俗流若者論ケースファイル48・澤口俊之
曲学阿世の徒・北海道大学教授の澤口俊之氏の登場である。澤口氏に関しては、この連載の第37回で一回登場したが、澤口氏単独の論文の検証は今回が始めてである。検証する文章は、「新潮45」平成13年1月号に発表された「若者の「脳」は狂っている――脳科学が教える「正しい子育て」」と、「諸君!」平成13年8月号に発表された「「スポック博士」で育った子はヘンだ」で、特に前者を中心に検証することにしよう。前者の論文が発表された数ヶ月前に、澤口氏はイラストレーターの南伸坊氏との共著で『平然と車内で化粧する脳』(扶桑社文庫)を出し、「今時の若者」は脳が異常だから恥知らずになるのだ、という、現在流通しているさまざまな擬似脳科学の基盤となるような論理をでっち上げた。これはマスコミには大きな喝采をもって迎えられたが、斎藤環氏(精神科医)や宮崎哲弥氏(評論家)や山形浩生氏(シンクタンク研究員・翻訳家)といった専門家や評論家からは冷淡な目で見られている。
そんな澤口氏の思想を、「新潮45」の論文をテキストに検証してみよう。澤口氏は論文の冒頭、92ページにおいていきなり《昨今の若者たちの脳は機能障害に陥っているといわなければならない。早急になんとかしなければ、わが国の将来は危うい》(澤口俊之[2000]、以下、断りがないなら同様)とぶち上げる。そして澤口氏は以下のように述べる。
近頃の若者たちで目立つのは、周りの目を気にしない行動だ。ひと目を気にしないで路上でキスする、駅で着替えをする。あるいは車内で平然と化粧し、携帯電話で私生活を暴露する。さらには、授業中に悠々とパンをかじったり、携帯電話を受けたりする。
こうした恥知らずな行動」を「周りの目は気にしているけれどもあえてしている」というのであれば、問題は、まあ、それほど深刻ではない。ところが、事実はそうではない。周りの目を気にできない、のである。
なぜか?脳科学からみれば、非常にシンプルな答えが返ってくる。彼らは、脳機能に傷害を負っているということだ。こうした「不可解な若者たち」の全てで、脳に具体的な傷や腫瘍があるわけではあるまい。そうではなく、「ある事情」で脳機能障害に陥ってしまったとみなせるのだ。
このような論理が学者のものとして捉えられるのだから、我が国の論壇において科学というものがいかに軽視されているか、ということがわかるだろう。まず、澤口氏が「今時の若者」の行動に脳機能障害を見出す、というのであれば、この程度の単なる印象論ではなく、もっと具体的に数値化されたデータを提示するべきであろうし、安易に脳科学の知見を「今時の若者」にて起用することが倫理的に正統であるかどうかも検証すべきであろう。なお、澤口氏は、93ページにおいて、大脳前頭葉の傷害が人間性の欠落を引き起こす、ということに関する事例をあげているが、ここで採り上げられている事例の怪しさはこの連載の第37回において既に検証済みであるので、ここで触れることはしない。また、95ページで、澤口氏は所謂「狼少女」の事例にも触れているけれども、これも極めて信頼性の低い事例であり、第37回で検証済みなのでここでは触れない。
さて、澤口氏の擬似脳科学の根本を支える(珍)概念とは何か。それは《PQ》と《ネオテニー》だ。いずれも澤口氏独自の概念である。《PQ》とは澤口氏の説明によると《前頭知性、Prefrontal Quotient》であり、《将来への展望・計画、自分の行動や感情のコントロール、他人の心の理解》という大脳前頭葉の基本的な働きの能力を示すらしい。また《ネオテニー》に関しては、この語句に関しては以前から存在するけれども、澤口氏の使い方では語句は同じでも本来の「幼形成熟」の意味からはかけ離れている、というよりは《PQ》概念に都合のいい形に換骨奪胎されている(ちなみに最近になって《PQ》は「HQ」(Humanity Quality;人間性指数)なる語句に変貌している)。当然の如く、澤口氏の説明によると、「今時の若者」は《PQ》が不足しているから《この観点からいえば、彼らは「周りの目を着にできない」という症状に加えて、「他人の気持ちがわからない」「欲望を抑えられない」「夢をもてない」「目標に向かって努力できない」といった症状も併発しているはずである》(94ページ)ということになる。ちなみに澤口氏は「今時の若者」における《PQ》障害という捉え方を《脳科学の観点からは当然》としているけれども、このような捕らえ方は澤口氏の独自のやり方であり、当然どころか異端である。
しかし澤口氏は容赦しないようだ。澤口氏は「今時の若者」において《PQ》が不足している(と澤口氏が勝手に見なしている)原因を、母子密着型の子育てに求める。澤口氏は以下のように述べる。
幼少期での不適切な環境によってPQは傷害されてしまうわけだが、このことをさらに議論する前にぜひとも抑えておくべき点がある。「ネオテニー」である。「日本人の幼少期」を議論する際にはこの点は避けて通れないからだ。(97ページ)
近代の日本、とくに戦後の日本の状況をみると、「複雑で厳しい社会関係」とはまさに層反する環境が「普通」になっているといわなければならない。少子化が進んで兄弟姉妹の数は少ない。少ない子どもを(とくに母親が)大事に大事に(過保護に)育てる。母親による過保護がPQの障害をもたらすことは多くのデータからはっきりしていることだ。家の作りも問題で、LDKという欧米流の住居が蔓延してしまっている。……
「モンゴロイド流幼少期環境」とは相反するこうした「単純で甘い社会関係」の中で育ったらどうなるか、答えははっきりしている。長じてもPQは未熟のままで、夢も希望もなく、その日暮らしで、努力知らず、恥知らずな若者ができあがる。(98~99ページ)
このような物言いを見ていると、以下に俗流若者論における擬似脳科学というものが単なるロールシャッハ・テストに過ぎないか、ということがわかるだろう。ここで澤口氏が採り上げている事例は、どう考えてもマスコミの俗流若者論において散々取り上げられ、既に手垢が付きまくったイメージでしかない。また澤口氏は《母親による過保護がPQの障害をもたらすことは多くのデータからはっきりしていることだ》と自信満々に語っているけれども、あなたも科学者ならそのデータの情報源を提示するべきだろう。そして澤口氏、99ページにおいて《不可解な若者たちが激増しているのは、日本の現状からみればいわば当然のことなのだ》と書いている。しかし《不可解な若者たち》の《激増》というものが、極めて政治的なものである、ということに澤口氏は無頓着すぎる。
そして、澤口氏のこの論文がどこに着地するか、というと、何と戸塚ヨットスクールを礼賛するのである。まあ、「戸塚ヨットスクール」というのは結局のところたとえ話に過ぎず、澤口氏は《子どもをたくさん作って大家族にし、LDKを壊して長屋を復活させ、学校教育を根本から見直し……ということになる》(100ページ)のが理想だと考えているようだ。もっともそれが無理難題であることは澤口氏も認めるところであるが。
しかしここで我々が衝くべきは、澤口氏がここまで安易なアナロジーの濫用の問題点に無頓着である、ということだろう。そして澤口氏はその点に関してはなんら反省せずに「諸君!」の論文でも同様の論理飛躍を展開する。
ただ「新潮45」の論文と違うのが、我が国において《PQ》を欠如させる(と澤口氏が勝手に規定している)子育てを『スポック博士の育児書』に求めていることである。ここでも澤口氏の安易な前頭葉信仰は変わらず、《進化生物学や脳科学を総合して考えると、私たち人類にとっての子育ての機軸は「前頭連合野を豊に育てること」にある》(澤口俊之[2001]、この段落に関しては断りがないなら同様)書いている他、ここで提示されている「子育ての失敗」の例もまた、マスコミで採り上げられている程度のもの、例えば《今の日本人がおかしいことは誰でも画漢字、指摘していることである。……若者たちでなく、我が国では首相さえこのことができていないようで、状況にふさわしくない発言(失言)を繰り返す始末だ。「状況に不適切に欲望を発露する」ということなど、有名人、一般人を問わず頻繁に見聞きする》というもので、根源的な問題点は「新潮45」の論文と変わらない。このように自分を無垢な場所に置ける人を、私は極めてうらやましく思う。
澤口氏は「諸君!」の論文において、育児書の氾濫を批判している。しかし、澤口氏の如き安易な「憂国」言説こそ、育児書の氾濫という状況を生み出している真犯人ではないか。澤口氏が幾ら育児書など不要だ、生物学的伝統に従った子育てをしさえすればいいと叫んでいても、所詮は育児書の氾濫という状況を助長しているに過ぎないのである。
それにしても俗流若者論がらみの澤口氏の言動で目立つのは、安易に科学の知見を換骨奪胎して「今時の若者」を批判したがる「善良な」人々に都合のいいように再構築して「今時の若者」に対する蔑視を煽る行為である。これはもはや科学者の行為ではなく御用学者の行為ではないか。このような俗流若者論の書き手により科学がないがしろにされ、科学の知見が歪められるのは、澤口氏のこれらの論文が発表された時期よりももっと深刻化している。それはマスメディアにおける「今時の若者」に対する敵愾心の高まりと動きを一つにしている。我々には、巷で「科学的」として語られている論理が、本当に科学的なものであるか、それとも科学ではないかを見極める能力が求められているのである。
参考文献・資料
澤口俊之[2000]
澤口俊之「若者の「脳」は狂っている――脳科学が教える「正しい子育て」」=「新潮45」2001年1月号、新潮社
澤口俊之[2001]
澤口俊之「「スポック博士」で育った子はヘンだ」=「諸君!」2001年8月号、文藝春秋
笠原嘉『アパシー・シンドローム』岩波現代文庫、2002年12月
斎藤環『心理学化する社会』PHP研究所、2003年10月
広田照幸『教育言説の歴史社会学』名古屋大学出版会、2001年1月
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コメント
どうも。
今日のMSN毎日で読みましたが、その澤口氏はなんとセクハラで北海道大学を追われるようです。本来他人の不幸を喜ぶのはいいことではありませんが、この曲学阿世の徒にはお似合いの無様な末路かも知れません。
投稿: Lenazo | 2006年3月31日 (金) 16時14分