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2005年4月21日 (木)

トラックバック雑記文・05年04月21日

 ン・ジュンマ(呉準磨)の備忘録:私も社説批評にトライ!!アルゼンチン「借金踏み倒し=造反有理」かもよ!?
 カマヤンの虚業日記: [政治]「東アジア」的統治
 読売新聞の社説に挑戦しています。私の家でも読売新聞をとっているのですが、私の目が肥えてきたせいなのかもしれませんが、最近の読売の社説はどうもつまらない。最近では、中国の反日暴動を何度も採り上げていますけれども、どうも過去に我が国が中国に対してひどいことをした、という認識を忘れているのではないか、という気がしてなりません。もちろん、過去の侵略戦争と現在の中国の反日デモは割り切って考えなければなりませんけれども、我が国がアジア諸国に対して行った加害の事実を忘れてはならないと思います。

 読売は中国の反日愛国主義教育を批判します。そのことに関しては大賛成です。しかし、他方で読売は、現代の青少年が国旗と国歌に対して愛着をさほど持っていないことについて盛んに嘆いています。どこか矛盾していないでしょうか。私が教育基本法に「愛国心」を盛り込むことに対して最も懸念していることが、現在の中国の反日デモのようなことが起こることです。現在の我が国はある種のアノミー状態にあるので、なし崩し的に「愛国心」を教えるようになったら、かえって有害ではないか、と思うからです。

 いや、「愛国心」教育推進論者の語る「愛国心」は、むしろ「国粋主義」でしかありません。そのことをまず衝くべきではないか、と思います。

 ところで、「ン・ジュンマ(呉準磨)の備忘録」の著者から、次のようなコメントをいただきました。

 後藤さん、「オニババ化する女性たち」とかいうのにツッコミは入れましたか? 期待してるんですが(若者論とは見てない?)

 三砂ちづる『オニババ化する女たち』(光文社新書)ですか。ごめんなさい、《若者論とは見てない?》以前に、読んですらいません。このテーマに関してはまったく興味がないので、手にとることすらしていなく、「論座」平成17年2月号における、鍼灸師の田中美津氏による批判で、その内容を軽く知っているくらいです。でも、いろいろなところで話題になっているらしいので、読んでみましょうか。

 minorhythm:インスタントカメラ(茅原実里氏:声優)
 今日、仙台市の隠れた桜の名所として知られる遠見塚小学校に行ってきました。そのときの光景を、しっかりとカメラに収めてきました。

 ところで私が使っているカメラは、デジタルカメラです。しかしこのカメラは、今年の初売りで買ったものなので、それ以前は、写真を撮るときはもっぱらインスタントカメラを用いていました。しかしインスタントカメラは、フラッシュの融通が利かなかったりとか、ズーム機能がなかったりとか(当然か)、安いだけに使いづらい面もあります。そのような想い出もあり、私はほとんどデジカメを使っているのですが、茅原氏は、《でもなんか両方を比べてみると、私はもしかしたらインスタント派かも!》として、こう書いています。

 極上の笑顔でバッチリ成功した写真も、ピントがズレてたり、知らぬまにシャッター押しちゃったりして失敗した写真も、全部現像されちゃうわけです!

 だけど、その1枚1枚に写されてる一瞬がなんだかとっても愛しいんですよね☆

 「何この写真~!!最悪なんだけど~!?」

 なんて笑い合える仲間に乾杯っ♪

 こういうのもいいかな、と。

 弁護士山口貴士大いに語る:一連の美少女アニメ・ゲームバッシングについて(山口貴士氏:弁護士)
 週刊!木村剛:[BLOG of the Week]プロの書き手の正念場が来る!(木村剛氏:エコノミスト)
 木村氏のブログで、「BLOG of the Week」として採り上げられているのは、実は私の文章です。木村氏は私の文章に対して《言論の自由に関する一考》と評価してくださっています。

 ここ最近の「トラックバック雑記文」「俗流若者論ケースファイル」において、私は何回か「有害環境」「有害メディア」規制を批判してきました。しかし、このような歪んだ施策がポピュリズムとなりうるのは、要はそれを求める人がたくさんいるからに他なりません。

 そして、そんなものが受け入れられるようになる背景には、特にマスコミの影響が大きい。例えば、マスコミは「現実の女性ではなく、ゲームの中の女性にしか恋愛感情を持たない「今時の若者」」を攻撃します。しかし、だからといってそれが精神病理だとか、さらには犯罪だとか(大谷某の「フィギュア萌え族」なんてまさにこれですよね)に結びつける必要があるのでしょうか。あるいはこんな「今時の若者」ばかりだから少子化が進むのだ、という向きもあるのでしょうが、少子化の何がいけないのか。まあ、少子化のことについて言及するのは少ないですけれども。

 彼らは精神病理だとか犯罪的だとか虚飾していますけれども、結局、それらの批判は、彼らが「そう思いたいだけ」だからでしょう。精神病理云々、犯罪云々は単なる虚飾の言葉に過ぎない。底流にあるのは「気持ち悪い」という感情だけです。でも、彼らはそのような感情と同時に、多くの人とそのような感情を共有することによって、自分の気に食わない人(例えばオタク)にマイナスのイメージを与えたい、だから犯罪とか精神病理だとかいった言葉を用いているのでしょう。少々うがちすぎかもしれませんが。

 最近、ライターの本田透氏が『電波男』という本を書いたそうです。聞くところによると、なんでもこの本は「現実の恋愛は2次元の恋愛より勝っているか」ということに関して書かれた本らしいです。機会があったら手にとってみたいのですが、あいにく近くにおいている書店がないので。アニメ専門店だったら置いているだろうか?

 お知らせ。まずbk1で新しい書評が掲載されています。
 ジュディス・レヴァイン、藤田真利子:訳『青少年に有害!』河出書房新社、2004年6月
 title:「有害」排除の先に見えてくるもの
 菊池昭典『ヒトを呼ぶ市民の祭運営術』学陽書房、2004年11月
 title:真価が問われるのはこれから
 どちらもお勧めです。上は、東京都の石原慎太郎知事他「有害」規制を推し進めている人に、下は楽天の三木谷浩史社長にはぜひ読んでほしい本です。あと、三木谷氏には、来月の半ばごろに開催される「仙台青葉まつり」もぜひ見てほしい。

 また、「俗流若者論ケースファイル13・南野知恵子&佐藤錬&水島広子」「俗流若者論ケースファイル14・大谷昭宏」を公開しました。前者は本気ですが、後者は少し力を抜いています。

 また、過去の文章に以下の加筆を施しました。
 「俗流若者論ケースファイル02・小原信」について:

 《幻実が現実になると、ミッキーマウスをネズミだとは思わない》なぜ?《アキバ系の若者は現実の女性よりキャラクターグッズに「いやし」を見出すという》だと、《という》で片付けないでいただきたいものだ。しかし、小原氏はそれで片付けても構わないのだろう。

 この箇所を、以下の文章に置き換えました。

 小原氏は、《幻実が現実になると、ミッキーマウスをネズミだとは思わない》などと意味不明なことを言い出す。これには正直言って、数回ほどへそで茶を沸かした。《ミッキーマウスをネズミだとは思わない》というのは、決してそのような人が《幻実》に翻弄されているわけではなく、むしろ《幻実》を受け入れることによって、ミッキーマウスというキャラクターの背後にある「大きな物語」に同一化しているからである。小原氏にとって、このような物言いは、自分の生活圏内だけが「現実」であると言っているのに等しいのだが、小原氏にとってはそれでいいのだろう。同じ段落にある、《アキバ系の若者は現実の女性よりキャラクターグッズに「いやし」を見出すという》などという物言いも然り。このような物言いは、ジャーナリストの大谷昭宏氏の「フィギュア萌え族」概念にも共通する危険性をはらんでいるのだが、現実と戯れることができない奴は病気である、という思考は、かえって現実との関わりを放棄した、ある層に対する弾圧につながりかねないし、多様な感受性を否定するものでもある。現実の女性に残酷な性犯罪をやらかす輩よりも、《幻実》と戯れて萌える人のほうが、社会にとっては無害だろう。《幻実》を最初から「悪」と決め付ける小原氏は、ここでとんでもない勘違いと倒錯をしているのである。もう一つ、このような物言いは、小原氏の想像力が極めて狭いことも意味するのだが、小原氏はそれで構わないのだろう。

 「俗流若者論ケースファイル11・石原慎太郎」について:

 

…赤枝氏が自分にとって衝撃的だったことを知らず知らずのうちに誇張して石原氏に言っている可能性もある。それに、そのような状況にある家族に対する支援は、それこそ政治の役割ではないか、という気もするのだが。石原氏が《真顔でいうそうな》と書いているのは、そのような家族に対する社会保障や性教育の不備を正当化するように見えてならない。

 この文章の直後に、以下の文章を加筆しました。

 ついでに性教育に関しても触れておこう。20世紀の終わりごろ、米国では、子供の「性」をタブー視し、学校では性教育よりも「純潔」さらには「禁欲」を高く掲げた教育が正義とされ、適切な性教育でさえも保守系の団体に糾弾された。また、宗教保守からフェミニストまで、性表現の規制に躍起になり、マスコミは青少年の「性」に関する過剰な報道で溢れかえった。それを告発した米国の作家のジュディス・レヴァインによると、しかしそれでも青少年の「性」を巡る問題はまったく解決しないどころか、むしろ問題を深刻化させた(ジュディス・レヴァイン[2004])。レヴァインは、青少年を「性」に関する情報から遠ざけてしまったあまり、「性」に関する知識は希薄化し、無防備な性行為が蔓延してしまったことを指摘している。我が国でも一部の自称「保守」が性教育攻撃に奔走しているのであるが(石原氏もその典型であろう)、性教育を禁止してしまったら米国と同じ事態を招きかねないのではないか。また、特に赤枝氏は、中学生までの性行為を法律で禁止しろ、といっているけれども、自由な行動が保障されている我が国において、それが実を結ぶためには、我が国が北朝鮮並みの言論統制国家及び監視国家にならなければならない。

 それにしても、「俗流若者論ケースファイル」ばかり回を重ねて、本来の目玉だった正高信男批判はどうも尻すぼみ気味です。もっとも、最近になってさまざまなところから俗流若者論が顔を出したり、あるいは過去の俗流若者論を引っ張り出してきたりと、この勢いはとどまるところを知りません。このシリーズで今後採り上げる予定の文章はこれだけあります。

 ・近いうちに採り上げる予定のもの
 平成17年3月16日付読売新聞社説「元気がないぞ日本の高校生」
 荷宮和子「私が団塊ジュニア世代を苦手だと思う理由」=大塚英志・編『新現実Vol.2』角川書店、2003年3月
 藤原智美「目をつむれない子どもたち」=「文藝春秋」2005年5月号、文藝春秋
 浜田敬子「テレビが子供の脳を壊す」=「AERA」2002年7月15日号、朝日新聞社

 ・判断を留保しているもの
 和田秀樹「日本はメランコの中流社会に回帰せよ」=「中央公論」2003年6月号、中央公論新社
 小原信「不安定なつながりが逆に孤独を深めている」=「中央公論」2004年4月号、中央公論新社
 陰山英男「「学力低下」世代が教師になる日」=「文藝春秋」2005年5月号、文藝春秋
 役重真喜子「「一億総評論家」」=「論座」2004年9月号、朝日新聞社
 吉田裕「台頭・噴出する若者の反中国感情」=「論座」2005年3月号、朝日新聞社
 林道義「家庭が子供の脳を育てる」=「諸君!」2003年8月号、文藝春秋
 中村和彦、瀧井宏臣「育ちを奪われた子どもたち」=「世界」2003年11月号、岩波書店
 下嶋哲朗「再び「後悔の土壌」とならないために」=「世界」2004年10月号、岩波書店

 しかし、「ケースファイル」ばかりでは面子が立たないので、本流の正高信男批判も充実させるつもりです。来月7日でこのブログは開設半周年を迎えるのですが、その記念論文は「正高信男という堕落ZERO(仮題)」で企画しています。「正高信男という堕落」で採り上げた文章(平成16年11月22日付読売新聞の「学びの時評」欄に掲載されたもの)以前の文章を検証するつもりです。

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