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2005年3月 4日 (金)

俗流若者論ケースファイル03・福島章

 上智大学名誉教授・福島章氏といえば、出版社である宝島社が出した雑誌が東京都に「不健全図書」指定を受けて、それを不服として宝島社が起こした行政訴訟において、性情報の氾濫が青少年による性犯罪を誘発するという証拠はない、という意見書を提出している。その意見書の中で、福島氏は、昭和55年から平成元年の間に、漫画雑誌が1.7倍、コミックス単行本の売り上げた2.9倍にも増加しているにもかかわらず(この中にどれだけ性表現が入っているかはわからないが、同じ傾向でそれも増加しているだろう)、この10年の間に青少年による強姦罪は2分の1、強制わいせつは約4分の1に減少していると述べている。また、同じ意見書によれば、韓国や米国の例を出して、性情報・性表現の増加が性犯罪の件数を増やすことはない、むしろ減らす方向に働く、と実証しているのである。また、福島氏には『青年期の心』(講談社現代新書)という名著があり、そこでも性表現・性情報の増加は性犯罪に結びつかない、また、他の犯罪に関しても、暴力的な表現はむしろ暴力衝動を満足させる、という記述をしている(福島章[1992])
 だから、福島氏は、巷のメディアが唱えるような「メディア有害論」とは距離を置いた存在のように思えるかもしれない。しかし、平成17年3月3日付読売新聞における福島氏のコラム「暴力的情報の氾濫 「殺人」日常的行動と錯覚」は、宝島社の訴訟における福島氏の学者としての真摯な態度を知っている者にとって、この転向ぶりは一体何なのか、と思わせるような杜撰さと論理飛躍に満ちていた。
 福島氏は、昨年末に我が国を震撼させた奈良女子児童誘拐殺人事件に関して、《残虐な死体損壊をはじめとする異常な行動の数々の動機は……歪んだ自己顕示欲にあった。》(福島章[2005]、以下、断りがないなら同様)と書いていた。確かにこの指摘は正しいかもしれないし、そういった分析をする人も少なくない。もっとも、このような事件が、例えば「切り裂きジャック」だとか「かい人21面相」など、過去にも存在したことを忘れてはいけないのだが。
 ただし、この事件に関して述べた終わりのほうには、少し事実誤認がある。曰く、《なぜなら、凶悪は反抗ほど社会の字耳目を集め、自分についての大量の「情報」を生み出すからである》。しかし、この事件における犯人が、自分の報道を常に気にかけては越に入っていた、という情報は寡聞にして聴かない。しかし、このような指摘は現在はあまり気にしなくていいだろう。
 福島氏の狼藉はその勅語が始まる。福島氏はこう言う、《この価値観のゆがみないし倒錯は、近年、一部の若い世代の間で確実に増加している》と。その理由として《映画、ビデオ、コミックス……ゲームなどの中には、猟奇的な殺人行動や痛快な暴力・破壊などの映像が氾濫している》とある。しかし、福島氏がかつて認めていた通り(!)、これらの暴力表現が実際の犯罪に結びついているという事実はなく、それは10年前でも現在でも変わらない。福島氏は宝島社の裁判の意見書で犯罪白書に触れていたが、犯罪白書では、少年による凶悪犯罪は昭和40年ごろから昭和55年ごろまで減少傾向にあり、それ以降は横ばいが続いている。福島氏は知っているのだろうか。また、福島氏は《近年、一部の若い世代の間で確実に増加している》というけれども、その証左として提示しているのがマスコミの耳目を集めるような猟奇犯罪だけ、というのは、証拠が足りなさすぎやしまいか。
 福島氏はここで大いなる妄言を発する。曰く、《2004年6月、11歳の女子小学生が級友を学校内で殺害した。しかし殺人はこの子にとって、異常でも……大事件でもなく、むしろ身近でありふれた行動の一パターンに過ぎなかった》だと。しかし報道によれば、この殺人事件における犯人が日常的に友人に暴力を振るっていた、ということはまったくなかった。福島氏ははそれをわかっているのだろうか。《身近でありふれた行動の一パターンに過ぎなかった》というのであれば、この犯人において殺人事件のみならず暴力衝動の発動が日常的になっていたという証拠を示すべきだろうが。この事件に関する記憶と関心が薄れる中で、このような事実誤認をさも事実と思わせてしまうことによって、自らの論理に従わせようとはしていまいか。
 しかし、福島氏はそれに関してこう片付けてしまう。曰く、《なぜなら、事件の1か月前、この子は、思春期の少年少女がお互い殺し合い、クラスの中の一人だけが生き残るという大量殺人映画に強い感銘を受けていた。無垢な子どもと殺人とは決して無縁でないことを学習していたのだ》と。しかし、《無垢な子どもと殺人とは決して無縁でないこと》ということを1カ月で《学習》してしまうのはありえることだろうか。そもそも、福島氏は《思春期の少年少女がお互い殺し合い、クラスの中の一人だけが生き残るという大量殺人映画に強い感銘を受けていた》と述べているけれども、この殺人犯が殺したのは1人だけだったはずだが。最初から自分だけ生き残るような大量殺戮など頭になかったことは、この事件に関する報道を軽く読んでおけばわかることだろう。また、思春期は決して「無垢」な年齢ではないことも付け足しておきたい。
 それにしても、この《大量殺人映画》が《無垢な子どもと殺人とは決して無縁でないこと》ということを《学習》させるような内容であるかについても、福島氏はまったく触れていないのはどういうわけだ。それにしても《大量殺人映画》という表現には福島氏の敵意が詰まっているように思える。
 そんな当たり前の事に触れずに《殺人という行動が日常的なものと錯覚され、時にはこの重大な犯行が、ゲーム感覚で演じられるような時代になった。猟奇的な殺人者は、ゲームの中では、貴重な情報を生み出すヒーローである》と恬然と語ってしまう福島氏は一体何なのだ。そもそも猟奇的な殺人事件を(主に「若者論」として)「消費」しているのはほかならぬマスコミ、そして福島氏の如き自称「識者」なのだが。
 福島氏はさらに暴走してしまう。《安城市における乳児刺殺事件は、おそらく、冬があまりに寒かったせいであろう。寝屋川市の教職員殺傷事件では、少年は少し前のバイク事故で、エネルギーを発散する手段を失っていた。その欲求不満のはけ口が、あの殺傷ゲームだったのだろう》だと。一体この著者は正気の沙汰か、と思ってしまう。第一、《安城市における乳児刺殺事件は、おそらく、冬があまりに寒かったせいであろう》というのは、もはやお笑いのネタでしかない。《冬があまりに寒かったせいであろう》というのであれば、気温の低さと殺人事件の発生数に関して有意な関係が見出せるか、ということを証明してからいっていただきたい(そんなものはないだろうが)。また、寝屋川市の事件に関しても、なぜ福島氏の言うような《殺傷ゲーム》(この貧しき言語感覚!)に走り、他の手段に走らなかったのか、ということを考えるべきだろう。
 福島氏は、この文章において、「動機の短絡的な凶悪犯罪が増加した。それは暴力表現によって暴力や殺人を日常として「学習」した者が増えたからである」と言いたかったのだろう。しかし、まず、「動機の短絡的な凶悪犯罪が増加した」というのであれば、まずその証拠、例えば過去の犯罪との比較を持ち出すべきだろう。また、福島氏の議論に関しては、暴力的な表現に触れてきた経験と暴力衝動の発露(暴行や殺人)に関して明確な関係が見られるか、ということに関しても克服しなければならないはずだ。
 これは福島氏に限らないのだが、このような短絡的な思考をしてしまう自称「識者」の背景にあるのは「世代」概念であると思える。要は、現代の青少年を暴力的な表現が多数含まれているテレビやゲームに接してきて育った世代と規定し、従って現代の青少年は暴力的だ、という前提で青少年問題を語ってしまうのである。しかし、例えば少年犯罪の件数の減少(人口比から見ても減少している)という観点から見れば、少なくとも青少年が暴力的になっている、ということは事実として存在しない、とも言えるだろう。
 福島氏をはじめ、「若者論」を振りまく多くの人は、「今時の若者」という色眼鏡でもって青少年を「観察」し、自らを「正常」、青少年を「異常」という二元論に当てはめて議論したがる。しかし、そのような姿勢は、まだ何もしていない青少年すら「危険」のレッテルを貼って遠ざけることにつながるのではないか。多くの「若者論」は、マスコミで報じられるような突飛な事例を世代的な傾向として論じたがるけれども、そこにおける飛躍と偏見にどこまでも無知でいられるという図太さは一体何なのであろう。
 このような疑念は、彼らが青少年の「凶悪化」の証拠として提示するものが、猟奇的な凶悪犯罪とマスコミが面白がって採り上げたがる類の「今時の若者」の「問題行動」だけ、ということで、確信に変わる。

 参考文献・資料
 福島章[1992]
 福島章『青年期の心』講談社現代新書、1992年1月
 福島章[2005]
 福島章「暴力的情報の氾濫 「殺人」日常的行動と錯覚」=2004年3月3日付読売新聞

 橋本健午『有害図書と青少年問題』明石書店、2002年12月
 パオロ・マッツァリーノ『反社会学講座』イースト・プレス、2004年5月
 宮崎哲弥、藤井誠二『少年の「罪と罰」論』春秋社、2001年5月

 重松清「少女と親が直面した「見えない受験」という闇」=「AERA」2004年7月19日号、朝日新聞社
 内藤朝雄「「友だち」の地獄」=「世界」2004年12月号、岩波書店

 参考リンク
 ※宝島社のサイトにおいて、「不健全図書」指定を糾弾するページ「NOといえる宝島社」は現在閉鎖中のため、閲覧することができません。
 「すべてを疑え!! MAMO's Site」の「メディア規制反対」記事一覧(坂本衛氏:ジャーナリスト)
 「少年犯罪データベース
 「All About Japan」内「ゲーム業界ニュース

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コメント

足利事件のえん罪を幇助した一人として福島章がいたので、どんな人物か興味が沸きました。検索してみたところ貴サイトにたどり着きました。まったく福島は医学者以前に大人としての知的誠実さが完膚無きまでに欠如していますね・・・
確かにこうした人物ならばたった3回の鑑定で無実の人間を性的異常者に仕立て上げるでしょう。こうした人間をかつて税金で養っていたのかと思うと残念でなりません。それにしても管理人様にはこうした真性の悪人について教えて頂きありがとうございました。今後のご活躍をお祈りします。

投稿: 本官さん | 2009年6月 4日 (木) 23時10分

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