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2005年4月17日 (日)

俗流若者論ケースファイル12・松沢成文

 前回の石原慎太郎批判においても触れたが、現在、東京都を中心に、周辺の自治体の首長が中心となって青少年対策を推し進めるプランが進行している。この「対策」は、平成17年2月の千葉県知事選で堂本暁子氏が当選したことで一旦は鳴りを潜めたが、しかしそのときの対抗馬として出馬した森田健作氏の集会に東京都知事である石原氏や横浜市長の中田宏氏などが出席した、ということから、この地域における「対策」への腰の入れ具合がわかろうというものだろう。というわけで、今回はその「対策」のキーパーソンの一人である、神奈川県の松沢成文知事の発言に注目したい。

 松沢氏といったら、地方政治の場で改革派の知事として有名ではあり、それに関しては私も注目してきたけれども、平成17年3月2日の定例記者会見において松沢氏が口走ったテレビゲーム規制に関しては、やはり疑問を感じ得ない。

 松沢氏は同日の記者会見の場において、《付け加えるならば、やはり今の少年たち、ゲームなんかの影響でですね、バーチャルとリアリティーの区別がつかなくなってしまって、バーチャルなものに影響され過ぎて、それで犯罪に走ってしまうということが多々あるんですね》と言ったという(松沢氏の発言に関しては神奈川県のウェブサイトから、以下、同様)。しかし、もうこのブログにおいて何度も言っていることなのであまり深く言及するのは避けたいけれども、少年による凶悪犯罪は増えていない。確かに強盗に関しては最近になって急増したけれども、これは単に増加したのではなく、これまでは「窃盗」などとして処理されていたものを、「最近の少年は凶悪だから厳罰に処せ」という大号令が発せられたので、凶悪犯罪に分類される「強盗」として処理されるようになったのが最大の理由である(土井隆義[2003])。また、検挙率が低下したというけれども、これも最近になって警察が素直に被害届けを受理するようになったから、ということに過ぎない(浜井浩一[2005])。松沢氏の文言に従えば、現在の青少年は《ゲームなんかの影響》で凶悪な少年犯罪が増加しているはずなのだが、実際には減少しているのはどうしてだろうか。松沢氏はそれに答える必要があろう。

 また、松沢氏は平然と《今の少年たち、ゲームなんかの影響でですね、バーチャルとリアリティーの区別がつかなくなってしまって》ということを言うけれども、このような言説に関しては、平成9年に、いわゆる「酒鬼薔薇聖斗」事件が起こった際、ワイドショーにおいて喧伝された文句であるのだが、最近になってこれはもはや「定説」として定着してしまった感がある。しかし、このようなことを推し量ることが果たして可能なのだろうか。そもそも《バーチャルとリアリティーの区別がつかなくなってしまって》なっているというのはいかなる状態なのだろうか。またそれは本当に問題なのだろうか。見方によれば、目に映るもの全てが「虚構」だと言い切ることもできる。このような論理を振りかざす人における最大の欺瞞が「現実」と「虚構」の線引きを容易にしてしまうことである。それにしてもなぜ《ゲームなんかの影響》ということを易々と言ってしまえるのだろうか。他のメディアの影響はないのだろうか。ゲームばかり槍玉に挙げるのはそもそも思考停止であるのだが、これに関してはもう問うまい。

 松沢氏は《ゲームなんかの影響》をさも「実証」するように、《例えば、これは、暴力関係じゃないですけれども、レインボーブリッジの下をジャンボジェットがくぐるゲームソフトがあってですね、それに影響されて、もう3年ぐらい前ですけれども、コックピットに入った少年はですね、そのゲームを自分も一度やってみたかったということを証言しているわけですね》ということを語るのだが、これは極めて例外のケースであろう。そもそもこのようなフライト・シミュレーターを使用している人は何万人もいるはずだが、それならなぜそのような人たちは同様の犯罪に走らないのか。そもそもこのような事件に関しては、背後に精神分裂病(統合失調症)の影響が見られるケースが多く、この事件も然りだった。ジャーナリストの日垣隆氏によると、この事件に関して、例えば産経新聞はこの犯人の精神障害を巡って実名報道か匿名報道か揺れ動いたことがある(日垣隆[2002])。蛇足だが、この事件の犯人は《少年》ではない。

 そもそも現代の青少年、特に男子においては、その多くが少なからずゲームに接したことがあるから、彼らのうち一人でも犯罪を起こせば「ゲームの悪影響」を捏造することは極めて容易である。しかし、マスコミがそのような虚構ばかりを報じるばかりに、本来であれば憲法を遵守すべき(国民の人権=国家から不当に処罰を受けない権利を尊重すべき)立場にある松沢氏が、ゲームの規制などといった反憲法的な挙動をしでかしてしまう。もっとも最近は、カードゲームなどに主役の座を奪われて、テレビゲームも危機の淵に立っているらしいが。

 さて、先ほど、ゲームの規制に関して「反憲法的な挙動」といったが、なぜ「反憲法的」なのだろうか。これに関しては、まず憲法21条における「表現の自由」に抵触する恐れがある。また、これに関して「規制」を認めてしまうと、他の「規制」もなし崩し的に認められてしまいかねない。さらに、このような「規制」の根拠が「青少年に有害」という理由から、ということだが、このような「規制」の論理には多分に恣意性が入ってしまう恐れが高い。しかし最大の問題点は、ゲームによって青少年が凶悪犯罪を起こしやすくなっている、ということがまったく証明されていないことであり、それをいいことに単なる「感想」程度の問題意識で「規制」が誘発されてしまうことであろう。現に松沢氏も、《ゲームソフトの度合いをどう計るかというのは客観的にはなかなか計りにくい部分があります》と認めている。要するに、この「規制」を支えている基盤は敵愾心だけなのである。

 松沢氏は、神奈川県のみならず首都圏全体に規制の網をかける理由として、《例えば、多摩川を越えて向こうへ行けば、そのソフトが買えるというのでは、今、例えば新宿や渋谷に買い物に行く子も多いわけでそれは機能しなくなりますので、最低限、首都圏全体で同じような規制ができるように、私はまた首都圏連携の一環として、この問題も提起していきたいと考えております》と言うのだが、この論理に従えば日本全国に規制を敷かなければならないだろう。さらに、通販やインターネットも問題視すべきだろう。松沢氏は、このような発言をすることで、結局自分で自分の規制論の無効性を示している。

 この改憲の全文を通じた松沢氏のゲームに対する、あるいはゲームが青少年に及ぼす影響に対する認識は、はっきり言うが「感想」の域を超えていない。もちろん、松沢氏自身が《うちは二人とも女の子なんで、あまりそういうゲームソフトは家にないんですよね》と語っているように、ゲームに対してあまり明るくない、ということもあるだろうが、結局はメディアで喧伝されるような影響論を語っているだけ。なんの新味も無いのである。ゲームに明るくない向きであっても(ちなみに私は高校の中ごろまではゲームに熱中していたが、次第に離れていった。なので、最近のゲームにはほとんど詳しくない)、せめて少年犯罪の現状についてはある程度知っておくべきであろうが。

 とりわけそんな松沢氏の認識を象徴するのが次のような発言だろう。曰く、《どういうふうに調査、分析をするかというのは難しいんですが、もう国の方でもある意味で全体規制を考える時期だと私は思ってます。そういうふうに言った方が正確かもしれません》と。青少年問題の解決のために最も最初にやるべきことは、果たしてゲームの規制なのだろうか。前にも述べたとおり、ゲームが青少年問題の深刻化に寄与しているのか、ということは到底言いにくい。確かに、映像技術の向上によって、ヴァーチャルな暴力表現をリアルに再現できるようにはなっただろう。しかし、それなら、なぜもともとリアルな状況を切り取った、例えばテレビの格闘技中継などを糾弾しないのだろうか。結局、「今時の若者」に脅える「世論」にとって、ゲームが若年層にとってのみの遊戯として捉えられている以上、「世論」的にコンセンサスを得ている娯楽よりも、それを得ていない娯楽を槍玉に挙げたほうがいいだろう。しかし、そのような体たらくを続けて恥じない姿勢が、物事の多層的な本質から目を遠ざけ、安易に「敵」を捏造して糾弾してしまうようなスタイルを生み出し、「世論」の不安に乗じて根拠薄弱な規制論を持ち出す政治家や首長をそこらじゅうに生み出してしまった、という現実を、マスコミはどのように考えているのだろうか。

 また、この記者会見において、松沢氏は支離滅裂の発現をしている箇所もある。《ジェット機で橋の下をくぐるゲームというのは規制の対象になり得るんでしょうか》というインタヴュアーの発言に対して、松沢氏は《県が作っている基準を見ると、それはなかなかならないですね。例えば暴力シーンだとか過激な性描写だとか、そういうのではないですからね。まあ、だから、その辺もちょっと審議会の方でも少し相談してみたいと思ってます》と答えている。松沢氏は、《暴力シーンだとか過激な性描写》を規制しても犯罪を防ぐことはできない、と言っているわけだが、結局は「規制」が抑止力になりえない、ということを自ら示しているだろう。松沢氏はその直後において《要するにバーチャルとリアリティーの区別がつかなくなって、ゲームに感化されて、「ああいうこと、自分もできるんだな」と思って犯罪に走ってしまうと、誘発していると、そういう一つの例で出しただけであって、別にほかの例でもいいわけですけれども》と言っているけれども、いい加減こんなロジックの無効性を認めたらどうか?

 松沢氏は、ゲームの規制について訊かれた部分の最後のほうで、《公共の福祉に反するような表現の自由というのは当然そこは制限があるべきであって、それを民間に任せ、当事者に任せていたのでは進まないからということで法律を作るわけですよね》と言っている。しかし、《公共の福祉に反するような表現の自由》というのは一体何を指すのだろう。最も必要なのは実在する人に対する人権及び公共の福祉であり、その点から見れば最も規制されるべきは違法性を持った(実写の)暴力ポルノであろう(内容ではなく、撮影の過程で行なわれていること自体が刑法の暴行罪に抵触している可能性があるから)。「青少年に有害」という「感想」程度のものを《公共の福祉に反する》とすりかえるのは、かえって本来守られるべき公共の福祉(社会秩序の構成)を侵害することになりかねない。

 松沢氏のこのような認識を支えているのは、青少年問題の根本的な原因はゲームであり、それを根絶することこそ青少年対策になる、ということだろう。しかし、何度も述べたとおり、ゲームが青少年問題の深刻化に寄与している、ということは実証できない。「世論」にとってゲームとは、それを槍玉に上げれば「癒される」ものに過ぎず、松沢氏の理論はそれにただ乗りするだけのポピュリズムに他ならない。

 余談だけれども、平成13年9月11日に起こった米国のテロのとき、マスコミは飛行機が貿易センタービルに突っ込む映像を繰り返し流したけれども、それに対して松沢氏はどう思ったのだろうか。また、平成15年のイラク戦争のときも、米英がイラクを爆撃する映像を流した後、例えば小泉純一郎首相の、イラク戦争を指示する発言が流されたけれども、松沢氏はそれらの報道が青少年に及ぼす影響を勘案したことがあるのだろうか。松沢氏はゲームに関して《今、こういうものは儲(もう)けられればいいということで、さまざま規制の網をくぐり抜けて、いろんな知恵を働かせて商売する方もかなり多いので》と述べているけれども、スペクタクルな映像を流しまくって《儲けられればいい》と考えているのはほかならぬマスコミであり、そのあたりへの想像力が欠如している。現在のマスコミにおける、特に戦争報道と少年犯罪報道における想像力の欠如は深刻だ。そのマスコミの現状と比べれば、ゲームなど取るに足らないものであろう。

 松沢氏に限らず、例えば日本大学教授の森昭雄氏(蛇足だが、この人が実は脳の専門家ではないことが最近になって明らかになっている)の「ゲーム脳」理論もそうだけれども、ゲームを最初から「悪」と決めつけ、それが青少年から思考力・社会性その他を奪っていると思い込み、それらを排した「健全育成」が子供を救う、という理論が怪物の如く横行している。しかし、結局のところ、彼等の振りかざす「健全育成」は自分の「気に入らない」物を排除した上での「健全育成」に過ぎず、真の健全育成とは子供がもっと多様なメディアや社会環境に触れることのできることをいうのではないか。無論その中にはゲームも含まれる。

 松沢氏などが振りかざす「現実と仮想の区別がつかない」というのはすり替えの論理である。なぜか。それは多くの保守系の政治化が「現実と仮想の区別がつかない」事態に陥り、彼らの脳内幻想、そしてその複数形の共同幻想としての「国家」の復活を切望し、そのための憲法や教育基本法の改正が行なわれているからである。松沢氏とも親睦の深い、石原慎太郎氏などはその典型であろう。それに関する詳しいことは「俗流若者論ケースファイル11・石原慎太郎」で。

 参考文献・資料
 土井隆義[2003]
 土井隆義『〈非行少年〉の消滅』信山社、2003年12月
 浜井浩一[2005]
 浜井浩一「「治安悪化」と政治政策の転換」=「世界」2005年3月号、岩波書店
 日垣隆[2002]
 日垣隆『エースを出せ!』文藝春秋、2002年9月

 橋本健午『有害図書と青少年問題』明石書店、2002年12月
 長谷部恭男『憲法と平和を問いなおす』ちくま新書、2004年4月
 宮台真司『宮台真司interviews』世界書院、2005年2月
 ジュディス・レヴァイン、藤田真利子:訳『青少年に有害!』河出書房新社、2004年6月

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コメント

はじめまして。
キムタケさんのブログ経由できました。
たまたま同テーマの記事がありましたので、トラックバックを送らせていただきます。

投稿: 喜八 | 2005年4月21日 (木) 11時57分

わざわざのトラックバック返し、ありがとうございました。
記事は興味深く読ませていただいてます。
これからも楽しみにしてますので。

投稿: くわじゅん | 2005年7月 9日 (土) 22時02分

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