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2005年7月 6日 (水)

俗流若者論ケースファイル32・二階堂祥生&福島章&野田正彰

 いまだにはびこる「ゲーム脳」信者とか、「AERA」の俗流若者論とか、採り上げたいネタは山ほどあるのだが、連載第32回と33回は緊急特集として今年5月に起こった少女監禁事件にかこつけた俗流若者論の検証を行なう。第33回はサプライズを予定しているのでお楽しみに。

 さて、ジャーナリストの大谷昭宏氏の「フィギュア萌え族」なるプロファイリング騒動から幾多の昼夜が過ぎ、またも少女が被害者となる残忍な事件が起こってしまった。しかし、この事件に関するマスコミ報道もまた残忍であった。しかも今回は、昨年の奈良県女子児童誘拐殺人事件における犯人・小林薫(当時36歳)とは違い、犯人・小林泰剛が若年層(当時24歳)であったことと、警察の欧州物件としてパソコンのゲームなどが押収されたことから、俗流若者論とオタクバッシングが相乗効果でオーバーラップした報道・論評が相次いだ。この状況を見てほくそえんでいるのは松沢成文氏とか野田聖子氏とかいった規制論者だけだろう。

 今回は、読売新聞社の週刊誌「Yomiuri Weekly」において、同誌記者の二階堂祥生氏が書いた記事「未熟男たちの「歪んだ欲望」」(平成17年6月5日号掲載)を検証する。何せこの記事の書き始めが、事件のことではなく、《事件が起こる2か月前、発売されたばかりのアダルトゲームが、ゲームマニアの間で話題を呼んでいた》(二階堂祥生[2005]、以下、断りがないなら同様)と、事件を引き起こした「と思われる」アダルトゲームの話題から始まっているのだから。事件のことを後回しにして、いきなりこのように書き始めるのだから、二階堂氏が事件とゲームを結び付けようとしているのは明らかであろう。

 ここではっきり言っておくけれども、秋葉原などでは多くの人がアダルトゲームを買っているだろうに、なぜそれらの人が性犯罪を「起こさないか」ということを検証する人がマスコミに一人もいないのはどういうわけなのだろうか。小林(以下、単に「小林」と表記した場合は、5月の事件の小林泰剛を表すこととする)の起こした事件は、特異的な事件なのか、それとも典型的な事件なのか、検証が必要になるだろう。それなのに、二階堂氏をはじめとする多くのマスコミは、さもゲームがなかったら犯罪を起こさなかったかのように印象操作・捏造報道・報道加害を繰り返し、ゲーム、及び若年層に敵愾心を煽ることばかりするのであろうか。このようなあおり方は、オタクどころか若年層全体に対する理解を遮断し、彼らを社会的な「異物」と見なして、ただ単に排除すべき対象としてしかみなさなくなるということしか生み出さないのではないか、というより、既にそのような状況に陥りつつある。何も、ライターの本田透氏の如く「萌え」は世界を救う!と主張するつもりはないけれども(本田氏の主張が知りたいならば本田透[2005]を参照されたし)、それでもマスコミの煽り方は以上であり、緻密な検証を怠った短絡的なやり方、といわざるを得ない。

 話を二階堂氏の記事に戻そう。二階堂氏は、22ページ4段目においてこのような誤報を行なう。曰く、

 警視庁捜査1課は札幌市内の小林容疑者の自宅から、アダルトゲームソフトのCD-ROM100点以上、セーラー服などの衣装、アダルト系少女漫画などを押収している。……

 この《アダルトゲームソフトのCD-ROM1000点以上》というのは誤報で、実際には「アダルトゲームを含むゲームソフトのCD-ROM1000点以上」と書かなければならないはずなのだが、二階堂氏はこの周辺に起こった小林の事件にかこつけたゲーム・若年層敵視報道を真に受けてこのように書いてしまったのだろう。しかし、二階堂氏の記事の問題の本質は、ここにあるのではない。それよりも23ページに問題のある文章が続く。

 まず23ページ中段。これは二階堂氏の偏見なのだろうか。

 恋愛という人間関係。その基本的な対人関係を築く能力が壊れた男たちが少なからずいる。こうしたコミュニケーション不全の遠因を、育った家庭環境にみる向きもある。30歳代を中心とした男性の母親は微妙な世代だ。戦後の男女平等教育を受けたが、女性進出を阻む社会構造がまだ色濃く残る時代に生きた。多くは専業主婦として、その関心は子供へ向かった。教育ママに走ったり、息子を溺愛する傾向も他の世代に比べて多いとされる。

 もちろん二階堂氏が小林の世代にこのような影響が見られる傾向についてその証左として出しているのは、小林自身の生い立ちだけで、それ以外の具体的なデータや学説の引用がない。故に《その基本的な対人関係を築く能力が壊れた男たちが少なからずいる》と二階堂氏が書いているのは、単に若年層に対する二階堂氏の蔑視的な意識の表れであろう。

 そして二階堂氏はこの記事において、上智大学名誉教授の福島章氏と関西学院大学教授の野田正彰氏のコメントを引いているけれども、福島氏も、野田氏も、共に問題の多い発言をしている。

 まずは福島氏から。

 上智大学の福島章名誉教授(犯罪心理学)は1979年から11年間、東京と神奈川の公立中学校の生徒計900を対象に心理調査を行ったことがある。
 調査では、心の発達のゆがみを示唆する絵を描く生徒の割合は、調査開始当初は1~2%だったのが、調査を終えるころには5%に上がっていた。
 「その後、インターネットやテレビゲームといったバーチャルな世界がますます広がった。社会的な関係がより希薄になる社会で育ったせいで、ごく普通の恋愛ができない若者が増えている」

 と福島教授は言う。

 「小林容疑者の場合、極端に甘やかされて、人間として未熟なまま大人になり、きちんとした人間関係を気付けなくなったのが本質的な原因。母親の死で自分の言うことを聞いてくれる人間がいなくなり、母の代わりを探すなかで、調教ものゲームに出会ったのでは(筆者注:二階堂氏の記事ではこの部分は《出合ったのでは》になっているが、語句の意味からして誤植であろう)」

 まず、《心の発達のゆがみを示唆する絵》というのがポイントである。《示唆する》ということは、少なくともそこから心の歪みが「ある」と断定することができないのではないか。また、絵画による診断が診断者の主観が入るものであるということに関しても疑ってみるべきだし、そもそもそれがある程度規格化された方法によって行なわれたのか、ということも突っ込むべきだろう。もう一つ、福島氏は、この調査を行った生徒に関して現在も追跡調査をやっているのだろうか。

 また、福島氏のこの調査は、二階堂氏も書いている通り《1979年から11年間》行なわれたものなのだから、単純に1991年以降のデータはないはずである。それなのに福島氏は、《その後、インターネットやテレビゲームといったバーチャルな世界がますます広がった。社会的な関係がより希薄になる社会で育ったせいで、ごく普通の恋愛ができない若者が増えている》などといって、若年層の社会性の衰退とか心の歪みが広まっている、と無根拠に断定してしまう。いつから我が国の犯罪心理学者は、印象論だけで現代の若年層に対する敵愾心を煽ることができるようになったのか。また、これは二階堂氏にも言えることなのだけれども、《ごく普通の恋愛ができない若者が増えている》とは何を根拠にして言っているのかも疑問であるし、そもそも《ごく普通の恋愛》とは何を指しているのか。

 福島氏の発言の後半部分は、半分は事実を言い当てていると思えるのだが、やはり《極端に甘やかされて、人間として未熟なまま大人に》なった人たちの大半が事件を「起こさないのか」ということに対する認識がないのは無視できない。

 続いて野田正彰氏。

 関西学院大学の野田正彰教授(精神病理学)は、こう付け加える。
 「彼らの世代は、母親や社会からテストでいい点を取ることを要求され、多様な価値観があることを十分に理解できないまま大人になった。そうした場合、落ちこぼれたと感じた人は、鬱積した思いのはけ口を自分より力の弱い人間に向けてしまう傾向にある」

 このように、一つの衝撃的な事件と若年層全体を結びつけるようなお手軽なコメントを見るたびに、病理学者とは気楽な稼業ときたもんだ、と思ってしまう。私も建築学から足を洗って病理学に転向しようか。これは冗談であるが、野田氏のコンテクストに従って二階堂氏の記事を分析してみると、「二階堂氏の如きマスコミ人は、上層部や社会から衝撃的な記事を書くことを要求され、《多様な価値観があることを十分に理解できないまま》記者となった。そうした場合、《落ちこぼれたと感じた人は、鬱積した思いのはけ口を自分より弱い人間に向けてしまう傾向にある》」ということになろうか。

 野田氏もまた、《彼らの世代》がいかに犯罪を「起こさないか」ということに対する視点が欠落している。二階堂氏によれば、略取誘拐事件で検挙された男158人のうち30歳代が52人、20歳代が41人と多かったのだが、30歳代あるいは20歳代全員から見ればこの数はごく少数に過ぎない。また、野田氏は、過去との比較もないままにこのように語ってしまっているのだから、やはり病理学者とは気楽な稼業ときたもんだ。このような事件にコメントする精神科医や社会学者は、過去との比較も行わなければならないとも思うのだが、そのような態度を持っている学者は我が国では少ない、というより多いのだけれどもマスコミでは重宝されないという悪しき傾向がある。しかし、過去との比較を行なわないお気軽な精神病理学的コメントは、単なる俗流若者論の中の「茶番」ととらえるのがよろしかろう。

 ちなみに野田氏が知っているかどうかはわからないが、《母親や社会からテストでいい点を取ることを要求され》ることに対する悪影響は、むしろ「ひきこもり」の青少年や若年無業者に傾向として表れている(川戸和史[2002]、斎藤環[2003]、二神能基[2005])。しかし、このような影響は、むしろ「自立しなければならない、それなのに自分は自立していない」という過剰な自責から自分が今ある状況から脱却できない、という方向に働いている。これは若年層自身というよりも社会が「ひきこもり」や若年無業者であること=「世間」の認めない行動をとることを断固として認めない状況からきていると言ったほうが適切だろう。オタクバッシングも含めて、社会(というよりも「世間」)の狭隘さを論じずに若年層の精神状態を語らないほうがいい。

 残念ながらこの記事は、若年層に対する敵愾心を煽るために書かれた記事、と言うほかないのである。このように偏った印象操作を繰り返して、事件について詳しく述べることはほとんどしていないのだから、不安を煽るために書いたといわれてもおかしくないだろう。事実、二階堂氏は、この記事の結びにおいて《事件を引き起こす予備軍は多いかもしれない》と書いているのだから、《多いかもしれない》と思わせる方向に二階堂氏は記事を書いた、ということが見えてくる。

 しかし、もう私は口を酸っぱくして言ってきたことなのであるが、特定の「属性」を持った人に対する敵愾心を煽ることに、何の意味があるのだろうか。そのような報道や論評は、結局のところ排他的なナショナリズムを煽る結果にしかならない。というよりも、マスコミがそのように偏向した報道を行なってきたばかりに、二階堂氏の記事のように現実よりも「世代」だとか「オタク」だとかいったヴァーチャルが俗流若者論によって優先されるべきものとなり、過剰な印象操作も正義の名の下に断罪されなくなっている。そしてそのような状況が、とうとう現実の表現規制、行動規制につながっているのである。このような状況を作ってきた未熟マスコミたちの「歪んだ欲望」をマスコミが持ち続ける限り、マスコミに表現規制批判を行なう資格があるのか。私が問いかけたいのは、まさにこの点である。

 参考文献・資料
 川戸和史[2002]
 川戸和史「引きこもり癒やす地域通貨の力」=「AERA」2002年9月23日号、朝日新聞社
 斎藤環[2003]
 斎藤環『ひきこもり文化論』紀伊國屋書店、2003年12月
 二階堂祥生[2005]
 二階堂祥生「未熟男たちの「歪んだ欲望」」=「Yomiuri Weekly」2005年6月5日号、読売新聞社
 二神能基[2005]
 二神能基『希望のニート』東洋経済新報社、2005年6月
 本田透[2005]
 本田透『電波男』三才ブックス、2005年3月

 笠原嘉『アパシー・シンドローム』岩波現代文庫、2002年12月
 広田照幸『日本人のしつけは衰退したか』講談社現代新書、1999年4月
 ウォルター・リップマン、掛川トミ子:訳『世論』岩波文庫、上下巻、1987年2月

 河村成浩「「残虐」とゲームが有害図書に 神奈川県、条例で指定」=「MANTANBROAD」2005年6月号、毎日新聞社
 福井洋平「オタク狩り?警察の狙い」=「AERA」2005年3月7日号、朝日新聞社

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