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2005年6月 4日 (土)

俗流若者論ケースファイル27・毎日新聞社説

 1件の衝撃的な凶悪少年犯罪だけをもって、その世代について語った気になってみせる、ということがいかに愚かであることは、この連載で何回も述べている通りである。たった1件の凶悪犯罪をもって、現代の若年層を訳知り顔で語ってしまう人たちは、その認識に至るまでの交渉を放棄し、飛躍した考えでもって世間の「同情」を得て、そして若年層に対する敵愾心を煽る。

 笑止千万。彼らの視点に欠けているのは、まず、大多数の少年が凶悪犯罪を起こしていないことである。現在、たとえば殺人犯に関して言うと、現在我が国で1年間で検挙される少年殺人犯の数は約110人前後(昭和35年ごろの約4分の1)であるから、少年の人口から考えてみれば、現代の青少年が、青少年に「悪影響」を及ぼす風潮なるものによって毒されている少年たちがなぜこれほどまでに殺人を犯していないのか、というところまず突っ込むべきであろう。

 「理解できない」もの、すなわち漫画・アニメ・ゲーム・インターネット・携帯電話に対して彼らが過剰に反抗する理由は、そのようなものが社会に台頭することによって、彼らの自意識の基盤が崩れるからに他ならない。要するに、俗流若者論とは自意識の問題なのである。すなわち、彼らの幻想する共同性の質を、例えばゲームやインターネットがもたらすコミュニケーションは突きつけているのだが、彼らがこの「問い」に答えるのを避けるからこそ、メディア悪影響論を基盤とした俗流若者論が生まれる。俗流若者論は逃避の論理でもある。そして、彼らの逃避を正当化するのが、「風潮」とか「現代」とか「時代」とか「本質」とか、それこそ実体を伴っていない空疎な美辞麗句であり、あるいは「ゲーム脳」「ケータイを持ったサル」「フィギュア萌え族」といった、レイシズムのための「人種」捏造である。

 というわけで、このような私の考えを頭に入れつつ、平成17年2月17日付毎日新聞の社説を読んでほしい。この社説は、平成17年2月に大阪府寝屋川市で起こった教師刺殺事件について論じた社説であるのだが、突っ込みどころが満載だ。今回は、特に問題のある箇所を全文引用して、検証しようと思う。この社説の3段目から4段目である。

 かつて学校への不満は、窓ガラスなどを壊して発散するケースが多かった。いまは、いとも簡単に教職員を殺傷する。時代の影を感じる。

 最近の青少年の反抗にはテレビゲーム世代の特性がみられる。バーチャル(仮想)な空間では殺人がゲーム感覚で行なわれて、それに没頭するあまりに現実の生活感覚と区別がつかなくなっているのではないか、とゲーム文化を憂慮する声が広がっている。

 少年も小学校の卒業文集に「ゲームクリエーター」への夢を描いていた。この事件の背景にゲーム文化の影響があるのか、注意深く分析しなければならない。

 「ゆとり教育」のあり方を見直すために15日開かれた中央教育審議会の初総会では、委員から「少年が閉じこもってゲームをしていて、生活のリズムが崩れた。身体を動かす場所があって、よいコミュニケーションが取れていたら」との発言があった。

 周りの人間とのふれあいを避け、テレビゲームの世界に没入し、孤立していく少年たちに、どのように働きかけていけばいいのだろうか。少年たちの社会性を育てるために学校や地域によるサポート体制が求められている。

 いったい何が少年の心の傷となったのか、その過程と社会的な背景を可能な限り解明する必要がある。そのことが遠回りに見えても、学校への襲撃を避けるための手掛かりとなる。

 (2005年2月17日付毎日新聞社説、以下、断りがないなら同様)

 いや、ここまで露骨な俗流若者論を平気で社説で開陳できる毎日の社説子の強心臓ぶりに、ほとほと感心してしまう。例えば《かつて学校への不満は、窓ガラスなどを壊して発散するケースが多かった。いまは、いとも簡単に教職員を殺傷する》などと簡単に言ってしまっているけれども、それを裏付けるような事例的・数値的証拠を提示していないのだから、これは単なる「居酒屋の愚痴」の領域を超えることはないだろう。

 また、《最近の青少年の反抗にはテレビゲーム世代の特性がみられる。バーチャル(仮想)な空間では殺人がゲーム感覚で行なわれて、それに没頭するあまりに現実の生活感覚と区別がつかなくなっているのではないか、とゲーム文化を憂慮する声が広がっている》だとか《周りの人間とのふれあいを避け、テレビゲームの世界に没入し、孤立していく少年たちに、どのように働きかけていけばいいのだろうか。少年たちの社会性を育てるために学校や地域によるサポート体制が求められている》だとかいう記述を見たときは、思わず笑ってしまった、このような、思い込みに基づいた俗説を、いまだに毎日の社説子は信じているようである。

 大体、毎日の社説子は、「テレビゲーム=誰とも関わらずに一人で部屋に閉じこもってやるもの」だとか「少年の孤立化を促し、社会性の発達を阻害する」という偏ったイメージをいまだに信奉しているのだから救いようがない。もちろんそれはゲームのイメージの一面ではあるけれども、はっきり言ってそれは悪い一面をさらに強調して、よい一面(例えばゲームを仲介したコミュニケーションが成り立つこと)に対する検証をまったく放棄している行為に他ならない。

 そもそも《テレビゲーム世代の特性》とはなんなのか?もし、毎日の社説子がそのような図式化を行なうのであれば、《テレビゲーム世代》による殺人と《テレビゲーム世代》以前による殺人を峻別すべきであろう。もちろん、《バーチャル(仮想)な空間では殺人がゲーム感覚で行なわれて、それに没頭するあまりに現実の生活感覚と区別がつかなくなっている》という、既に論破されつくしている俗説ではなしに。もう一つ、《それに没頭するあまりに現実の生活感覚と区別がつかなくなっている》ということについて、どこまでが《現実の生活感覚と区別がつかなくなっている》状態であるかという定義もまず必要なのではないか。

 しかも、この毎日社説子が引いている《15日開かれた中央教育審議会の初総会》における発言の中に《少年が閉じこもってゲームをしていて、生活のリズムが崩れた。体を動かす場所があって、よいコミュニケーションが取れていたら》という発言があることには失笑を感じ得なかった。では聞こう。《体を動かす場所》が子供たちから奪われていたら?これは大袈裟に言っているのではない。実際問題、小学生がキャッチボールをしているときに、誤ってそれが関係のない子供の胸に当たってしまい、しかもその子供が死亡してしまった事件に関する裁判について、ボールを投げた子供に対する「親の監督責任」が司法によって問われたという実例があるのだ。すなわち、子供は親の監督の元でしか遊べない、という時代が到来しているのではないか、というのは少々大袈裟かもしれないが、それでも「ゲーム」という存在に頽廃的なイメージを供給し続けるのは、そろそろやめるべきではないか。

 毎日社説子は、《周りの人間とのふれあいを避け、テレビゲームの世界に没入し、孤立していく少年たちに、どのように働きかけていけばいいのだろうか。少年たちの社会性を育てるために学校や地域によるサポート体制が求められている》と気楽なことを言う。しかし、現在の学校や地域にそれが可能か、という議論もあることを忘れてはならない。学校に関して言うと、明治学院大学非常勤講師の内藤朝雄氏は、現在の学校の状況について、《生徒にされた人たちは、たまたま同じ箱に強制収用された他人たちと一日中べたべた共同生活し、諸関係のアンサンブルのようにふるまうことをきめ細かく強制される》(内藤朝雄[2004])ものであると批判している。内藤氏は、このような環境下によって生まれる集団意識が生み出す全能意識こそが、深刻な「いじめ」を引き起こす、とも論じている(内藤朝雄[2001])。内藤氏の視点から言えば、毎日の社説子の学校観は、あまりにも能天気なものといわざるを得ないだろう。

 また、地域にしても、東北大学助教授の五十嵐太郎氏が、見えない「敵」に対抗するために地域を閉鎖化させている様子を淡々と論じている文章を見ていると(例えば、五十嵐太郎[2004])、「今時の若者」なる存在に脅える地域社会に、青少年を育成する能力があるのか、と疑問を持ってしまう。

 現在、「今時の若者」への敵愾心を最も煽っているのは、マスコミといわざるを得ない。そして、残念ながら、今回採り上げた毎日の社説を始め、多くのマスコミが、そのような現状を棚に上げて、ひたすら「今時の若者」に対する「対策」としての政策ばかり掲げている。このような倒錯した状況を突き崩すのは、もはや外部からの圧力を強化するほかないのではあるまいか?

 参考文献・資料
 五十嵐太郎[2004]
 五十嵐太郎『過防備都市』中公新書ラクレ、2004年7月
 内藤朝雄[2001]
 内藤朝雄『いじめの社会理論』柏書房、2001年7月
 内藤朝雄[2004]
 内藤朝雄「「友だち」の地獄」=「世界」2004年12月号、岩波書店

 中西新太郎『若者たちに何が起こっているのか』花伝社、2004年7月
 パオロ・マッツァリーノ『反社会学講座』イースト・プレス、2004年5月

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