俗流若者論ケースファイル23・西村幸祐
最近2回の「俗流若者論ケースファイル」は、昨年の佐世保における同級生刺殺事件を取り扱ったので、インターネットたたきの文章(俗流若者論)ばかりを取り扱ってきた。なので、今回は、その真逆である安易なインターネット礼賛を批判したい。ただし、佐世保の事件とは本質的には関係ない。
検証するのは、産経新聞の月刊誌「正論」平成16年8月号に掲載された、ジャーナリストの西村幸祐氏の文章「「2ちゃんねる」を目の敵にし始めた朝日、岩波の焦燥」である。まあ、この記事は、講談社の「月刊現代」平成16年8月号におけるライターの荷宮和子氏の文章とはまったく対照を成すものであるのだが、結局のところ西村氏も、荷宮氏同様、スタンスはまったく対照的だけれども、安易に「敵」と「見方」を線引きしてしまうという姿勢はまったく変わっていない。また、西村氏によるこの文章は、様な産経が得意とする左派系メディア批判で、そのロジックの非論理性、イデオロギー性もまた目に付く、荷宮氏(ただし荷宮氏は右派系のメディア批判であるが)と同様に。
西村氏は、300ページにおいて少しだけ佐世保の事件に触れているけれども、ここに関しては別段異論はない。しかし同じページにおいて、西村氏は《〈ネット社会〉が必要以上に負のイメージで報じられるのは、じつは四月に起きたイラク人質事件が大きく関わっている》(西村幸祐[2004]、以下、断りがないなら同様)と事実に反する記述をしている。西村氏が言うような《〈ネット社会〉が必要以上に負のイメージで報じられる》という事態は、例えば平成12年に発生した佐賀県のバスジャック事件でも同様であった。それ以外にも、インターネットに関する(感情論的な)敵対的言説は、イラク人質事件以前にも多くあった。
このような論証立てを西村氏がする背景には、実を言うと西村氏が後のほうで「2ちゃんねる」(以下、2ch)を我々の言論の見方にせよ、ということを主張していることに起因するのだが、これに関しては後のほうで述べよう。
西村氏は301ページにおいて、平成16年4月22日付朝日新聞の社説を批判するけれども、この批判がまたお粗末である。西村氏は《「テロに屈してはならない、というのは当たり前のこと」だと言いながら「世界を見渡すと、それですべてがひもとけるわけではない」とテロを肯定し》(西村幸祐[2004]、以下、断りがないなら同様)と言っているけれども、このような文章のどこがテロを肯定している文章なのだろうか。この後で西村氏が引用している朝日社説を読んでも、むしろ西村氏の言うような《テロ肯定論》としてこの社説をとらえるほうこそ滑稽だと思う。
しかし、西村氏のこの文章の本当の問題は、このような認識にあるのではない。例えば西村氏は302ページにおいて、朝日新聞論説委員の高成田亨氏のコラムを引用して《ここで高成田氏は「2ちゃんねる」批判に人質家族と支援者に対する国民の感じた違和感と嫌悪感を置き換えることで、正面から自らの世論誘導が失敗した〈自己責任〉を回避し、失敗の分析を怠った》と書いているけれども、このような批判こそ責任や分析の回避ではないか?さらに西村氏は303ページにおいて、《これは、かつて筑紫哲也に便所の落書きと揶揄されたネットの言葉を〈ネット言論〉という仮想的として意識し始めた証左ではないだろうか?》そして《〈自己責任論〉はじつは政府やメディアという権力から出されたものでなく、国民から自然発生的に産み出されたものだ。それを証明するのが「2ちゃんねる」の「カキコ(書き込み)」なのだ。現実から目を逸らせて世論と自らの解離を客観視できなければ、戦後民主主義と牽引して来たと誤解したまま、彼らはますます状況から取り残される。今以上に〈ネット世界〉の嘲笑の対象になるだけではないだろうか》と書いてしまう。このように「2ちゃんねる」を肯定してしまう西村氏の背景には、明らかに高成田氏や筑紫氏他、左派系メディアや言論人に対する勝利の感情がある。
西村氏はこの後で社会学者の北田暁大氏も批判するのだけれども、北田氏に対する西村氏の批判については、高成田氏への批判とほとんど同じなので深くは触れないことにしよう。しかし、西村氏の文章について、一貫している「物語」がある。それは、「左翼的なマスコミや言論人によって思考停止に陥ってしまった社会を、2chが打破してくれる!」という幻想である。そして、なぜ西村氏がこのような幻想を抱くに至ったかといえば、結局のところ自らの意見と同じような意見が「2ちゃんねる」には多く見られた、という理由に過ぎないのである。
この文章のタイトルは「「2ちゃんねる」を目の敵にし始めた朝日、岩波の焦燥」であるけれども、私はこの文章に、「「2ちゃんねる」を「同志」にし始めた西村幸祐の焦燥」を感じ取る。この文章において西村氏が2chを過大視してさらに過剰に持ち上げているのも、本当は西村氏が自分の意見が認められているかどうか、という不安を抱いているからではないだろうか。たとえ「正論」が総合月刊誌としては最も売れていても、実社会においてはきわめて狭い世界であるし、2chにしても西村氏が味方につけたがるような文章が見られるのはごく一部に過ぎず、ネット上には信頼できる左派系のサイトも多くある。2chの一部の書き込みだけを見て、それに左派系のメディアや言論に毒された我が国の「解放」を幻想する、というのがむしろ私には焦燥に映る。
西村氏が2chにこれだけ過剰な「期待」を寄せているのも、西村氏の自意識というものが単なる勢いだけの右派系の言説に裏付けられているからなのかもしれない。少なくとも、勢いだけの言説によって自らを居食するしか能力のない人に、保守主義者を名乗ってほしくない。西村氏のこの文章は、単なる脆弱なヒロイズムの発露に過ぎない。
参考文献・資料
西村幸祐[2004]
西村幸祐「「2ちゃんねる」を目の敵にし始めた朝日、岩波の焦燥」=「正論」2004年8月号、産経新聞社
北田暁大『嗤う日本の「ナショナリズム」』NHKブックス、2005年2月
斎藤環『「負けた」教の信者たち』中公新書ラクレ、2005年4月
内山洋紀、佐藤秀男「さらば、2ちゃんねる」=「AERA」2004年7月12日号、朝日新聞社
内藤朝雄「お前もニートだ」=「図書新聞」2005年3月18日号、図書新聞
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<<蒋介石はダライラマを即位させました
http://www.frontline.in/fl2414/stories/20070727005200400.htm
FRONTLINE
Volume 24 - Issue 14 :: Jul. 14-27, 2007
INDIA'S NATIONAL MAGAZINE(インドの国民雑誌)
Future Tibet
`Tibet in Exile'
Interestingly, on February 22, 1940,
Tenzin Gyatso was enthroned as the 14th Dalai Lama at the Potala Palace
after receiving the necessary certificates and seals of approval
from the Chinese Nationalist government of Chiang Kai-shek,
which in fact allocated 400,000 silver dollars
to cover the expenses of the enthronement ceremony.
(訳)
チベットの未来
'追放のチベット'(?)
おもしろいことには、1940年2月22日に、
事実上、即位式の費用をカバーするために40万ドル銀貨?を振り当てた、
蒋介石の国民党から
Tenzin Gyatsoは
必要な証明証と承認の印鑑を受け取ったあとで
第14世ダライラマとしてポタラ宮で王位につかせられました。
投稿: どら焼き | 2009年3月23日 (月) 15時52分