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2005年8月12日 (金)

俗流若者論ケースファイル56・片岡直樹

 さて、川崎医科大学教授・片岡直樹氏の登場である。片岡氏に関しては、この連載の37回目で検証したが、片岡氏単独の論文の検証は始めてである。検証する論文は、「テレビを観ると子どもがしゃべれなくなる」(「新潮45」平成13年11月号)である。片岡氏が、テレビの視聴により所謂「新しいタイプの言葉遅れ」が生じる、という説を発表しているのは、丁度この時期からだと推測される。この記事が発表される数ヶ月前に、片岡氏は『テレビ・ビデオが子どもの心を破壊している!』なる著書を発表しているので、この推測はおそらく正しいだろう。

 しかしこの文章において、片岡氏の自閉症というものに対する認識はこの時期から現在まで変わっていない、という気がするのである。また、片岡氏の、現代の子育てや若年層に対する認識に関しても同様である。例えば片岡氏は、133ページにおいて、《先に示した症状(筆者注:所謂「新しいタイプの言葉遅れ」)がある子どもの普段の生活などを細かく聞きますと、共通点があるのです。生まれながらにしてテレビが付いている環境で育っている、または生まれた時にはテレビがなくても生後半年や一年ぐらいからテレビ漬けになっており、母親など生身の人間との情緒的なかかわりが非常に乏しい》(片岡直樹[2001]、以下、断りがないなら同様)と書いている。ならば片岡氏は、テレビ以外のファクターをコントロールした(影響を排除した)のだろうか。もちろん、排除することは無視することとは違う。「排除」とはさまざまな影響を考慮した上で取り除くのに対し、「無視」は最初からないものとして扱うことを言う。

 そのほか、このような問題発言もある。135ページから136ページにかけて。

 言葉が遅れて出てきた子は、大人とは会話が出来ます。それは大人が子どものことを配慮しながら、応答してあげるからです。ところが同世代の子どもとは無理。周りに上手に反応することが出来ないので、一緒に遊べない。ここで強い子だと、友だちがワーッと寄って来たときに、逆にボンと叩いたり、突き飛ばしたりする。弱い子だと、逃げて独りぼっちになる。こうした状態は、ADHDと言われているものと酷似しています。

 そのまま大きくなると、学童期に入って、LD(学習障害。知的な遅れはないが、聞く、話す、読む、読む、書く、計算するなどの特定の能力の習得や使用に著しい困難を示す)と言われるものにつながる可能性もあります。
 今年になって、私が診た中学1年の男の子C君が、そのような症例に当たるでしょう。

 この子は、毎日、家でテレビゲームばかりしているので、親がゲームを取り上げたところ、学校で先生に「死にたい」などと言い出し、先生が驚いて親に連絡しました。それで、親が近くの病院に相談しに行き、そこから、私のところへ紹介があったのです。

 まずこれのどこに問題があるかというと、まず片岡氏のADHD(注意欠陥/多動性障害)に関する認識である。片岡氏は、どうもADHDという言葉だけを乱発して、その不安を煽ろうとしているのではないか。実際問題、ADHDに深く関わってきた医者からは、このような傾向に対して不安の声も少なくないようだ。ADHDに深く関わってきたライターの品川裕香氏は、現状を《児童がADHD的な行動を取るからといって、必ずしもADHDとは限らないのに、DSM-Ⅳ(筆者注:アメリカ精神医学会が定めた、「精神疾患の分類と診断の手引き」の第4版)の診断基準などに照らすだけで「チェック項目がいくつですから、あなたのお子さんはADHDの○○型です」などと「コンビニ診断」している医療現場がある》(品川裕香[2002])と批判する。片岡氏の行動は、DSMこそ出てこないものの、まさしくこれに当てはまる。

 しかも、この引用部分の後半2段落に関しては、かつて「潮」平成17年4月号に掲載された曲学阿世の徒・日本大学教授の森昭雄氏の文章(この連載の第7回にあたる)における、《「この子は覚えることや考えることが苦手なんです。どうしたらいいでしょうか」と、小学生の子どもをつれて相談にきたお母さん》(森昭雄[2005])と同様の危なさを覚える。この《中学1年の男の子C君》の親もまた、自分の子供が問題のあると思われる行動(ここでは《先生に「死にたい」などと》言い出すこと)を病気だと短絡させ、病院に相談にいく、という態度をとっているのである。もしこの親が『ゲーム脳の恐怖』を読んでいたら(とはいえ、この論文が掲載されたのは『ゲーム脳の恐怖』が出版される遥かに前だが)、間違いなく森氏のもとに駆けつけるだろう、という邪推はここで終わりにしておくが、少なくとも我が国の子育て言説の一部において「親の思うとおりに育たなければ子供は病気である」という思考が蔓延しつつある、ということに関して我々はもっと危機感を持ったほうがいい。

 また、片岡氏は136ページにおいて《現在も精神安定の薬をもらいに通院している30歳になるDさん》の事例も紹介しているけれども、片岡氏は《彼も白黒テレビのコマーシャルが大好き。3歳になっても多動であり意味のある言葉が話せないので、ここへ診察を受けに来たわけです》という理由だけをもって《テレビがなければ、普通の子だったのではないかと思っています》などと短絡している。

 また、片岡氏は、138ページにおいて曲学阿世の徒・北海道大学教授の澤口俊之氏の「PQ」概念という問題の大きい珍概念(これについてはこの連載の第48回を参照されたし)を好意的に紹介しているほか、信憑性の極めて低い《オオカミ少女》の話も真に受けている(この連載の第37回を参照されたし)。当然の如く、他の曲学阿世の徒の論法がそうであるとおり、片岡氏もまた、他の曲学阿世の徒の論理を自分の曲学阿世の都合のいいように歪曲して用いる。その証左として、片岡氏は、《テレビや早期教育はPQの発達を阻害するものです。先に症例で示したように、言葉が出ないだけではなく、周りとコミュニケーションが取れなくなり、ADHDになってしまうのも、PQが育たないためだと思われます》(138ページ)と述べている。疑似科学市場とは所詮曲学阿世の縮小再生産なのである。

 片岡氏は最後の139ページにおいて、特に高学歴の親に警鐘を鳴らしている。曰く、《高学歴で神経質な方だと、お母さん自身がノイローゼになるし、子どもも良くならない》《高学歴なお母さんは他の子どもがどんどん賢くなるのを見ていられなくて、無理やり言葉を教え込もうとする》と。しかし、テレビの視聴が子供を自閉症にする、という自閉症に関する誤解をまき散らし、この手の言説に至極敏感な高学歴の親たちを脅しているのは一体誰なのか?親の「自閉症かもしれない」「ADHDかもしれない」という不安をそのまま「自閉症である」「ADHDである」と短絡的に昇華しているのは一体誰なのか?

 自らの言動に無責任で無頓着なのもまた、曲学阿世の徒の一つの特徴である。

 参考文献・資料
 片岡直樹[2001]
 片岡直樹「テレビを観ると子どもがしゃべれなくなる」=「新潮45」2001年11月号、新潮社
 品川裕香[2002]
 品川裕香「「ADHD」にとまどう教育現場」=「論座」2002年11月号、朝日新聞社
 森昭雄[2005]
 森昭雄「“ゲーム脳”に冒される現代人」=「潮」2005年4月号、潮出版社

 斎藤環『心理学化する社会』PHP研究所、2003年10月
 斎藤環『ひきこもり文化論』紀伊國屋書店、2003年12月
 十川幸司『精神分析』岩波書店、2003年11月
 日垣隆『現代日本の問題集』講談社現代新書、2004年6月
 広田照幸『教育には何ができないか』春秋社、2001年1月

 品川裕香「大人のADHDにも理解と支援を」=「論座」2002年12月号、朝日新聞社
 村田和木「「片づけられない女」と片づけないで」=「中央公論」2002年11月号、中央公論新社

 参考ウェブサイト
 「こどものおいしゃさん日記 おおきくなりたいね」から「「テレビ・ビデオの長時間視聴が幼児の言語発達に及ぼす影響」
 日本自閉症協会東京都支部ウェブサイトから「繰り返される「テレビ視聴=自閉症」の発言

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