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2005年8月21日 (日)

俗流若者論ケースファイル63・和田秀樹

 この連載の第47回で武田徹氏の文章を批判したときにも少し触れたけれども、俗流若者論において精神科医とか心理学者の「ご託宣」もまた期待されている。彼らによる「ご託宣」は、自らは善良であると思い込んでいる人たちが一方的に排撃している「今時の若者」に対するフラストレーションを正当付けるためにしか働かず、例えば具体的な検証や反証とか、あるいは精密な分析は最初から放棄される。俗流若者論における心理学主義プロファイリングは、もはや「言った者勝ち」の状況であり、いかに刺激的な(=一見刺激的に聞こえるけれども内容が空疎な)プロファイリング概念を出した人が勝者となる。あるいはそのようなプロファイリングをして「善良な」大衆に「癒し」を与えることで自らの私腹を肥やすことができる。故に我が国には「~~症候群」とか「~~人間」とか「~~シンドローム」みたいなプロファイリングが続出する(武田氏の文章における「プログラム起動症候群」もその典型)。若年層は言説によって一方的に売り飛ばされる存在である。もっとも「善良な」大衆にとっては若年層とは言説によって売り飛ばされる存在でしかないのであるが。

 さて、連載第47回における武田徹氏の文章の検証では、精神科医による安易なアナロジーの捏造を無批判に紹介しているジャーナリスト(=武田氏)のことを検証したが、今回検証するのは本職の精神科医による心理学主義的なプロファイリングである。とはいえ、その文章の書き手が、最近までは主要な守備範囲の教育問題のみならず経済問題や北朝鮮問題にまでさまざまな問題に首を突っ込んでいる精神科医の和田秀樹氏であるから、このようなプロファイリング合戦に参加するのもまあ理解できないことではあるまい。

 その和田氏が「中央公論」の平成15年6月号の論文「日本はメランコの総中流社会に回帰せよ」で発明しているのが「シゾフレ人間/メランコ人間」である。このような分類は、昭和59年の流行語対象にもノミネートされた、浅田彰氏の「スキゾ/パラノ」を想起する人もいるだろうが、浅田氏の分類に関してはあまり知らないけれども、少なくとも和田氏のプロファイリングと浅田氏の分類において徹底的に違うのは、和田氏のプロファイリングは最初から最後まで青少年問題=「今時の若者」を意識していることだ。和田氏はこの文章の最初のほう、206ページにおいて《七〇年代後半に若者文化を支えていた世代から、日本人の主流となるパーソナリティは大きく変わり始め、さらにいえば、1985年以降に生まれた日本人から、決定的に別のタイプに変化を遂げたと私は考える。そして私は彼らを「シゾフレ人間」と名づけた》(和田秀樹[2003]、以下、断りがないなら同様)と書いている。そして和田氏は208ページにおいて、「シゾフレ人間/メランコ人間」の特徴を表にしているけれども、この表を見て私は一気にこの論文のからくりが解けてしまった。

 ・メランコ(鬱)人間とシゾフレ(分裂)人間の特徴(読み方:メランコ人間の特徴/シゾフレ人間の特徴)
 心の世界の主役:自分/他者(周囲)
 対人関係:特定他者への献身/不特定他者への同調
 周囲の世界の認知:理論的・現実的/魔術的・被害的
 自己・アイデンティティ:堅固なアイデンティティ/自分がない
 常識・価値観:内在/外在
 時間軸:過去へのこだわり・首尾一貫/周囲との同調・過去との不連続
 世代(日本):1955年以前生まれに多い/1965年以降生まれに多い

 要は和田氏は、巷で囁かれる「今時の若者」に対する不満に「わかりやすい」用語を与えただけだろう。和田氏はこのような分類をさも自分が始めて発見したかの如き説明をしているけれども(206ページの《若者が個性化しているという諸説はウソではないか》みたいな書き方など)、「今時の若者」に対するこのような批判はもはや噴出しているのだが。

 案の定、この論文には《シゾフレ人間は》とか《彼ら(筆者注:《シゾフレ人間》)は》といった言葉が頻出する。和田氏は最初から現代の若年層を《シゾフレ人間》と規定して、彼らを危険視することしか考えていないのだから、この文章全体がないよう空疎なものになるのももはやわかっている。その証左として、和田氏が《シゾフレ人間》の対等に関する検証を行なっていると思える部分が207ページ3段目の次のくだりしか見当たらないことが挙げられよう。

 なぜ、日本にシゾフレ主流の時代が訪れるようになったのだろうか。その最大の要因は、何はともあれ日本が経済的な豊かさを享受したことであろう。戦後、だれもが努力次第で豊かになれる社会になり、「運命を自分で切り開いていけるからこそ頑張る」メランコ人間が増え、受験や出世競争に勝ち抜くことに没頭した。やがて生活がある程度豊になると、今度は「みんなと同じだったら十分苦っていける。目立たずにみんなと一緒が大切」なシゾフレ人間が台頭する時代に移行してきた。

 本当にこれだけなのだ。しかもこれが全体6ページの中の2ページ目で、後はいかに《シゾフレ人間》が危険な存在であるかを喧伝しているだけなのである。このような文章に関してはもはやどうでもいい話なので検証は差し控えるけれども、少しだけ和田氏の事実誤認や歪曲が見られるので指摘したい。例えば208ページにおいて《先般の都知事選の結果(筆者注:平成15年4月12日に行なわれた東京都知事選挙。石原慎太郎氏が再選した)に、庶民のシゾフレ化を後列に感じたのは私だけではあるまい。石原慎太郎氏はシゾフレ人間たちからすれば崇め奉る対象。七割超の大量得票は、みんなと一緒でいたいのだという圧倒的な大衆が神様を求めている証しである》と述べている。ちなみにこの都知事選挙の投票率は約45パーセントで、確かにそのうち七割以上は石原氏に入れていたけれども、有権者全体からすれば約33パーセント半強に過ぎない。だったら和田氏は投票しなかった人を問題視すべきではないか?

 それにしても、和田氏の立論に従えば、和田氏が(勝手に)問題化している《メランコ人間》を生み出さないためには、たくさん競争をして、ひたすら成長しなければならない、ということになろうけれども、果たしてそれが我が国の採用すべき戦略なのだろうか。経済的な成長だけを重視する時代は、やがては格差の拡大、地球環境の破壊、資源の枯渇などにつながっていく。更に我が国は人口減少社会に突入する。そのような状況を考えたとき、我が国が採るべき社会システムは、むしろ経済成長「しないこと」を前提にしたシステムであり、全ての人がそこそこの豊かさを享受できるような社会である。和田氏の如く、ひたすら経済成長せよ、そうしないと「今時の若者」の如き無能な人間が量産されてしまうぞ、とひたすら大衆の尻を叩くのは、結局のところ自分を肯定して若年層を否定したい人たちの残酷な願いをかなえるだけではないのか。

 また、精神分析に関する倫理の面からも和田氏を批判してみたい。和田氏はこの文章では明らかに個々人を診断しないで専門用語を弄して若年層をバッシングしている。直接の臨床を抜きにして診断する、ということに関しては例えば「ひきこもり」の人に対する精神分析などではありえることらしいし、精神分析の概念に安易に自分が診断していない個人を当てはめてタイプを規定すること、例えば精神科医の斎藤環氏が「諸君!」平成14年4月号でやったような(斎藤環[2002])政治家の「精神分析」などのように、明らかにネタと認識できるものであれば許容できるが、和田氏は本気(ベタ)だ。明らかに現在の青少年について「警鐘」を鳴らす目的でやっているが、そのような安易なレトリックの濫用に熱中するのであれば、まず自らさまざまな臨床事例の積み重ねやアプローチの変更などを繰り返す必要があるのではないか。これは和田氏に限らず、安易に心理学主義的なプロファイリングを安易に振りかざす人たちにも言えることだ。

 ちなみに和田氏のプロファイリングと同様の分類に、斎藤環氏の「ひきこもり型/自分探し型」という分類がある(「ひきこもり型」は《メランコ人間》に、「自分探し型」は《シゾフレ人間》に近い)が、こちらの分類は和田氏のプロファイリングよりもより説得力がある。斎藤氏もまた「今時の若者」に対する思い込みの安易な類型化という点では和田氏と同様の問題点を持っているけれども、少なくとも斎藤氏はある程度のフィールドワークを行なっているし、このような分類が和田氏のような「日本が経済的に豊かになって、努力する必要がなくなった」みたいな安易なアプローチではなく、コミュニケーションに対する指向性に目をつけていることもまた興味深い。

 これは蛇足なのだが、「中央公論」の平成15年7月号に、和田氏の立論を絶賛する投書が掲載されていたのだが、この投書を読むと、すくな事もこの投書子にとっていかに和田氏の文章が自分の世代(=自分)の肯定と若年層の否定の役に立ったか、ということがよく分かる。

 参考文献・資料
 斎藤環[2002]
 斎藤環「気になるあの人たちの「精神分析」報告」=「諸君!」2002年4月号、文藝春秋
 和田秀樹[2003]
 和田秀樹「日本はメランコの総中流社会に回帰せよ」=「中央公論」2003年6月号、中央公論新社

 小此木啓吾『モラトリアム人間の時代』中公文庫、1981年11月
 笠原嘉『アパシー・シンドローム』岩波現代文庫、2002年12月
 十川幸司『精神分析』岩波新書、2003年11月

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