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2005年8月10日 (水)

俗流若者論ケースファイル53・佐々木知子&町沢静夫&杢尾堯

 今回検証する、佐々木知子氏(参議院議員・自民党、元検事)、町沢静夫氏(精神科医)、杢尾堯氏(元警視庁捜査一課課長)の対談「検挙率はなぜ急落したのか」は、「中央公論」平成13年7月号の特集「「安全な国・日本」の崩壊」という特集の一つの記事として収録されている。要するに、今喧伝されている「治安の崩壊」という問題は、この時期から起こっていたことになる。犯罪白書や警察白書においては、平成12年ごろから「体感治安」の悪化、要するに実際の検挙件数や検挙率とはまた違ったところにおける、人々の「体感」としての治安の悪化が取り沙汰されていたようだ(酒井隆史[2005])。

 ただ、この対談において気になるのは、検挙率の低落や治安の悪化が、一貫して青少年が原因とされていることである。現実には青少年だけのせいにできないほど治安の悪化というものは複雑であり、例えば外国人犯罪や、更には青少年以外の世代にも触れなければならないのである。更には、我が国におけるスペクタクル的状況が、実際はマスコミが少年犯罪に関して過剰なまでに取材して、さも少年による犯罪だけが急増しているかのごとき錯覚に世間が陥っている疑いがある、という面からも検証されなければならないだろう。青少年ばかり治安悪化の「原因」としてつるし上げるのは、はっきり言ってポピュリズムにしかなりえない。少なくとも戦後の我が国の社会が若年層の「封じ込め」に成功して来た社会である、ということに関する認識は持つべきだろう。

 さて、ここから検証に入る。まず町沢氏の発言から。ついでに言うと町沢氏は平成12年5月に起こった佐賀県のバスジャック事件の際、朝日新聞社の「論座」平成12年7月号において、この事件の原因を、自らこの犯罪者の母親にアドヴァイスした経験から母子関係の歪みに求めているが(町沢静夫[2000])、そのような論証立ては後に「論座」同年10月号で臨床心理士の矢幡洋氏に論破される運びとなる(矢幡洋[2000])。話を戻して、この鼎談における町沢氏の最初の発言を見てみよう。100ページから101ページにかけて。

 町沢 従来の少年犯罪というのは「非行少年型」でした。……彼らは友達を作って徒党を組む傾向がある。また計画性がなく、ちょっとしたいたずらを契機に、そのときの集団真理で、殺すことが兵器になっていくという段階を踏みます。これは家庭崩壊を背景としていることが多いんです。

 ところが、1990年を過ぎた頃から、「単独犯行型」とでも言うべき新しい犯罪が増え始めた。このタイプの犯罪者は、過保護な環境で暮らしてきて、対人関係がうまく取り結べない。非常に内向的なんですね。……

 このように、従来の、徒党を組んで犯罪を起こす非行少年型ではなく、非行歴もない少年が被害妄想的になって、計画的にバッサリ犯行に及んでしまうというのは、従来の精神医学から分断された特殊な傾向をもっています。日本独特といってもいいでしょう。(佐々木知子、町沢静夫、杢尾堯[2001]、以下、断りがないなら同様)

 残念ながら、町沢氏のこの発言は事実誤認を含んでいる。なぜなら、我が国の少年による殺人・強盗殺人・強盗致死事件において、被害者の数に対する加害者の数は増加傾向にあるからだ。東京大学助教授の広田照幸氏の分析では、少年による凶悪犯罪のピークであった昭和40年ごろは被害者の数に対して加害者の数がおよそ1.3倍程度だったのに対し、近年(平成元年以降)はおよそ2~2.5倍くらいで推移している(広田照幸[2003])。つまり、過去のほうが単独による殺人・致死事件が多かったのである。加えてこの時期に取り沙汰されていた所謂「オヤジ狩り」などの凶悪犯罪は、集団によるものが多かった。すなわち、加害者数から見れば、この時期の少年犯罪の傾向としてはむしろ町沢氏の主張とは逆の事態が生じていることになる。また、町沢氏の現状認識を認めるとしても、なぜ《従来の精神医学から分断された特殊な傾向》さらには《日本独特》といえるのか説明が必要であろう。ちなみにこのあと(102ページ)において展開される佐々木氏の発言はおおむね正鵠を付いているのだが、やはり《一般にはりかいしがたい凶悪な少年犯罪が増えてきました》と安易に言っていることに関しては警鐘を鳴らしておく。また、103ページにおける杢尾氏の発言は、自らの警視庁時代の実体験を元にした発言であるが、ここにも目立った間違いは見られない。
 104ページにおいて、佐々木氏が問題のある発言をしている。

 佐々木 いま日本は非常に画一化していると思います。地方も都市も。ようするに情報は全部同等に流れていきますし、地方の片田舎でもみんな携帯は持っています。ネットでチャッティングというのはどこでもやっています。だから私は、地方も都市も関係なく、画一的に犯罪は増えていると認識しています。

 まず、佐々木氏は《日本は非常に画一化していると思います》と書いているけれども、では佐々木氏はその責任を何に求めているのだろうか。戦後になって、我が国の社会は公共事業をあまねく全国に広めるような公共投資の乱発が起こった。これによって我が国全体の経済水準が上がったことは間違いないが、しかしそれに伴う問題点もまた生み出してきた。そのような田中角栄的な状況に対する精算を自民党は怠ってきた。佐々木氏も自民党であればまずその点を反省すべきであろう。また、そのような状況が起こると同時に、特にバブル期においては消費社会的なものを礼賛する如き言説もまた溢れた。今となってはそのような言説を乱発してきた人がそれに対する反省もなしに都市の画一化を嘆き、それが青少年の心の荒廃をもたらしている、と訳知り顔で語っているという倒錯が起こっているらしいが、そのような状況に関する検証がまず必要になろう。また、佐々木氏は《画一的に犯罪は増えていると認識しています》と言ってのけるが、その程度の《認識》ではなくまず数値的なデータをそろえるべきだろう。

 更に町沢氏の問題発言、105ページ。

 町沢 いまの青少年を見ていますと、「殺す」という言葉を非常に簡単に使います。そこにナイフを持っているから、障害も起こる。中高生の男の子はいま、二割はナイフを持っています。だからあまり強く叱ることができない。

 しかも殺すということが非常に簡単になってきているから、死ぬということも簡単になる。子供たちを見ていると、死ぬというのは隣の部屋に行くようなものなんです。ものすごく軽いし、生きることと、死ぬことに落差がない。

 ほとんど全部が問題発言といっていい箇所であろう。まず俗流若者論における詐術としての《いまの青少年を見ていますと》だとか《子供たちを見ていますと》といった表現はいかにも青少年の現実を的確に写実しているように感じられるが、しかしこのような「観測」には過度に主観が入る可能性が極めて高いので、客観的な分析ということはできない。従って《「殺す」という言葉を非常に簡単に使います》とか《死ぬということも簡単になる》などといった町沢氏の「分析」にはまったく信憑性を持つことができない。更に町沢氏は《中高生の男の子はいま、二割はナイフを持っています》と述べているが、果たしてこれはどのような調査から導き出された結果なのか。調査を読む際には、いつ、どこで、誰が、どのような目的で調査を行ったか、ということを意識して読まなければならないが、少なくとも町沢氏はそのような調査の情報源を示すべきである。更に町沢氏は青少年において自殺が急増していることを示唆する如き発言をしているけれども、我が国においては青少年の自殺よりもむしろ中高年の自殺のほうがはるかに多い(厚生労働省の調査による)。しかも青少年による自殺は、戦後になって一貫して減少傾向にある。しかも諸外国に比して、我が国において青少年の自殺は極めて少ない。町沢氏はこれらの事実をいかに受け止めているのだろうか。佐々木氏もまた、106ページにおいて、

 佐々木 正しい言葉かどうかわからないんですけど、閾値というんですか、低くなっているという感じがするんですよ。たとえば、すごく腹が立ったからといって、普通はここで抑えたりとか、コミュニケーションをとって互いに納得したりとか、せいぜい手を出して終わるというのが常識でしたけど、いまはもうすぐに沸点まで上っちゃって、パッと殺しちゃうとかですね。

 それっていうのは、コミュニケーションをとる訓練ができていないんですよ、小さいときから。だって家に帰っても遊ぶところがないですよね。自分でゲームやったりと課して、少子化で、周りに兄弟もいないし、生と死、と言ったって、おじいちゃんもおばあちゃんも近くにいないし、死ぬということも実感できない。

 と発言しているのだから、その安易な図式化をまず疑うべきであろう。
 そして、杢尾氏もまた問題のある発言をする。107ページ。

 杢尾 確かに過去のデータから比べると、検挙率はもう右肩下がりです。たとえば、過去五年間の凶悪事件を見ると毎年千件ずつ増えている。限られた捜査員で、いくら犯人を検挙していっても、発生件数に追いついていかないというパターンですね。

 検挙率が低下した最大の原因としては、各種凶悪犯罪よりも格段に件数の高い軽微な窃盗罪などの検挙率における著しい低下に求めることができる。検挙率というものは、検挙件数を認知件数で割った数を100倍して求めるのだが、検挙率が低下した、というのであれば、検挙件数が減少したか、それとも認知件数が増加したか、という二つのファクターが考えられるのだが、事実認識として正しいのは認知件数が急増したからである。

 しかしここ最近の認知件数の急増というものは、単に犯罪そのものが急増したから、とはいえない。なぜなら(本当は虚像である)少年犯罪の多発化・凶悪化を見越して警察は少年犯罪に関する捜査を強化した。その結果として検挙率が低下する。ついでに検挙率の低下は平成元年あたりにもあったことなのだが、その理由としては警察が自転車泥棒を重点的に取り締まっていたのを昭和末期から平成元年あたりにかけてやめた、ということが影響している(浜井浩一[2005])。さらに最近の傾向として、平成11年に起こった桶川のストーカー殺人事件における警察の態度、すなわち被害が出ているにもかかわらず警察が被害届けの受理を拒否する態度が批判されたことをきっかけに、警察は被害届けを素直に受理するようになった。しかし検挙人数は変わらないから、故に検挙率は更に低下する。近年の検挙率低下には、このようなからくりが存在する。

 この鼎談の終盤、108ページにおいては、外国人犯罪について述べられているが、これに関する言及はせいぜい1ページ程度なので、この鼎談においては少年犯罪こそが治安悪化の原因である、と考えられているのだろう。しかし、このような認識は、実際にはそれほど影響の大きくない事象を過度に過大視することによって、間違った「治安政策」が行なわれることになる。近年の警察の態度や刑事政策の変化が現在の如き状況を引き起こしている、というのは警察も認めていることなのだが、しかしマスコミではそのようなことは報じられず、ただ扇情的な情報だけが溢れることになる。マスコミは警察の広報係どころか、もう完全に不安扇動装置と化してしまっているようだ。

 しかし、青少年のせいで治安が悪化している、という認識はもはやかなりのコンセンサスを得ているようだ。例えば、東北大学助教授の五十嵐太郎氏は、平成13年10月の衆議院議員総選挙の近くに、東京新聞で発表された、著名人による、もし自分が選挙に出馬したらどのような公約を抱えるか、ということについて、その一つである作家の室井佑月氏の「公約」を挙げる。曰く、

 作家の室井佑月は、「バーチャル総選挙」という新聞のコーナーにおいて、自らが立候補した場合の公約を次のように要約している。「1、国会議員の財産は一代限りに。2、十代のボランティアを義務化。3、警察官を大幅に増員します」。第一の公約は、治安のいい場所が高級住宅街になっていることへの疑問から導かれたものだ。第二の公約は、潜在的な犯罪者であるティーンエージャーを災害救助や老人介護などのボランティア活動で働かせること。……おそらく彼女は一般人の感覚を代表しており、治安への強い関心がうかがえる。国民にとって、今、セキュリティが最大の問題なのだ。(五十嵐太郎[2004])

 要するに、五十嵐氏が引いている室井氏の認識は、悪いのは自分ではなく、自分にとって「外部」のものなのである、というものなのだろう。そしてこのような認識は、あまねく全てのマスコミを覆っているように見える。もちろん五十嵐氏は室井氏に対して批判的な立場で書いているのだけれども、自分だけは犯罪を起こさない、犯罪を起こすのは「あいつら」だと思いこんでいる「被害者の共同体」を強化するために我が国のセキュリティや政策は動員されている。言論もまたこれに動員されており、近年高まっているオタク・バッシングもこれと同種のものとして見なせよう。また、「させてはならない目標」(=「ゲーム脳」「ケータイを持ったサル」「フィギュア萌え族」など)としての俗流若者論が蔓延するのも同様の傾向であろう。明治大学専任講師の内藤朝雄氏は、現在の状況をこのように批判する。

 全体主義とは、教育が社会を埋め尽くす事態をいうのではないか。あるグループの人々が社会解体の「しるし」としてターゲットにされ、「憂慮すべき未曾有の事態」がくりかえし指摘される。生まれてからの年数が短い人、置いた人、所属しない人、交わらない人、理解や共感ができずに不安を与える人は、そういう「しるし」にされやすい。そして人々の不安と被害者感と憎悪が動員され、社会防衛のキャンペーンが起こる。問題は「困った人たち」のこころや生活態度であるとされ、彼らが内側から変わるように、社会に教育網が張り巡らされる。人権や経済や社会的公正の問題は、いつの間にか教育の問題にすりかわり、公論のスポットライトから外される。(内藤朝雄[2005])

 「全体主義」に関する説明には大いに疑問が残るけれども、それを除けば現在の我が国の状況を極めて的確に言い当てている。我が国は、言説によって規定された恐怖に多くの人が脅えており、それらの恐怖の元は実感というよりは言説に由来する。そして自らの見聞きした経験もまた言説によってある種の傾向に方向付けられてしまう。大阪府立大学専任講師の酒井隆史氏は、現在の状況に関して《一方で個性をもて、とたえず命令しながら、他方で「個性をもつ」ための条件である「寛容」という土壌を取り除き続けている》(酒井隆史[2005])と指摘しているが、まさにその通り。我が国において「個性」というのは、「世間」の許容する範囲での「個性」、あるいは「世間」に利益をもたらす範囲での「個性」のみが許容される。我が国においてオタク産業が脚光を浴びているのは、その多くの場合においてそれがビジネスの創出や対外的なソフト・パワーとなっているからに過ぎないのであって、経済という枠を取り除いた上でのオタクへの「寛容」など最初からない。同様に、わが国においては若年層が一つの大きなビジネスのターゲットとなっている。しかし、そのようなビジネスは、若年層の費用が携帯電話の使用量に偏っていることや、少子化によってビジネスが縮小することから、まもなく成り立たなくなるであろう。近年において若年層バッシング、特に「ケータイを持ったサル」なる疑似科学の蔓延は、そのような状況を反映しているのかもしれない。我が国には若年層に対する「寛容」などない。

 我が国において俗流若者論、あるいは若年層を敵視する言説ばかりが蔓延する背景には、若年層はもはや「世間」の人間ではない、子供を「世間」の人間ではない「今時の若者」にしてはならない、という認識の広まりがあるのかもしれない。徒に若年層ばかり敵視する治安言説も、無関係ではないだろう。

 蛇足だが、中央公論新社のウェブサイトでは、早くも正高信男『ケータイを持ったサル』(中公新書)の続編にあたる『考えないヒト』(中公新書)をトップページで宣伝していた。中公新書にはたくさんの名著があるのだが、今では中公新書のトンデモ本メーカーとなっている正高信男氏の著作を喧伝することは、我が国において社会や科学が危機に瀕していることを助長しかねないのではないか?

 参考文献・資料
 五十嵐太郎[2004]
 五十嵐太郎『過防備都市』中公新書ラクレ、2004年7月
 酒井隆史[2005]
 酒井隆史「「世間」の膨張によって扇動されるパニック」=「論座」2005年9月号、朝日新聞社
 佐々木知子、町沢静夫、杢尾堯[2001]
 佐々木知子、町沢静夫、杢尾堯「検挙率はなぜ急落したのか」=「中央公論」2001年7月号、中央公論新社
 内藤朝雄[2005]
 内藤朝雄「お前もニートだ」=「図書新聞」2005年3月18日号、図書新聞
 浜井浩一[2005]
 浜井浩一「「治安悪化」と刑事政策の転換」=「世界」2005年3月号
 広田照幸[2003]
 広田照幸『教育には何ができないか』春秋社、2003年2月
 町沢静夫[2000]
 町沢静夫「佐賀バスジャック事件は防げた」=「論座」2000年7月号、朝日新聞社
 矢幡洋[2000]
 矢幡洋「佐賀バスジャック事件を検証する」=「論座」2000年10月号、朝日新聞社

 笠原嘉『アパシー・シンドローム』岩波現代文庫、2002年12月
 斎藤環『ひきこもり文化論』紀伊國屋書店、2003年12月
 広田照幸『教育言説の歴史社会学』名古屋大学出版会、2001年1月
 パオロ・マッツァリーノ『反社会学講座』イースト・プレス、2004年5月
 宮崎哲弥、藤井誠二『少年の「罪と罰」論』春秋社、2001年5月
 ウォルター・リップマン、掛川トミ子:訳『世論』岩波文庫、上下巻、1987年2月

 河合幹雄、杉田敦、土井隆義「犯罪不安社会の実相」=「世界」2004年7月号、岩波書店
 齋藤純一「都市空間の再編と公共性」=植田和弘、神野直彦、西村幸夫、間宮陽介(編)『(岩波講座・都市の再生を考える・1)都市とは何か』
 杉田敦「「彼ら」とは違う「私たち」――統一地方選の民意を考える」=「世界」2003年6月号、岩波書店
 長谷川真理子、長谷川寿一「戦後日本の殺人動向」=「科学」2000年6月号、岩波書店

 参考ウェブサイト
 「「NO!監視」ニュース第6号

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コメント

純粋な「若者論」とは多少違うのかも知れませんが、この記事に出てきた「画一的な地方」ということで言うと、三浦展氏の「ファスト風土」という説明も同じような形で、「地方の画一的な郊外化が、地方にあった人々の繋がりを破壊して地方を犯罪だらけにした」というような説明をしています。
そのためのデータなどはかなり強引な解釈に終始しているように思え、「昔は良かった」的な発言に終始しているように私には思えました。
もし、お時間がありましたら、三浦展氏の一連の書についても検証してみてはいかがでしょうか?

投稿: モリケン | 2005年8月11日 (木) 10時41分

今頃になって、この記事に気づきました。町沢の「ほとんど全部が問題発言」については同感です。

最近、町沢についてのホームページを大幅に改良したので、見て下さい。このページもリンクさせていただきました。

“精神科医 「町沢静夫」 徹底批判”
http://www2.widetree.com/

投稿: widetree | 2008年12月17日 (水) 21時50分

When you are in uncomfortable position and have got no cash to get out from that point, you will need to take the personal loans. Because that will aid you for sure. I get secured loan every time I need and feel myself OK because of that.

投稿: PattersonROSELLA35 | 2012年7月10日 (火) 17時34分

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