トラックバック雑記文・05年09月11日
ひとみの日々:うた(生天目仁美氏:声優)
生天目氏は、カラオケでアニメのキャラクターソングを歌ったそうですが、最近の音楽のヒットの動向において、確かにアニメ関係の楽曲は台頭しつつあります。最近では、生天目氏のケースもそうですが、カラオケでアニメや声優関連の楽曲を取り扱うところも増えているようで。
さて、このブログの読者で、アニメのキャラクターソングをよく聴く人は、それをキャラクターの歌として楽しんでおりますか?それとも声優の歌として楽しんでおりますか?私は声優の歌として楽しんでおりますが、キャラクターソングというのはそういったインタラクティヴな楽しみ方ができるという独特の魅力があります。もちろんキャラクターの歌として楽しむ場合はそのキャラクターについて知っていなければなりませんけれども。
ただ、我が国におけるアニメなどのインタラクティヴ・カルチュアに関して、堀田純司『萌え萌えジャパン』(講談社)にもあるとおり《キャラクター表現について国家レベルでは振興、地方自治体レベルではむしろ規制、とねじれが存在するように感じる》(堀田前掲書、319ページ)という現実があるのですけれども、所詮国家や財界がキャラクター表現について振興しているのはただ「カネ」と「チカラ」が欲しいだけ。その2つがなくなると大抵は規制派になる。その証拠がこれだ。
kitanoのアレ:おたくのための選挙資料(3):コミック撲滅法制化請願参加議員(1)
「各党マニフェストにおける青少年認識/対策」という文章を公開しましたが、その中で自民党と民主党と共産党はマニフェストに「青少年の健全育成」または「有害情報の規制」を明記している(特に力を記述しているのはなぜか共産党)ということを紹介しました。で、「kitanoのアレ」で紹介されているのは、ポルノコミック規制の法制化を求める署名に参加した人たちです。まあ、自民党の偉い人たち(河村建夫とか町村信孝とか村田吉隆とか中山成彬とか森善朗とか)は予想通りですが(蛇足ですが、東北ブロックの自民党比例代表候補に関しては、表現規制推進で、知的財産政策を財界の立場だけから推進する高村派議員が多いから気をつけましょう!)、何で鳩山由紀夫(自民党)とか土井たか子(社民党)までいるんだ!!!
所詮は、誰が政権についても所詮最強の政権維持装置は「若者論」なのでしょうか。結局は自分の「理解できない」ものに対する敵愾心を煽り立てることによって票を獲得し、ポピュリズム的な人気の下で規制を推し進める…、って、いつも言っていることですけれども、とりあえず言えることは、「今時の若者」を「消費」する社会構造が存在する限り、たとい若年層の投票率が上がったとしても、若年層を敵視するような政策が行なわれる行なわれないようになる(9月11日0時56分訂正)のは難しい。
故に、このような考え方は、極めて楽観的に私には見えるのです。
もじれの日々:フリーター・ニートは投票を(2)(本田由紀氏:東京大学助教授)
本田氏曰く、
もちろん、フリーター・ニートを含む若者にとって、現在提示されている選択肢はいずれも満足のゆかないものだろう。政党政治という集団主義そのものへの拒否反応もあるだろう。しかし、それらについては何とか妥協してもらいたい。政治が若者やその中での経済的弱者にこびざるをえなくなるような流れを作り出すためには、まず彼らに「どっこらしょ、仕方ねえな」と動き出してもらうしかないのだ。
果たしてそうなのでしょうか?本田氏は、結局のところ若年層の社会的な地位が向上しないのは、やはり若年層が主張しないからだ、といっているようにしか見えないのですが。しかしこれには異見があります。というのも、我が国にとって、もはや若年層は、既得権を持っている層(中高年)に比して、マスコミにとっても政治にとっても取るに足らない存在です。たとい若年層が投票行動に出ても、やはり若年層よりも数的に多い既得権層を向いた政策を採用したほうが票になるでしょう。
私は、青少年に関わる問題の解決のためには、まず中高年層の意識を変えるべきだ、と考えております。現在の、中高年層を中心とする政治や言論の構造は、若年層を「理解できない他者」=「敵」と見なし、それに対する敵愾心を煽ることによって若年層を「消費」する、いわばカーニヴァル的な構造ですが、若者論という言論体系がそのようなカーニヴァル的な構造にどっぷりと浸かっている限り、若年層に対する手厚い政策は「甘え」と見なされてしまう、それがいかに適切であっても。それは新聞や雑誌におけるフリーターや若年無業者の記事を読めば明らかでしょう。これらの記事は(特に「Yomiuri Weekly」平成17年8月14日号の巻頭特集の論調が典型的です。詳しくは「俗流若者論ケースファイル43・奥田祥子&高畑基宏」を参照されたし)書籍や研究で展開されている論調は、全てフリーターだろうが「ひきこもり」だろうが若年無業者だろうが全ては「甘え」であり、そいつらをたたき出さなければならない、という論調、あるいはそいつらは戦後民主主義の鬼子である、みたいな論調ばかり。かつての我が国が、国家的な一体感から「鬼畜米英」を叫んだのと同様、現在の我が国は「鬼畜青少年」と叫んでおります。山本七平氏がこの状況を見たら、さぞかし墓の中で身もだえするのは間違いなかろう。
「今時の若者」が憎い権力者の皆様、だったら我が国、あるいは自分の自治体をニュージーランドに併合してみてはいかがですか?
性犯罪報道と『オタク叩き』検証:神奈川県ニュージーランド化計画(悪い意味で)
松沢成文・神奈川県知事に朗報。神奈川県をニュージーランドと併合したら、これほどいいことがありますよ!
・ラグビーが盛ん(筆者注:松沢氏は個人的にラグビーが好きなので)
・『残虐ゲーム』や、直接的な描写がなくても『ロリエロ』とみなされたアニメは発禁処分
でも、ニュージーランドにおける性犯罪の発生率は我が国に比して格段に高い。どういうわけだろう。
こういう文章を読んでいると、近頃喧伝されている「安全神話の崩壊」なる神話が、特定の階層による凶悪犯罪の喧伝に過ぎないことがよくわかってきますね。特に少年犯罪に関して言うと、「酒鬼薔薇聖斗」事件以降から少年犯罪の発生件数に比して報道の数のほうが多くなってしまった、ということも聞きますし(「潮」平成16年12月号)。社会の「現実」を冷静に見つめることのできる人は決して少なくないのですが、そのような人たちは学問の狭い領域でひっそりと書いているだけになってしまうのでしょうか。我が国の若者論という名のカーニヴァル、病理は極めて深し。
千人印の歩行器:[時事編]赤であれ青であれみんなで渡れば怖い!(栗山光司氏)
「みんなで渡れば怖い」、そういう感覚を大事にしていきたい。物事はできるだけ自分の判断で突き進んでいきたい。たといそれが「善行」であったとしても、暴走すれば直ちに「悪行」に転じてしまう恐れがある。この文章は、現在の政治状況・社会状況を考える上で、もっとも示唆に富んでいる文章であります。
ところで、また新書の棚からきな臭い匂いがしてきました。中公新書ラクレから、『進化しすぎた日本人』なる本が最新刊として出ているのですが(ちなみに著者は「サル学の権威」だそうですよ…。出版事情から言って、正高信男の所論に反することはまず書けないだろうね)、帯にまたぞろ「ひきこもる若者」「子離れできない親」なんて書いてやがる。ふざけんな。
オイコラ中公!おまえら、この2つを帯に書いた本はこれで何冊目だと思ってるんだよ!俺の知ってる限りでは、いずれも俺がトンデモ本と認定した、正高信男『ケータイを持ったサル』(中公新書)と、矢幡洋『自分で決められない人たち』(中公新書ラクレ)の、少なくとも2冊の帯にこの文句が使われている(詳しくはbk1を。正高本に関してはこちら、矢幡本に関してはこちら)。そうゆう、「今時の若者」=「甘え」みたいな俗情に媚びた本ばかり出すのはいい加減にしろよ!
とまあ怒ってしまったのですけれども、実は私はこの本をある程度立ち読みしたのですが、こと子育ての部分に関しては、生物学的に考えて現代の子育ては「異常」である、見たいな書き方を連ねていましたので、こういう言い方をさせてもらいました。特に社会学的な考え方に対する無知が痛かった。でもしっかりと読んだわけではないので、近いうちに読み込んでみます。
そういえば、マガジンハウスの「ダ・ヴィンチ」という雑誌で見たのですが、精神科医の香山リカ氏も『いまどきの「常識」』という本を岩波新書の新刊として出すらしいです。これも少々注視しなければならない。香山氏は最近になって、例えば『ぷちナショナリズム症候群』(中公新書ラクレ)に代表されるような心理学主義的な俗流若者論にも手を染めており、果たしてその路線を引き継ぐものになるのか、動向が注目されるところ。
たとい自然科学や心理学の分野で優れた研究者が自分の専攻している学問でもって社会を「分析」しようとしても社会学的なセンスがなければ適切なバランス感覚を失って安易なアナロジー、更に言えばレイシズムに陥ってしまう。理系のものにとっての社会学というのは、自分の学問領域に閉じこもらないで社会との接点やバランスを確保していく上で貴重なものであると私は考えます。これは私が大学で学んでいる建築という分野が(土木もそうですけど)他の工学に比して社会学を支えにしなければならない分野が大きい、ということも関連しているかもしれません。
保坂展人のどこどこ日記:劇場(バーチャル)から現実(リアル)へ(保坂展人氏:元衆議院議員・社民党)
週刊!木村剛:[ゴーログ]山本一太議員は公職選挙法違反か?(木村剛氏:エコノミスト)
さて、総選挙が迫ってきました。しかし木村剛氏のブログを始め、ネットの一部で話題になっているのが選挙期間中におけるブログ更新の是非。一応、一般的な公職選挙法の解釈によれば、ウェブサイトやブログも公選法における「文書図画」に該当するようなのでいけないようなのですが…。インターネット時代だから、こういうことをきっちりと議論してもいいのではないかと思いますがね。
とりあえず私の主張としては、ポスターで「政策」を売り込むためには、ポスターにウェブサイトのアドレスを掲載することに尽きると思います。でもそのためには、選挙期間中のウェブサイトでの政治行動が許されなければならないのですが。
カマヤンの虚業日記:[選挙]「オタクちゃんねる2」停止の件、その他
kitanoのアレ:テレビ局上層部から民主党攻撃命令?
とりあえず、マスコミやプロバイダに圧力をかけない限り維持できない、あるいはマスコミやプロバイダが媚びなければ維持できない政権党というのは、終わったな、と。
選挙に際して、以下の文章を読んでおくことをお勧めします。
「kitanoのアレ」
「FrontPage -Game and Politic-」
このブログから「各党マニフェストにおける青少年認識/対策」
さて、読者の皆様にお知らせですが、私は、今月11日の夜から16日の午前にかけて、東京と名古屋に行ってまいります。そのため、ブログの更新ができなくなります。ご了承ください。
ただ、旅行期間中に、映画のマスコミ試写会に参加してきたり、あるいは万博を見てきたりと、いろいろ動きますので、何か思うところがあれば文章を書こうかと思います(ただし、17日から18日にかけて、親戚の結婚式に参加するため盛岡に行ってくるので、その期間中も更新できませんが)。
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コメント
老婆心ながら一言。
>たとい若年層の投票率が上がったとしても、
>若年層を敵視するような政策が行なわれるのは難しい。
これでは意味が通らない。「たとい若年層の投票率が上がったとしても、若年層を敵視するような政策が行なわれ“ないようにす”るのは難しい。」とするか「たとい若年層の投票率が上がったとしても、若年層を敵視するような政策が行なわれるだろう。」とした方がいいのでは?
投稿: 克森淳 | 2005年9月11日 (日) 00時36分
山本七平に言及されていらっしゃいますが、イマイチはっきり繋がりを特定できないのですが、山本七平はたぶん勝共連合に繋がっていると思われます。
だからまあ日本人がアホになればなるほど山本七平の望み通りだと思います。
投稿: カマヤン | 2005年9月11日 (日) 01時43分
TBありがとうございました。誤字修正ついでに、若者の自殺率(5-24歳)をOECDから調べてきましたが、この点でも日本よりニュージーランドが酷いです。
OCED加盟国ではアイスランドの若者が、自殺率が最も高いというデータも出ています。
『自然環境が豊かなら自殺しない』というのが間違いであることもわかります。
投稿: siebzehn138 | 2005年9月11日 (日) 15時06分
本田由紀さんは、東大出版会から出ている「若者と仕事--学校経由の就職を超えて」で存じ上げています。まだ全部読んでいませんが、ちらほらとななめ読みをしただけでも、フリーターを始め若い世代の(半)失業者や不安定雇用に翻弄される人たちを、どこか傲慢な見下した視線から観察・記述しています。その論調は、どうやらフリーターらの状況がよくないのはフリーターら本人のせい/甘えだ、といった精神論・道徳的お説教のほうに傾いています。同時並行で読み進めている労働法の観点から労使関係について言及した本や、社会的排除に関する本と比べて、説得力がうすいだけではなく、欧米ならば移民排斥運動にもにた雰囲気を感じながら読んでいます。
投稿: ワタリ | 2005年9月16日 (金) 21時34分