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2005年3月30日 (水)

トラックバック雑記文・05年03月30日

 走れ小心者 in Disguise!: 「ウソかホントか?ホントかウソか?」(克森淳氏)
 克森氏によると、ドイツのある医者が恐るべき実験を行ったそうです。
 その詳細がこちら
 リンク先の記事によると、なんでも《老人学が専門のカレン・ウェザビー博士がドイツ人男性200人を5年かけて調べた。100人には美しい女性の乳房をじっと凝視させ、もう一方の100人には女性の乳房がいっさい視野に入らないよう監視を厳しくした》といい、さらに《面白いことに、成人男性に女性の乳房を見せると、その容姿は日増しに輝きをみせ、乳房を見られない男性たちの顔面からはみるみる活気が去ってしまった》らしいです。私は、これはかなり疑似科学スレスレのところをいっているのではないかと思います。
 第一に、サンプルが少々少ないことです。まあ、これはあまり重要ではないでしょう。第二に、《美しい女性の乳房》と言っておりますけれども、《美しい》という言葉の基準がどこにあるか分かりませんし、そもそも1日にどれくらい凝視させたのか、また実物なのか写真なのか、ということも分かりません。また、それらの男性について乳房を見ることによってどれくらい欲情するか、ということも考慮に入れられてしかるべきでしょう。それ以外にも、学問的に突っ込みたいことはいっぱいあるのですが、まあ、ネタとして捉えておけば無害か。
 しかし、性的な刺激によって身体に何らかのよい影響が出てくる、というのは無視できないようです。朝日新聞社から出ている「AERA」の05年4月4日号でも、性的交渉ががん予防になる、という記事も出ていました。これも、どこまで一般性があるかどうかは分からないのですが、性ホルモンと健康の関係に関して、もっと学問的に理のかなった結論を期待しております。あと、そこで出た結果が単純なセックスレス批判とか性行為礼賛にならないことを祈る。

 ヤースのへんしん:頭に来る!
 テレビ番組でCMが流れているときだけ、音量が飛躍して大きくなることにストレートな怒りをぶつけている記事です。それには私も同意できます。また、話のクライマックスに近くなったときにわざわざCMを入れて、「引いてしまう」ことにも私は立腹しております。
 ここで考えたいのは、このような番組にとって番組それ自体が大事なのか、それともCMが大事なのか、ということです。コラムニストの小田嶋隆氏がかつて読売新聞社の「Yomiuri Weekly」の連載で(手元にないので掲載号までは分かりません)、このようなテレビ番組の姿勢に怒り心頭を発していたことを思い出します。小田嶋氏曰く、我々は「オマケ」を見せられているのか、と。要するに、このような手法を用いる番組にとってすれば、むしろCMこそメインで、肝心の番組は「オマケ」だというのです。なんだか、番組の内容で勝負しよう、という気概が見えてこない気がします。で、とにかく引き延ばしておいて、「来週に続く」ってか。テレビ番組の悪しき手法として定着してしまった感があります。
 放送局の皆様。あなたに魂というものがあるならどうかそのような悪しき手法ではなく、内容で勝負していただきたい。さもないと、視聴者はCMばかり印象に残ってしまうことになりますよ。

 週刊誌記者の日記:ヨン様と「竹島問題」(友澤和子氏:朝日新聞社「週刊朝日」編集部)
 *☆.Rina Diary.☆*:ほんわり(佐藤利奈氏:声優)
 私は読んでいないのですが、「週刊朝日」に、「ヨン様」ことペ・ヨンジュン氏の竹島問題に関する発言に対する反応を描いた記事が掲載されているようです。友澤氏の文章によると、

韓流ファンの知人やこれまで取材したことのあるファンたちに手当たり次第に聞いてみると、ヨン様の発言や韓国の態度に「韓国がいやになった」、といったような意見よりも、
ドラマやスターを愛好する気持ちに、容赦なく政治が絡んでくること、俳優の映画発表会見にさえ政治的な質問が浴びせられてしまう事態に、戸惑いと違和感を覚えている……というのが、主な反応でした。

 というのが主だった反応だったそうです。《ドラマやスターを愛好する気持ちに、容赦なく政治が絡んでくること、俳優の映画発表会見にさえ政治的な質問が浴びせられてしまう事態》我が国においてはいささか縁遠いことかもしれませんが、そういうところを理解しつつ、お互いに理解の道を探る、というのが、日韓友好の最大の手段である、と思います。
 友澤氏によると、《ぺ・ヨンジュンさんの韓国の公式ホームページの掲示板に日本人がたくさん書き込みをしている》そうです。そこでは、《そこでは、とても密度の濃いやりとりがリアルタイムで重ねられていました。/九州や韓国であった地震について、お互い無事や順調な復興を祈りあったりする書き込みも。》ということらしいです。政治の面では感情的な議論が飛び交っていますが、こういった草の根レヴェルでは心の通った交流が行われている、ということに、今日の日韓関係の二重性や複雑さを感じます。
 ネット上におけるこのような交流を可能にしたのが、どうやら翻訳ツールらしいです。翻訳ツールを通すことによってどこまで自分の感情が伝わるか、ということは分かりませんけれども、少なくとも文字の上では、さまざまな言語を持つ人が交流を持つことができる。他方で、現実の政治の世界では、いまだに感情論に基づいた没論理的な議論が続いている。小泉純一郎にしろ盧武鉉にしろ、あるいは日本の活動家にしろ韓国の活動家にしろ、互いに強硬な姿勢を見せてばかりで、単なる示威行動に終わっているような気がしてなりません。友永氏は、このような状況を《バーチャルの世界では国境も言葉の壁もやすやすと越えているのに、リアルの世界では、20世紀からの重い宿題を引きずり、領土や国境の壁がまだまだあつい……そんなことも考えさせられました》と嘆いていますが、我々は、20世紀の課題をいまだに引きずりながら生きている、ということを考えざるを得ません。その一つが、言葉(ネット上なら文章)による「対話」を目指すこと。
 佐藤氏の文章では、

私がレジでお会計をしていたら、横から「○○って商品はどこ?」と割り込んできたお客さんがいた。あぁ、急いでいるのね・・と、いつもなら気にしないトコロだけど、今日は私も急いでいたので、並んでほしいなぁ~と悲しくなった。
そしたら、お釣りを渡すときに店員さんが「お待たせしてしまって大変申し訳ありません!」と心底すまなそうに言ってくれた。彼の非ではないのに。
その言葉を聞いて、嫌な気持ちになっていた私の心がほんわり温まった。

 とあります。人というものは、何気ない一言で傷つき、何気ない一言で心が温まるものです。それは仲間内でも、あるいは他人同士でも、さらに言えば国籍が違う人同士でも同じこと。そう自覚することが、コミュニケーションの入口なのかもしれません。
 言うは易く、行なうは難し、ですが。

 思考錯誤: 『ケータイを持ったサル』か?(辻大介氏:関西大学教員・社会学者)
 辻氏は、最近の京都大学霊長類研究所教授、正高信男氏について、《しかしだな、その実験の解釈や議論の組み立てかたは、やはりトンデモと言わざるをえないところがある。いかに優れた自然科学者であっても、生半可に社会評論に手を出してしまうと、こんなことになってしまうんかいなと愕然としてしまう。お願いだから、正高さんには、こっち方面からはとっとと手を引いて(どうせ片手間しごとなんだし)、着実に本業を進めてほしいと切に思う。優秀な人が道を誤っちゃいけない。》と批判しておりますが、同感です。正高氏の最近の仕事は、霊長類学の学説を無理矢理マスコミが好んで採り上げているような若年層の「問題行動」と結び付けて、若年層を罵っている、というものにほかなりません。
 しかし、『ケータイを持ったサル』は、いくらトンデモであっても実験や調査を行っており、その点ではまだまだ救いようがある、といえるかもしれません。しかし、昨年12月から今年1月にかけてのNHK「人間講座」のテキスト『人間性の進化史』は、もはやポイント・オブ・ノーリターンに到達してしまったのではないかと思えるほどのひどい著作です。詳しくは「正高信男という頽廃」を読んでほしいのですが、この本は差別に満ちており、不適切なアナロジーの使用、前後矛盾、文学作品のトンデモ珍解釈など、トンデモ本としての要素が満載です。

 週刊!木村剛:[ゴーログ]逆境こそが経営者の資質を磨く!(木村剛氏:エコノミスト)
 たとえ逆境に陥っても、しっかり腰を据えて対処すること。これは経営者のみならず、日常生活の場において一般的に言えることだと思います。たとえ自らが批判の矢面に立たされても、そこにおいていかに冷静に対処するか、ということの重要性を感じることが、社会への還元の入り口であるように考えます。たとえ失敗しても、それを他人に押し付けないこと。まず自分の中で消化すること。
 また、経営者のみならず、言論を発する人にとって必要なのは、情報公開だと思います。私がここで研究している俗流若者論は、たいていはその論者が考える理由を開示しないまま、人々の感情(たとえば、「今時の若者」に関するフラストレーション)に訴えかけて、人々を扇動しますが、これは言論が行うべき行為ではなく、むしろ扇動屋の行為でしょう。私は具体的な議論にしろ抽象的な議論にしろ、まず理詰めで行うことを自らに課しています。自らの考える手順を公開することも、また情報公開の一種です。曖昧なアナロジーで煽り立てるのは無意味だし有害です。何度も言いますが、アウトサイダーをうまく取り込むためには、理詰めで攻めるしかないのです。

 蛇足ですが、私が「人権擁護法案反対の倫理を問う」で憲法と人権を概説したことについて、「近代国家礼賛か無政府主義か分からない」とか「電波」とか言いふらしている人がいました。どこかは忘れましたが、おそらくここを見ているので追記しておきます。
 私の立場は立憲主義です(近代国家礼賛か無政府主義か、というと、どちらかといえば近代国家礼賛に近い)。また、人権とはひとえに国家と国民の間に成立する力関係であり、憲法は人権を規定したものです。憲法や人権について詳しく知りたい方は、下に示した本・論文を読んでください。
 奥平康弘、宮台真司『憲法対論』(平凡社新書・2002年12月)
 長谷部恭男『憲法と平和を問いなおす』(ちくま新書・2004年4月)
 小林節「タカ派改憲論者はなぜ自説を変えたのか?」=「現代」2005年2月号、講談社
 水島朝穂「『読売改憲試案』の目指すもの――その憲法哲学を検証する」=「論座」2004年8月号、朝日新聞社

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コメント

 克森です、早速のトラバ感謝。
 ウェザビー博士の実験ですが、乳房見せてもらえなかった方は
「厳しい監視」がストレスとなっていた可能性もありますね。

投稿: 克森淳 | 2005年3月30日 (水) 21時37分

TB&コメントありがとうございます。
ドイツのお医者さんの件
見せられている方の人のほうがストレスがあって、輝いていたのかも・・・。
輝いていること、ってところがわかりませんよね。
CMの件は、ほんと、消音してしまいそうで、逆効果ですよね。
レジでのお話は、私も経験することが多いですね。
本の一言の大事さは、痛感しますよね。
逆に、そう言う思いの至らなさは、積み重なると恐ろしい結果を生みそうですね。

投稿: ヤース | 2005年3月30日 (水) 22時23分

CMが本編より目立つテレビ番組、広告のページの方がキレイでたくさんある雑誌・・・いったい、これら既存のメディアの「商品(サービス)」とはいったいなんなのだろう? テレビはなんとなく“タダ”で見ているような気になっているから、文句を言いたくても言えなくて、なんとなく見てしまっているけど、視聴者はたとえ「有料」でも質のいいサービスをしてくれる番組へと流れて来ている。
インターネットの接続料がどんどん安くなってきて、もはや新聞の購読料を下回ろうとしている。ネットにつながっていれば、全国紙でも海外のサイトでも、いくつでも読みたい放題だ。NHKの受信料だけではなく、新聞の定期購読料も払わない選択をする国民は、これからも増える一方に違いない。

投稿: rabbitfoot | 2005年4月 2日 (土) 23時09分

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