俗流若者論ケースファイル30・森岡正宏&杉浦正健&葉梨康弘
編集長の薬師寺克行氏をはじめ、「論座」編集部の皆様には、よくやったと言いたい。「論座」平成17年6月号の憲法特集の中で、「論座」編集部のクレジットがついている記事「自民党議員はこんなことを言っている!」というものがあるのだが、その内容は、平成16年の自民党憲法調査会議における自民党改憲派議員の「妄言録」である。
この「妄言録」を読んでいると、自民党で「改憲派」と称されている人の一部が、いかに自らの思い込みと妄想だけで憲法改正という国家的な大プロジェクトに取り組もうとしているかがわかる。そして、「論座」編集部の人たちは気づいているかどうかはわからないが、その中でも目立つのが、俗流若者論との結託が強いものであり、今回はそれらの言説を検証することにしよう。
例えば、森岡正宏氏(「無痛文明論」の森岡正博氏ではない)は、
あまりにも個人が優先しすぎで、公というものがないがしろになってきている。……私は徴兵制というところまでは申し上げませんが、少なくとも国防の義務とか奉仕活動の義務というものは若い人たちに義務付けられるような国にしていかなければいけないのではないかと。(朝日新聞社[2005]、以下、断りがないなら同様)
《国防の義務とか奉仕活動の義務》を設けることによって若年層を「正常化」せよ、という議論は簡単に論破できる。というのも、我が国は戦後一貫して徴兵制や奉仕義務を採用してこなかったからである。それなのに、現代の若年層の「問題行動」を是正するために徴兵制を導入せよ!という議論が最近になってまかり通ってきているけれども、これは明らかに若年層バッシングによるナショナリズムの高揚以外の何物でもないのではあるまいか。
せめて徴兵制についてある程度調べてから言っていただきたいものである。また、徴兵制が起こす悪影響についても調べておく必要があるだろう。例えば韓国の事例を紹介している翰林情報産業大学教授の尹載善氏は、韓国での軍事文化が社会に及ぼす悪影響として、徴兵制を経験した男性が暴力的になったり、あるいは大酒飲みになることなどを挙げている。また、精神科医の斎藤環氏によれば、韓国においても「ひきこもり」は進行しており(斎藤環[2003][2005])、徴兵制を敷いて「ひきこもり」を解決せよ、という議論がまったく無意味なものであることを示唆している。
もう一つ、これはマイケル・ムーアの「華氏911」でも語られていたことであり、尹氏や斎藤氏も触れていることであるが、徴兵制を敷くと、常にそれの犠牲になるのが経済的に地位の低い層である、ということも多い。それにしても森岡氏、そして森岡氏と同様の考えを持っている議員の人たちは、もし徴兵制が敷かれたら、自分の子孫に向かって同じ事を言って、軍隊に入隊させるのだろうか。「華氏911」における、ムーアが「自分の子供を自衛隊に入隊させよう!」というビラを議員に配るような事態にならないことを祈る。
次は杉浦正健氏である。
日本のいまの憲法はどちらかというと西洋に引きずられてワーッと権利のほうへ傾斜した。……フィリピンでは、子どもを5人以上つくる。保険制度ありませんから、子供を5人つくると子どもが親を養ってくれる。だから子供をしっかり育てて親孝行をしてもらうといういい循環である社会です。いまの日本の子どもに親孝行という気持ちはないわけではないだろうけれども、自然に親に孝養を尽くす、親が年とったら扶助するという気持ちになるかどうかが問題。
杉浦氏よ、これは社会保障関係の委員会ではないのである。読者の皆様にも、これがあくまでも自民党の憲法調査会で発せられた発言であることを肝に銘じていただきたい。そもそも議論が倒錯してはいまいか。この文脈から考えるのであれば、杉浦氏が最も先に主張するべきは社会保障制度の撤廃であろう(ただしこれは憲法25条に明らかに違反する)。
さて、発言の検証に移るけれども、明らかに国柄が違う2つの国を同列に並べて考えるというのが問題であるし、またこの文章を読んだら論点が二転三転しているのもよくわかるだろう。しかも杉浦氏、《いまの日本の子どもに親孝行という気持ちはないわけではないだろうけれども》と語っているけれども、これは偏見としか言いようがないだろう。《自然に親に孝養を尽くす、親が年とったら扶助するという気持ちになるかどうかが問題》というのも。
それにしても杉浦氏、憲法改正して少子化を解決しろ!とでも言いたいのだろうか?せめて政策研究大学院大学教授・松谷明彦氏の章しか悲観論批判でも読んで出直していただきたい。また、杉浦氏は、フィリピンの憲法がいかなるものであるか、ということについても言及するべきであろう。
極めつけは葉梨康弘氏の発言だ。頭に来たので全文引用する。
たくさんの青年海外協力隊の方がインドネシアで真面目に働いている。ところが、彼らが日本に帰って、家の前を掃いているかといったら、道を掃かない。つまり、なんとなく世界市民主義的なことだけが格好いいという形の教育が今なされていて、足元の同じボランティアをやらない。日本の国内もそう。神戸の震災があれば行く。ナホトカ号があれば行く。マスコミが言うときだけ行って(筆者注:原文では《言って》になっているが、明らかに誤植であろう)、私たちの意識というのが極めて偽善の社会になっているのではないか。ですから、むしろ国家意識ということでボーンと頭から説得するのではなくて、今の戦後教育の中で育ってきた私たちは極めて偽善の中に生きている。この憲法だって、だから主権在民と言った。それから、国際協力しかうたわれていない。日本国内の協力が一切うたわれていないということが、非常に中途半端な若者を育ててしまった。
まったく、ここまで露骨な俗流若者論を堂々と開陳して恬然としている葉梨氏の心理がが知れない。また、このような飛躍した暴論を簡単に受け入れてしまう他の議員たちも、このような動機から憲法改正に同調するということが、いかに危険なものであるということを、俗流若者論を党綱領および行動原理とする政党が与党にならないとわからないのだろうか。そもそも俗流若者論とは、若年層の問題を何か単一のものになすりつけたり、あるいは彼らの精神の問題に矮小化することによって、社会構造的な問題を隠蔽するという側面を持っている。そのような無責任な言論体系に政治を任せることがどうしてできようか。
さて、本題に入ろう。まず、葉梨氏の提示している事例が極めて恣意的であるし、しかもそれを《なんとなく世界市民主義的なことだけが格好いいという形の教育が今なされていて、足元の同じボランティアをやらない》などと結論付けてしまうのは飛躍であろう。そもそも《なんとなく世界市民主義的なことだけが格好いいという形の教育》とは、いかなるものを指すのか教えてはくれまいか。
また、《この憲法だって、だから主権在民と言った》と葉梨氏は語っているけれども、《だから》が何をさすかわからない。葉梨氏は《今の戦後教育の中で育ってきた私たちは極めて偽善の中に生きている》というのは(これも正しいかどうかは検証する必要があろう)戦後の状況であると語っているのだから、《主権在民と言った》というのは戦前から《極めて偽善の中に生きている》状況があり、だから《主権在民》が憲法に書かれたと葉梨氏は言わなければならないはずである。この発言から、いかに葉梨氏がその場その場の思い込みによって語っているかがわかるはずだ。また、葉梨氏の幻想としての「戦後」と「戦後以外」という図式が葉梨氏のこの暴論を支えているのは明らかであろう(ちなみに葉梨氏は昭和34年(1959年)生まれであるらしい)。あともう一つ、《非常に中途半端な若者》がどのような人を指すのか教えてくれ。
それにしても、憲法改正の最前線に立っている人たちが、いかに幻想としての「戦前」や「戦後」を妄信していたり、あるいは「今時の若者」に対する敵愾心が改憲へのエンジンになっていたりとかいった現状が、自民党の改憲派議員集団の中で着々と進行しているというのが恐ろしいことに思えてならない。俗流若者論による政治とは、人々の「今時の若者」に対する敵愾心を回収し、それを政治に反映させることによって、「今時の若者」を「正常化」しているという幻想を持たせることはできるけれども、問題の本当の解決にはなんら影響を及ぼさない。そもそも俗流若者論は、自分を「正義」と規定し、さらに自らの過去をタブー化するという性質を持っており、若年層をバッシングするためならいかなる書き飛ばしも厭わない。俗流若者論は、「今時の若者」をバッシングすることには長けているけれども、それ以外にはまったく無能である。
かつて、ジャーナリストの西村幸祐氏を批判したとき、西村氏が「2ちゃんねる」に対して「2chが左翼勢力によって毒された言論状況を打破してくれる!」という「物語」に陶酔している、ということを私は指摘したけれども、ここで取り上げた森岡氏、杉浦氏、そして葉梨氏に共通しているのは、「憲法改正が左翼勢力によって毒された状況を打破してくれる!」という空疎な「物語」に他ならない。このような「物語」に心酔することは、憲法をめぐる冷たい現実から目を逸らすばかりでなく、改憲が及ぼす善悪両面のファクターを無視することになる。
私は改憲それ自体は否定しない。しかし、このように、「改憲」とか「戦後」とか「戦前」なんかに過度の幻想を抱いている人たちによる改憲は、結局のところはこれらの人たちの「自己実現」しか実現し得ないのである。そのような改憲が、どうして許せようか。
ちなみに、「改憲」とか「戦後」「戦前」に対して過度な幻想を抱いている言論人は、政治家よりも過激な幻想を抱いていることが多い。次回は、そのような人を検証しよう。
参考文献・資料
朝日新聞社[2005]
「論座」編集部「自民党議員はこんなことを言っている!」=「論座」2005年6月号、朝日新聞社
斎藤環[2003]
斎藤環『ひきこもり文化論』紀伊國屋書店、2003年12月
斎藤環[2005]
斎藤環『「負けた」教の信者たち』中公新書ラクレ、2005年4月
尹載善[2004]
尹載善『韓国の軍隊』中公新書、2004年8月
長谷部恭男『憲法と平和を問いなおす』ちくま新書、2004年4月
山本七平『日本はなぜ敗れるのか』角川Oneテーマ21、2004年3月
小熊英二「改憲という「自分探し」」=「論座」2005年6月号、朝日新聞社
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コメント
いつも拝見させていただいております。
メディアにて声高に叫ばれる若者論に違和感が感じて仕方なかったのですが、後藤さんの考察の数々に得心させられることしばしばです。
居酒屋でオッサンたちがクダをまいているレベルの発言がメディアや政治の場でオピニオンとして流布されている現状をわたしも憂えています。
ブログ初心者ですがよろしくお願いいたします。
(初めてトラックバックなるものをさせていただきました。いまいち良くわかっていませんので失礼の段がございましたらお許し下さい。)
投稿: SIVA | 2005年7月 3日 (日) 05時49分
いつも拝見させていただいております。
メディアにて声高に叫ばれる若者論に違和感が感じて仕方なかったのですが、後藤さんの考察の数々に得心させられることしばしばです。
居酒屋でオッサンたちがクダをまいているレベルの発言がメディアや政治の場でオピニオンとして流布されている現状をわたしも憂えています。
ブログ初心者ですがよろしくお願いいたします。
(初めてトラックバックなるものをさせていただきました。いまいち良くわかっていませんので失礼の段がございましたらお許し下さい。)
投稿: SIVA | 2005年7月 3日 (日) 05時49分
すみません!コメントダブってしまいました。
投稿: SIVA | 2005年7月 3日 (日) 05時50分
すみません!コメントダブってしまいました。
投稿: SIVA | 2005年7月 3日 (日) 05時50分
はじめまして。偶然おじゃましてたいへん参考になりました。ここ毎日、自民の改憲案批判をしていますので、早速リンク、トラバさせていただきました。ありがとうございました。
投稿: ましま | 2005年11月 1日 (火) 19時52分