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2005年7月13日 (水)

俗流若者論ケースファイル36・高畑基宏&清永賢二&千石保

 あってはならないことであるが、俗流若者論を書き飛ばしている人を見るとうらやましくなるときがある。なぜか。それは、彼らは自らの言質に対して一切の責任を取らなくてもいいからだ。彼らは「今時の若者」に対する敵愾心を煽りさえすれば、そのためにさまざまな狼藉を働いていたとしても、「今時の若者」に対する批判という大義名分の下に全てが許容され、「善良な」人たちに受け入れられる。検証のためにいちいち論証を考えている私としては、ここまでうらやましいことはない(もちろん、論証を考えることのほうが遥かに大事なのだが)。

 俗流若者論とは政治の論理である。ここで言う政治の論理とは、検証の繰り返しによって事実に肉薄していく、というのではなく、自らの思い込みをそのまま他者に押し付けようとする論理のことだ。つい最近、皇學館大学助教授の森真一氏が『日本はなぜ諍いの多い国となったのか』(中公新書ラクレ、2005年7月)という面白い本を出したが、本書で語られていることは結局のところ、みんな「今時の若者」「今時の日本人」のマナー低下を嘆くけれども、それは単なる利害対立の問題でしかないし、若年層の行動をリスクとしてしか見なさない社会も問題である、ということだ。俗流若者論が政治の論理であるということは、俗流若者論によって立つ人と「利害」を共有する人たちの発言力を高める方向にしか俗流若者論は働かない。

 それを証明するような記事が、森氏の著書とほぼ同時期に発売された読売新聞社の週刊誌「Yomiuri Weekly」平成17年7月24日号に掲載されていた。筆者は同誌記者の高畑基宏氏で、タイトルは「狂いだした日本人の“体感距離”」である。要はこの記事は、「俺以外の人は駅でぶつかっても謝らない!それは、俺を除く日本人の“体感距離”が狂いだしたせいだ!!」という極めて「政治的な」記事なのである。

 何せ高畑氏、書き出し(86ページ1~2段目)からいきなり高畑氏と「利害」を共有することを勧めるような書き方をしているのだから。

 最近、似たような経験をしていないのだろうか。

 地下街の壁際を歩いてくると、女性が斜め前方から、こちらへ歩いてくる。そのままでは、自分に接触しかねないが、相手はこちらを見ているから「まさか」と思う。しかし、彼女は気にせず近づいてくる。そして、逃げ場がなく立ち止まった自分に右腕をぶつけて、地上へ通じる出口に消えた。もちろん無言のままだ。

 駅のホームで電車を待っていると、前後を通る人のカバンや紙袋が次々と自分の身体に当たる。ホームは混雑しているわけでもなく、邪魔なところに立っているとも思えない。にもかかわらず、こちらを気にせず、ガサッと大きな音がするほど強くぶつかることもある。誰も謝る気配がない。(高畑基宏[2005]、以下、断りがないなら同様)

 端から見たら被害者意識に満ちた人にしか見えないのだが。しかも、他の人が経験している「はずだ」として書いているのはどういうわけだろうか。また、このような行動が増えた、と結論付けたいのであれば、あなたは新聞記者なのだから調査・取材をすべきだし、無根拠に断定してしまうのは、俗流若者論の常套手段である。

 しかし、この記事はあらかじめある「物語」、すなわち「日本人の「劣化」」という物語に高畑氏、そして「善良な」読者が浸るために書かれた記事であるから、この手の手抜きは許容されるのだろう。案の定、高畑氏は、日本女子大学教授の清永賢二氏(この人は犯罪行動生態学の権威らしい)の《日本人の体感距離が狂ってきた》というこれまた無根拠な断定を引く。

 清永氏の学説、というより妄想はこの記事の最後のほうになって爆発するので、今は触れないで置こう。ちなみに清永氏が先のように考える理由として、

 「家族や住空間の変化が生み出した自己中心型の人間社会と、他家や他者を無視する社会が重なり、他者に見られることによる自己行動規範が崩壊しています。そこへ、一見矛盾する、他者への甘えが当然化した社会が重なった」(86ページ4段目)

 ということを挙げている。高畑氏は《なにやら、難しそうな論理展開》と書いているけれども、幾多の俗流若者論を検証してきた歴戦の戦士(笑)の私としては、このような論理展開は極めて典型的な俗流若者論である。ちなみに私は建築学科に在籍しているから言っておくけれども、このようなことに対する反省が最近になって都市計画や都市論や集合住宅の設計に表れてき始めているのだけれども。清永氏はテキスト化された俗流若者論しか語ることができないのであろうか。

 この記事では、日本青少年研究所所長の千石保氏も登場するのだが、まず87ページ1段目における発言は問題が多すぎる。

 ……(筆者注:千石氏は)若い世代の変わりように注目している。
 「このころから、親友と見なす人間にさえ、プライベートなことや自分の悩みをまるで話さなくなるという非常に大きな変化が起きました。親友でさえ、そこまで疎遠になれば、通りがかりの見ず知らずの人など、遠く関係のない人であり、ましてや謝罪などしなければならない対象ではなくなっているのです」

 千石氏にとって、現在を生きる若年層など、いくら暴論を発したとしても、《遠く関係のない人であり、ましてや謝罪などしなければならない対象ではなくなっている》、まる。このような論証立てに極めて飛躍が多いのは千石氏も承知しているのだろうか。千石氏は《親友と見なす人間にさえ、プライベートなことや自分の悩みをまるで話さなくなる》ことにさえ、現代の若年層にとって親友と見なす人間ですら疎遠になっている証拠として捉えられているけれども、自分のプライヴェートな悩みを友達に打ち明けて友達を傷つけてしまうよりも、自分の中でしまいこんでおいたほうがリスクが小さいと考えているから、と考えたほうが適切ではないか?しかも現在の「友達」関係の、千石氏は想定していないような大きな問題点は、詳しくは明治学院大学講師の内藤朝雄氏(内藤朝雄[2004])や横浜市立大学教授の中西新太郎氏(中西新太郎[2004]) 、首都大学東京非常勤講師の鈴木謙介氏(鈴木謙介[2005])、そして前掲の森真一氏(森真一[2005])に譲るけれども、これは携帯電話も深く関わっているのだが、簡単に言えば「友達」関係が戦時中の「隣組」みたいになりつつある、さらにその「隣組」の中において逸脱した行動をすることは許されない、というものがある。千石氏にはむしろこちらのほうを検証していただきたいのだが。

 そのような問題点を検証せずに、高畑氏、《どうやら、間違っているから正そう、という次元ではないようだ》(87ページ2段目)と書いてしまっているのだから、大本営発表とはこのことであろう。そして千石氏は87ページ2段目で現在のような状況が起こってしまった原因についてこのように述べている。私は読んでいて欠伸が出た。

 千石所長は、

 「物質的な豊かさによって、他人との実質的なコミュニケーションがなくても生きていけるようになったこともあります。しかし、少子化で親に大切に育てられる家庭で、親から叱られることが極めて少なくなり、憎んだり、ざんげしたり、許したりするという親子間の葛藤がなくなってしまったことが大きい。他人を思いやる心は、こうした葛藤を乗り越えて生まれるものです」

 と話す。

 私はこのくだりを読んで、もう日本青少年研究所に期待することはやめよう、と思った。千石氏に関わる黒い噂は幾つか明らかになっているのだが、少なくとも長期的に青少年を研究している研究所の所長である千石氏が、このようにテキスト化された俗流若者論しか語れないのであるから、もうこの研究所に期待するものは、所長が交代しない限り何もない。千石氏のものよりももっと優れた若者論はたくさんある。

 この記事自体が、自らの被害者意識と、清永賢二、千石保という格好の俳優を用いた高畑基宏というトリックスターの憂国劇と言っていいだろう。その憂国劇のフィナーレは、清永氏の妄想爆発の妄言(87ページ3段目)である。

 「見えていても他者が存在しない人が、他人にぶつかっても誤らないのは、相手を対等で生身の人間とは意識していないために、『私はぶつかるつもりはなかったのに、あんたがぶつかったのだ』と、自分の責任を一方的に中和するからです。そういう人は、本人が意識しない罪を犯す可能性があります。つまり、自分では悪いことをするつもりなどないまま他人を殺傷するような、本人も説明できない犯罪です」

 少なくとも、このような森昭雄・正高信男レヴェルの妄言を発している清永氏が、自分以外の人間、広げても自分と「利害」を共有しない人間を《対等で生身の人間とは意識していない》のは明らかであろう。こういう人が《『私はぶつかるつもりはなかったのに、あんたがぶつかったのだ』と、自分の責任を一方的に中和するからです》などといっているのを読んでいると哀しくなる。しかも《本人が意識しない罪》とは何を指すのだろうか。清永氏は《自分では悪いことをするつもりなどないまま他人を殺傷するような、本人も説明できない犯罪》のことを言っているのだろうが、それは最近マスコミが好き好んで採り上げている「理解不能な」犯罪のことを言っているのだろうか?清永氏よ、あなたはただ自らの妄想と俗流若者論に踊らされているだけ、ということを理解したほうがいい。

 そして案の定、高畑氏が採り上げるのが最近マスコミをにぎわした少年犯罪である。「お約束」は俗流若者論ではもはや常識だ。

 高知・明徳義塾高校の生徒が旧友をいきなり刺した事件や、山口・光高校の生徒による爆発事件だけではない。最近は、中高年も含め、希薄な動機に首を傾げたくなるような短絡的な事件が頻発し、多くの場合、犯人から反省や謝罪の言葉が聞かれない。その根底に、体感距離の狂いが横たわっていると見るのは、考えすぎだろうか。(87ページ3段目)

 《考えすぎだろうか》と言う以前に、こういうのをマッチポンプと言うのだろう。要するに、少年犯罪をセンセーショナルに取り上げまくって、その「原因」をもっともらしくでっち上げる、というまさに高畑氏の行為を、マッチポンプと呼ばずして何と呼べばいいのか。俗流若者論、俗流日本人論は、極めて歴史に疎いから(10年スパンの歴史ですら!)、最近の事例については生々しく採り上げるのに、以前の事例に関しては自分の自意識を肯定してくれるものしか採り上げないのだから、この手のダブルスタンダードを解消するには、もはや俗流若者論という言論体系を撃つ論理を用意しなければならないのかもしれない。

 それにしても、少数の猟奇的な凶悪犯罪と、身近で不満に感じたことを容易に結びつけるのが「体感距離」という擬似行動学的な概念であるということにも不満を感じる。自らの些細な経験と、マスコミによる偏向報道と、自らの道徳観(=自らの不満を逸らしてくれる「素晴らしいもの」)と、そして国家が、疑似科学によって結び付けられてしまうという状況を、我々はいかに批判すべきであるか。前掲の森真一氏は、現在の如く人々が「マナー神経症」(私の言い方だと「若年層批判依存症」)に陥っているのはマナーをめぐる過渡期的状況の先鋭化として捉えているけれども(森真一[2005])、本来、マスコミの役目は、このような状況をうまく操作することであろう。現在の我が国において、というよりも大衆社会において、マスコミの果たす役目は政治家や建築家や計画家のそれよりも多大な影響を及ぼす。そのようなマスコミが、疑似科学を持ち出し、過去に対するノスタルジー、あるいは「劣化」という物語を元に若年層、さらには同時代バッシングをしているようでは、新時代のコミュニティーなど生まれまい。

 狂いだしたのは、高畑、清永、千石の各氏の言論感覚だ。

 参考文献・資料
 鈴木謙介[2005]
 鈴木謙介『カーニヴァル化する社会』講談社現代新書、2005年5月
 高畑基宏[2005]
 高畑基宏「狂いだした日本人の“体感距離”」=「Yomiuri Weekly」2005年7月24日号、読売新聞社
 内藤朝雄[2004]
 内藤朝雄「「友だち」の地獄」=「世界」2004年12月号、岩波書店
 中西新太郎[2005]
 中西新太郎『若者たちに何が起こっているのか』花伝社、2004年7月
 森真一[2005]
 森真一『日本はなぜ諍いの多い国になったのか』中公新書ラクレ、2005年7月

 広田照幸『教育言説の歴史社会学』名古屋大学出版会、2001年1月
 パオロ・マッツァリーノ『反社会学講座』イースト・プレス、2004年5月
 山本七平『日本はなぜ敗れるのか』角川Oneテーマ21、2004年3月
 ウォルター・リップマン、掛川トミ子:訳『世論』岩波文庫、上下巻、1987年2月

 齋藤純一「都市空間の再編と公共性」=植田和弘、神野直彦、西村幸夫、間宮陽介(編)『(岩波講座・都市の再生を考える・1)都市とは何か』
 渋谷望「万国のミドルクラス諸君、団結せよ!?」=「現代思想」2005年1月号、青土社
 杉田敦「「彼ら」とは違う「私たち」――統一地方選の民意を考える」=「世界」2003年6月号、岩波書店

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コメント

大変興味深く読ませていただきました。ただ、若者論の歴史をご存じないのは、ご自分じゃないでしょうか。清永氏の「漂流する少年たち」(恒星社恒星閣)など、ほかの著作を読んだことがありますか?簡単に批判する前に、ぜひお勉強してください。WEb上で批判することの重大さ、責任の重さを知らなさ過ぎると思います。それから、建築学科に在籍されているなら、CPTEDのことはこぞんじですよね。さまざまなことの歴史的背景を、もっとご存知になってからご意見を述べないと、せっかくの論文がとても空虚なものに見えます。

投稿: くり | 2005年10月 3日 (月) 14時45分

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