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2005年7月23日 (土)

トラックバック雑記文・05年07月23日

 お久しぶりです。最近このブログの更新が停滞していたのは、建築の課題を作っていたからですが、一応毎日アクセス確認はしていました。

 その確認をしていたときに判明したのですが、どうやら誰かがパチンコ関係のネット掲示板に私の記事へのリンクを何の文脈もなく、しかも私が投稿したものであるかのように貼っている人がいるようです。

 ここで申し上げておきたいのですが、まず私はその事実を知るまでその掲示板の存在を知りませんでした。また、たとえ掲示板に投稿する際でも、私は原則として本名でしか投稿しません。なので、その掲示板にさも私が貼ったかのごとく書かれている書き込みは、明らかに私のものではないのです(ちなみに最近「北の系」の掲示板に投稿した文章は私のものです)。

 確かにこのブログは、タイトルの近くにも書いてある通り、リンク及び転載は歓迎しております。私に提供したい情報があれば、どしどしトラックバックやコメントを投稿していただきたいものです(アダルトブログなどからのトラックバックは無条件に削除させていただく場合があります)。しかし、この場合は、明らかに私に対する誤解をあおるものであり、私はそのことで大変迷惑を被っております。

 まさかこのブログの常連の読者がそのようなことをするはずはないのだと思いますが、この文章を読んでいるのであれば、まずその行為をやめてください。

 ここからが本文です。
 フィギュア萌え族(仮)犯行説問題ブログ版:ガードレールの金属片の謎、解明される(古鳥羽護氏)

 本の2ヶ月ほど前、あれほど我が国を騒がせた「ガードレールの謎の金属片」問題も、今ではまったく聞かれなくなりましたね。で、最近になって、ようやくその「原因」がわかったらしい。ここで引用されているNHKのニュースによると、車がガードレールにこすれたときに車の金属がはがれて、あのような形の金属片が生成されてしまうとか。

 それにしても、この記事における結びの言葉が極めて秀逸ですね。

 さて、この現象を、「テレビゲーム世代」、「2ちゃんねらー」、「ひきこもり」、「ニート」による人為的なイタズラであると決め付けたコメンテーターたちは、明日からテレビに出ないで欲しいものです。

 まったくもって正しいですね。しかし、これはテレビのみならず新聞も同じでしょう。私の家では読売新聞を購読しているのですが、このことを取り扱った第1社会面の記事で、2人の自称「識者」がコメントしていましたが、そこに掲載されていた、漫画家の弘兼憲史氏の発言がひどかったことを記憶しています。曰く、「このようなことがインターネットを通じて広く行われるようになるひどい社会になってしまった」と(うろ覚えで申し訳ありません)。この現象に関して、何でもかんでも「今時の若者」のせいにしてしまった人たちは、まず最低条件として1年ほどコメンテーターとして参加するのを自粛してくださいね。

 また、先ほどの話題とかなり関係があるのでここも採り上げておきましょう。

 週刊!木村剛:[金曜日ゴーログ]さすがにマスコミは「叩く相手」を知っている!(木村剛氏:エコノミスト)

 今年のバレーボールのワールドカップは、我が街仙台で行なわれましたけれども、そこでジャニーズの某グループとフジテレビの某アナウンサーの不祥事がありましたね。まあ、この問題に関しては、多くの人が知っていると思うので改めて書く気はありません。木村氏のブログで事件の概要がおさらいされているのでそちらを読んでください。

 それにしても、木村氏のブログでも触れられているのですけれども、本来であればこの手のネタは格好のワイドショー報道の材料になるはずなのですけれども、あまり報じられていないようですね。さすが、身内には甘い、というべきか。

 身内には甘い、ということで私が真っ先に思いつくのは若年層に関する報道や言論です。例えば我が国の左派論壇において、「今時の若者」を嘆くために「戦後」を持ち出すような歴史修正主義が増えています。これでは「今時の若者」を嘆くために「戦前」を持ち出すような右派の歴史主義者となんら変わるところはありませんよ。しかし、左派論壇の人たちは、彼らを右傾化したと批判したり指摘したりしない。特に筑紫哲也氏は、筑紫氏が今や(というよりもずいぶん前からか)左派論壇のトップスターであるということもあってか、いかに「週刊金曜日」の連載で復古主義的なナショナリズムを煽っていても(「俗流若者論ケースファイル10・筑紫哲也」を参照されたし)、そのような言論を右傾化だとか指摘する人はいません。筑紫氏ほどではありませんけれども、吉田司氏や斎藤貴男氏なんかもこの傾向が現れ始めていますね。特に斎藤氏。斎藤氏は、かの曲学阿世の徒・京都大学霊長類研究所教授の正高信男氏のトンデモ本『ケータイを持ったサル』(中公新書)を、朝日新聞と、著書『人を殺せと言われれば、殺すのか』(太陽企画出版)と『安心のファシズム』(岩波新書)で絶賛していた。そのような斎藤氏の文章を読んで、私は「いったい、斎藤貴男はどうなってしまったのか!」(もちろん、斎藤氏と魚住昭氏の共著『いったい、この国はどうなってしまったのか!』(NHK出版)のパクリです)と驚いてしまいました。「サイゾー」の今月号で、例の宮台真司氏と宮崎哲弥氏の対談において、宮崎市が斎藤氏のことを「頭は左翼だが、体は半分保守オヤジに浸かってしまっている」状態であると批判していましたけれども、「頭は左翼、体は保守オヤジ」という人たちが多すぎます。左右関わらず、「体が保守オヤジ」の人々によって現在の言論界が支えられているから、このような事態が生じるのでしょうかね。

 それにしても、彼らの考える「国家」とはなんなのでしょうか。

 ン・ジュンマ(呉準磨)の備忘録:ナショナリズムとは、つまり「国民国家の虚偽意識」か
 弁護士山口貴士大いに語る:カスパルがうさんくさい要望書をエロゲー関係各社に送ったようです(山口貴士氏:弁護士)
 kitanoのアレ:反性教育の動向(6)

 なぜ、俗流若者論に寄りかかる歴史修正主義者の思考を考える上でこのような記事を持ってきたか。それは、まさに彼らの「国家」が彼らを正当化するためだけの道具に過ぎない、ということを言いたいのです。

 山口氏のブログでは、アダルトゲーム規制を推進する団体がアダルトゲーム業界に怪文書を送ったことが報告されています。しかし、なぜこの団体はアダルトゲームにこだわるのでしょうかね。アダルトゲームにこだわりすぎると、犯罪の実像はまったく見えなくなりますが、彼らにとっては見えなくてもいいのでしょうか。所詮は自分の「理解できない」ものを国家によって規制しろ、といいたいわけですね。超国家主義と生活保守主義の最悪の結婚です。

 また「kitanoのアレ」では、中教審が高校生以下の性行為を認めない、という決定をしたようです。ここで引用されている共同通信の記事を読んでいると、嗚呼、やはり我が国は「言霊の国」だ、と嘆きたくなります。中教審の皆様方は、とにかく駄目だと言っていれば解決する、と思い込んでいるのですからね。考え方が甘すぎやしませんか。
 この2つに共通するのは、「強い国家」によって「今時の若者」を「是正」することを目的としていることでしょう。彼らが「今時の若者」に対して不快感を持っているのはよくわかります。しかし、その「解決」のために国家を持ち出し、「国家」に自らの「癒し」を求める、という態度は果たして正しいのか。私はそうは思いませんね。私だって、俗流若者論を批判する立場にある身であっても、やはりメディア的な「今時の若者」に不快感を覚えることはありますよ(仙台ではあまり見かけませんが)。しかし、そんな個人的な感情を、現代の若年層における「国家」意識の喪失なる論理と無理やり結びつける、という行為は、はっきり言って良識ある大人の行為ではないでしょう。

 今や国家は、「今時の若者」に対する個人的な恨みつらみを晴らしてくれる存在でしかなくなりつつあります。真面目な国家主義者は、直ちにこの状況を批判すべきでしょう。

 ヤースのへんしん:皆の道

 日本最速の161キロを記録した横浜ベイスターズのマーク・クルーン投手にあやかって、横浜市の市議より「市道鴨志田161号」に「クルーンロード」という愛称を付けようという動きが持ち上がってるらしい。

 うわあ、莫迦莫迦しい(笑)。もちろんこの記事の筆者も莫迦莫迦しいと思っていますが。

 この文章を読んで、東北大学助教授の五十嵐太郎氏(『戦争と建築』『過防備都市』の著者です)の授業において、北朝鮮の建築のスケールや装飾の数(例えば金日成広場の正面にある「主体思想塔」の高さ)が北朝鮮の革命史とか金日成にまつわる数字とかにあわせられている、ということが語られていたことを思い出しましたよ。

 このようにセンスもなく、ただ単に人気にあやかっただけの地名や愛称が、その後においてどのように語られるか、ということを考えてみるとなんだか滑稽に思えてきます。野球の選手が日本催最速の等級速度を出した、だからこの道路にそのような愛称がついたのだ、と言われても、その知名に愛着を持つ人がいるのでしょうかね。どうも疑問に思ってしまう。

 minorhythm:夏本番っ☆(茅原実里氏:声優)
 ひとみの日々:夏バテ?(生天目仁美氏:声優)

 仙台の梅雨明けはまだですが、いよいよ本格的な夏が始まりました。私も、本日、長かった建築の課題が終わり、いよいよ夏休みに入ります(補講とか試験とか提出とかたくさんありますが)。余暇の時間が多くなるので、このブログの更新頻度も多くなるでしょう。後はアルバイトが欲しい。私は「家庭教師のトライ」に所属しているのですが、現在生徒を持っていない状況です。なので、積極的にトライのほうに電話をかけて、新しい生徒はいないかといっております。さぞかしトライの仙台支部も迷惑千万でしょう(笑)。

 アルバイトがないなら、夏休みは物書きに徹しますか。一応現在検証待ちの文章もいくつかありますが、8月初旬からは夏休み特別企画を行なうことを考えております。
 それは「俗流若者論大賞」。平成12~15年に後で挙げる雑誌に発表された俗流若者論から1年ごとに、準グランプリを3~5本、そしてグランプリを1本ノミネートしようと思います。なので、この特別企画の期間中は、カレントな俗流若者論の批判はしばらくお休みになります。

 対象となる雑誌:文藝春秋、諸君!(以上、文藝春秋)、中央公論(中央公論新社)、現代(講談社)、世界(岩波書店)、正論(産経新聞社)、Voice(PHP研究所)、論座、週刊朝日、AERA(以上、朝日新聞社)、Yomiuri Weekly(読売新聞社)、サンデー毎日(毎日新聞社)、週刊金曜日(金曜日)

 また、雑誌に投稿するために、ここでは公開しない文章も執筆するつもりです。とりあえず現在執筆予定なのが「疑似科学の潮流と俗流若者論」とか「俗流若者論が生み出す歴史修正主義」とか。というのも、先月の頭ごろに、このブログの記事「壊れる日本人と差別する柳田邦男」を「論座」編集部に投稿したときに、編集部から既に発表された文章は掲載できないと電話がかかってきましたので、雑誌投稿向けに、これまでの私の俗流若者論批判を一つのテーマにまとめて、俗流若者論という言論体系にあまり明るくない人にも読んでもらえるような文章に仕上げるつもりです。もし投稿してから1ヶ月以上反応がなければ、ここで公開するつもりです。

 それから、前回の雑記分から、以下の記事を公開したので、是非読んでください。

 「俗流若者論ケースファイル35・斎藤滋」(7月10日)
 「俗流若者論ケースファイル36・高畑基宏&清永賢二&千石保」(7月13日)
 「俗流若者論ケースファイル37・宮内健&片岡直樹&澤口俊之」(同上)
 「俗流若者論ケースファイル38・内山洋紀&福井洋平」(7月16日)

 そうそう。あさってはついに我らが仇敵(だったのか)・正高信男の新刊が発売される日ですよ。

 正高信男『考えないヒト』中公新書、2005年7月25日発売予定

 中央公論新社のウェブサイトでは、《通話、通信からデータの記憶、検索、イベントの予約まで、今や日常の煩わしい知的作業はケータイに委ねられている。IT化の極致ケータイこそ、進歩と快適さを追求してきた文明の象徴、ヒトはついに脳の外部化に成功したのだ。しかしそれによって実現したのは、思考の衰退、家族の崩壊などの退化現象だった。出あるき人間、キレるヒトは、次世代人類ではないか。霊長類研究の蓄積から生まれた画期的文明・文化論》と紹介されています。まあ、帯を見る限りでは、おそらく『人間性の進化史』(NHK人間講座テキスト)をさらに拡大したものになるのでしょうか。しかし、あのテキストだけでは新書というサイズにまとめることができないので、ある程度加筆することになるのでしょうけれども、少なくともこの本が彼の疑似科学路線を突っ走った本になることは間違いないようです。

 皆様、この機会に、正高信男という曲学阿世の徒について復習をしてみましょう。

 まず、私の正高信男批判を。

 「正高信男という病 ~正高信男『ケータイを持ったサル』の誤りを糺す~」(平成16年11月7日)
 「正高信男という堕落」(平成16年12月4日)
 「またも正高信男の事実誤認と歪曲 ~正高信男という堕落ふたたび~」(平成17年2月24日)
 「正高信男という頽廃」(平成17年3月8日)
 「正高信男は破綻した! ~正高信男という堕落みたび~」(平成17年4月5日)
 「暴走列車を止めろ ~正高信男という堕落4~」(平成17年7月3日)
 私の正高信男批判を全部読みたい方はこちら

 また、他のブログにおける正高信男批判も紹介しておきます。

 えこまの部屋:[社会]EMYさんへの返事[社会]少子化対策ぅぅ~~?(着地点はコレかよ!)

 はぁ・・・?
 これケイタイを持つ者へのなんらかの批判と啓蒙の書だったのではないのですか?
 (少なくともそれを期待し彷彿させるタイトルだったんですが・・・)

 百万歩譲って「この本は本当は少子化対策の本だった」として、
 この程度の提案(少子化対策案)って・・・
 なんだか高校生の子が、もしくは家政科の短大生が明日提出で急いで仕上げた
 「私が考える少子化対策レポート」みたいに思えるんですけれど・・・。

 脱力である。

 ふたたびEMYさんのコメント再生
 >読まなくて正解と思います。

 ほ・・・ほんほひそうらね、EMYひゃん。(ほんとにそうだね、EMYさん)

 ちなみにこの記事では、このブログではおなじみの「千人印の歩行器」の栗山光司氏が私の文章を紹介しております(この記事が「堕落みたび」にトラックバックされているのもそのためでしょう)。この記事は、一般読者の立場から正高本に突っ込みを入れております。

 思考錯誤:[note] 『ケータイを持ったサル』か?(辻大介氏:社会学者)

 しかしだな、その実験の解釈や議論の組み立てかたは、やはりトンデモと言わざるをえないところがある*1。いかに優れた自然科学者であっても、生半可に社会評論に手を出してしまうと、こんなことになってしまうんかいなと愕然としてしまう。お願いだから、正高さんには、こっち方面からはとっとと手を引いて(どうせ片手間しごとなんだし)、着実に本業を進めてほしいと切に思う。優秀な人が道を誤っちゃいけない。

 本当にその通りであります。

 あと、オフラインの正高批判も挙げておきます。

 宮崎哲弥「今月の新書完全読破」2003年9月分=「諸君!」2003年12月号、文藝春秋

 私には呆れるほど杜撰で、学者としての良心すら疑いたくなる内容なのだが、新聞などの書評は押し並べて好意的だった。
 日本人が「退化」しているかもしれないという危惧にだけは同意してもよい。私の危惧は、著者を含めたインテリ層の知的能力の「退化」に対するものだけど。(280ページ)

 岸本佐知子「(ベストセラー快読)おじさんも「感動した!」」=2004年3月28日付朝日新聞

 この本の悪口を言うのは簡単だ(オヤジの主観丸出しだとかトンデモ本じゃないのかとか女になにか恨みでもあるのかとか)。が、そんなことはこの際どうでもいいのだ。著者は、学者として何より大切な客観性を投げうち、神聖な研究対象をネタに使ってまで、世の虐げられたおじさんたちを勇気づけようとしているのである。何と崇高な犠牲精神であろう。

 斎藤美奈子「(斎藤美奈子 ほんのご挨拶)サルとヒトの区別ない 印象のみの比較論」=「AERA」2003年12月8日号

 ※備考:この「ほんのご挨拶」をまとめた本が、斎藤氏の最新刊の『誤読日記』(朝日新聞社)として刊行されています。私はまだ読んでいないのですが、おそらく正高本への批判も収録されているでしょう。

 相手がサルだと社会統計学の原則に則る必要もないんですね。
 ……こんな乱暴な比較論もサルだから許されるわけです。ヒトの家族論、若者論、コミュニケーション論等がいまやこれだけ出ているのに、参照しないってのもすごい。

 皆様、来る25日に向けて、完全に論理武装をしておきましょう(笑)。

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コメント

歴史修正主義といえば、今日では
「つくる会」が代表的とされていると
思われますが、こういうような、
エスタブリッシュメントのサイドでの
動きにも注意しましょう。”あの”瀬島龍三です。

・大本営参謀は語る「特攻隊は自然発生した」
www.janjan.jp/government/0308/0308105540/1.php
「つまり、当時から参謀たちは、「自然発生」したことにする作戦だった、ということのようです」

・保阪正康「瀬島龍三―参謀の昭和史」
www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4163421106/qid=1122258232/sr=1-3/ref=sr_1_10_3/249-2808462-3264361
「著者は、綿密な取材によって瀬島が語らない昭和の裏側をかなりの部分明らかにしている。しかし、瀬島自身に対するインタビューを終えた感想は「知りたかったことになにひとつ正確には話してくれない」ということだった。おそらく、瀬島が語らなかったことは、そのまま昭和史の闇の中へ消えていくのだろう。ただ一つ、瀬島の大本営参謀としての本音がもっとも正直に吐露されていると思われる『北方戦備』という自らが記した大著は、一般の人間は閲覧することのできない、防衛庁戦史室という密室に寄託されているということである」


 修正されぬ歴史を知るためにも、
 8月は保阪氏の本でも読んでみませんか?
www.aya.or.jp/~hosaka-m/

投稿: ン・ジュンマ(呉準磨) | 2005年7月25日 (月) 11時34分

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