2005年4~6月の1冊
私が2005年4月1日~6月30日までに読んだ本に関して、特に印象に残ったものを紹介します。「2005年上半期の1曲」と併せてどうぞ。
1:広田照幸『教育言説の歴史社会学』名古屋大学出版会、2001年1月
労作。我が国において横行している教育言説の原点を我が国の近代化以降の歴史までさかのぼって、大量の史料に基づいて検証している。本書に収録されている最も古い論文は平成3年のものだが、その学問的、あるいは現在の教育言説を批判的に検証する論文としての価値は少しも衰えていない。本書を読めば、いかに我々が歴史に学んでいない教育言説ばかり垂れ流しているか(鵜呑みにしているか)、ということがわかるはずだ。
2:内藤朝雄『いじめの社会理論』柏書房、2001年7月
1の広田照幸氏の著書が優れた「歴史家」の仕事であるとすれば、本書は優れた「社会学者」による著書。昨今になって社会問題化している「いじめ」を、社会心理学的なアプローチで解明し、「中間集団全体主義」における子供たちの自意識の肥大化を「いじめ」の最大原因と突き止める。また、「いじめ」を語る、左右を問わない多くの自称「識者」が、安易な共同体主義に逃げ込んでいることも批判の対象になっている。難点を1つ挙げるとすれば、「いじめ」の解決策としての教育政策提言があまりにも過激すぎるところか。
3:赤川学『子どもが減って何が悪いか!』ちくま新書、2004年12月
「子育て支援を拡充し、男女共同参画社会を実現すれば少子化は解決する」という、意見聞こえのいい「トンデモ少子化言説」を、根拠のない暴論であるのに加え、政策論的にも「子供を産む」自由や「仕事と子育てを両立する」自由のみを尊重するものである、と徹底批判。少子化を前提とした上で社会政策を構築し、男女共同参画社会への政策を少子化対策と切り離すべきだとする本。
4:高坂正堯『国際政治』中公新書、1966年8月
国際関係論の古典的名著。本書は冷戦時に書かれたものであるが、現代の状況にも当てはまるところが多い。軍備・経済交流・国際機構の3つの側面から国際政治や国際関係について論じており、冷静な状況分析は高い説得力を持つ。勢いがいいだけで戦略のない俗流外交論ばかり振りかざしている人たちにはぜひとも読んでほしい本である。
5:佐藤優『国家の罠』新潮社、2005年4月
平成14年に逮捕され、現在も裁判で闘争中の外務省ロシア・スクールの辣腕外交官がはめられた「国家の罠」とは。本書では、平成13年から逮捕までの日ロ関係の状況と著者、そして鈴木宗男氏の行動が語られ、逮捕以降のことに関しては検察と著者のやり取りが中心に語られる。本書の記述から、自分の「不快なもの」を排除しようとする小泉政権の「本性」が見えてくる。難点は鈴木宗男氏に対する評価が甘いことで、その一点張りで本書は評論家の佐高信氏の批判対象になっていた。
6:ジュディス・レヴァイン、藤田真利子:訳『青少年に有害!』河出書房新社、2004年6月
書評:「「有害」排除の先に見えてくるもの」
「青少年に有害」という大義の下、子供を「性」から遠ざける米国の現実を描いた渾身のルポルタージュ。教育界には性教育よりも「純潔」「禁欲」がまかり通り、子供の「性的な兆候」に親やメディアが過剰反応し、インターネットのポルノ画像の規制を求めるフェミニスト、小児性愛者バッシングに走るメディアが大手を振ってまかり通る米国の姿は、我が国にとって他人事と切り捨てることはできない。
7:数土直紀『自由という服従』光文社新書、2005年1月
「自由であること」は本当に幸せか、気づかないうちに権力に絡め取られていないか。個人と権力の関係を如実に示しているような日常の事例を、数理社会学の理論で説明しつつ、この問いかけの答えに迫る。「世間」の暴走からいわゆる「ネット右翼」まで、我が国における集団主義的な挙動を批判する上ではぜひとも押さえておきたい文献である。
8:鈴木博之『(日本の近代・10)都市へ』中央公論新社、1999年1月
戦前を中心に近代以降の都市計画の歴史をたどりつつ、現代の都市計画を問い直す労作。戦前の東京・京都・大阪の都市計画や、関東大震災の復興、郊外の成立から田中角栄の「日本列島改造案」まで、都市計画に興味のある人ならぜひとも押さえておきたい文献。
9:吉見俊哉『万博幻想』ちくま新書、2005年3月
戦後日本を覆った「万博幻想」とは。本書は、大阪万博から現在開催中の愛知万博まで、「万博」という幻想がいかに我が国に浸透し、またいかなるイメージでとらえられ、さらにその「実態」はどうだったか、ということを叙述する。そして「万博」の戦後史から見えてくる「ポスト万博」の状況とは。
10:池谷裕二『進化しすぎた脳』朝日出版社、2004年10月
慶應義塾ニューヨーク学院高等部の生徒を相手に、最新の脳科学が人間の「脳と心」の問題をどこまで解明できたかを平易に語る。脳の神秘や、脳科学で全てが解明できるわけではないことなど、深みを持った一冊。「ゲーム脳」などといった俗流脳科学に慣れ親しんだ人たちには特に読んでいただきたい。
11:岡留安則『『噂の眞相』25年戦記』集英社新書、2005年1月
平成16年3月に、鳴り物入りで休刊した反権力スキャンダリズム雑誌「噂の眞相」の名物編集長が回想する創刊から休刊までの長い道のり。ある種の「自慢本」にも見えるが、「噂の眞相」のような雑誌の存在はとても貴重であることに気付かされる。創刊したての頃の右翼、エセ同和から、最近では宅八郎氏、小林よしのり氏、本多勝一氏など多くの攻撃と、多数の裁判を相手にしてきた岡留氏の強さに感服する。
12:阿部仁史『フリッカー』TOTO出版、2005年3月
仙台出身の建築家の初の作品集。宮城県内の作品が多く、特に「宮城スタジアム」は宮城県に住んでいる人ならほとんどの人が知っているはず。魅力的な写真が多いので、機会があったら実物を見に行きたい。
13:山田真哉『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』光文社新書、2005年2月
会計学の手法を用いて、身近の疑問を解決していく本。極めて読みやすく、会計というものがどのような考え方に基づいているか、ということを抑えておくだけでも有益。また、身近な事例と、わかりやすい文章・論理で構成されているので、数式が苦手でも手軽に読めるだろう。
14:北岡伸一『清沢洌(増補版)』中公新書、2004年7月
戦前の我が国を代表するリベラル派のジャーナリスト・清沢洌の生涯を描いた評伝。清沢の米国に対する視点の揺れ動きは、親米・反米で世論を二分している状況にある我が国の状況に新たな視座を与えるだろう。
15:渡辺昭一『犯罪者プロファイリング』角川Oneテーマ21、2005年2月
警察のプロファイリングの第一人者が、犯罪者プロファイリングの最前線を概説する。本書を読めば、犯罪者の特定は一昼夜にして成るものではない、ということが痛いほどわかるはず(誰ですか、少年犯罪を全て漫画やゲームやインターネットやフィギュアのせいにしている人は)。ただし、警察サイドの人が書いたものなので、少し割り引いて読む必要があるが(例えば検挙率に関する記述とか)。
16:清水美和『中国はなぜ「反日」になったか』文春新書、2003年5月
戦後の日中関係の歴史を紐解きつつ、いかにして現在のような「反日」に熱狂する中国というものが生まれたかを説明する。毛沢東や鄧小平の時代は、中国は我が国に対して友好的に接してきたが、現在のような「反日」に舵を切るのは江沢民氏の時代らしい。
17:斎藤環『「負けた」教の信者たち』中公新書ラクレ、2005年4月
「中央公論」平成15年1月号から平成16年12月号までに連載されていた社会時評を中心に、現代の若年層をめぐる「現実」を論じた文章を新書としてまとめたもの。テーマが限定されているのでこの手の問題に関して興味のある人は手にとっておいて損はないだろう。特に、東京の青少年保護育成条例に関する文章は、極めて洗練されている。東京大学助教授、玄田有史氏との対談も収録。
18:鈴木謙介『カーニヴァル化する社会』講談社現代新書、2005年5月
若者論。新書という制約があるからか、あるいは論じている幅があまりにも広すぎるからか、切り込みは鋭いと言うことは残念ながらできないが、俗流ではないので読んで損になることはない。既存の俗流若者論に慣れ親しんだ人は、少なくともこれくらいのレヴェルに達していないと若年層の一部も語ったことにならない、ということを本書でもって思い知るべき。
19:阿部仁史、小野田泰明、本江正茂、堀口徹『プロジェクト・ブック』彰国社、2005年3月
建築のプロジェクトを創出するためのツールと理論を概説。建築学科の学生や若い建築家のために書かれた本であるが、これから文章を書きはじめたい人にも応用できる部分が多い。というよりも、これから何か大きなプロジェクトを始めたい人には是非お勧めしたい一冊。文章に気合が入っているので、励まされた気分になれる。
20:松下文洋『道路の経済学』講談社現代新書、2005年5月
高速道路の料金予測システムを概説。本書を読めば、いかに我が国の道路行政が論理的に間違っていることを行なっているかがわかる。しかし、経済学の論理を知っていないととっつけないような部分も一部ある。ちなみに本書の主張は、「東京湾アクアラインは800円でいい!」。この意味を知りたい人は是非読もう。
ワースト:柳田邦男『壊れる日本人』新潮社、2005年3月
書評:「俗流若者論スタディーズVol.3 ~壊れているのは一体誰だ?~」
関連記事:「壊れる日本人と差別する柳田邦男」
高名なジャーナリストの手による著書だが、突っ込みどころが満載だ。本書では明らかに携帯電話とインターネットが「敵」として「発見」されており、それによって本書がそれらに対する誹謗中傷をいとわない、という実に「政治的な」文章になってしまっている。著者は一体どうしてしまったのだろうか。著者は「ノーケータイデー」「ノー電子メディアデー」が必要だという。しかし、この著者に最も必要なのは「ノー俗流若者論デー」であることは間違いない!
この記事が面白いと思ったらクリックをお願いします。→人気blogランキング
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント