俗流若者論ケースファイル08・瀧井宏臣&森昭雄
ヨーロッパを資本主義という妖怪が徘徊している、と言ったのはカール・マルクスであるが、現代の我が国において徘徊している妖怪の一つとして、曲学阿世の徒・日本大学文理学部体育学科の森昭雄教授が挙げられるだろう。森氏に関しては前回、「潮」(潮出版社)平成17年4月号に掲載された森氏の文章を批判したが、その文章の最後のほうで、森氏が平成16年9月に新たに発明した「メール脳」という珍概念について軽く触れた。この概念は、ジャーナリストの瀧井宏臣氏の筆による、平成16年9月30日付東京新聞の「痴呆のような「メール脳」」という記事で紹介されている。ある人の脳波の波形が痴呆症の人と似ているからといって、その人を痴呆症ないしそれに類似した症状であると断定することはできない、ということをは精神科医の斎藤環氏をはじめさまざまな人が指摘しているのだが、いまだに脳波の形だけでその人の人間性・社会性を判断してしまう、という気風が瀧井氏をはじめ、特に「ゲーム脳」に肯定的なメディアやジャーナリスト、さらには学者にまでいまだにはびこっているので、それを徹底批判しておく必要があると思う。
瀧井氏は冒頭で、《森教授は一九八〇年から痴呆者の脳を研究し、ブレインモニタという簡易型の脳波計を開発した》(瀧井宏臣[2004]、以下、断りがないなら同様)と述べている。このことに関しての詳しいことは斎藤環氏による「ゲーム脳」批判に譲るが、この計測器が、国際基準に準拠した測定を行いうるものか、という疑問が、多方面から投げかけられている。斎藤氏は、《脳波異常を論文化に耐える水準でしたければ、まず国際基準に準拠した測定を行い、そのデータを示すのが先である。次に、森氏が「発明」したと称する「ブレインモニタ」の測定結果の妥当性、信頼性を検証する必要がある。この手順を踏んだ上で、検査を簡略化する目的でブレインモニタを用いるのが、ギリギリ学問的に許容できる範囲であろう》(斎藤環[2003])と批判している。
瀧井氏によれば、森氏がゲームよりも問題に感じていたのは《携帯電話だった。電車の中などで、小さな画面を見ながら親指でボタンを押し続ける若者の姿だった》というのである。そこで瀧井氏は、森氏が《二年間、携帯メールに熱中している中高校生の調査を進めた。今回、首都圏を中心とした全国二百十人について調査、結果をまとめた》ことを紹介する。その結果というものが、《それによると、全体の60%にβ波の低下が見られ、ゲーム脳と同等かそれ以上にひどい若者が目立ったという。β波の低下している中高生には、教科書を十分間以上集中して読めない、簡単な漢字が思い出せない、忘れ物が多いなどの傾向があった》という。
さて、この「結果」と称するものに、いくつもの問題が見られる。まず、全国210人に調査した、というけれども、そのうち携帯電話使用者と非使用者は何人いるのか、ということが明示されていない。また、《全体の60%にβ波の低下が見られ》たというけれども、それはあくまで全体の平均であって、携帯電話使用者と非使用者の間に統計的に有意な差が見られた、ということを瀧井氏は突っ込むべきだった。また、この調査に関しては中高生しかサンプリングされていないけれども、それより上、あるいはそれより下の世代に関してサンプリングされていないところ、つまり、比較の対象がないことも、この統計データを疑う要素になりうる。森氏は、結論ありきでこの調査を行い、瀧井氏もその恣意性を疑うことをしなかった(できなかった?)としか考えられない。簡単に言えば若年層バッシングのための調査としか考えられない。
瀧井氏は、その直後で、《ある高校三年の女子の場合、メールを一時間に四十通ほどのペースで、毎日六時間から八時間も送受信し続けていた。帰宅後、朝食の内容を聞いても思い出せなかった》と事例らしきものを出す。しかし、《メールを一時間に四十通ほどのペース》というのはあまりにも忙しすぎるとはいえまいか。だから、《朝食の内容を聞いても思い出せなかった》というのは十分にありうるケースのように思える。そもそもこの《高校三年の女子》のβ波はどうだったのだろうか。瀧井氏はその点をはっきりすべきである。
また、森氏はメールを打つことが脳を使っていないことを指摘しているけれども、はっきり言ってこの発言は100パーセントが誤解であるといっても過言ではない。曰く、《一見、メールで文章を作っているので脳が働いているように思えますが、実際は一覧表から言葉を選んで文章を作っており、ほとんど前頭前野は働いていません。指の筋肉を収縮させているだけです》と。《一覧表から言葉を選んで文章を作って》いる人が、果たして何人いるのだろうか。これは、森氏のステレオタイプでしかないのではないか。1億歩譲って、メールで文章を作っている人が実際に《一覧表から言葉を選んで文章を作って》いるとしても、《一覧表》から言葉を選ぶということに関しても確実に何かを考えているだろう。森氏にとって最初から「悪」とその原因が決まっている。これでは陰謀論ではないか。
瀧井氏は言う、《東京都の調査では、高校生の85%が携帯電話を持ち、71%が毎日のようにメールのやりとりをしている》と。しかし、その調査が、果たして森氏の「調査」にどれほど影響を及ぼしているのであろうか。さらに瀧井氏は《東京・渋谷の街頭で、ごく普通の服装をした二人の女子高生に聞いてみた》と書いているけれども、これでは基準が曖昧すぎやしまいか。《ごく普通の服装》とはいかなる服装なのか。瀧井氏のイメージの中にある「今時の若者」の服装なのだろうか、それとも?それにしても渋谷とは。何でこの手の記事・報道は渋谷にばかり向かうのだろうか。もっとも、私自身渋谷に行った経験から言ってみると、渋谷に行けば「今時の若者」という「記号」が見つかりやすいのだが。
瀧井氏は、再び事例らしきものを出して(それがどこまで一般性を持ちうるか、というのは分からずじまいであるが)《返事を出さないと不安になり、いつの間にか依存症的になる。森教授は、このような携帯電話漬けのケースがよく見られると指摘する》と書く。しかし、これはむしろ脳科学ではなく心理学と社会学のほうが説明がつくのではないか、と思えるし、実際結構納得の行く解説がいくつか存在している(例えば、土井隆義[2003]など)。森氏は《メール脳の予防》について《携帯電話でメールをする場合、用件だけにすることです。続けても十五分以内。一日のトータルで十五分程度にするようアドバイスしています》と言っている。あまりにも安直過ぎる。さまざまなところで単純な悪影響論を語りまくってきた森氏のことだから、その「解決策」もまたあまりにも単純になってしまうのも当然といえるかもしれないが。
はっきり言っておくが、脳波におけるβ波の低下は脳機能の低下を意味しない。また、脳機能の低下は、社会性の低下を意味しない。このことについては、私なんかよりも遥かに優れた森氏への批判があるので、そちらを参照していただきたいのだが、せめてこれだけは何度でも言っておきたい、森氏のように脳機能を人間性のメタファーと考えることは、脳に障害のある人たちへの差別を暗に容認している、ということを。
もはや一国の宰相よりも権力が大きくなってしまった森氏と、それを疑わずに疑似科学を垂れ流す瀧井氏。「メール脳」概念は、権力とジャーナリズムの腐敗のミクスチュアによって生まれた暴力なのである。
蛇足だが、瀧井氏は、この記事を《十月二日、東京都世田谷区の日本大文理学部で開催される「日本健康行動科学会」の公開特別講演で、森教授がメール脳について報告する》という文章で結んでいる。しかし、この「日本健康行動科学会」は、森氏が設立した学会で会長は森氏であり、森氏の学説の唯一の発表の場となっている。
参考文献・資料
斎藤環[2003]
斎藤環『心理学化する社会』PHP研究所、2003年10月
瀧井宏臣[2004]
瀧井宏臣「痴呆のような「メール脳」」=2004年9月30日付東京新聞
土井隆義[2003]
土井隆義『〈非行少年〉の消滅』信山社、2003年12月
笠原嘉『アパシー・シンドローム』岩波現代文庫、2002年12月
カール・セーガン、青木薫:訳『人はなぜエセ科学に騙されるのか』新潮文庫、上下巻、2000年11月
ウォルター・リップマン、掛川トミ子:訳『世論』岩波文庫、上下巻、1987年2月
大和久将志「欲望する脳 心を造りだす」=「AERA」2003年1月13日号、朝日新聞社
斎藤環「「知の巨人」にファック!もうやめようよ「なんでも前頭葉」」=別冊宝島編集部・編『立花隆「嘘八百」の研究』宝島社文庫、2002年7月
参考リンク
「All About Japan」内「ゲーム業界ニュース」
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