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2005年7月10日 (日)

トラックバック雑記文・05年07月10日

 大きな文章を立て続けに公開して、最近はかなり力が抜けています。建築の課題もあるのに。いいのか俺(「コンパクト建築設計資料集成」は熟読していますが)。

 というわけで、平成17年下半期に入っての初めての雑記文ですよ。と、アンニュイなモードで行こうとと思ったのですが、そうは問屋が卸さないようで…。

 週刊!木村剛:[ゴーログ] 「有害情報判定委員会」は創設されるのか?(木村剛氏:エコノミスト)
 kitanoのアレ:村田吉隆公安委員長「インターネットを規制すべきだ」
 やれやれ、またインターネット規制論ですか。この手のメディア悪影響論って、どうしてかくも支持を得てしまうのでしょうかね。

 なるほど、確かに最近の事件に関してインターネットがある程度関わっていた、ということは確実に言えるでしょう。しかし、だからといって、世の中にはインターネットを使う人がたくさんいて、それでも彼らの大半は犯罪を起こさない。事実、我が国において少年凶悪犯罪の件数は昭和35年ごろに比べれば激減しています。インターネットも今のようなポルノもなかった時代に、少年による凶悪犯罪が約3倍起こっていた。また、「少年犯罪データベース」という熱心なサイトがあるのですが、そのサイトを見る限りでは、「質の凶悪化」もまったくのうそだということがわかります。

 所詮、俗流若者論とは、自分をタブーにすることによって自らをまったく傷付かない場所に置くための武器なのですね。自分は「想い出」というイデオロギーに浸ることによって自らの世代が少年だった頃の凶悪犯罪を不問にして、今の青少年に対して強権的な政策を正当化するための方便なのですよ。

 「有害である」「有害ではない」なんて、どうでもいい話じゃないですか。もちろん既存の法律に反するようなもの(個人情報の暴露とか)はその人の良心によって規制されるべきですが。でも、さまざまな表現が混在している社会こそ健全な社会なんですよね。政府によって何らかの基準が決められて、それが「青少年に有害」という理由で規制されてしまう、というのはまさに言論統制ですよね。

 そもそも彼らの脳内において「青少年」とはどういう存在なんでしょうかね。私が思うに、それは限りなく無垢な存在です。当然悪い意味でですよ。要するに、暴力的な画像を見たら、すぐさま暴力は許されると思い、そしてすぐ暴力行為に走る。少女が陵辱されるゲームの画像を見たら、すぐさま少女への陵辱が許されると思い、そしてすぐ陵辱行為に走る。こういう存在です。彼らの想定している脳内青少年には、常識的な判断力がない。善悪の判断がつかない。全てが映像によって決められる。そういう存在として見られているのですよ、今を生きる青少年諸君!

 これが偏った青少年観と言わずして何というのでしょうかね。これこそ彼らの中でヴァーチャルが現実を凌駕してしまった、というよりも陵辱してしまった事態ですよ。もちろん、ここで言うヴァーチャルとは俗流若者論によって構成された「今時の若者」という虚像のこと。俗流若者論というフィルターによってのみ現代の青少年を見られなくなっているのだとしたら、それは極めて悲しいことです。

 minorhythm:赤(茅原実里氏:声優)
 茅原氏曰く、

 赤いラグマットに、赤いゴミ箱…。
 最近やけに“赤”にこだわる私。何かと赤が気になる私。
 なんなんだ?(笑)

 色彩の指向というものは、その人の精神状態などを表す指標となり、また、色彩はインテリアにも大きな影響を及ぼします。例えばあなたが赤ばかりの部屋で過ごしたらどうなるでしょうか。心が温かくなる?情熱的になる?感じ方は人それぞれでしょうが、少なくとも何らかの影響を及ぼすのは確かだと思います。

 まあ、赤ばかりの部屋にしてしまうのもいかがなものか、と思いますが。でも、その時々の気分をインテリアに反映させるというのは、さして悪いことではないのだと思います。
 余談ですけれども、俗流若者論を色で表すとどうなるでしょうね。黒?いや、そんな統一感のあるものではないでしょう。さしずめ言うならば、色なんてありません。さまざまな色が汚く交じり合って、結局色とはいえない色が形成されたグロテスクな空間ですよ。

 だいずのイソフラボンジュール:宙:七夕なくして・・・(水島大宙氏:声優)
 世間では七夕の季節ですね(もうちょっとだけ過ぎましたが)。でも、仙台では七夕は8月7日ですから!残念!!

 私が仙台市成人式実行委員をやっていた頃、仙台の七夕の歴史について調べていました。そのときに仙台の七夕にはいろいろな物語があることを改めて感じて、感慨深くなりました。もちろん、さまざまな商店や企業による豪華絢爛な七夕飾りも見ものですが、例えば飾りには全て和紙を使っているとか、時代の変遷に対応しつつ伝統を守り続ける姿にも目を向けるべきでしょう。それもまた、七夕の楽しみ方です。

 いずれにせよ、七夕を逃してしまった万国のプロレタリアート諸君、まだ仙台がある!是非見に来てください。

 お知らせ。以下の文章を公開しました。
 「俗流若者論ケースファイル30・森岡正宏&杉浦正健&葉梨康弘」(6月28日)
 「2005年4~6月の1冊」(7月1日)
 「2005年上半期の1曲」(7月2日)
 「俗流若者論ケースファイル31・細川珠生」(7月3日)
 「暴走列車を止めろ ~正高信男という堕落4~」(同上)
 「俗流若者論ケースファイル32・二階堂祥生&福島章&野田正彰」(7月6日)
 「俗流若者論ケースファイル33・香山リカ」(7月7日)
 「俗流若者論ケースファイル34・石原慎太郎&養老孟司」(7月9日)

 それにしても、石原慎太郎氏の暴走はどこまで続くのでしょうかね。「俗流若者論ケースファイル11・石原慎太郎」も参照してほしいのですが、このような人が都政を預かっているということ自体が疑問の種になろうというもの。

 メディア規制首都圏連合の形成も、もう目前なのでしょうかね。松沢成文氏も、もはやトートロジー(同語反復)に陥っているし。

 最近古典をよく読んでいます。丁度最近ニーチェの『アンチクリスト』が『キリスト教は邪教です!』となって講談社+α新書(適菜収:訳)から出ていますけれども、他にもマックス・ヴェーバーの『職業としての政治』(脇圭平:訳、岩波文庫)なんかも読みました。今読んでいるのはヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(大塚久雄:訳、岩波文庫)ですけれども、この本を読んでいると、いかに俗流論壇人のフリーター・若年無業者たたきが低俗で非歴史的なものであるか、ということがわかりますね。現代の良識ある学者や実践者の文章を読んでも俗流論壇人の低俗ヘタレぶりがわかるのですから、いわんや古典をや、です。

 あと、このブログの右側にある「おすすめブログ」に、以下のブログへのリンクを追加しました。いずれもよくできているブログですので、是非読んでください。

 「本日の「産経SHOW」
 「弁護士山口貴士大いに語る
 「森昭雄研究所

 もう一つ。マガジンハウスが発行している月刊誌「ダ・ヴィンチ」の新書新刊のページを読んでいたら、中公新書のところで目が止まりました。そう、あの曲学阿世の徒が中公新書から新刊を出す!

 正高信男『考えないヒト』中公新書、2005年7月25日発売予定

 この男の最近の仕事のひどさに関してはもうここで散々批判している通りですが、この本もまた疑似科学路線まっしぐらのトンデモ本になるのでしょうか。内容によっては、「正高信男という斜陽」(仮題)で、なるべく早く検証します。ですので、皆様も今のうち警戒しておいてください!

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