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2005年8月18日 (木)

俗流若者論ケースファイル59・林道義

 それにしても、最近の保守論壇における、特に「男女共同参画社会」とか「ジェンダー・フリー」に対するバックラッシュというものは、既に陰謀論と化しているような気がする。もちろん私もこれらの論理を手放しに礼賛していい、と考えているわけではないけれども、少なくとも俗流保守論壇人が行なっているこれらの概念に対する批判は、あまりにも感情的であり、中には自らの被害妄想に埋もれているものすら存在するくらいだ。

 その代表格が、東京女子大学教授の林道義氏であろうが、どうやら林氏の暴走は平成13年ごろから始まっていたようだ。というわけで、今回検証するのは、「諸君!」平成14年2月号の特集「日本を襲う「怪しい言葉」群22」に掲載されている、林氏の文章「子どもの自己決定権――暴走する「個人」」である。この文章の特徴を一言で言うなら「羊頭狗肉」であり、一見「子どもの自己決定権」なる言葉を批判していると思ったら、結局この文章は「子どもの自己決定権」という言葉にかこつけて自分の不満を垂れ流しているだけの文章である。

 とりあえず、冒頭における《「子どもの権利条約」にさえ、「子どもの人格の成熟に従い」という条件が明示されている。その前提条件を削除してしまったのが、川崎市の「子どもの権利条例」である》(林道義[2002]、以下、断りがないなら同様)という文章には私は賛意を示すけれども、私が敢えてこの文章を採り上げた最大の理由は以下の文章にある。181ページ2段目。

 では人格が成熟しているはずの大人ならば、なんでも「自己決定」していいのか。たとえば、女性は自分だけで「子供を産む産まない、育てる育てない」を決めてもいいのか。いいはずがないのである。周囲に及ぼす影響、子供の心への作用など、考えなければならないことは多い。

 たとえばピル。「女性の選択肢を増やす」という理由で正当化されているが、じつは環境ホルモンとして垂れ流され拡散し、人間の男性を含めたオスのメス化を促進する重大な影響を与えている。ピル先進国のイギリスでは、たとえばテムズ川の魚のオスの精巣の中には精子がなくなり、かわって卵子がみられるという。

 もう、この2段落だけでも俗流「男女共同参画社会」批判として読む価値があるというものだ。特に後半の段落における「環境ホルモン」をめぐる与太話など、かつて「諸君!」と同じ版元の雑誌である「文藝春秋」において、ジャーナリストの日垣隆氏がダイオキシンや環境ホルモンに関する「神話」のトリックを暴いていた時代(といっても平成10年から11年にかけての話だが)を懐かしく思う。それはさておき、なぜこの2段落、特に後半が「与太話」と私が断定したのかというと、それに関する理由が第2段落のほぼ全体にわたっている。

 まず、《テムズ川の魚のオスの精巣の中には精子がなくなり、かわって卵子がみられるという》という記述であるが、これはどのような種類の魚なのだろうか。少なくともサンゴ礁に生息する魚の中では性転換を行なう種類の存在が確認されているけれども(桑村哲生[2004])、とりあえずそのような魚はテムズ川では確認されないだろうが、しかしどのような種類の魚にそのような事態が生じたのかということを紹介すべきであろう。また、環境ホルモンが身体に与える影響に関しては、魚類と人類では全くといっていいほど違う。たとえば魚類に関しては大量に環境ホルモンを浴びると性転換することはあるが、人類に関してはそのようなことは生物学的に見てありえない。人間の性転換手術において、たといこれに関する技術が発達してもいまだに生殖器の機能を変えることはできない、というのがその証左となろう。更に言えば、テムズ川における環境ホルモンの量の増加が本当にピルの影響なのか、そもそも本当に増加しているのか、ということに関しても林氏は検証するべきである。ちなみに、多摩川のコイのメス化に関して、をれを促しているのが、人工的に排出されたものではなくむしろ天然の環境ホルモンによるものであるという報告がある(西川洋三[2003])。以上の理由から、《人間の男性を含めたオスのメス化を促進する重大な影響を与えている》というアナロジーが全く意味を成さないことも証明しうる。そもそも林氏のこの認識においては、ピルというものが社会をメス化することによって社会を衰亡させしめるものとして描かれているけれども、そのような与太話は環境ホルモンとしてのピルが人体に及ぼす影響を勘案してから言うことだろう。「環境ホルモン」という誇大宣伝によるイメージ(環境ホルモンそれ自体ではない)によって心が「撹乱」されてしまった人はもうこの時点で滅亡したと思っていたが、まだいたとは。しかも「環境ホルモン」不安扇動者とは全く対極の政治的スタンスにいる人に。

 それ以外にも、林氏のこの文章には、安易な被害妄想が多い。《ピルや生殖技術……を利用し、女性が性を自己管理し、男性の意思ぬきで子供を産み育てることができるようになることは、人類の未来を女性だけで決定することになりかねない》(181ページ2~3段目)とか、《シングルマザーという形態も、女性の自己決定の結果である》(181ページ3段目)とか、「子どもの自己決定権」はどこに行ったのか、という罵倒が多いし、やっとそこに戻ってきたとしても《たとえば宮台真司は「自己決定権」を「迷惑をかけなければ何をしてもいい権利」と定義している。しかし「迷惑」とは何かを定義していないし、たとえ定義できたとしても現実に何が迷惑かを決めることは不可能である。だとしたら、それはなんの拘束力も持たない条件であり、結局は無限定に「何をしてもいい」といっているに等しいのである》(181ページ3段目~182ページ1段目)というような飛躍した論理だし、《こういう屁理屈を弄して、利己主義やわがままを広め、社会の基本となる型や枠を崩そうというのが、反体制派の隠された意図である。この勢力は、日本文化の基本型をやっきになって崩そうとしている》(182ページ1段目)という、最近ではもはや林氏他俗流右派論壇人のお家芸と化した、《反体制派の隠された意図》みたいなものを過剰に見出そうとする陰謀論になっている。

 私とて「自己決定権」なるものを無批判に礼賛することははばかれるけれども、林氏の立論において深刻なのは、自分の被害妄想や個人的な私怨がそのまま《反体制派の隠された意図》みたいに国家や社会を揺るがす深刻な問題と勝手に結び付けられて、林氏の誇大妄想が展開されてしまうことである。最近の林氏の文章は、ほとんどが「マルクス主義勢力や反体制派が「男女共同参画社会」や「ジェンダー・フリー」を推進することによって女性が男性と同等の権力を持つようになって、権力を持った女性が男性社会を脅かし、我が国の伝統と社会を脅かす」、という内容に収束されるものとなっており、もはや最初から一つの「物語」に沿って林氏の思考全体が動いているように見える。そしてこのような思考形式は右派論壇人や右派政治家にも広まっており、「女性に権力を持たせるな」という言説は、女性のみならず子供やオタクでもまた然りとなっている。

 一体なぜ彼らは、女性や子供やオタクをかようにも敵視するのだろうか。所詮彼らは自分の利害や世間体にしか想像力が働かないのではないか、と私は見ている。彼らの眼には自分と利害を共有してくれる人しか見えていないから、いくら科学的に間違った論理や、更には陰謀論が展開されていてもそのような論理はせいぜい蛸壺の中でしか消費されないから、そこで展開される論理も全て「身内向け」になってしまうのだろう。

 これは蛇足なのだが、「男女共同参画社会」もまた表現規制につながる危険性があるらしい。まあ、「週刊金曜日」の記事など読んでいると、一部の跳ね上がりのフェミニストやそれに追従する人(大谷昭宏氏など)が表現規制を求めるのはよく分かるけれども、まず成年漫画やアダルトゲームにおける性表現がフィクションであることをいい加減認めるべきだろう。人権擁護法案のときもそうだったけれども(この法案は廃案となったが)、「男女共同参画社会」とか「人権擁護」といった概念が曲解されるなり暴走することによって表現規制が生まれてしまうという事態も注視しなければならないだろう。

 参考文献・資料
 桑村哲生[2004]
 桑村哲生『性転換する魚たち』岩波新書、2004年9月
 西川洋三[2003]
 西川洋三『環境ホルモン』日本評論社、2003年7月
 林道義[2002]
 林道義「子どもの自己決定権――暴走する「個人」」=「諸君!」2002年2月号/特集「日本を覆う「怪しい言葉」群22」、文藝春秋

 斎藤環『心理学化する社会』PHP研究所、2003年10月
 日垣隆『それは違う!』文春文庫、2001年12月

 粥川準二「こうして疑似科学になった『環境ホルモン入門』」=別冊宝島編集部(編)『立花隆「嘘八百」の研究』宝島社文庫、2002年7月

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コメント

林先生はけっこう前からアレです。
東京女子大はもう退職されてるんですね。たしか日本文化のなんとかという題目で囲碁の講座を持っていて、そっち方面で有名だったとか、その功績は大です。囲碁論自体もややアレだったりしますが。
(アレだのコレだのいうのも「俗流」ですいませんが)

投稿: SlowBird | 2005年8月19日 (金) 22時39分

川崎市の「子どもの権利条約」の第14条「自分で決める権利」の中には、「(1)自分に関することを年齢と成熟に応じて決めること。」と明記されています。
http://www.city.kawasaki.jp/25/25zinken/home/kodomo/jourei.htm

同条約は2005年に改正されていますが、2001年7月付の「川崎市子どもの権利に関する条例-各条文理解のために-」では、上記の表現が採用された経緯が説明されていますので、林氏が2002年に「諸君!」に文章を掲載した時点では、「年齢と成熟に応じて~」は確実に条例に含まれていたはずです。
http://www.city.kawasaki.jp/25/25zinken/home/kodomo/kaisetu.htm

要するに、林氏は単に第14条の表記を見落とし、ありもしないことを批判しているわけです。

一部ブログでは、川崎市の人権政策に関するバッシングが行われているようですので、誤解が拡大再生産されないよう、念のため指摘させていただきました。

投稿: 一川崎市民 | 2006年5月31日 (水) 00時36分

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