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2005年8月30日 (火)

俗流若者論ケースファイル70・山藤章二&「ぼけせん町内会」の皆様

 講談社から発行されている月刊誌「現代」は、全体としては面白いんだけどさ、一つだけ素晴らしくつまらない連載がある。しかもこの連載ときたら、「現代」の平成16年1月号で何と100回を突破したんだよ。そして今でも続いてる。

 それが、イラストレーターの山藤章二氏が主宰する「山藤章二のぼけせん町内会」。この連載は、もう「町内会」という表現が極めてヴィヴィッドに現している通り、そこらの「酒場の愚痴」を川柳にしただけのないように過ぎないんである。当然の如く、この連載は俗流若者論の鉱山だ。こんな内容で100回突破できるのかしら、と思っていたら、ほんとに100回突破しちゃったんだよ、これが。で、山藤氏ときたら、気をよくしたのか、100回記念だとかなんだとか言ってこの川柳でいろはカルタを作ってしまった。それが「現代」平成16年1月号に掲載された、「山藤章二のぼけせん町内会 川柳いろは歌留多」である。

 作家の山本弘氏のサイトに、「トンデモ本の世界」ならぬ「トンデモカルタの世界」なるコンテンツがある。例えばそこで採り上げられている「起動戦士ガンダム」において、「サイド7に たつ ガンダム」なる絵札では、何とコロニーの外壁面に立つガンダムが描かれているんだが、「ガンダム大地に立つ」って、コロニーの内部の地面なんだけど。というわけで、あたしも山本氏のこの企画を真似て、「山藤章二のぼけせん町内会 川柳いろは歌留多」の織りなす「トンデモカルタの世界」を皆様に堪能していただこうじゃないか。

 山藤氏は219ページにおいて《過去四年間に誌上で紹介した約九百句をもとにして、鮮度が落ちてないもので歌留多を編んでみました。傑作句秀句が星の数ほどもあるので大いに悩みましたが、新春のお遊びとおぼし召してお楽しみください》(山藤章二[2003]、以下、断りがないなら同様)と書いてる。でもさ、「ぼけせん」愛好家(笑)のあたしにしちゃ、あんなののどこが《傑作句秀句》なんだ、って言いたくなるんだけどなあ…。まあ、十分楽しませていただいたから、その点では山藤氏の思惑通りかもしれんがね。

 というわけで、チェキ!

 あ、言い忘れたけど、あたしのブログの趣旨どおり、ここでは俗流若者論だけ採り上げることにするよ。ついでに川柳の後に続いている文章は山藤氏のコメントね。

 ろ:老人は金持ちらしい俺若い(井上正伸)
 金と若さと、どちらの男を選ぶのか。渋谷のギャルに訊いたら五割が金と答えた。若さと答えたのは一割。後の四割は両方と抜かしやがった。馬鹿。

 どこの調査なんだ。あんたの妄想なんじゃないか。あと、あんたら俗流若者論の共通思考として、《渋谷のギャル》だけで若年層全体を論じたがる傾向があるんだが、それは明らかに思考停止っちゅーもんさ。わかんねえだろうなあ。

 は:禿頭なのに毛嫌いされている(竹内卓二)
 最近の若い男たちはスネ毛ムナ毛を毛嫌いし、金をかけてツルツルにしている。何を考えているのかとMRIで脳を見たらヒダがなくてツルツル。

 おいおい、脳が《ヒダがなくてツルツル》だったら、それは植物人間だってばよ。それにさ、そういう思考って森昭雄とか澤口俊之とか小林道雄みたいにレイシズムにつながる。それはさておき、毛の濃さっていつから男の強さの証明になったんだい?男根主義ならぬ男毛主義かよ。某大谷昭宏の「フィギュア萌え族」みたいに、我が国では「男が弱くなった」という夢想に浸って自分を肯定したいが為に大量の珍概念が捏造されている。こういう俗流若者論にはまるのはあんたみたいな人だよ。蛇足だがあたしはあたしの父親よりも毛深い(笑)。

 わ:悪ガキに効く良薬はビンボーだ(山岸眞)
 「貧乏暇なし」で、暇がなければ真面目に働くだろうとは昔の話。いまの悪ガキは貧乏に耐えられないから悪事に走る。ことわざに有効期限あり。

 この人は、《「貧乏暇なし」で、暇がなければ真面目に働くだろうとは昔の話》がつい最近になって表面化したことだと思っているようだ。でも、終戦直後は、生活の貧窮を背景にした凶悪犯罪がたくさん起こっていましたから!!残念!!!《ことわざに有効期限あり》なら、少なくとも終戦直後には消えてた、ということなのさ。ちなみにこの人には、最近になって正社員もフリーターも問わず労働時間が激増していることに気がついているのかなあ(玄田有史[2001]、森岡孝二[2005])。それでもサービス残業とフリーターは増え続ける。こういう人には見えないのかもしれないけど。

 よ:養殖の親に自然の子は出来ず(松島紀義)
 若い親の育児ぶりはなっとらん。食事はファミレスか電子レンジ。道徳も日本語も教えられない。そんなダメ親に誰が育てたんだ?ア俺たちだ。

 評論家の斎藤美奈子氏によれば、我が国が近代化されてからの時代、女学生を中心とする「今時の若者」に対する誹謗中傷が繰り広げられていたんだとさ(斎藤美奈子[2003])。それから、あんたらがそういう思考にはまるのは、はっきり言ってあんたらの自我を否定してることになる。なぜって?高度経済成長期まで、一部の中上流階級を除いて、伝統的な農村共同体においては、家庭はほとんど子育てには関与してなかった(広田照幸[1999][2001])。時代に闇に抗っている「はず」のあんたはね、家庭中心主義というもっとも大きい時代の闇にすっかりはまってるのよ。

 こ:怖いのはアメで育った子へのムチ(小泉親種)
 物がない時代の子は自然に我慢を覚え、あり余る時代の子は小さな不快にも耐えられず暴走寸前。この矛盾。学校給食にイモのツルでも食わせるか。

 はい、こんな暴力的な世代論なんてとっとと引っ込めましょーね。こうゆう認識もまた、あんたがマスコミの俗流若者論に踊らされている証拠なのよ。あんたらも暇なら過去の少年犯罪調べてみろよ。今起こったらぜーったいに「キレる」「逆ギレ」とプロファイリングされるような少年犯罪などガンガン見つかるぜ。

 さ:最後には加害者だけが残る国(伊藤友久)
 「一人くらい殺したって七年もすれば出て来られるんだよ、この国は」とよく聞く。百年たっても消えない被害者遺族の怒りはどこへぶつければいい。

 いい加減そうゆう付け焼刃の正義面はやめろよ。確かに我が国における犯罪被害者への配慮はほとんど充実してないし、その点に関しては我が国の法体系は抜本的に改正されるべきだけれども、あんたは被害者の救済についてなんか対案あるの?嘆くだけで何もしない、それが「ぼけせん」クオリティ。

 せ:洗脳というがほとんどは染脳だ(竹田登)
 なるほど、染められるんだから「染脳」。阪神の選手は「仙脳」だね。私はこの歌留多で「川脳」です。街に出れば、「銭脳」や「浅脳」がウヨウヨ…。

 《街に出れば、「銭脳」や「浅脳」がウヨウヨ…》なんていうけれども、《浅脳》はあんたたちですから、残念!!

 す:スカートを脱いでグッチを手に入れる(寺内伸弥)
 グチも言わずに女房の小春~、は昔の話。いまじゃグッチのためなら下着も売るわ~。純潔も貞操も恥ずかしいも、すべて永久死語、チーン。

 あんたらは知らないだろうが、所謂「援助交際」はアジア諸国に波及してるんだ。読売新聞解説部の永峰好美記者によれば、「国際ECPAT」の「世界の子どもの商業的性的搾取関する年次報告書」によると、《「援助交際」にかかわっている子どもの特徴は、各国とも似通っている。金銭面などで不自由のない仮定の重大で、圧倒的に少女に多い。家庭の崩壊や親とのコミュニケーションの欠如などで、非常に孤独》(永峰好美[2004])という特徴があるそうだ。もう一つ言うと、これは永峰氏も指摘してることなんだが、「援助交際」なる言葉によって、両者共に利益を得ているというニュアンスが生まれてる。この詠み手もそうゆう罠にはまって、正常なバランス感覚を取れなくなってる。つまり、たとい「援助交際」であっても少女への性的搾取であることは変わらない、ということを忘れちゃってる。あ、この人やこの人の友達とかが「援助交際」少女に金貢いでるからか。納得。調査も情報収集もプリンシプルも、《すべて永久死語。チーン》。

 以上、「山藤章二のぼけせん町内会 ぼけせんいろは歌留多」の織りなす「トンデモカルタの世界」をお送りしました。皆様お楽しみいただけたかな?ここで採り上げたのは俗流若者論だけで、他にもたくさんの思考停止や歪曲や自分勝手が見られるから、皆様もぜひとも読んで目を回して欲しい。

 それにしても、こういう俗流若者論がエンターテインメントとして成立しちゃう世界って、一体何なんだろうね。要は、人の不幸や事件を笑いものにしているわけさ。風刺とは全く違う。風刺にはユーモアがあるし、社会を明るくするけれども、この人たちのやってることは閉鎖的共同体の中で酒飲みながら愚痴ってるだけさ。要は自分だけは安全で善良で犯罪を犯さないんだ、と勝手に思ってる連中がこういう妄想を垂れ流してるわけなのよ。ここにあたしは俗流若者論の本質を見た。要は、俗流若者論っちゅうものはな、自分の大事にしているものが「今時の若者」に壊されている!!っていう陰謀論的な妄想にはまっている人たちが自らの正当性を証明するための道具なのよ。でも実際には、例えば少年による凶悪犯罪は今よりも昭和40年ごろのほうがたくさん起こっていた。でも、報道の量は今のほうが断然勝っている。高度経済成長が昔の話となった日本人ってのは、経済という妄想に頼りきれなくなったら俗流若者論という妄想にすがりたくなるのかな。そこまで考えたくはないけれども、この「ぼけせん」読んでると、そういうことを考えさせざるを得ない。

 このいろは歌留多は、俗流若者論幸う社会の一つの帰結を表してるんだと思う。その点においては、他のいかなる俗流若者論よりも、俗流若者論というものが造りだす社会というのがいかなるものになるのか、というものを如実に表してる。

 参考文献・資料
 玄田有史[2001]
 玄田有史『仕事のなかの曖昧な不安』中央公論新社、2001年10月
 斎藤美奈子[2003]
 斎藤美奈子『モダンガール論』文春文庫、2003年12月
 永峰好美[2004]
 永峰好美「アジアの援助交際」=2004年4月30日付読売新聞
 広田照幸[1999]
 広田照幸『日本人のしつけは衰退したか』講談社現代新書、1999年4月
 広田照幸[2001]
 広田照幸『教育言説の歴史社会学』名古屋大学出版会、2001年1月
 森岡孝二[2005]
 森岡孝二『働きすぎの時代』岩波新書、2005年8月
 山藤章二[2003]
 山藤章二(編)「山藤章二のぼけせん町内会 ぼけせんいろは歌留多」=「現代」2004年1月号、講談社

 原克『悪魔の発明と大衆操作』集英社新書、2003年6月
 広田照幸『教育』岩波書店、2004年5月
 パオロ・マッツァリーノ『反社会学講座』イースト・プレス、2004年5月
 松谷明彦『「人口減少経済」の新しい公式』日本経済新聞社、2004年5月
 宮崎哲弥、藤井誠二『少年の「罪と罰」論』春秋社、2001年5月
 宮台真司『宮台真司interviews』世界書院、2005年2月

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