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2005年3月24日 (木)

俗流若者論ケースファイル07・森昭雄

 長らくお待たせしました、今最もホットな曲学阿世の徒、日本大学文理学部体育学科教授・森昭雄氏の登場です。森教授といえば、2002年に著書『ゲーム脳の恐怖』(NHK出版生活人新書)を世に問い、「ゲームをやりすぎると前頭前野の機能が低下して、少年犯罪や青少年の問題行動が激増する!」という説を発表して、社会の、特に教育関係者とPTA関係者に絶大な支持を得た。しかし、この本に対する疑問の声もそこらじゅうで囁かれ、ネット上ではその言説がいかに間違っているか、というサイトが多数出現した。さらに最近では、ネット上ではなく出版でも「ゲーム脳」を疑問視する声が出始め、寝屋川の少年犯罪では「週刊ポスト」などが「ゲーム脳」を復活させたのに対し、「週刊朝日」は当初から「ゲーム脳」を批判していた精神科医の斎藤環氏のコメントを掲載して「寝屋川の事件を「ゲーム脳」と結びつけるのはおかしい」という内容の記事を書いた。週刊誌上で、「ゲーム脳」理論が否定された最初の記事であった。それ以外にも、宮崎哲弥(評論家:朝日新聞社の月刊誌「論座」で平成12年5月号から平成15年3月号まで連載されていた週刊誌時評の、平成14年9・12月号、平成15年1月号、及び文藝春秋の月刊誌「諸君!」で平成15年7月号から連載中の「今月の新書完全読破」の平成16年9月号、平成17年2月号)、風野春樹(精神科医)、川島隆太(東北大学教授)、山本弘(作家:山本弘[2004])、香山リカ(精神科医:香山リカ、森健[2004])、「切込隊長」こと山本一郎(経営コンサルタント)各氏などが出版やウェブ上で森氏を批判し、特に山本氏が会長を務める「と学会」は、『ゲーム脳の恐怖』を平成15年のトンデモ本大賞候補にノミネートした(結局、次点で終わったが)。平成16年8月には、『ゲーム脳の恐怖』の続編にあたる『ITに殺される子どもたち』(講談社)が出たが、このようなムーヴメントの影響か、それほど部数を伸ばすことはなかった(私はこの本を平成17年1月下旬に書店に取り寄せてもらって買ったが、1回も増刷されていなかった)。
 それでも森氏は絶好調である。創価学会系の出版社である潮出版社が出している月刊誌「潮」の平成17年4月号に、森氏が「“ゲーム脳”に冒される現代人」なる記事を書いている。この記事も、ほかの森氏の著書・論文と同様に、いたずらにゲームを敵視するような杜撰な論証立てが目立っている。
 森氏は82ページから83ページにかけて、「ゲーム脳」について、《テレビゲームをやりすぎることによって前頭前野の機能が低下し、脳波のうちリラックスしているときに出るα波より、計算をしたり、考えたり、精神活動をしているときに出るβ波が低下する状態》(森昭雄[2005]、以下、断りがないなら同様)としている。これが《高齢者の認知症(筆者注:痴呆症のこと。私はこのような言い方は単なる思考停止にしか思えないので、本文中では引用部分を除き「痴呆症」と表記する)の進行状態を数値化する実験をしていたときに、コンピュータに長時間向かっている人たちの脳波が認知症の人の脳波とよく似ていることに気付いた》というので、さらにテレビゲームを夢中にやっているときとか、あるいは携帯電話のメールを打っているときにもβ波が低下したというから、森氏は《このまま放置しておくと、キレやすく、注意力散漫で、創造性を養うことのないまま大人になっていく子どもがますます増えるのではないか》といってしまっている。これは間違いなく痴呆症のかたがたに対する差別であろう。森氏は84ページにおいても同様の論証立てをしているけれども、このような言い方では、痴呆症の人は社会性がない、といっているに等しい。また、ロルフ・デーゲン『フロイト先生のウソ』(文春文庫)の348ページでは、古典的なテレビゲームの一種である「テトリス」に関して、初心者は脳神経をフル活用していたけれども、熟練者になるにつれて脳の活動範囲が狭くなっていることが示されている。同書では、頭脳労働(ゲーム以外にも、ここでは複雑な計算が例として示されている)に関して熟練度に反比例して脳のエネルギー消費量が少なくなる、ということも示されている(ロルフ・デーゲン[2003])。なので、ゲームに熟練していればゲーム中に脳の活動が活発にならない、というのは必然なのであるが、そのことを理解しないで森氏はゲームが社会性を奪う、と断じてしまう。森氏は本当に脳科学の専門家なのだろうか。
 森氏は85ページから87ページにかけて、ゲームの悪影響をこれでもかこれでもかと論じている。しかし、ここにはいくつもの疑問がある。例えば森氏は《テレビゲームをやると「反射神経がよくなる」》と言われることに対して、《反射というのは基本的には脊髄レベルや納棺レベルで起こるもので、大脳皮質とは直接関係ない》と書いているが、ゲーム経験者として言うと、まったくのデタラメである。確かにある程度熟練すると、反射的にボタンを押すようになることもできるかもしれないが、それでも最初のほうはしっかりと目の前の情報を大脳でもって判断するほかないし、そもそもこのようなことが起こるのは一部のアクションゲームくらいであろう。ゲームにもいろいろ種類があり、ロールプレイングゲームやパズルゲームはかなり思考を要する。森氏は86ページにおいて《指を動かす機能はよくなっても、ある意味ではロボット的になってしまうのだ》と言っているけれども、これも根拠薄弱な「お話」に過ぎない。大体《ロボット的》という言い方が、森氏の感覚を表しているように思える。
 86ページ、森氏は《テレビゲームは「集中力を高める」というのも誤解である》と言っている。しかし、その根拠として出すのが、《これまでの実験でも「ゲーム脳」という結果が出た子どもの多くは忘れ物が多く、勉強にも5分か10分ぐらいしか集中できないと、本人たち自身が訴えている》というものである。このようなものを科学的な実証結果として提示できる森氏とは一体何なのか。これらの子供たちは、ただ勉強が嫌いなだけかもしれないのだが、森氏はそのように考えなかったのだろうか。それに、忘れ物が多い、というのも、それが脳機能の低下を表している、とは言えないし、そもそも「ゲーム脳」であるかどうか以外の要素をコントロールしていない(影響を排除していない)のはどういうわけか。
 しかし、これだけで止まる森氏ではない。86ページから87ページにかけて、ゲームが《空想と現実の境目があいまいになってくる》理由として、なんと《ある高校で公演したとき、生徒から「僕はゲームでは女の子とデートできるのに、実際には話すこともできません」といわれて愕然とした》自らの経験だけで済ませてしまうのである。《空想と現実の境目》に関しては後で述べるとするが、これだけではもはや根拠不明確どころの騒ぎではないし、そもそもいかなる状態を《空想と現実の境目があいまいになってくる》状態と指すのか森氏は開示する義務がある。しかしも利子はさらに暴走する。なんと《これでは近年多発している“女の子の連れ去り事件”のような犯罪が減るはずもない》と断言してしまうのである。愕然とするのは私のほうだ。第一、我が国ではペドファイルに殺される子供の数よりも児童虐待で殺される子供の数のほうが遥かに多く、児童虐待で殺される子供の数よりも自動車に殺される子供の数のほうが遥かに多いのだが。それにしても《減るはずもない》とは…。
 森氏は87ページから88ページかけて「ゲーム脳」の解決法を示している。曰く、ゲームは即刻やめるべし。なんて安直なのだろうか。それにしても、87ページと88ページにおける森氏の行動はすさまじい。87ページでは、《「この子は覚えることや考えることが苦手なんです。どうしたらいいでしょうか」と、小学生の子どもをつれて相談にきたお母さん》に関して、《検査してみると、やはり「ゲーム脳」だった》とし、さらに森氏はその子供に対して《このままゲームをやっていると脳が働かなくなっちゃうよ。お父さんやお母さんの顔がわからなくなってもいいの?》と言ってしまうのである。自分の子供の記憶力や思考力に問題があるように見える子供を脳科学の専門家(ということはかなり怪しいのだが)である森氏に相談する母親も母親だが、安直にゲームを悪玉視し、さらに《脳が働かなくなっちゃう》だとか《お父さんやお母さんの顔がわからなくな》る、と恫喝する森氏も森氏である。脳波がたとえ痴呆症の人と同じであっても、その人が痴呆症であると断じられる根拠はないのである。88ページでは《テレビゲーム歴10年の大学生》に関してもその学生に「ゲーム脳」とプロファイリングするのだが、その大学生は《結婚して子どもができたら、子供にはテレビゲームは絶対させません》と答えたのだという。
 森氏にとって「ゲーム脳」とは万能の言葉であり、その一言で人や世間を動かすことができる魔法である。
 斎藤環氏や山本弘氏が指摘している通り(斎藤環[2003]、山本弘[2004])、森氏の「ゲーム脳」理論は、子供がゲームに熱中することを快く思わない人が多いからこそ広まったという側面は無視できない。また、多くのマスメディアは、「脳科学の専門家が「ゲームをやると脳に悪影響が出る」と言っている」という一点張りでこの疑似科学を支持しているような気がしてならないのである。しかし、「ゲーム脳」といった安直なプロファイリングは、何かに悩んでいる人に対する根本的な解決策を提示せずに、悪しき甘えや諦めを蔓延させることにならないか。また、「ゲーム脳」という「人種」を捏造してしまうことによって、差別や迫害まがいののことが起こっているのも、また事実である。これは森氏だけでなく、森氏の珍説を懸命に広めている学者やジャーナリストも責任を追うべきである(この代表格は、北海道大学教授で大脳生理学者の澤口俊之氏と、ジャーナリストの草薙厚子氏と、朝日新聞記者の浜田敬子氏であろう。澤口氏は自身のホームページ上で「ゲーム脳」への支持を明確にしている。草薙氏は平成15年7月のの長崎の少年犯罪で「ゲーム脳」の危険性を「週刊文春」誌上で訴えていた(現在手元にないので確認できない)。浜田氏は平成14年に「AERA」で2回も「ゲーム脳」関連記事を書いていた:浜田敬子[2002a][2002b])。そうでなくとも、最近では、青少年問題を即刻脳の問題に摩り替えることが蔓延しているようで、斎藤氏は、その一種である「算数障害」(他の教科はできるのに、算数しかできないのは脳の異常だ、という珍概念)なる言葉に関して《なんとも言えない違和感は忘れないようにしたい》(斎藤環[2003])と言っている。
 脳の障害を社会性の喪失と規定することも問題である。最近は、福祉工学の発達により、身体のある部位に障害が生じても、社会生活を取り戻せるような技術が進んでいる(伊福部達[2004])。また、そのような規定は、即刻障害者差別につながる危険な論理ではないか。
 脳科学の俊英として注目されている、ソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャーの茂木健一郎氏は、著書『脳と仮想』(新潮社)の第5章において、テレビゲームについて論じている。茂木氏は、廣松渉氏(哲学者・故人)や養老孟司氏(北里大学教授)がテレビゲームに熱中したことがある、ということを紹介しつつ、テレビゲームという新たな仮想の世界が人間の意識に及ぼす影響を考察し、《現実をこそ良く見ろ、というゲームに対する批判》(この段落は、全て茂木健一郎[2004]からの引用)に対して《人間というものが、必然的に仮想と現実の間を行ったり来たりする存在であるという本質を忘れてしまっている》と反論し、テレビゲームによる「仮想」の体験を《そこに立ち表れるのは私たちが現実と言い、仮想と言っている意識の中の脳内現象の二つの相の関係についての、なにやら不可思議なものの感触である》と論じている。
 テレビゲームはある意味では親子間や友達間のコミュニケーションのツールにもなりうる。確かに、そのやりすぎで実生活に悪影響が及んでしまったら問題だけれども、徒にゲームを敵視し、巷で(ワイドショー的に)報じられている青少年の凶悪犯罪や「問題行動」に関して即刻「ゲームの悪影響」と喧伝し、「ゲーム脳」なる疑似科学によって子供たちからゲームという貴重な体験を奪ってはならない。「ゲーム脳」理論を真に受けている人は、もう一度その言論の暴力性と差別性を考えてほしい。
 ちなみに、さまざまなサイトによると、森氏は各種の講演会で少年犯罪や「恥知らず」どころかひきこもりやフリーターさえも「ゲーム脳」だと断じているという。東京新聞では、ジャーナリストの瀧井宏臣氏が森氏の新たな珍説「メール脳」を好意的に紹介している(瀧井宏臣[2004])。森氏にとって脳は神である。脳が全てを決定するらしい。さらに、森氏はゲームをやると自閉症になるという説(当然、これも珍説である)までも発表し、日本自閉症協会東京都支部がこれに遺憾の意を示した、という事態も起こっている。私が密かに楽しみにしているのが、森氏はいつブッシュやフセインや金正日や小泉純一郎を「ゲーム脳」と断じるのだろうか、ということである。

 参考文献・資料
 伊福部達[2004]
 伊福部達『福祉工学の挑戦』中公新書、2004年12月
 香山リカ、森健[2004]
 香山リカ、森健『ネット王子とケータイ姫』中公新書ラクレ、2004年11月
 斎藤環[2003]
 斎藤環『心理学化する社会』PHP研究所、2003年10月
 瀧井宏臣[2004]
 瀧井宏臣「痴呆のような「メール脳」」=2004年9月30日付東京新聞
 ロルフ・デーゲン[2003]
 ロルフ・デーゲン、赤根洋子:訳『フロイト先生のウソ』文春文庫、2003年1月
 浜田敬子[2002a]
 浜田敬子「TVが子供の脳を壊す」=「AERA」2002年7月15日号、朝日新聞社
 浜田敬子[2002b]
 浜田敬子「携帯メールが脳を壊す」=「AERA」2002年10月7日号、朝日新聞社
 茂木健一郎[2004]
 茂木健一郎『脳と仮想』新潮社、2004年9月
 森昭雄[2005]
 森昭雄「“ゲーム脳”に冒される現代人」=「潮」2004年5月号、潮出版社
 山本弘[2004]
 山本弘「現代のナマハゲ――森昭雄『ゲーム脳の恐怖』」=と学会・編『トンデモ本の世界T』太田出版、2004年5月

 笠原嘉『アパシー・シンドローム』岩波現代文庫、2002年12月
 近藤康太郎『朝日新聞記者が書いたアメリカ人「アホ・マヌケ」論』講談社+α新書、2004年7月
 カール・セーガン、青木薫:訳『人はなぜエセ科学に騙されるのか』新潮文庫、上下巻、2000年11月
 芹沢一也『狂気と犯罪』講談社+α新書、2005年1月
 広田照幸『教育言説の歴史社会学』名古屋大学出版会、2001年1月
 廣中直行『やめたくてもやめられない脳』ちくま新書、2003年9月
 茂木健一郎『意識とはなにか』ちくま新書、2003年10月

 大和久将志「欲望する脳 心を造りだす」=「AERA」2003年1月13日号、朝日新聞社
 斎藤環「「知の巨人」にファック!もうやめようよ「なんでも前頭葉」」=別冊宝島編集部・編『立花隆「嘘八百」の研究』宝島社文庫、2002年7月
 品川裕香「「ADHD」にとまどう教育現場」=「論座」2002年11月号、朝日新聞社
 山内リカ「高次脳機能障害とは何か」=「論座」2005年2月、朝日新聞社

 参考リンク
 「All About Japan」内「ゲーム業界ニュース

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コメント

長くて読む気にならない(笑
まあ、斎藤環氏の反論などは聞いたことはありますが、実は森氏の本そのものは読んだことないんですよね、、、
結局誰々がゲーム脳はおかしいって言ってるからおかしいんだって感じちゃってるんですよね、俺は

投稿: fairy king | 2005年5月22日 (日) 09時45分

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