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2005年8月25日 (木)

俗流若者論ケースファイル66・小林ゆうこ

 それにしても、我が国には俗流若者論が得意とする、昨今になって急激に青少年による犯罪が凶悪化したとか、あるいは青少年における規範意識が弱くなった、とかいうレトリックを平気で引いていい気になる自称ジャーナリストやノンフィクション作家がこんなにも多いのだろうか。もちろん多くのジャーナリストやノンフィクション作家は良心的だけれども、たまに俗流若者論を言いふらしては世間に媚びて自分だけは安全だ、正常だと思いこんでいる「善良な」人たちの耳目を集めていい気になる人が出てくるのだから困る。最近になってこのような悪しき傾向に乗ってしまった人には、例えばノンフィクション界の古参である柳田邦男氏が上げられようが、柳田氏は自分の経験した、あるいはマスコミが興味本位で取り上げたがる「今時の若者」の行動に関して全てを携帯電話とインターネットなどのメディアのせいにしては論理飛躍・牽強付会・狼藉を加えていて、これが柳田氏の本なのか、と驚いてしまうほどのないようだったけれども、安易に俗流若者論に依拠したがるジャーナリストやノンフィクション作家は他にも結構いる。

 今回検証するのもそのような人の一人だ。書き手はノンフィクション作家の小林ゆうこ氏(声優の小林ゆう氏ではない)、記事は「「母子密着」男の子が危ない」(「新潮45」平成15年10月号に収録)である。また「新潮45」である。つくづく「新潮45」はこのような記事が好きだ。そしてこの記事は、具体的に言えば疑似科学系の俗流若者論の検証抜きのオンパレードである。

 そもそもこの記事、書き出しの118ページにおいてこのような文章が書かれているのだから救いようがない。

 少年犯罪が年々兇悪化して、「キレる17歳」が流行語になった。一歩間違えばわが子も犯罪の被害者か加害者になってしまうのではないか。その時に槍玉に上げられるのは母親と相場が決まっている…。(小林ゆうこ[2003]、以下、断りがないなら同様)

 それは誤解、あるいは事実誤認というものだ。犯罪白書を読めばわかるが少年による凶悪犯罪は年々減少しており、昨今になって青少年による凶悪犯罪が多発するようになったかのごとき錯覚が小林氏を含めて多くの人に共有されているのは、警察の方針転換ということもあろうが、基本的にはマスコミが少年による凶悪犯罪に対して「騒ぎすぎる」ようになったことが挙げられよう。そもそも小林氏、《「キレる17歳」が流行語になった》と安易に言っているけれども、昔の少年による凶悪犯罪を見れば、今だったら絶対「キレる」とか「逆ギレ」とか言われるような事件はたくさんあるし、このような「意味付け」は普通であれば殺人事件の中ではありふれた、例えば諍いが過ぎて相手を刺殺してしまった、というような犯罪を、わざわざ「キレる」「逆ギレ」みたいな言葉で装飾することで昨今の青少年に特有の犯罪として認識されるようになった、というのが正しい認識であろう。

 小林氏は、この文章の中で安易に疑似科学系の俗流若者論を濫用するのである。まず120ページ、《テレビにやられた子ども》という節において日本体育大学名誉教授の正木健雄氏の理論を紹介するのだが、正木氏の理論がもう噴飯ものだ。

 「72年は子どもの問題を考えるときのターニングポイントです。実はその年から死んで生まれてくる男の子の割合が急に増えたのです。当時はテレビの出荷高が頭打ちの横ばいになり、リモコン式のカラーテレビが出回ったので、原因は電磁波ではないかと考えています。72年に子どもたちの“手が不器用になる”調査結果が出て、74年に“目の悪い子”が増え、中学の不登校が減少から増加に転じました。75年から“背骨グニャ”“ボールが目に当たる”“背筋力が弱い”、78年“ちゃんと座っていられない”“朝からあくび”“朝礼でバタン”。すべて脳系統の問題ですね。85年からテレビゲームが流行すると、小学生の不登校が増加しました。子どもたちはテレビやゲームにやられたと、私は思っています。メディア環境によって体の調子が狂わされたのです」

 このような思考停止や論理飛躍、牽強付会に満ちた文章を読んでいると、《メディア環境によって》頭の《調子が狂わされた》のは、むしろ正木氏ではないかと思えてくる。まず正木氏はリモコン式のカラーテレビが普及してから男子の死産が増えた、といっているけれども、まずそれより過去のデータ、そして最近のデータも示すべきだろう。もし72年だけ急増して、その後は一貫して減少しているのであれば、正木氏の論理はそこで崩壊するし、また過去のデータを示さないのもアンフェアーである。更に言えば正木氏は電磁波によって死産が増えるというけれども、電磁波が原因というならばなぜ女子の死産が増えないのだ?また堕胎についても検証したのであろうか。更に言えば正木氏はこの頃から問題化した子供たちの体にかかわる問題(しかし正木氏は「この時期に増加した」といっているだけで現在はどうなっているか、ということは全く述べていない。正木氏は最初からテレビやゲームを敵視する目的でこのようなことを言っているのではないか、と疑われても仕方あるまい)を《すべて脳系統の問題です》といっているけれども、なぜそう言い切れるのか?このような脳還元主義には、むしろ思想的な批判が必要だろう。このような脳還元主義は、この連載で何度も示したとおり、「健全な心は健全な脳に宿る」みたいな錯覚を起こさせることによって、「今時の若者」の如き「異常な脳」を生み出した「原因」を排除しなければならない、という議論につながりかねない(というよりもつながっている)し、更に言えば彼らの言うところの「脳の異常」が所詮は彼らの私憤に過ぎないこと、またそのような疑似科学という補助を得て個人の私憤がそのまま国家による「対策」につながってしまうこと、もう一つ言えばそのような説明では少年による凶悪犯罪が減少していることなど、更にしつこく言えばそのような脳還元主義によって貧困とかあるいは怨恨などといった社会的な背景がことごとく隠蔽されてしまうことなど、問題は極めて多い。名誉教授ほどのポストについている正木氏であれば、そのようなことに対する想像力を働かせることはできるはずだが。それともテレビやゲームを敵視するためなら想像力など要らぬ、ということなのか?

 更に正木氏は大脳前頭葉未成熟というストーリーにも触れてしまう。この部分についても、具体的な数値データを正木氏は提示しようとしないし、小林氏もまたそれを求めるようなそぶりはしない。このような文章は、疑似科学とそれに疑いを持たないジャーナリストや編集者などの共犯関係によって生まれる。たとい疑似科学者だけいても、彼の妄想だけで社会に表出しないならば問題は生み出さないが、この手の疑似科学は最近になってニーズが高まっているので、自分こそが青少年問題の「本質」を知っているという曲学阿世の徒が続出してしまう可能性も否定できない、というよりも最近の我が国はそのような状況に陥っている。

 ここではかの曲学阿世の徒・北海道大学教授の澤口俊之氏も登場する(122ページ)。当然の如く小林氏が引くのは、《PQの障害》である。《PQ》の説明に関してはこの連載の第48回でやったのであまり詳しくは説明しないけれども、《PQ》とは「Prefrontal Quotient」すなわち「前頭前知性」の略称であり、これが障害を起こすと不登校にも家庭内暴力にもひきこもりにも「恥知らず」にもなるんだとさ(ちなみに最近《PQ》という言葉は「HQ(=Humanity Quotient;人間性指数)」という言葉に変容している。正高信男氏もそうだが、この手の疑似科学者の好きな言葉の一つに「人間性」がある)。この手の疑似科学者は、自分が不快に思う問題の全てを「脳」に還元させてしまうという態度にどうして疑いを持たないのだろうか。問題の全てを「脳」に押し付けるということは、すなわちレイシズムであって、あいつは俺たちとは違って脳が異常なんだ、だからあいつらは俺たちが不快に思う行動をとるんだ、という残酷なイメージの押し付けである。澤口氏は森昭雄氏と並んでそのパイオニアだ。要するに現代日本にはびこる俗流若者論と言う名のレイシズムを生み出した人として、澤口氏と森氏の名前を決して外すことはできまい。

 案の定、澤口氏は《それら困った若者たちに共通するのは母親に過保護に育てられたという点です。ことに母親が敏感、几帳面な性格である場合に、子どもは前頭連合野の知性PQの障害に陥る》と書いている。では澤口氏に訊きたいのだが、澤口氏は《それら困った若者たち》について、彼らが本当に《母親に過保護に育てられた》のか、ということを調査したのか?沢口氏の著書や論文などを読んでいる限り、そのようなデータは全く見当たらず、全て「「今時の若者」はみんな母子密着で育てられた」という澤口氏の思い込みで書いているような気がしてならないのである。蛇足だけれども、澤口氏は《ことに母親が敏感、几帳面な性格である場合》は危険である、としているけれども、そのような《敏感、几帳面な》母親たちを疑似科学によって煽っているのは果たして誰なのだろうか。本当は虚構である「少年犯罪の凶悪化」とか「キレる17歳」などといったイメージを垂れ流しているマスコミや自称「識者」であり、澤口氏もまさしくその中に入る。澤口氏は自分の言論に対する反省をいい加減したらどうか。

 そしてこのような疑似科学記事が往々にしてたどり着く結論が、父親の育児参加である。この文章の結論においても、以下のように書かれているのである。126ページ。

 社会が“母子密着”を防ぐシステムを持たなくては、不登校の子どもたちは100万人いるといわれる“ひきこもり”予備軍と化すかもしれない。いや、“母子密着”そのものが、すでに社会からひきこもっている状態にも見える。密着する母と娘が“一卵性母娘”と呼ばれ、通りを闊歩するのに比べ、母と息子の今日依存は家庭というカプセルで日々育まれる。父親の存在をありのままに望む時代を、私たちは初めて迎えている。

 はっきり言って私は、「母子密着の子育てをすると青少年問題が深刻化するぞ、子供がフリーターや「ひきこもり」や無業者になってしまうぞ、だから父親が子育てに参画しろ」という言説は、害悪しか生み出さないと思っている。このような言説は、子供たちを過度に政治化してしまうことによって、一人一人のリアルな現実を政治の下に取捨・希釈してしまう可能性を持つことのみならず、虚構にまみれた青少年言説に借りた垂れて、そのような青少年問題の「防止」のために父親が始めて子育てに参画する、という状況に私は不気味さ以外のなにものも覚えない。いまだ20歳、子供を持っていないどころか妻も持っていない、更には実家暮らしである私が言えることではないのかもしれないが、やはり子育ては楽しいほうがいいのではないか。

 「中央公論」平成15年5月号は、「少子化日本――男の生き方入門」という特集を組んでいるが、この特集は少子化社会における新しい父親像を模索しよう、というポジティブな感情に支えられている。詳しくは特集を読んで欲しいのだが、やはり実感することは青少年「問題」をベースにした扇動言説は人々を不安に駆り立てるだけで何も生み出さないのに対し、子育てに対してポジティブに取り組むことはやはり楽しそうだ、ということだ。自分を母親と父親の両方の役割を持った新しい親として生きることを実践している作家の川端裕人氏の文章や、育児休暇中の父親による座談会には、どこにも青少年問題に対する不安扇動言説は出てこない。しかし、これこそが子育て言説のあるべき姿ではないだろうか。

 世の中に流通している扇情的な青少年言説は、青少年のみならず多くの親たち、教師たちもまたゲットーに追いつめようとしている。そのような言説の暴走を止めるのがマスコミや知識人の役割だと思うのだが、世の中は移ろいやすいもの、なのかどうかはわからないが、少なくない良心的な知識人の働きかけも俗流若者論市場の中では無視される。このような状況を少しでも変えたいと思う人こそが、やがては日本を変えるのだと思う。青少年問題を過剰に、興味本位で採り上げている内が華であろう。そのような思考停止を繰り返していると、それこそ我が国は滅びるのである。

 参考文献・資料
 小林ゆうこ[2003]
 小林ゆうこ「「母子密着」男の子が危ない」=「新潮45」2003年10月号、新潮社

 広田照幸『日本人のしつけは衰退したか』講談社現代新書、1999年4月
 宮崎哲弥、藤井誠二『少年の「罪と罰」論』春秋社、2001年5月
 吉川浩満、山本貴光『心脳問題』朝日出版社、2004年6月

 大津和夫、重石稔、平野哲郎「子どもの笑顔と過ごす豊かな時間」=「中央公論」2003年5月号、中央公論新社
 川端裕人「マーパーの誕生」=「中央公論」2003年5月号、中央公論新社

 参考リンク
 「少年犯罪データベース

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