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2005年7月30日 (土)

俗流若者論ケースファイル41・朝日新聞社説

 朝日新聞は、平成16年の4月初頭の社説において、同紙と産経新聞の間で国旗・国歌に関する論争が起こったことに触れて、「社説は読み比べてこそ魅力がある」という文章を掲げたことがある。また、朝日の社説は、これ以降も「論争」を求めるような社説を多く書いてきた。朝日新聞論説副主幹の桐村英一郎氏によると、このような姿勢を打ち出してからは、朝日の購読者において社説を読む人の比率が上がったという(桐村英一郎[2004])。なるほど、確かに社説はその新聞社の「姿勢」を打ち出しているものだから、他の新聞の社説=他の新聞社の「姿勢」と読み比べて情報を取捨選択するということは、メディア・リテラシーの育成にもつながるのかもしれない。

 しかし我が国のマスコミにおいて、そのような「読み比べ」が成立しない特異点が存在する。それが若者報道だ。若者報道においては、どのメディアも版を押したような空疎な「憂国」言説ばかりがまかり通り、どれを読んでもほとんど同じである。教育基本法の改正などについての差異はあろうが、少なくとも「今時の若者」に対する利害や考え方という点では新聞はほとんど対立していないので、論争が起こることはまずない。故に、若者報道、及び若年層を論評した社説を読む際には、新聞以外の情報を豊富に取り入れる必要がある。

 若者報道において、右と左は糾合される。その典型を見るような社説が、平成17年5月5日付の朝日新聞に書かれた。5月5日といえば当然「子供の日」で、各紙が「子供の日」に関連して社説を打ち出すのだが、この日の社説は成人の日と並び、俗流若者論が出てくる可能性が高い。各紙を読み比べてみたところ、もっとも醜悪なのが朝日だったと記憶する。

 その朝日の社説のタイトルは「親の汗で遊びを教えよう」。この社説の論旨というのは基本的に不明、いうなればゲーム害悪論であった。何せこの社説、最初に《かけっこをすると、まっすぐ50メートルを走ることができない。ソフトボールは片手で投げられない。つまずくと、そのまま倒れてしまって、歯を折ったり、頭を打って気を失ったりする。小学校の先生に聞くと、そんなこどもが珍しくなくなったそうだ。/こどもの体が、いよいよおかしくなっている。》(平成17年5月5日付社説、以下、断りがないなら同様)と書いているのだから。《珍しくなくなったそうだ》とか言う前に、まず取材せよ。取材して確証づけないと、これが都市伝説とそしられてもおかしくはあるまい。

 それにしてもこの社説の極めて牧歌的な社会観が気になるのはなぜだろう。一部を少し引用してみる。

 こうした基礎的な体づくりは、かつては家の外で遊ぶことで培われてきた。よく見かけた鬼ごっこや木登り、縄とび、石投げといった遊びだ。外遊びの集団には年齢の幅があり、年上のこどもの動きを年下がまねて、自然と上達した。
 いま、こどもたちが外で遊んでいる姿を探すのは難しい。家の中でテレビを見たり、ゲームをしたりするのでは、体にいいことは何もない。(2段目)

 ここまで書けるのも呑気としか言いようがない。まず、記者は子供の遊びの現状に関してしっかりと取材したのか。「昔は外遊び、今はゲーム」みたいな陳腐な図式に囚われすぎていやしまいか。数千歩譲って、そのような図式があるとしても、例えば人口が集中していると考えられる郊外の団地に、果たして道路以外に遊べる環境があるだろうか。また、以前も述べたとおり、小学生がキャッチボールで暴投して子供を殺してしまった、ということに関して、仙台地裁は「親の監督責任」を求めた。私はこれを暴論だと思っているのだが、朝日社説子はこのことについていかなる評価を持っているのだろうか。

 それにしてもこの社説の安易な外遊びの礼賛には辟易してしまう。子供はゲームをせず外で遊んでいれば安泰、ということか。朝日の社説子がここまで「外遊び」に固執するのは、そのような「外遊び」が自らをつくってきた、と言いたいからであろうか。ならば、筆者名を公開した上で、社説とは別のところでエッセイを書くがいい。また、安易に「今時の子供」を嘆くのをやめるがいい。自意識の発露でしかない「憂国」エッセイなど願い下げである。もう一つ、朝日社説子は《体力や運動能力が下がっているのは、こどもの体を育む環境が壊れかけていることを意味している》と書いているけれども、それならばそれを検証するがいい。

 安易な図式化と、自意識の発露でしかない牧歌的な社会観を社説という場で表現することが許されるということは、それだけ若者報道というものが貧困であることを表しているのである。

 参考文献・資料
 桐村英一郎[2004]
 桐村英一郎「社説を変えた200日――「陣地」は広がったか」=「論座」2004年12月号、朝日新聞社

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