問うために請願したり、あるいは議会の人に働きかけて議員を通じてその信を問うということのはずです。訴訟などもってのほかです。
以前の雑記でも書きましたが、「自分が不愉快に思うことはみんな国家が解決してくれる!」という変な思想が我が国において蔓延しつつあります。私はそれを「生活保守主義的プチナショナリズム」などと呼んでいますが、このような思想が蔓延しつつある背景には、マスコミが不安をあおったりだとか、あるいは「善良な」大人達が「常識」だと思ってきたことが少しずつ様変わりしつつあることが背景にあり、それらの「不安」を解消してくれる「安心」のよりどころとして「国家」が選択されている、ということがあるのかもしれません。しかし、国民の歪んだ「国家」依存志向が、社会学者の宮台真司氏言うところの「空気を利用した〈国家〉支配」に結びつくことは否定できません。マスコミ、特に私がこのブログで問題にしている若者報道が、それに思いっきり拍車をかけています。社会と言論のあり方を問い直す、ということは、もはや国民的課題になりつつあるのかもしれません。「今時の若者」の片言隻語を採り上げて「右傾化」だとか「国家意識の喪失」だとか叫んでいる場合ではないのですよ!分かっているのでしょうか?
ふう。ちょっと騒ぎすぎましたので、このような記事でも眺めてリラックスしましょう。
*☆.Rina Diary.☆*:お菓子の♪(佐藤利奈氏:声優)
お菓子の車!しかも佐藤氏によれば、《本物の苺チョコレートやクッキーを使って装飾されています》だとか。面白みがあっていいですね。でも、実際に使うところを想像してみると…。
お知らせです。bk1で私の新作書評が公開されています。どちらもお勧めです。
日垣隆『世間のウソ』新潮新書、2005年1月
title:我々は何に脅えているのか
B・R・アンベードカル、山際素男:訳『ブッダとそのダンマ』光文社新書、2004年8月
title:仏教は〈私〉の中にある
あと、このブログにおいて書いた記事もぜひ読んでください。
統計学の常識、やってTRY!第2回(2月17日)
俗流若者論ケースファイル01・大谷昭宏(2月20日)
統計学の常識、やってTRY!第3回(2月24日)
またも正高信男の事実誤認と歪曲 ~正高信男という堕落ふたたび~(同上)
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