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2005年3月23日 (水)

俗流若者論ケースファイル06・若狭毅

 それにしても、毎日新聞社が発行する週刊誌「サンデー毎日」における、奈良女子児童誘拐殺人事件に対する報道姿勢はすさまじかった。犯人の小林薫容疑者には一貫して「ロリコン殺人鬼」という「称号」を与えて、犯人が捕まった直後に発売された雑誌はその行為がいかに奇妙なものであったかを喧伝し、「週刊文春」「週刊新潮」どころか「週刊ポスト」「週刊現代」もびっくりのすさまじい見出しのレイアウトを施し、日本版メーガン法にはその問題点を少しも考慮せず一足飛びにどのメディアよりもその導入を主張し、編集部の中がさもヒステリーに陥っているかのごとき報道体制になっているのが私には気がかりでならなかった。このような事態が起こる背景には、この犯人が毎日新聞で販売員をしていたという経歴があった、ということが少なからず含まれていると推測する。
 さて、ここからが本題である。その「サンデー毎日」の異常なまでのヒステリーは、そのとき連載されていた「脳ルネッサンス」にも及んでいた。この連載は、同誌編集部の若狭毅氏が担当している。若狭氏はその第6回で、「犯罪に向かうセロトニン欠乏脳」(平成17年1月30日号掲載)と称し、この犯人の脳について論じているわけだが、はっきりいってこの文章はそこらの俗流若者論を(擬似)脳科学的なアナロジーに無理やり結び付けており、実証的なデータはどこにもなく、まさに疑似科学の典型であった。
 若狭氏は、126ページにおいて、脳神経科学の専門家である澤口俊之氏(北海道大学教授)の《同性愛になる脳が遺伝や環境要因によって作られること、あるいは脳の構造から潜在的な同性愛者が推定できることは、脳科学の世界ではほぼ確立した事実》(若狭毅[2005]、以下、断りがないなら同様)という指摘を引いて、《という。まあ、ロリコンも同じことなのである》と言っている。そんなに短絡的に考えていいのだろうか。澤口氏の所論についても疑問がある。同性愛になる脳がいかなる遺伝的条件や環境的条件によって作られるのだろうか。せめてどのような学説なのか、またどのようなデータに基づいているのかも証明していただきたいものだ。これは若狭氏の責任でもあるのだが。ちなみに澤口氏は、当初は脳科学の俊英として有名だったものの、平成12年に『平然と車内で化粧する脳』(現在は扶桑社文庫で読める)なる本を出して、マスコミと俗流若者論には評判がよかったが脳科学に少しでも理解のある専門家や評論家からは総スカンを食らった、という経歴がある。
 閑話休題、若狭氏は127ページにおいて《確かに、犯罪に向かう脳があるようなのだ》と書いているけれども、そこで提示されている事例が、それこそ「サンデー毎日」が犯人叩きとロリコン叩きに血道を上げているなら女子児童誘拐殺人事件だけ、というのは腰が甘すぎる、ということに若狭氏は気付いているのだろうか。
 若狭氏は同じページで、動物実験の事例を挙げる。この実験の内容は、脳内分泌物質であるセロトニンが欠乏したネズミ(ラット及びマウス。これらは実験用に買われているので、普段は攻撃的ではない)は、異種間の攻撃行動を起こす、というもの。これは獨協医科大学の上田秀一教授によって行なわれたことである。ちなみにセロトニンだけを欠乏させた場合は、異種間での殺し合いは起こったが同種での殺し合いは起こらなかったという。
 若狭氏は、上田氏の実験をさらに詳述する。曰く、上田氏はセロトニンのみならずノルアドレナリン及びドーパミンに関しても実験を行い(セロトニン、ノルアドレナリン、ドーパミンは感情的な行動に大きく関係している神経物質)、もっともネズミが凶暴になったのはノルアドレナリンを欠乏させ、ドーパミンを増加させたときだという。上田氏のこのような実験は、学者としての良心にかなったものであり、セロトニンだけを問題視することはできない、という事実を指摘している。我々は、この実験結果を頭に入れて、若狭氏の文章を読んでいく必要がある。
 若狭氏は127ページの終わりのほうで、ケージの中で数週間変われていたネズミ(つまり、このケージはこのネズミの縄張りである。このネズミを甲とする)と、セロトニン及びノルアドレナリンを欠乏させ、ドーパミンを増幅させたネズミ(このネズミを乙とする)を対峙させたところ、乙のネズミが甲のネズミを執拗に攻撃した、との結果が出たと書いている。つまり、乙のネズミの攻撃性はセロトニンの欠乏のみならずノルアドレナリンの欠乏、そしてドーパミンの増幅が重なったからこそ起こったのである。ところが若狭氏は、128ページの最初のほうで、乙のネズミを一貫して「セロトニン欠乏ネズミ」と表記しているのである。若狭氏の辞書にはノルアドレナリンとドーパミンはない、あるいは最初から排除されているらしい。つまり、若狭氏の記事の中では最初からセロトニンの欠乏が「悪玉」として採用されているのである。そして、そのことに正当性を与えてしまうような学説を、若狭氏は紹介する。東邦大学医学部の有田秀穂教授は、《普段おとなしい子が突発的にキレることが問題になっている》ことについて《うつ状態やパニック発作に似た症状が見られますから、セロトニン神経が弱っている可能性が考えられます》と指摘する。ここで有田氏に聞きたい。有田氏はノルアドレナリンやドーパミンについてコントロール(影響を排除すること)を行なったのか。しかし、そのようなことは有田氏にとってはどうでもいいことらしく、有田氏はぬけぬけと《セロトニン不足は現代の生活習慣病です》と言ってしまい、さらに若狭氏が《部屋に閉じこもって何時間もゲームを続ける生活を挙げる》事に関して、有田氏は《これは確実にセロトニンを低下させます》と指摘する。なぜゲームだけなのだろうか。他の行為に関してはコントロールを行なわなかったのだろうか。また、ゲームだけをやっている状態と、例えばゲームをやりながらガムを噛んでいる(この記事では、ガムを噛むことで血液中のセロトニンレヴェルが増加するというデータを挙げている。どこまで一般性があるかどうかはわからないが)場合はどうなのだろうか。
 若狭氏は、有田氏による「セロトニン欠乏脳セルフチェックシート」を129ページにて提示するのだが、これまた突っ込みどころが満載だ。

 1・朝の寝起きが悪く、なかなか頭がすっきりと目覚めない
 2・背中が丸まって姿勢が悪く、身体の芯に力がない
 3・起立姿勢が保てず、すぐにしゃがみこんでしまう
 4・顔つきがとろんとして、生気がない
 5・噛む力が弱い
 6・朝に不定愁訴(腹痛、頭痛、下痢などの自律神経失調の症状)を訴える
 7・ちょっとした痛みに大げさに騒ぎ立てる
 8・些細なことが気にかかって、なかなか受け流せない
 9・舞い上がると、すぐには平静に戻れない
 10・ゲーム漬けの生活をしている
 11・際限なく食べてしまう
 12・薬やアルコールなどに依存症的な傾向がある
 13・ちょっとしてストレスでキレてしまう
 14・動物を虐待してしまう
 15・突然、窒息感に襲われる
 16・閉じこもって生活をしている
 17・眠りが浅く、夜中に頻繁に目が覚める
 18・いびきをかき、ときどき呼吸が止まる

 有田氏曰く、1・2・4・6・8・10・15・16・17に当てはまると《うつ》、1・2・3・4・5・6・7・8・9・10・13・14・16に当てはまると《キレる》、1・2・4・6・9・11・12に当てはまると《摂食障害》、1・2・4・6・8・17・18に当てはまると《不眠》、1・2・3・4・5・6・11・12・16・17・18に当てはまると《肥満》、8・9・13・15に当てはまると《アガる》というのである。セロトニンは万能である。セロトニンが欠乏すると、こんなに問題行動が起こってしまうらしい。ノルアドレナリンやドーパミンの立場はない。それはさておき、これらのものは、全て別の因果関係が証明できるものばかりである。1の《朝の寝起きが悪く、なかなか頭がすっきりと目覚めない》というのは、なんと《アガる》を除く全ての症状が見られるというのだが、例えばうつ病や摂食障害から寝起きが悪くなるということ、すなわち有田氏の想定した因果関係とは逆のものが起こる可能性も否定できない。5の《噛む力が弱い》に関して言うと、これは《キレる》《肥満》につながるというけれども、例えば病気や老衰などで噛む力が弱い場合、それらの人が総じて《キレる》《肥満》の症状を示すとはいえるのだろうか。10においては、ゲームがすぐさまセロトニンの欠乏を促すというけれども、例えば「ビートマニア」だとか「ダンス・ダンス・レボリューション」みたいなリズム運動を促すようなゲームもあるし(有田氏は、リズム運動の実行がセロトニンの増加を促す、としている)、どのような種類のゲームがセロトニンの欠乏(あるいは増加)を促すか、ということはわからずじまいである。4・7・8・9・13に関しては、単に性格的なものである可能性も否定できないし、この中のいくつかを兼ね備えた人ならかねてから掃いて捨てるほどいたと思う。
 他にもいろいろ突っ込みたいところはあるのだけれども、最も大きい問題は、これらの因果関係を示す具体的なデータが一つも示されていないことである。これは有田氏のチェックテストのみならず、同じようなノリで行なわれている健康関係のテレビ番組にも言えることであるが、もっともらしい因果関係をでっち上げてその危険性をあおる、という行為は、ともすれば「科学的」に「正しい」生活をしているかどうか、という強迫観念を抱かせて、かえってストレスが増加してしまうことを引き起こしかねないし、大体この手のノリの言説や番組は話題をコロコロ変える。この手の言説や番組にとって「現代人の生活が乱れている」というのは呪文の如きイデオロギーである。このような姿勢の蔓延が、昨今の「健康」の法制化という事態を及ぼした、ということも無視できないだろう(柄本三代子[2002]、根本清樹[2005])。
 若狭氏は最後のほうで、《犯罪を考えるとき、生物生理学的な視点を無視することはできないのではないか。神経科学的な角度から犯罪に向かう脳をとらえる必要があるかもしれない。原因を知れば、対策も立てられようというものだ》と表記している。なるほど、確かに犯罪者の脳を調べることをタブー視してはならないかもしれないし、それが新しい学説につながる可能性も否定できない。しかし、そのためには「普通の」人の脳のデータが必要であり、そこからどのようにして「犯罪を起こす脳」になるのか検証する必要がある(我が国において擬似脳科学的な「お話」が蔓延している理由として、これらの因果関係を示す具体的なデータがないことがあるのかもしれない。澤口氏や有田氏は、期せずして我が国における犯罪者のプライバシーが厳重に守られていることの恩恵をこうむっていることになる)。また、若狭氏は、《原因を知れば、対策も立てられようというものだ》と結んでいるが、この《対策》が矯正プログラムを示しているのであれば理解できるけれども、もしそれが犯罪を犯す脳を特定して、それに当てはまる人たちを事前に隔離しておく、というのであれば、それこそ人権上の配慮が必要ではないのか。もしこのようなことが起こってしまったら、犯罪者がいないまま犯人ばかりが逮捕されていくという事態を招かざるを得ない。戦前においては、このような「悪性」の特定は俗流心理学によって支えられていたが(芹沢一也[2005])、現代はそのような「悪性」の特定は俗流脳科学によって支えられるのだろうか。
 本来は真っ当な科学がある種の欲望を持った似非学者によって疑似科学に変えられて、それが権力の横暴を許してしまったというケースは、ナチス・ドイツの事例を出すまでもなく、歴史上に無数にある。そのような科学と権力の暴走を抑えるのは倫理の確立である。平成7年のオウム真理教の事件以降、大学では科学倫理の授業が活発になったけれども、我が国の(良識があるはずの)大人たちによって、科学倫理のない疑似科学が、しかも青少年問題の場を中心に盛り上がっている状況下で、科学倫理教育の必要性を叫んでも、無駄なのかもしれない。しかし、倫理を持って疑似科学に立ち向かう良心的な人も我が国には少なくない。そのような倫理を確実に広めていくことこそ、マスコミの使命ではないのか。
 本稿において真に問いかけたいのは、以下のことに尽きる。
 若狭氏及び「サンデー毎日」編集部に、その倫理と覚悟があるか!

 参考文献・資料
 柄本三代子[2002]
 柄本三代子「科学のワイドショー化を笑えない時代」=「中央公論」2002年11月号、中央公論新社
 芹沢一也[2005]
 芹沢一也『狂気と犯罪』講談社+α新書、2005年1月
 根本清樹[2005]
 根本清樹「ごもっとも、ではありますが」=2005年2月9日付朝日新聞
 若狭毅[2005]
 若狭毅「犯罪に向かうセロトニン欠乏脳」=「サンデー毎日」2005年1月30日号、毎日新聞社

 と学会・編『トンデモ本の世界T』太田出版、2004年5月
 マーティン・ガードナー、市場泰男:訳『奇妙な論理』ハヤカワ文庫NF、全2巻、2003年1月
 金子勝、児玉龍彦『逆システム学』岩波新書、2004年1月
 斎藤環『心理学化する社会』PHP研究所、2003年10月
 カール・セーガン、青木薫:訳『人はなぜエセ科学に騙されるのか』新潮文庫、上下巻、2000年11月
 谷岡一郎『「社会調査」のウソ』文春新書、2000年5月
 十川幸司『精神分析』岩波書店、2003年11月
 日垣隆『現代日本の問題集』講談社現代新書、2004年6月
 廣中直行『やめたくてもやめられない脳』ちくま新書、2003年9月
 宮崎哲弥、藤井誠二『少年の「罪と罰」論』春秋社、2001年5月
 ウォルター・リップマン、掛川トミ子:訳『世論』岩波文庫、上下巻、1987年2月

 大和久将志「欲望する脳 心を造りだす」=「AERA」2003年1月13日号、朝日新聞社
 粥川準二「こうして疑似科学になった『環境ホルモン入門』」=別冊宝島編集部・編『立花隆「嘘八百」の研究』宝島社文庫、2002年7月
 斎藤環「「知の巨人」にファック!もうやめようよ「なんでも前頭葉」」=別冊宝島編集部・編『立花隆「嘘八百」の研究』宝島社文庫、2002年7月
 佐久間裕美子「ブッシュvs.同性愛カップル」=「AERA」2004年7月12日号、朝日新聞社
 瀬川茂子「東京都発「正しい性教育」」=「AERA」2004年10月25日号、朝日新聞社
 西村由貴「小児性愛とは何か」=「現代」2005年3月号、講談社

 参考リンク
 「斎藤環氏に聞くゲーム脳の恐怖」(斎藤環氏:精神科医)

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コメント

3月23日の毎日新聞「記者の目」で、被害者の父である御手洗さんが支局長を務める毎日新聞佐世保支局の川名壮志記者が「小6同級生殺害 被害者として取材して」という文章を載せています。http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20050323k0000m070161000c.html
佐世保支局は、御手洗支局長と記者2人だけ。支局の上で、支局長の家族が生活していたので、この川名記者も毎日被害者の女児と、家族同然に接していた一人らしい。殺人事件などで、殺された人のプライバシーや殺害の状況などを微に入り、細を穿つように報道している側の人間が、被害者になった瞬間「(父の支局長が)被害者の実名が連日掲載されることがより悲しみを深くさせる」と訴えたという理由で実名掲載を止めたなど、「今さら」思ってしまうのですが・・・。

投稿: rabbitfoot | 2005年3月23日 (水) 12時15分

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