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2005年9月28日 (水)

俗流若者論ケースファイル72・読売新聞社説

 平成17年9月28日付の読売新聞は、小学生の暴力が過去最多になった、という報告(第一報は平成17年9月22日配信の共同通信。読売新聞宮城県版は平成17年9月23日に報じている)を受けて、「なぜ「キレる小学生」が増えるのか」という社説を書いているのだが、突っ込みどころが満載である。

 そもそも、読売社説子は、この調査が平成9年から行われたことを忘れているのではないか。故に、それ以前のデータが存在していないのだから、昨年になって突発的に増えた、と認識するのは筋違いというものであろう。そもそも校内暴力が問題になったのは1980年ごろであり、その頃から手を打たなかった文部省(現在の文部科学省)の方針は、私は問題化されるべきだと思っている。

 それはさておき、件の読売社説の言説分析をしていこう。例えば、以下のようなくだり。

 短絡的な動機から、突発的に手や足が出る。文科省は「忍耐力不足、人間関係がうまく作れず、感情のコントロールがきかなくなっている」と分析する。(2005年9月28日付読売新聞社説、以下、断りがないなら同様)

 このようなご託宣は、「理解できない」少年犯罪が起こるたびによく起こるものだけれども、しかし忍耐力があり、人間関係がうまく作ることができて、感情のコントロールが成り立っているはずの過去のほうが少年による凶悪犯罪は多発している。また、このような論法では感情は危険なものだからコントロールしなければならない、という論理が成り立っているのだが、そのような考え方こそが、昨今のカウンセリング・ブームを生み出したことを忘れてはいけないだろう。そもそもコミュニケーションとはそんなに薔薇色のものなのだろうか。読売社説子は平成16年に起こった佐世保の事件についても触れているが、これは読売は《暴力に対する抵抗感が薄れて来ているのではないか》という文脈で書いているけれども、これはむしろこの犯人の家庭環境(例えば、受験のためにバスケットボールクラブを無理やりやめさせられたこと)や、現実とネット上での常に監視状態にある友人とのコミュニケーションの息苦しさに起因した事件である、という分析のほうが説得力がある。
 次のようなくだりにも、読売社説子の認識の甘さが垣間見える。

 保護者にできることは何か。暴力シーンが登場するゲームやテレビ、漫画などを、子どもの好き放題にさせてはいないだろうか。親の児童虐待、配偶者間暴力などが日常的に行われているようでは、子どもへの悪影響は目に見えている。

 どうして読売は《暴力シーンが登場するゲームやテレビ、漫画など》を過度に問題化したがるのだろう?そもそもこれらのものが暴力を誘発する、ということは立証されたことがない。このようなものが問題化されるのは、単にスケープゴートにしやすいからではないか。しかもこのような論法では、読売社説子も軽く触れている、中高生の暴力行為が減っていることを説明することはできない。

 それにしても、この読売社説には示唆的な一文がある。

 1890件という数値には、疑問もある。都道府県別の報告件数(校外での暴力含む)を比べると、隣県同士で「0」と120件台と開きがあったり、300件を超す大阪府、神奈川県に比べ、東京都が43件と極端に少なかったりする。

 このようなくだりは、要するに教師がどのようなことを「校内暴力」と見なすかによって統計に表出するデータが変わってくる、ということを示している。共同通信の配信記事の中でも、文部科学省の見解として《暴力行為をする小学生がいる一方で、教員が子どもを注意深く見るようになったことも増加の要因ではないか》(2005年7月22日付共同通信配信記事)とも述べている。

 私は、この記事に限らず、青少年の非行が「増加」していると見なされる理由については、実数もさることながら、マスコミや社会を構成する大人たちが青少年に向ける視線も無関係ではないように思える。今回増加分としてカウントされた中には、そのような、今まで「校内暴力」とみなされていなかった文も含まれるはずだと私はにらんでいる。今回の事件について、またぞろ教育改革の「失敗」がこのような形で表れたのだ、とか、そもそもこれは親や教師の権威をないがしろにしてきた戦後教育の「成果」である、というふうに訳知り顔で述べている人が多いと思うが、私は、今一度我々が青少年にどのような視線を向けてきたか、ということを検証すべきではないかと思っている。

 子供の問題を自分で処理できなくなった教師が、結局は「校内暴力」としてカウントすることによって国家にすがっているのかもしれない。これは昨今における窃盗罪(万引き)統計の「増加」の理由としても説明できる。

 ちなみに、総務省統計局の人口推計によると、平成16年現在の小学生の数(7歳~12歳)はおよそ718万5千人。それに対し、今回の報告において小学生による「校内暴力」の件数は1890件。暗数と再発も考慮して、少々多めに見積もって、およそ2500人が校内暴力を起こしたことがある、と仮定しても、小学生全体から見れば0.03%、およそ3000人に一人の割合である。このことからも、校内暴力に関しては小学生の「心」の荒廃だとか、戦後教育の失敗だとか、更には大脳前頭葉の異常として捉えるよりも、辛抱強い対話による個別の問題解決に力を注いだほうが重要であろう。

 第一、「キレる」などという出自のいかがわしい言葉を平気で使う神経こそ疑わしいのだが。まして「キレル」なんて表現してしまった暁には

 参考文献・資料
 広田照幸『教育言説の歴史社会学』名古屋大学出版会、2001年1月
 森真一『自己コントロールの檻』講談社選書メチエ、2000年2月

 参考リンク
 「旅限無(りょげむ):荒れる学校の記事を考える
 「総務省統計局・平成16年10月1日推計人口

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コメント

TB有難うございました。参考リンクにも取り入れていただき、光栄に存じます。貴ブログの『反スピリチュアリズム』も拝読いたしました。拙ブログでは時々、マスコミが作る恣意的な記号を慣用する傾向が有るかと、反省しました。これからも宜しくお願い申し上げます。

投稿: 旅限無 | 2005年9月28日 (水) 17時49分

こんにちは。木村剛さんのトラックバックからやってきました。ちょっと記事を見るだけで帰ろうかと思ったのですが、すごく感銘を受けた(?)言葉があったのでコメントしてしまいました。

>今一度我々が青少年にどのような視線を向けてきたか、ということを検証すべきではないかと思っている。

これ、全くその通りだと思っています。
私も似たようなことを考えていたのですが、今まで上手い言葉が見つからず(^^;
この言葉が浮かんでこなかったのですが、この言葉を見た瞬間「これだ!」と思いました。

私は、マスコミの記事で子供を見下したような態度の文章を見ると、本当にイヤになります。今回の読売の記事もすごく突っ込みたくなりました。その裏には、どうしても「子供を見下した態度」を感じるのです。
まずは大人の考え方を根本的に改めないといけないと思うんですけどね・・・。

RSSリーダーに登録しました。今後も頑張って下さい!

投稿: ダイスケ | 2005年9月28日 (水) 22時38分

後藤さんなら、以下の記事で紹介されている「ゼロトレランス(寛容さゼロ)」政策をどう判断されるでしょうか?

文部科学省:児童生徒に規律厳守 米国方式の導入検討(http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/edu/news/20051013k0000m040129000c.html)

ただ、こう書いたからといって、後藤さんにコメントを強要する意図はありません。
私の評価はいずれ自分のブログででも書くと思いますが、「子ども(若者)不信」の現状では過剰に子どもに厳しくあるかもしれず、また、単に問題児の隔離だけに終わってしまう危険性が思います。
そもそも、記事中に挙げらている事件に対してゼロトレランスが有効とは思えないのですが。

投稿: coma | 2005年10月14日 (金) 00時35分

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