統計学の常識、やってTRY!第5回
たとい統計といえども、客観的な指標を表しているとはいえない統計も存在する。若者報道の非常識ぶりから統計学の常識を探る企画「統計学の常識やってTRY」の第5回は、そのような統計を検証することとしよう。
今回検証する統計は、朝日新聞社の発行する週刊誌「AERA」の編集部と、教育評論家の尾木直樹氏が行なった統計である。そして統計の結果が、「AERA」平成17年9月5日号に「父よ母よ 園児が壊れる」なる記事として刑されている。その統計の内容は、《ここ数年の子供たちの変化について、教育評論家の尾木直樹法政大教授の協力を得て全国の保育園と幼稚園(筆者注:215箇所)にアンケートした》(各務滋、坂井浩和、小田公美子[2005]、以下、断りがないなら同様/31ページ)というものらしい。
この時点で疑問がある。「AERA」編集部(以下、単に「編集部」と表記した場合は「AERA」の編集部を指すものとする)と尾木氏は、どうして子供の体力などに関する直接的・客観的なデータを採らずに、このような方式を採用したのだろうか。編集部や尾木氏は、幼稚園や保育園で指導に当たっている人たちは客観的に子供を見ることができる、と思っているのかもしれないが、このようなアンケート調査は結局のところ主観だけを調査しているのであって、客観的なデータを表しているとはいえない。
編集部は、この記事において、例えば《バスのわずかなステップを、一人では降りられない》という《青森県の幼稚園で実際にあった事例》(以上、31ページ)みたいなものを立て続けに提示することで、昨今の子供たちの身体に異変が生じている、と主張している。しかし私が疑問に思うのは、そのような事例が果たして本当に一般化しているのか、ということと、また仮に増加していたとしても、都市部や郊外部や農村部の如く、あるいは社会階層の問題に関して、どのような違いが見られるのか、ということだ。そのようなさまざまな社会階層に関する差異も検討せずに、子供たちと親たちをバッシングするということは、果たして調査を行うものとして正しい行為ということが出来るのだろうか。たとい事例を引っ張ったからといって、具体的な数値での裏づけがない限り、そのような調査は決して説得力を持ったものにはならない。
32ページでは、《疾患を持つ子が増えたと答えた園は、全体の8割を超えた》とある。だがこれに関しては原因論は一切語られていない。また疾患に関する内訳も書かれていない。こと疾患に関しては、どうしても子育て還元論にしえない要素が多いので、全体として還元論として書かれているこの記事では深くは触れたくない、ということか。
調査に関して言うと、32ページの最後の段から34ページ1段目までに採り上げられている《こころ》に関する調査はかなり主観が入っている。ここで取り上げられている調査項目は、《友達とかかわることの苦手な子が増えている》《集団遊びをしているときに、ルールが分かっていても守れない子どもが増えている》《落ち着きのない子どもが増えている》《攻撃的な行動をする子どもが増えている》《自己中心的な子どもが増えている》《「パニック」状態になる子どもが増えている》というものなのだが、果たしてこのような調査において「増えている」と感じているという結果が多かったからといって、本当に増えているかどうかとは決していえないのである。人間は過去の記憶を美化する傾向があるから、そのようなことに関することも考慮しなければならないし、あるいはここ最近の「今時の若者」「今時の子供」をめぐる言説が過度に横行し、そのため人々が規範(《こころ》!)に関して神経質に成っているからそのような見方になっているのではないか、という可能性も否定は出来ない。いずれにせよ、客観的なデータではないということだ。
35ページに掲載されている尾木直樹氏の談話にも疑問が残る。尾木氏はこのアンケートの結果を分析して《・生活が崩壊し身も心もボロボロ/・家庭の子育て環境は最悪/・これでは、日本の未来が危ない》などと鬼の首を取った如く書いているけれども、尾木氏も学者であれば、このようなアンケートが、決して客観的な事例を切り取ったものではない、ということぐらい理解していただきたいものだ。また尾木氏は、35ページの3段目から4段目にかけて、《虐待が「増えている」は16%、「登園拒否」も5%と少ない。が、安心は禁物。これもまた、ここ数年の「増加」が少ないというだけのこと。自由回答を見ると既に広く“定着”した感さえある》と語っているのだが、例えば児童虐待は過去何度か深刻化したことがある(例えば、立花隆[1984])。尾木氏はそのような時代とどのように違うのか、ということを具体的に挙げなければならないだろう。また、《今日の幼児にも「新しい長所がある」(40%)との回答は喜ばしい。だがそれも、多くがパソコンを操作でき、言葉が大人びているなど「情報通」ぶりを指しているだけ。回答者自身、本当に長所といえるのか判断に迷っている》と書いている。ではどうして過去から続いている長所には触れようとしないのだろうか。しかも尾木氏のこの文章は、子供が《情報通》になることを拒んでいるようにも見える。そうなることにより、親の権威が崩されていることを恐れているのか。
そもそもこの記事も尾木氏も「親がおかしいから子供がおかしくなる」という認識に立っているようだ。確かに子育ての問題に関して子供に責任を押し付けることはできないのは事実だ。だが、過度に親のばかり責任を押し付けると、社会的な変動を見逃すことにもならないか。ここ最近になって、子育てに関して残酷な還元論が増加しているけれども、東京大学助教授の広田照幸氏によれば、これほど「親の責任」が問われる時代がない、とも言えるようだ(広田照幸[1999])。ここ最近保守系の子育て論者の間では、「「育児の社会化」を推し進めると子育てにおける父性や母性が喪失され、社会が崩壊する」という論理が広がっているようだが(例えば、松居和[2003])、広田氏によると、戦前から高度経済成長直前までの農村共同体において家庭が子育てにかかわる割合は極めて少なかった(広田照幸[2003])。その代わり地域共同体が担っていた、という話になるが、戦後の高度経済成長によりそのような図式が解体されて、子育ては親に一元的に負担されるようになった。そのような状況を無視して安易な子育て還元論に収束させるのも暴力的だろう。この問題は、「子供はどこまで「監視」されるべきか」という問題も含まれており、昨今の状況に見ると、全て監視されれば健全に育成される、という傾向があるようだ(例えば、神奈川県横浜市における、深夜徘徊を禁止する条例において、違反した子供の親の責任が問われることや、鴻池祥肇氏の「市中引き回し」発言など)。
これだけ問題点を述べておいて難なのだが、最後にこのアンケートにおけるとてつもなく大きい問題を提示して私は去ることにしよう。このアンケートの設問14個の中で、子供の可能性をポジティブに捉える設問は一つしかない(《新しい長所を持っていると感じる点がある》)。このアンケートは、あらかじめ現代の子供たち、そして親たちを問題視する前提で設計されているのである。このようなアンフェアなアンケートが行なわれ、しかも地域差とか社会階層の差異に関するコントロールが行なわれず、ただ不安を煽り立てるだけのこのアンケートは、もはや必要性からして疑問視されるものであろう。
まあ、編集部や尾木氏が、本当に不安を煽る目的でこのアンケートを作ったのであれば、もはや私は何も言うことはない。
参考文献・資料
各務滋、坂井浩和、小田公美子[2005]
各務滋、坂井浩和、小田公美子「父よ母よ 園児が壊れる」=「AERA」2005年9月5日号、朝日新聞社
立花隆[1984]
立花隆『文明の逆説』講談社文庫、1984年6月
広田照幸[1999]
広田照幸『日本人のしつけは衰退したか』講談社現代新書、1999年4月
広田照幸[2003]
広田照幸『教育には何ができないか』春秋社、2003年2月
松居和[2003]
松居和「モラルと秩序は「親心」から生まれた――子育ての社会化は破壊の論理」=文藝春秋(編)『日本の論点2004』文藝春秋、2003年11月
笠原嘉『アパシー・シンドローム』岩波現代文庫、2002年12月
斎藤環『ひきこもり文化論』紀伊國屋書店、2003年12月
杉田敦『権力』岩波書店、2000年10月
森真一『日本はなぜ諍いの多い国になったのか』中公新書ラクレ、2005年7月
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