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2005年5月15日 (日)

俗流若者論ケースファイル25・八木秀次

 平成17年3月14日に、総務省統計局から平成16年10月1日の推計人口が発表された。それによると、総人口は増加数・増加率が共に戦後最低を記録し(0.05%)、特に男性に関しては前年に比べて約9000人減少している。

 我が国は、いよいよ人口減少社会という歴史的に重大なターニングポイントを迎えている。これに関して、人口減少が起こる最大のファクターが、ほとんどの場合で少子化とされている。数少ない例外が、政策研究大学院大学教授の松谷明彦氏の議論で、松谷氏は、人口減少が起こるファクターは少子化よりもむしろ、戦後における2回のベビーブームにおいて生まれた世代の死亡のほうが大きいと述べている。松谷氏によると、我が国の死亡者数は、1990年代に入って増加に転じ、松谷氏との共著もある政策研究大学院大学教授の藤正巖氏の推計によると、死亡者数は2030年までには約180万人弱にまで急増する。松谷氏は、このような死亡者数の増加が、人口減少を引き起こすのであり、出生率の向上を図るべきだという見方に対しては《どうしても出生者数が死亡者数に追い付こうということにはなりそうにもない》と述べている(以上、松谷明彦[2004])。

 しかし、我が国においては少子化も同時に進んでいるのもまた事実である。戦後の我が国において、出生率は第2次ベビーブーム以降は一貫して減少し、最新の特殊出生率のデータが1.29という極めて低水準にあるということは各種報道や解説において読者諸賢も知っていることだろう。

 我が国においては、少子化に関しては悲観論が今のところは根強いけれども、例えば松谷氏や藤正氏、あるいは堺屋太一氏(作家、元経済企画庁長官)や原田泰氏(大和総研チーフエコノミスト)などのように、少子化に関して楽観論を唱えている専門家も多い。また、環境問題の解決という視点を盛り込んでも、人口減少はむしろ好ましいものと言えるだろう。

 少子化に対する言説に関して言うと、これをめぐる言説に関しては2重の「無責任の構造」が横たわっている。一つは、少子化及び人口減少社会というものが我々がまだ実際に直面したことのない社会なので、いくらでも解釈が可能だということ。そしてもう一つは、なまじ実際に子供を生む世代が比較的若い世代(20・30代)であるから、そこに俗流若者論をはさむのが可能であるということだ。

 特に少子化がらみの俗流若者論といえば、少年犯罪と結び付けられることが多い。このような議論を振りかざす人たち曰く、少子化が進むと子供の社会性が失われ、少年による凶悪な犯罪が繰り返されるようになる、と。あるいは、少子化が進むと、子供の数が減って、親が子供に対して何でも与えているようになり、我慢する精神が足りなくなって、「問題行動」が多発するようになる、と。我慢が必要なのはあなたたちだ、と皮肉の一つも言いたくなる。大体、このような言説を用いることによって世間の不安を煽ることの政治性を自覚していないこと事態に問題があるのではないか。

 そして、少子化をめぐる俗流若者論は、先に提示した2つの「無責任の構造」のミクスチュアとして生まれる。さらにそのような議論は、過度に「善良な」大人たちの感情に訴えようとする。どうせこのような言説の聞き手の大半は50年後には死んでいるだろうから(暴言で失礼!)、責任など負わなくてもいい、と考えているのだろう。このような人たちは、環境問題の解決にとっては最大の敵である。

 ちなみに、社会学者の柄本三代子氏は、出生率統計の政治性について、このように述べている。興味深いので引用しておく。

 新たな象徴支配として機能する遠い未来二〇五〇年の一・三九。つまりつねに重要なリスクとしての意味を担わされて語られる数字(でもただの数字)は、そんな数字はおかまいなしの「いま・ここ」でがむしゃらに産み育てようとする者たちの、間接的脅威として機能する。

 ……がむしゃらに現実と格闘する日々の向こうに透けて見えるのが、「必然化された不平等」、あるいは自己責任を終えない「能力なき者は去れ」ただそれだけだとしたら、どうだろう。「一・三九」(筆者注:平成12年の出生率)という数字の、これをリスク視する者たちの意図は、「一・三三人しか産まない者」(筆者注:平成13年の出生率)としか説明されない者たちの意思の終結である。健康に留意し細心の注意を払って育てているのは「国の明日を担う次世代」でもなんでもない。「一・三九」をリスク視する言説は、「いま・ここ」の私の問題を先送りすることは大得意だけれども、「いま・ここ」の私の現状をどうすることも出来ない。(柄本三代子[2002])

 以上のような視点で、高崎経済大学助教授の八木秀次氏の筆による「日本人が消滅する日」(「正論」平成16年8月号に掲載)を検証しよう。八木秀次、といっても、今ではどこの家庭にもあるテレビアンテナ、すなわち「八木アンテナ」を開発した人ではない。

 八木氏の問題意識は、《これで日本人がゼロになる日が一段と近づいたということになる》(八木秀次[2004]、以下、断りがないなら同様)というものであるらしい。なんと、日本人がゼロになる!このような扇動の問題点に関しては後で述べることにしよう。

 八木氏は、42ページ1段目と2段目において、政府の行なってきた少子化「対策」に関して、《結局、男女共同参画の発想に基づいた政策のオンパレードなのだ》と批判する。事実、男女共同参画的な政策が、少子化の「解決」に結びついたという事実はない(そもそも、信州大学助教授の赤川学氏のように、男女共同参画社会の実現が少子化を解決する、というのも誤りだ、という議論もある。赤川学[2004]を参照されたし)。

 八木氏は、42頁の1段目で、《大体、政府は少子化の原因を根本的に見誤っている》といっている。八木氏はその《原因》について、このように述べている。曰く、

 一・二九(筆者注・出生率)のニュースが報じられた六月十日の夜、テレビで待ちいく女性たちの声が紹介されていた。その中の一人、三十段前半と思われる独身女性が「今は女性も社会で活躍できる世の中だ。子供を持つとキャリアにはどうしてもマイナス。だから今は子供を持つ気はない」と述べていた。

 そう、若い女性たちが仕事で「自己実現」することや人生を楽しむことばかりを考え、結婚や子供を生む気がさらさらないことが少子化の最大の原因なのだ。現に一・二九の要因として二十代の女性が今まで以上に子供を産まなくなっていることが大きいと指摘されている。政府が男女共同参画や女性の「自己実現」を奨励するなどというこれまでの方針を転換して、結婚や出産・育児そのものが女性にとってどれだけ意義深いものであるか説くとともに、家庭育児を経済的にも支えて推進していくようにしなければ決して子供は増えないのである。

 この期に及んで俗流若者論とは。このような八木氏の論証立てが、若年層に対する蔑視で満ちていることを明らかにしていこう。

 八木氏は、《若い女性たちが仕事で「自己実現」することや人生を楽しむことばかりを考え、結婚や子供を生む気がさらさらないことが少子化の最大の原因なのだ》と書くことによって、少子化の原因を全面的に若い女性に押し付け、彼女らの「自己実現」なるわがままによって国家の危機としての少子化が生じているのだ、と述べているのである。もちろん、このような論証立ては、八木氏の「自己実現」であり、わがままなのだけれども。それはさておき、現代の社会において、子供を生むことが女性の地位向上(出世すること?)の障害になっているからといって、当の女性に出世することをやめろ、と八木氏は言っているのだが、出世を目指して働いている女性に対してそれを自分勝手であると決めつけ、子供を産めと命令することが、いかに倒錯した論理であるか、ということを、八木氏はわかっているのか。

 八木氏は江戸川区の出生率が、東京都の平均0.97を大きく上回る1.34であることに関して、その理由を《子育て支援をさまざまな面からサポートしている結果である》と述べた上で、次の段落で《政府の少子化対策もこれに倣えばいいのだ。……家庭育児を推奨し、それに沿った経済支援や教育・啓蒙活動をしていけばいいのだ》と述べているのだが、その直後で《その際、結婚・出産・育児の意義や母性を否定的に記述する家庭科や社会科の教科書を改めることは言うまでもない》と書いている。《結婚・出産・育児の意義や母性を否定的に記述する家庭科や社会科の教科書》がどういうものを指しているかどうかについては私は知らないのだが、教科書の記述を正すよりも講演会や課外授業などを通じて積極的に《結婚・出産・育児の意義や母性》を啓発したほうがいいのではないか、という気がする。

 43ページ1段目において、八木氏は《皇太子妃雅子様のご病気》について触れるのだが、私にとってすれば、これについて八木氏が述べた文章は、皇太子殿下と皇太子妃殿下に対する侮辱にしか私には読めなかった。八木氏は、43ページ1行目から2行目にかけて、このように述べている。

 失礼ながら皇太子殿下と妃殿下の一連のご発言からは先に紹介した三十代前半の独身女性と同じ発想が窺える。皇太子殿下は秘伝かが外交官の職を「断念」して皇室に入ったと述べられた。また妃殿下の「キャリア」を盛んに強調される。つまるところ妃殿下が海外訪問なさりたいということだが、それがお出来にならず、お世継ぎのご出産を求められるからご病気になられたということのようだ。

 皇太子殿下は六月八日のコメントでは「伝統やしきたり、皇室の環境に適応する過程でも大きな努力が必要でした」と、秘伝かが皇室の伝統やしきたりを踏まえたお務めよりも「その経歴を十分に活かし、新しい時代を反映した活動を行ってほしい」と述べられている。しかし伝統やしきたりこそが皇族を皇族たらしめているものではないのか。一体、殿下はどうなさったのだろう。

 《一体》、八木氏は《どうなさったのだろう》。この文章を読んでみる限り、八木氏は本来は伝統やしきたりを遵守すべき皇族の一人である妃殿下すら、《先に紹介した三十代前半の独身女性》のような歪んだ思想に毒されている、と考えているのは明らかであろう。八木氏が、皇太子殿下の政治利用をもくろんでいるのが見て取れる。しかし、八木氏のこのような論証立てには、天皇制に対する無理解も含め、さまざまな倒錯(殿下と妃殿下に対する侮辱も含めて!)が潜んでいる。

 第一に、社会学者の宮台真司氏が指摘するとおり(木村恵子[2004])、皇太子妃の外遊は私的な自由に属している行為であり、そのような行為に対して宮内庁の官僚が制限するのはまったくお門違いというほかない。妃殿下の諸行為や考え方に対して、《先に紹介した三十代前半の独身女性と同じ発想が窺える》と嘆くのは八木氏の自由だけれども、それを我が国の「衰退」と強引に結び付けて殿下や秘伝かを罵るのは、それこそ皇室に対する侮辱に他ならない。第二に、八木氏は《伝統やしきたりこそが皇族を皇族たらしめているものではないのか》と述べているけれども、《皇族を皇族たらしめているもの》はむしろ憲法である。

 それにしても、八木氏がこの文章の結びにおいて、《皇太子殿下、雅子妃殿下には今一度、天皇・皇后両陛下と、皇族としての本来のお務めとは何なのかについてお話し合いになっては如何だろうか。日本人とその中核たる皇室が消滅しないために民草の一人は不敬を承知でそう考えている》と書いているのはどうか。八木氏は、天皇や皇室という存在がどのような位置にあるか、あるいはその歴史性を恣意的に理解して、皇室を政治的に利用していると考えているのが一層明らかになってくる。そもそも八木氏は《日本人とその中核たる皇室》と述べているけれども、そのような図式が成立したのは明治維新の過程である。無論、その時代には、そのような図式を持ち出す必然性があったのだけれども、それに今でも固執し続けるのは、単なる反動にしかなりえないのではないか。

 現在検証している八木氏の文章のタイトルは「日本人が消滅する日」であり、冒頭でも述べたとおり、八木氏はこの文章の冒頭で《日本人がゼロになる日が一段と近づいた》と述べている。しかし、いくら少子化と人口減少が進んでいるといっても、毎年100万人程度の子供が生まれているのだから、日本人が本当にゼロになるのは数千年先であろう。この文章を読んでいる限り、八木氏が本当に恐れているのは、日本人がゼロになることではなく、八木氏の自意識のよりどころとなっているものがゼロとなることだろう。八木氏は、皇室の存在意義について《伝統やしきたり》をしきりに強調しているけれども、八木氏のほかの文章を読んでみる限りでは、八木氏は(「伝統」とは何か、を真に問うことはしないまま)「伝統」を自意識のよりどころにしていることが認められる。八木氏が皇室の存在意義の本質が憲法や皇室典範にあることを認めようとしないのも、そのような論理に基づくのだろう。

 この文章のみならず、八木氏の最近書いた文章を読んでいく限りでは、八木氏の歴史や伝統に対する安易な考え方が容易に見て取れる。八木氏はしきりに「伝統」の復権を唱えるけれども、結局のところそのような論理は、国民を八木氏の妄想に回収させることしか産まないのではないか。ここで検証した文章においては、少子化という国家の(正確に言えば八木氏の自意識の)危機を、皇室まで持ち出して安易に嘆いてみせる、というスタイルであり、このような態度こそ、少子化について一番邪魔な態度である。

 参考文献・資料
 赤川学[2004]
 赤川学『子どもが減って何が悪いか!』ちくま新書、2004年12月
 柄本三代子[2002]
 柄本三代子「科学のワイドショー化を笑えない時代」=「中央公論」2002年11月号、中央公論新社
 木村恵子[2004]
 木村恵子「雅子さまの「人間宣言」」=「AERA」2004年7月19日号、朝日新聞社
 松谷明彦[2004]
 松谷明彦『「人口減少経済」の新しい公式』日本経済新聞社、2004年5月
 八木秀次[2004]
 八木秀次「日本人が消滅する日」=「正論」2004年8月号、産経新聞社

 奥平康弘、宮台真司『憲法対論』平凡社新書、2002年12月
 長谷部恭男『憲法と平和を問いなおす』ちくま新書、2004年4月
 宮台真司『宮台真司interviews』世界書院、2005年2月

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コメント

先日、引用させていただきました。ご報告まで。

投稿: ハラナ・タカマサ | 2005年6月18日 (土) 10時25分

>皇室の存在意義の本質が憲法や皇室典範にあることを

この憲法ってまさか今のクソったれなマッカサー憲法(日本国憲法)のことを言ってるのか?

投稿: 公共管理人 | 2007年11月18日 (日) 04時00分

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