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2005年7月13日 (水)

俗流若者論ケースファイル37・宮内健&片岡直樹&澤口俊之

 擬似脳科学が俗流若者論においてもてはやされている最大の理由は、やはり「「今時の若者」は俺たちとは違う環境で育ってきたから脳が異常になり、従って犯罪や「問題行動」を起こす」と多くの人が考えたいからであろう。我が国において脳科学はもはや政治の道具であり、真面目な学問の徒はマスコミを中心とする世間の喧騒からは疎外される。脳の専門家としてマスコミに登場するのは大体10名くらいで、しかもそのほとんどがその論理に問題を持っているのだが、私はその中でも森昭雄、澤口俊之、片岡直樹、清川輝基の4氏を問題の多い「脳の専門家」の四天王だと規定したことがある(「俗流若者論ケースファイル16・浜田敬子&森昭雄」を参照されたし)(7月14日追記:コメントで「清川氏は脳の専門家ではない」という指摘があったので追記。確かに清川氏は本当の意味での脳の専門家ではないが、さらに言うと、この4氏の中で、本当に脳の専門家なのは澤口氏のみ。しかし、片岡氏と清川氏に関しては、「ゲーム脳」に親和的であることと、それ以外にも育児などに関わる疑似科学を好意的に紹介しているので、カギカッコつきで「脳の専門家」と言わせていただく。また、森氏に関しては、「ゲーム脳」を開陳してから、いつの間にか「脳の専門家」として見なされるようになった)。

 本題に入る。経営者や会社の高いポストの人を読者層に設定している雑誌「プレジデント」が、俗流脳科学に親和的だ、といわれたら皆様はどう思われるだろうか。というのもこの雑誌は、最近になって、平成16年から現在にかけて、擬似脳科学に関わる記事を少なくとも3本も掲載しているのである(その中には、この連載の第17回で採り上げた藤原智美氏によるものもある)。今回は、平成16年8月30日号に掲載された、ジャーナリストの宮内健氏による「脳科学者が警鐘「妻の携帯、子どものTV・ゲーム」」という記事である。しかもこの記事には、先ほど提示した四天王のうち、澤口俊之氏と片岡直樹氏が登場しているのである。

 案の定というべきだろうか、澤口氏も、片岡氏も、結局のところそこらじゅうで喧伝している自説を性懲りもなく開陳しているだけだった。

 片岡氏は、案の定、38ページの一番最初で《新しいタイプの言葉遅れの幼児が増えている》(宮内健[2004]、以下、断りがないなら同様)とし、その原因はこれまた案の定《その原因はテレビ・ビデオの長時間視聴と関係があると私は考えています》と言ってしまう。そのように片岡氏が主張するのが片岡氏も名を連ねている日本小児科学会の調査で、それによると《1歳6ヶ月の子ども1900人を対象に調査を行ったところ、一日の視聴時間が「子ども4時間以上、家庭にテレビがついている時間8時間以上」のグループは、意味ある言葉を話し始めるのが遅れる子どもの割合が二倍にも上ると報告している》。片岡氏は、だからテレビが「新しいタイプの言葉遅れ」を生み出す、と考えるのだが、片岡氏はテレビ以外の影響を排除した上でこのように語っているのだろうか。もしそうでないのだとしたら、テレビを「悪玉」に仕立て上げるためにこの調査を行った、と謗られても弁明できまい。
 また、38ページ2段目から39ページの1段目にかけて、《ところがいまの母親は朝起きてから寝るまでテレビをつけっぱなしの人が多い》だとか《子どもの世話をテレビに任せるだけでなく、メールに熱中する母親も多い》と、やけに今の子育てが「異常」であるかを喧伝するのだけれども、これをステレオタイプといい、かように安易なアナロジーに頼ってしまうのはジャーナリストとしての力量不足を疑わざるを得ない。このような書き方は読み手の「感情」に訴えかける性質のもので、単なる「世代論」でしかないだろう。

 39ページには澤口俊之氏が登場する。案の定、澤口氏は、下のような根拠不明確なことを言う。また、宮内氏も賛同する。

 (筆者注:澤口氏曰く)「さまざまな環境に適応することができるように、人の脳は未熟な状態で生まれます。幼少期に周囲の環境から刺激を受けることで、脳は育つわけです。そんな時期に、テレビばかり見ていてあまり他人と接していないとしたら、取り返しのつかないことになります。……友達と仲良くする、悪いことをしたら謝る、といった当たり前のことができない子どもが増えていますが、そういう子の脳波、人間関係に関する能力が未発達なのです」

 澤口教授によると、すぐにキレる子ども、陰湿ないじめ、子どもの自殺、凶悪な少年犯罪、家庭内暴力、無気力症候群など、子どもにまつわる多くの社会病理なども、脳の未発達に起因するという。……(39ページ2~4段目)

 これで納得してしまう読者がいたら、まず「プレジデント」など捨てて大学に入り直すべきだろう。それにしても、《友達と仲良くする、悪いことをしたら謝る、といった当たり前のことができない子どもが増えていますが》と書いているけれども、本当に増えているのだろうか。澤口氏の思い込みでしかないのではないか?

 しかしもっと醜悪なのは、澤口氏の暴論をそのまま受け入れてしまう宮内氏である。宮内氏は、《すぐにキレる子ども、陰湿ないじめ、子どもの自殺、凶悪な少年犯罪、家庭内暴力、無気力症候群など、子どもにまつわる多くの社会病理》を挙げているけれども、これはマスコミの大好きな「今時の若者」の「記号」である。まず、《すぐにキレる子ども》と言うけれども、犯罪白書によれば我が国において少年による凶悪事件は昭和35年ごろに比べて激減している。このような事実があっても、擬似農家学者は昭和35年ごろの青少年の「脳」には口を閉ざす。擬似脳科学の浅はかさが現れているだろう。《無気力症候群》に至っては、現在名古屋大学名誉教授の笠原嘉氏がつとに長い間指摘してきた(笠原嘉[1977][1988][2002])。俗流若者論というのは、青年期病理学を少しもかじっていなくともかけるのだから気楽な稼業だ。

 宮内氏は、大脳前頭葉の異常が「問題行動」を引き起こす事例として、1848年に米国で起こった事例を紹介している。かいつまんで言えば、事故により前頭葉の連合野が損傷した技術者のフィニアス・ゲージが、《粗暴で野卑な振る舞いを見せた》(39ページ4段目)というもの。なるほど、これは確かに歴史的な事実としてある。しかし、この例だけをもってして、前頭葉の損傷が「問題行動」を引き起こすと言えるのだろうか。

 これに対する疑問は二つ。第一に、これが外部からの損傷によるもので、澤口氏が問題にしている(問題にしたがっている)「未発達」とは根本的に違う。第二に、神経治療の分野では長い間「ロボトミー」という治療法があり、これはメスでもって精神障害者の大脳前頭葉を切断してしまうものであるが、このような治療法が受け入れられていたということは、前頭葉を切断すれば人間はおとなしくなる、と信じられていたことを証明する。しかしこれに関する結果はまちまちであり、一概に前頭葉を損傷すると粗暴になったり逆におとなしくなったりするとはいえないらしい。この2点に気づかずに、宮内氏は、39ページから40ページにかけて《他人への思いやりを失ったゲージと、昨今のすぐキレる子どもの行動。両者には重なる部分があるように見える》と書き飛ばしてしまう。あなたがそう見えるだけだろうが。

 以下、特に41ページに集中的に、「今時の子育て」がいかに「異常」であるかということを喧伝するが、これに対する検証は行なわない。単なる「想い出話」だからである。ちなみに片岡氏は41ページ3段目において《狼に育てられた少女》の話をしているけれども、この話の証拠は極めて乏しく(藤永保[1990])、残念ながら都市伝説の領域に属する。

 結局のところこの記事は、テレビやゲームや携帯電話を否定したい「善良な」人たちに対する「警鐘」であって、同時にテレビやゲームや携帯電話に時間と空間が占領されている(と彼らが勝手に思いこんでいる)若い母親たちや子供たちに対する差別を煽り立てるほどの効果しか期待できないだろう。しかも掲載誌が「プレジデント」で、さらにこの記事が掲載された特集の名前が「「不機嫌」女房、「無気力」わが子」であるから、この雑誌の読者に「父性」を子育てに復活させよ、と説いているわけであるな。

 それにしても、我が国において「新しいタイプの言葉遅れ」なる言葉がかくも流行してしまうほど、発達の遅滞は社会性の発達の遅れであり、さらにそれが凶悪犯罪や「問題行動」につながる、という論理がコンセンサスを得ている状況を我々はいかに見るべきか。悲観的に見れば、これらの誤った認識が、自閉症や発達障害に対する差別として噴出し始めているのかもしれない。杞憂であることを願いたいが。

 特に片岡氏に言いたいことがある。というのも、片岡氏が小児科医だからだ。小児科医であるにもかかわらず、安易なアナロジーと飛躍でもって「新しいタイプの言葉遅れ」なる概念を捏造し、子育てに対する不安を煽る片岡氏に、小児科医としての資格があるのだろうか。子供と正面から向き合わずに、「今時の子育て」を過度に図式化して、それらに対する不安を煽る、というのがあなたの仕事であるというのであれば、あなたは即刻小児科医をやめるべきだろう。澤口氏も然りである。あなたは、あなたの道徳的感覚を無理やり脳科学に当てはめることによって、脳科学を殺しているのである。

 マスコミも、このように問題のある自称科学者をこれ以上もてはやすのをやめていただきたい。そうしないと、彼らはますますつけ上がるだけだ。

 参考文献・資料
 笠原嘉[1977]
 笠原嘉『青年期』中公新書、1977年2月
 笠原嘉[1988]
 笠原嘉『退却神経症』講談社現代新書、1988年5月
 笠原嘉[2002]
 笠原嘉『アパシー・シンドローム』岩波現代文庫、2002年12月
 藤永保[1990]
 藤永保『幼児教育を考える』岩波新書、1990年5月
 宮内健[2004]
 宮内健「脳科学者が警鐘「妻の携帯・子どものTV・ゲーム」」=「プレジデント」2004年8月30日号、プレジデント社

 斎藤環『ひきこもり文化論』紀伊國屋書店、2003年12月
 広田照幸『日本人のしつけは衰退したか』講談社現代新書、1999年4月
 広田照幸『教育言説の歴史社会学』名古屋大学出版会、2001年1月

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コメント

産経新聞も「脳科学」や「赤ちゃん学」を結び付けるような記事が多いです。「昔の子育ては良かった」論も大好きですね。『<子育て法>革命』(品田知美著/中公新書)を読んでもらいたいものです。
以前、テレ朝の「徹子の部屋」に、故・岡本太郎氏が出ていたときに、母親(岡本かの子)が雨戸を締め切った暗い部屋で、赤ん坊だった弟を過って踏んでは「あら、またやっちゃったわ」と言うことが何度かあったそうで、「それが原因かどうか分からないが、その弟は幼いうちに亡くなった」という話をしていて、驚いた記憶があります。

投稿: rabbitfoot | 2005年7月13日 (水) 22時31分

はじめまして。
リンクしていただき、ありがとうございます。

ところで、今回の記事の中にあった「問題ある脳の専門家四天王」に含まれている清川輝基氏ですが、彼は「脳の専門家」は名乗っていないと思います。
経歴も、大学の専攻が教育行政学、その後もNHK報道番組ディレクターを経てコミュニケーション研究などという方向であり、「脳の専門家」というよりはメディア文化の研究者の方が正しいです。
私も、清川氏の書籍を読みましたが、書き方としては様々な学者(偏向を感じましたが)の成果(?)を次々に紹介し、それらをまとめるという手法で、自らの実験成果を喧伝するようなものではありませんでした。
ケースファイル08で、瀧井宏臣氏を紹介されていますが、清川氏の立場としては瀧井氏に近いように思います。(そう言えば、二人ともNHK出身ですね)

投稿: モリケン | 2005年7月14日 (木) 02時46分

精力的な執筆活動に感服いたします。
でも、あまりご無理をなさらないでくださいね。

にもかかわらずリクエストしたいのは、”俗流若者論ケースファイル 松沢成文”だったりしますけど。w

投稿: 古鳥羽護 | 2005年7月15日 (金) 00時53分

教育関係者です。科学者ではないので脳についてはわかりませんが、自分が関わるのが面倒なので、テレビを見せっぱなし、ゲームも無制限…そんな親が増えていることは現実です。ネグレクトに近い状態です。因果関係はわかりませんが家庭で身に付けるべき社会性や感情などが身についていないことは確かです。親の子への関わりに問題があることは事実です。教育現場は崩壊しています。

投稿: 田中 | 2010年6月22日 (火) 13時37分

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