« 俗流若者論ケースファイル64・清川輝基 | トップページ | 俗流若者論ケースファイル66・小林ゆうこ »

2005年8月23日 (火)

俗流若者論ケースファイル65・香山リカ

 精神科医の香山リカ氏は、平成14年の中ごろあたりから、若年層が右傾化している、と言う仮説を大々的に発表して大きな話題の人となっている。爾来、特に朝日新聞社の「AERA」などではたびたびお手軽なコメンテーターとして登場し、単純な「憂国」言説を振りまいている。もちろんここで言うところの「憂国」は、俗流保守論壇人お得意の「憂国」ではなく、むしろ俗流左派論壇人によく見られる「憂国」である。

 私が香山氏の議論においてどうしても理解できないのは、香山氏が若年層ばかり問題視していることだ。私はこの連載において、想像力の欠片もなく、ただひたすら詳細な現実や統計データ、及びフィールドワークやNPOなどの実践などの積み重ねをことごとく無視してきた「憂国」言説を散々批判してきたし、そのような言説は探せば数知れない。この連載も少なくとも第70回までは企画が入っているし、成人式をめぐる俗流若者論も私は10本以上持っているし、書庫にはまだ検証していない書籍もまた5冊ほどある。そのほか、私の如きネット左翼には手が届かないほどの綿密な批判を既に権威ある評論家などが行っているものもある。特に「正論」や「新潮45」を読んでいると、我が国の論壇、特に保守論壇がいかに若年層に対して思考を失っているか、ということが良く分かるし、ベストセラーのリストを見てもその傾向が仄見える。

 それなのに、香山氏は若年層ばかり危険視するのである。今回検証するのは、香山氏とオーストラリア国立大学教授のテッサ・モーリス=スズキによる対談「「ニッポン大好き」のゆくえ」(「論座」平成15年9月号に収録)である。モーリス=スズキ側には特に問題のある発言は見当たらないので、香山氏の発言のみを検証することにする。この対談では、香山氏の「若年層ばかり問題視する」傾向が如実に現れている(ついでに言うとこの対談が収録されている「論座」の特集「愛国心って何だろう」は全体としては良質。特に東京工業大学教授の橋爪大三郎氏や横浜国立大学教授の齋藤純一氏の文章は読み応えがある)。

 例えば香山氏は37ページにおいて次のように述べる。曰く、

 私が「ぷちナショナリズム」を実感したもう一つは、大学教師としての体験からです。……神戸は97年に「連続児童殺傷事件」があった場所で、学生たちとほとんど同世代の少年が犯人だったので、「あの事件をどう振り返るか」といったレポートを学生たちに書いてもらったんです。……

 ところが、レポートの九割以上は、……「そんな少年は死刑にするしかない」とか、あるいは「仮出所をして彼がまた神戸に戻ってくるから、もう怖くて神戸には住めない」とか「どっかへ言って欲しい」といった具合でした。……「もし自分が彼だったら」というふうにイマジネーションを働かせることができない若者たちが多いということに気がつきました。(香山リカ、テッサ・モーリス=スズキ[2003]、以下、断りがないなら同様)

 さて、ここで疑問の種になる最大の事象は、香山氏はそもそも何人にこのようなアンケートをとったのだろうか、ということだ。もし人数が数十人程度であるならば、《「もし自分が彼だったら」というふうにイマジネーションを働かせることができない若者たちが多い》と簡単に言い切ることはできまい。また香山氏は、犯罪をしでかした犯罪者の同世代の人たちは押し並べて「世代的な共感」をしなければならない、あるいは犯罪の言説に接する際には《もし自分が彼だったら》とイマジネーションを働かせなければならない、と考えている節があるが、なぜ層でなければいけないか、ということを香山氏は開示していない。もちろん犯罪者に対して簡単に「死刑にしろ」と言い放つことは私もあまり快くは思わないが、所詮は自ら勝手な解釈に過ぎぬ「世代的な共感」みたいなもので茶を濁すことは、本質的に(!)犯罪者と同世代はみんな危険な思想の持ち主である、という誤解を招きかねないし、もう少しうがった見方をすればたとい《自分が彼だったら》とイマジネーションを働かせたとしても「俺は壮大な犯罪をしでかしたから死刑になっても全く悔いはない!」みたく考えている人もいるかもしれない。さすがにそれはいないか。

 いずれにせよ香山氏が見落としているのは、これ以降良識も想像力もあるとされる高い年齢の人たちがデータを参照することを放棄して安易に「今時の若者」を「憂国」するような言説があふれ出したことであろう。なぜ香山氏はそれらの言説を見ようとしないのか?そもそもこの「酒鬼薔薇聖斗」事件の直後にもさまざまな自称「識者」による益体のない「憂国」が溢れかえった。

 もう一例引用しておこう。40ページ。

 いま、大学でメディアと人間の関係の授業をしているんです。で、映画がプロパガンダに使われる危険性がある例として、レニ・リーフェンシュタールの『意思の勝利』というナチの党大会の映画を見せたんです。そうしたら、反応の中で一番多かったのが「かっこいい」。あの映画は政治的な主張のために作られたというよりも、美しさという観点から作られた映画だから、それは映像的にはものすごくかっこいいし、きれいだというふうにだけ見ることもできる。

 でも、学生たちに「この後に六百万人のユダヤ人が殺された」と言葉で説明しても、「それはこの映画には出てこないから関係ない」と言う。その“割り切り”が大人のスマートな態度だと勘違いしている若者さえいます。……テッサさんも本の中に書かれていますが、いままでの知の体系の中で使われてきた専門用語とか説明は、彼らに対してはもはや使えないなという感じですね。……想像力が欠如しているからなのか、そうやってクールに振舞うのがトレンドなのかうよくわからないんですけど、彼らに対しては専門的、歴史的な説明が説得力を持たない。

 俗流若者論において、自らの矮小な体験を簡単に一般化して世の中を語った気になるのはもはや日常茶飯事であり、そのような態度に対する思想的な検証こそ行なわれるべきなのに香山氏はそれを行なおうとしない。そもそも香山氏はここでも若年層ばかり問題化しているけれども、彼らよりも高い年齢層の人はどうなのだろうか。少なくとも俗流若者論を検証していく限りでは、俗流若者論を言いふらす「善良な」人たちに専門的・歴史的な説明が説得力を持つとは到底思えない。これはあくまでも私の推測でしかないのだけれども、香山氏は同様の調査を高い年齢の人たちにやってみてはどうか。

 香山氏がナショナリズム関連の仕事においてやっていることは、全てがマスコミや言論において多く深く流通している俗流若者論における想像力やクリエイティビティの欠如を完全に棚において、若年層ばかり敵視しているということにまとめることができよう。香山氏が若年層ばかり問題化するのは、香山氏がこれまで精神科医として若年層のことやカルチュアを中心に取り扱ってきたことのアイデンティティを保つためなのか、それとも若年層に対する批判は売れるからあえて既存の言論の問題を取り扱わないからなのか。どちらにしろ、香山氏の若年層ばかり問題化して、既存の政治や言論の危険な動きを無視するのは、極めて恣意的な活動、といわざるを得ない。

 香山氏はナショナリズムなどに関する執筆を精力的に行なった理由として、「論座」編集部の取材に対して、サッカーのワールドカップにおける若年層の熱狂に違和感を持ったことを挙げている(朝日新聞社[2004])。もちろん世の中のさまざまな問題に関して疑問を持つことは否定しないが、香山氏はもう少し物事を大々的に採り上げるのに慎重になったほうがいいのではないか。最近の香山氏の文章はどうも全て上滑りの感じがしてならない。私の如き素人の眼から見ても、香山氏の「分析」は所詮は「今時の若者」の受けいかなるものについて考えているつもりの自分を理想化した議論に過ぎない。あるいは時流や左派論壇に迎合した当たり障りのない「解説」でしかない。最近の香山氏は評論家の宮崎哲弥氏などから社会科学や現代思想に関する無知に関して批判されているけれども、それも理の当然かもしれない。

 ついでに言うと香山氏の「ぷちナショナリズム症候群」という表現は、明らかに心理学主義的な傾向、要するに「症候群」みたいな心理学用語の濫用が見られる。

 参考文献・資料
 朝日新聞社[2004]
 「論座」編集部「ニッポンの論客:香山リカ」=「論座」2004年6月号、朝日新聞社
 香山リカ、テッサ・モーリス=スズキ[2003]
 香山リカ、テッサ・モーリズ=スズキ「「ニッポン大好き」のゆくえ」=「論座」2003年9月尾久、朝日新聞社

 姜尚中『ナショナリズム』岩波書店、2001年11月

 齋藤純一「愛国心「再定義」の可能性を探る」=「論座」2003年9月号、朝日新聞社
 酒井隆史「「世間」の膨張によって扇動されるパニック」=「論座」2005年9月号、朝日新聞社
 橋爪大三郎「愛国心の根拠は何か」=「論座」2003年9月号、朝日新聞社

この記事が面白いと思ったらクリックをお願いします。→人気blogランキング

 関連記事
 「俗流若者論ケースファイル38・内山洋紀&福井洋平
 「俗流若者論ケースファイル39・川村克兵&平岡妙子

|

« 俗流若者論ケースファイル64・清川輝基 | トップページ | 俗流若者論ケースファイル66・小林ゆうこ »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/108861/5606567

この記事へのトラックバック一覧です: 俗流若者論ケースファイル65・香山リカ:

« 俗流若者論ケースファイル64・清川輝基 | トップページ | 俗流若者論ケースファイル66・小林ゆうこ »