俗流若者論ケースファイル05・牧太郎
ある象徴的事件が、ある特徴を持った人々や世代に対する(間違った認識としての)ステレオタイプを生み出す、というケースを、毎日新聞社会部の牧太郎氏が「サンデー毎日」に連載しているコラム「青い空 白い雲」の第8回、「「コスプレ男」は最弱国のシンボルにして…」(平成16年12月5日号掲載)を参考に見ていこう。
牧氏は冒頭で、昨年から今年にかけてベストセラーとなった『電車男』(新潮社)を引き合いに出し、それについて《劇的であるかと言われると…?役に立ったかといえば…?ただ、こんな前近代の遺物のような「ウブな男」がこの世にいる。その「ウブ」を共有する(見ず知らずの)仲間たちがいる。これが新鮮で、買ってしまった》(牧太郎[2004a]、以下、断りがないなら同様)と書く。《前近代の遺物のような「ウブな男」がこの世にいる。その「ウブ」を共有する(見ず知らずの)仲間たちがいる》というのが、また牧氏の差別感覚が透けて見える文章なのであるが、これについては問題はまだ小さいし、そもそも私は『電車男』を読んでいない(というより、読んだが途中で投げ出した)ので、この本の内容についても言及することができないので、ここでは触れないでおこう。
問題はこの文章の後半部分にある。牧氏は、『電車男』を構成する「ウブな男」を求めて、秋葉原を歩くことにした。牧氏はJRの秋葉原駅から降りてくる人に関してこのような特徴を記している。曰く、《JR秋葉原駅から「ウブな男」が後から後から降りてくる。地方からやってきたのか。バックパックにスニーカー。服装は粗末。気のせいかメガネが多い。気のせいか顔色も白い。オタク?》と。秋葉原に向う人々をそのまま《ウブな男》と規定してしまうのがこれまたすさまじいのではあるが、《バックパックにスニーカー。服装は粗末。気のせいかメガネが多い。気のせいか顔色も白い》というのは、一般的に言われている「オタク」のイメージにかなり重なるので、牧氏の特徴記述はあながち間違ったものではないのかもしれない。
53ページ2段目において、《何人かは黙々と、しかし、一途に「お目当ての店」に向かった》とある。秋葉原においては、アニメ、美少女ゲーム、家電、パソコンなどの店がある通り沿いに集中しており、ある種の「棲み分け」が成立しているので(福井洋平[2004])、《一途に「お目当ての店」に向かった》というのは牧氏の偏見ということはできない。
しかし牧氏はここから一気に暴走する。同じページの2段目から3段目にかけて、牧氏は《なにやら普通の店ではないカフェ》の中の様子を記述する。おそらくメイド喫茶であろう。牧氏はその店内の記述において、相当な矛盾をしでかす。曰く、《これをコスチュームプレー。略してコスプレと言うのだそうだ。誰とも話すこともなく、ノートパソコンで店内を映像中継する。どうして、こんなの流行るの?街の評論家は「セーラー服、女性警官、看護婦……規則正しい、道徳的なイメージ、エッチを否定する制服が犯される。その矛盾が堪らない」》と。この文章の後半における《街の評論家》(このような記述も牧氏の感覚が透けて見えると思うのだが)のコメントは、どうも明らかにメイド喫茶の様子を表したものではないような気がしてならない。また、このメイド喫茶に来ていた全ての人が《誰とも話すこともなく、ノートパソコンで店内を映像中継する》という行動をしているのか、また《「セーラー服、女性警官、看護婦……規則正しい、道徳的なイメージ、エッチを否定する制服が犯される。その矛盾が堪らない」》という「意見」が、メイド喫茶に来る人の意見を代表したものであるかもわからない。「萌え」を目的に来る人も多いはずではないか。
にもかかわらず、牧氏はこう断罪してしまう。曰く、《恐ろしい。誰とも話さない(話せない)20~40代のオタクが、あの「手鏡の大学教授」と同じように「犯す行為」を夢想する》と。恐ろしくなるのは私のほうだ。明らかにメイド喫茶の客の代表とは思えないコメントを引き合いに出し、そこから秋葉原に来る人、さらにはオタク全体のイメージを構築してしまい、それらの人に《誰とも話さない(話せない)20~40代のオタク》とレッテルを貼り付け、さらには彼らをかの《手鏡の大学教授》(誰とは言わない)と強引に結びつけ、彼らを犯罪的だと罵るのである。牧氏は本当に新聞記者なのだろうか。自らの不快に思う事例を強引に自らの体験した、あるいは巷で(ワイドショー趣味的に)報じられている象徴的事例と結びつけ、それに反社会的という烙印を押し付けることによって、あいつらは自分とは違う、あいつらみたいな奴が犯罪を起こしたり社会に混乱をもたらす、と勝手に決め付けてしまう、という行為は、ジャーナリストにとってあるまじき行為、いうなれば「御用学者」的な行為ではないか(もっとも、このような行為こそ、新聞の社会部的な行為、と言うこともできるかもしれないが)。
牧氏は、この直後(53ページ3~4段目)で、《嗚呼、ウブより怖いものはない。この「ウブ」の奇形。多分、哲学を失い、某国大統領のペットに成り下がった「最弱ウブ国家」のシンボル?気持ち悪~い!》とまで言ってしまう。正気の沙汰だろうか。《気持ち悪~い!》のは私のほうである。牧氏は3段目で《「ウブな男」もイロイロだ》と言っておきながらも、《嗚呼、ウブより怖いものはない》と断定し、さらに《某国大統領のペットに成り下がった「最弱ウブ国家」のシンボル》と断罪しているわけだ。どう考えても、牧氏は自らのステレオタイプを検証もせずに徒に膨らませ、さらに「憂国」してみせる、というスタイルに没頭してしまっている。こういった思考は、それこそ牧氏が《某国大統領》と表記している米帝ブッシュの、イラク戦争を正当化した論理に他ならないではないか。
しかし、牧氏はここでは終わらない。同じ連載の、「サンデー毎日」平成16年12月19日号のコラムで、牧氏は「サン毎」平成16年12月12日号において毎日新聞特別顧問で牧氏の大先輩にあたる岩見隆夫氏が《ヨン様見たさに、日本女性が大挙して韓国になだれ込む現象だけは、理解を超える》(この段落に関しては、全て牧太郎[2004b]からの引用)と書いたことに関する反論として書いているのだが、同誌54ページ1段目の最後のほうで、《だが、待てよ。彼女たち(筆者注:「ヨン様」こと裵勇俊氏などの韓国のスターに熱中する熱狂的な女性ファンたち)は理解されえぬ存在なのだろうか。違うと思う。むしろ「おバカさん」は日本人男性の方ではないか》と書くのだが、牧氏は同じページの2段目でまたもや《そんな指導者(筆者注:小泉純一郎首相)を見ているからか、ある種の成年は東京・秋葉原の電気街で「かわいらしい制服姿の女の子が犯されるアダルトビデオ」を買いあさり、引きこもる。凶悪な犯罪に結びつく》と書き飛ばしている。いい加減にしてほしいものだ。大体、性犯罪者とアダルトビデオに関する有意な統計的な相関関係、さらにそれを裏付ける因果関係をまったく証明せずに、「「ひきこもり」のアダルトビデオオタクは犯罪者だ」みたいな「思い込み」を平然と書いてしまう牧氏は、本当にジャーナリストなのか。このような姿勢は、「サンデー毎日」における奈良県女子児童有害事件に対する異常なまでの(そして、その論理は本当に暴走していた)報道体制と歩調を合わせている気がしてならない。まあ、ここまで考えるのは少々考えすぎかもしれないが。
閑話休題、牧氏の一連のオタクに関する偏見は、牧氏の実際に見聞きした、あるいは巷で報道されているような象徴的事件と、自らの違和感を強引にミクスチャーさせ、その犯罪性を喧伝することによって自らのステレオタイプを正当化するのみならず、そのような人々を反社会的だとして囲い込むという行動に疑いはない。そしてそれは、牧氏のみならず俗流若者論全体の欲望でもある。ジャーナリストの大谷昭宏氏を批判したときにも書いたが、自らの「理解できない」状況を即刻現代社会の病理と断じ、さらにそれを反社会的、犯罪的とレッテルを貼るのは、俗流若者論にとってはもはや当たり前のことである。だから、牧氏だけの問題ではない、ということもできるが、牧氏は新聞記者であり、さらに新聞社系の週刊誌に連載コラムを持っているのだから、本来なら、俗流若者論の暴走を抑える立場にあるはずである。しかし、牧氏がこの2本のコラムで行なったのは、明らかに火に油を注ぐ行為であり、俗流若者論の暴走を正当化するものでしかない。
ちなみに秋葉原に関しても触れておこう。秋葉原は、1990年代、秋葉原においてパソコンの売上が急増する2000年ごろまで、電器店が次々と閉店する代わりに、パソコンショップが台頭して、さらにそれ以降はその後を継ぐようにオタクビジネスが発生した。このように秋葉原がオタクの都市として変貌し、建築学者の森川嘉一郎氏などが「趣都」と呼ぶような都市になった理由としては、森川氏は《パソコンを愛好する人は、ゲームやアニメなども好む》(森川嘉一郎[2003b])と指摘した上で、パソコンショップが台頭している秋葉原にオタク趣味の偏在が起こったことを論じている(森川嘉一郎[2003a][2003b]、福井洋平[2004])。このような秋葉原の変貌は、都市論の分野においても注目を集め、ベネチア・ビエンナーレ国際建築展に出展されるほどである(玉重佐知子[2004])。森川氏などが指摘するとおり、秋葉原の形成は明らかに渋谷とは異なり、従って秋葉原を渋谷と同列に「若者の街」になってしまったとして嘆いている読売新聞の某記者(いつぞやかの「編集委員が読む」欄だったと記憶している。「某記者」と表記しているのは、それが今手元にないからである)の如きは、自分の「理解できない」ものをそのまま「今時の若者」の病理とする若者論的思考から早く脱却していただきたい。
しかし、最近は秋葉原にも翳りが見え始めている。というのも、東京都知事の石原慎太郎氏が秋葉原をITビジネスの拠点にするという政策を打ち出し、秋葉原の再開発が進められている。これに伴い、秋葉原のオタク系店舗が駅前から撤退したのみならず、最近ではオタクを狙った職務質問が急増しているのである。朝日新聞社の「AERA」編集部の福井洋平氏は、オタクの職務質問が急増しているにもかかわらず、秋葉原で違法ソフトを売りさばいている外国人は「言葉が通じないから」といって警察から無視されていると指摘している(福井洋平[2004][2005])。私は今年3月12日から13日にかけて、東京に旅行した。そのとき、秋葉原にも寄ったのだが、秋葉原駅前に秋葉原を見下ろす権力のように建っている高層ビルに、とてつもない違和感を覚えた。東京都庁も権力のようだったが、その建築的な目的が何となく見えていた。しかし、秋葉原の高層ビルは、その構想もないままただ建っているような気がしてならなかった。
警察権力と巨大資本によって(あえてこういう言い方をさせてもらう)秋葉原が「浄化」され、どこにでもあるような単なる都市になってしまったら、牧氏をはじめオタクを嫌悪したがる人たちには朗報かもしれないが、オタクにとっては安住の地がなくなるだろう。牧氏の如く、オタクを最低国のシンボルとみなす人は、ある意味では、自らの理想の中にしか存在しない「強い国家」を取り戻したいという歪んだ男根主義、国粋主義的なイデオローグに加担しているのである(牧氏は「ウブな男」を《「最弱ウブ国家」のシンボル》としていたのだから、男根主義、という言い方もあながち間違いではなかろう)。
参考文献・資料
玉重佐知子[2004]
玉重佐知子「「おたく」ベネチアへ」=「AERA」2004年11月8日号、朝日新聞社
福井洋平[2004]
福井洋平「アキハバラ萌えるバザール」=「AERA」2004年12月13日号、朝日新聞社
福井洋平[2005]
福井洋平「オタク狩り?警察の狙い」=「AERA」2005年3月7日号
牧太郎[2004a]
牧太郎「「コスプレ男」は最弱国のシンボルにして…」=「サンデー毎日」2004年12月5日号、毎日新聞社
牧太郎[2004b]
牧太郎「ヨンジュンシー サランヘヨ~!が、なぜ悪い」=「サンデー毎日」2004年12月19日号、毎日新聞社
森川嘉一郎[2003a]
森川嘉一郎『趣都の誕生』幻冬社、2003年2月
森川嘉一郎[2003b]
森川嘉一郎「趣都 人格の偏在が都市風景を変える」=「中央公論」2004年1月号、中央公論新社
東浩紀『動物化するポストモダン』講談社現代新書、2001年11月
五十嵐太郎『過防備都市』中公新書ラクレ、2004年7月
植田和弘、神野直彦、西村幸夫、間宮陽介・編『(岩波講座・都市の再生を考える・4)都市経済と産業再生』岩波書店、2004年12月
植田和弘、神野直彦、西村幸夫、間宮陽介・編『(岩波講座・都市の再生を考える・7)公共空間としての都市』岩波書店、2005年1月
姜尚中『ナショナリズム』岩波書店、2001年10月
斎藤環『ひきこもり文化論』紀伊國屋書店、2003年12月
斎藤美奈子『物は言いよう』平凡社、2004年11月
芹沢一也『狂気と犯罪』講談社+α新書、2005年1月
橋本健午『有害図書と青少年問題』明石書店、2002年12月
歪、鵠『「非国民」手帖』情報センター出版局、2004年4月
宮台真司『宮台真司interviews』世界書院、2005年2月
山本七平『日本はなぜ敗れるのか』角川Oneテーマ21、2004年3月
ウォルター・リップマン、掛川トミ子:訳『世論』岩波文庫、上下巻、1987年2月
小林道雄「警察腐敗の根源はどこにあるか」=「世界」2005年3月号、岩波書店
杉田敦「「彼ら」とは違う「私たち」――統一地方選の民意を考える」=「世界」2003年6月号、岩波書店
中原麻衣、千葉紗子、清水愛「Monthly People:中原麻衣&千葉紗子&清水愛」=「声優グランプリ」2004年8月号、主婦の友社
浜井浩一「「治安悪化」と刑事政策の転換」=「世界」2005年3月号
藤生明「第4次首都改造計画」=「AERA」2002年1月14日号、朝日新聞社
宮崎羽衣「hm3 Interview FLASH:宮崎羽衣」=「hm3 SPECIAL」2005年3月号、音楽専科社
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コメント
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投稿: ウェブログ図書館 館長 | 2005年3月22日 (火) 14時52分