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2005年10月 1日 (土)

トラックバック雑記文・05年10月01日

 今回のトラックバック:「冬枯れの街」/栗山光司/「kitanoのアレ」/本田由紀/茅原実里/保坂展人

 ※トラックバック先への誤解を避けるため、今回以降、雑記文では誰の(どの)ブログにトラックバックするかを明記しておきます。

 冬枯れの街:「いつから私は人を信じることができなくなってしまったのかしら。」

 すっげえのを見つけたので紹介しておきます。

 産経新聞:「反進化論」米で台頭 渡辺久義・京大名誉教授に聞く

 反進化論、創造論とは、とっくの昔に米国でも論破されきっているのですが(詳しくは、マーティン・ガードナー『奇妙な論理』(ハヤカワ文庫)を参照されたし)、それを俗流若者論的な理由でもって再現させようというトンデモナイ人が登場してしまいました。まあ、確かに、《教科書に書くなら「ダーウィンの進化論に沿って考えるならば」と、仮説の紹介にとどめるべきです》という物言いには理解を示しますけれども(例えば進化論に関してもさまざまな学説が存在する)、これ以降の論理が本当にブッ飛んでいて、おかしい。

 ――日本の学校でも教えるべきですか?
 思考訓練として教えるべきです。でないと日本人の頭は硬直したままです。それに「生命は無生物から発生した」「人間の祖先はサルである」という唯物論的教育で「生命の根源に対する畏敬(いけい)の念」(昭和四十一年の中教審答申「期待される人間像」の文言)がはぐくまれるわけがありません。進化論偏向教育は完全に道徳教育の足を引っ張るものです。

 エエエエエエエエエエ!

 俗流若者論の恐ろしさについては私も何度も言及してきましたけれども、まさかここまで来ているなんて思わなかったでありますよ。俗流若者論に基づいたダーウィン否定なんて、私には考えもつかなかった。なんですか、《「生命は無生物から発生した」「人間の祖先はサルである」という唯物論的教育で「生命の根源に対する畏敬(いけい)の念」……がはぐくまれるわけがありません。進化論偏向教育は完全に道徳教育の足を引っ張るものです》って、ダーウィンの進化論を教えることは道徳の崩壊につながる、って、アホかあ!!!

 あのね。これはあんたの教養がいかなるものか、ということにつながっているんだけれども、もし生物を創造した「あるもの」を仮定しなければならないとするならば、それが誰によって作られたのか、ということについても考えなければならないんだよ。で、それを仮定すると、また「あるもの」を創造した「あるもの」を仮定しなければならず、更にそれを仮定すると「あるもの」を創造した「あるもの」を創造した「あるもの」を仮定しなければならず…、って、無限ループになっちまうんだよ。

 しかもダーウィンの進化論を教えたら道徳の崩壊につながる…、って、結局のところは俺の主張を認めてくれ!!って駄々をこねてる野郎が青少年問題にかこつけて言ってるだけでしょ。

 あとさ、この人たちが歴史を知らないこともこの記事は如実に表しているね。記事の中で、聞き手たる産経の渡辺浩記者は《米国では親の教育権とも関連して進化論批判の歴史がありますが、日本の教育界に持ち込もうとすれば「非科学的」と猛反発されます》などといっているけれども、米国においてなぜ進化論批判が展開されたか、というと、結局のところ原因は宗教右派なんよ。詳しくは『奇妙な論理』の上巻の109ページ~140ページを見てほしいんだけれども、例えば116ページにおいては、キリスト教のプロテスタント教会はダーウィンの進化論の発表直後から進化論を攻撃しまくっており、『奇妙な論理』が書かれた1950年ごろまでに進化論批判の著作を《数千冊にのぼる》(『奇妙な論理』上巻116ページ)ほど出しているようだ。そういうことを参照しないで、何が《親の教育権とも関連して進化論批判の歴史がありますが》だ。

 っていうか、本気で検証しようかなあ。「俗流若者論ケースファイル」のシリーズにこれが入るかもしれません。っていうか、早く東京新聞の総選挙分析の検証をやれ、俺。

 千人印の歩行器:[生活編]禁煙より禁酒?(栗山光司氏)
 所謂「禁煙ファシズム」に関しては、私は酒はほとんど飲まないし煙草は全く吸わないのですが、それでも「禁煙ファシズム」の怖さは良く分かる。ただ、これに反対するロジックとしては、例えば飲酒や自動車のほうが実害が大きいじゃないか、というものもいいのですが、もう一つ、何か抽象的な次元での話が必要だと思います。

 ここで必要なのは、公共空間に関する議論でしょうね。なぜ、喫煙はとがめられるべきなのか、と。あるいは、なぜ、分煙化による共生ではいけないのか、と。もし煙草にも少なからず健康に被害があるとすれば、煙草の煙が充満しないような部屋で喫煙できるようにすればいいのではないか、ということです。

 単なる道徳的基準(とか言っておきながら、実際は自分の好き嫌い)によって公共における行為を決めてしまう、という行為は、最終的にはポピュリズムとならざるを得ず、その先にファシズムが待っている。公共空間とは、本来、理解できない他者と共生しなければならない空間のことを言う。そこでいかに共生のための知恵をしぼれるか、ということで、空間の使い方や公共建築の設計はスタートします。要は、必要なのは「大人の対応」というわけです。つまり「私はお前の言うことは嫌いだがお前がものを言う権利は認める」というもの。自分の好き嫌いによってある行為や言論、表現に対する弾圧を認めようとするならば、それによって自分も弾圧されるかもしれない、ということに対して想像力を働かせなければならない。素朴な弾圧派は、それが全く分かっていない。

 私だって、森昭雄とか正高信男とかいった擬似科学者の言動にはうんざりしていますけれども、だからといってこいつらを青少年に有害だから弾圧せよ、とは言わない。しっかりと論理を組み立てて、その誤謬を地味に指摘していくしかない。また、過去にも何度か言ったとおり、私は過激な性描写はあまり好きではありませんが(むしろ嫌いですが)、刑法犯が発生していない範囲ではその存在を認めるほかない(また、アニメや漫画における過激な性描写に関しては、被害者となる実物が存在しないので、刑法を楯にした規制はできない)。それが戦略的に採るべき態度です。

 でも、こういう人や、それを支持する人たちは、そういう抽象的な議論に対して想像力を働かすことができないのでしょうかね。

 kitanoのアレ:石原都知事施政方針演説「ゲームを規制するため協議会を設置する」
 私は、石原氏がゲーム規制を訴えることに関しては、ある程度予測はついておりました。詳しくは「俗流若者論ケースファイル11・石原慎太郎」「俗流若者論ケースファイル34・石原慎太郎&養老孟司」を参照していただきたいのですが、石原氏がゲームを敵視しているのはこれらで取り上げた文章を読めば分かります。

 それにしても、どうしてこの手の人たちって、ゲームをやる子供たちを犯罪者予備軍に仕立て上げないと気がすまないんでしょうかね。

 もじれの日々: 反「ニート論」論+往復メール(本田由紀氏:東京大学助教授)
 おおよそ、「ひきこもり」やパラサイト・シングル、及び若年無業者に対する素朴な批判は、結局のところ「経済の論理」と「親の論理」にしか基づいていない、極めて感情的でネガティヴな論理でしかありません。「経済の論理」で言うと、これは「Yomiuri Weekly」の平成17年8月14日号の「ニート家庭「凄絶」白書」なる記事が図らずも(図っているのかも?)示している通り(この記事に関する検証は「俗流若者論ケースファイル43・奥田祥子&高畑基宏」で)、要はそういう奴を抱えている家庭は速めに経済的に破綻するから、早く追い出したほうが身のためだ、ということになる。また、「経済の論理」に関して言うならば、もう一つはこのような人たちが税金泥棒と見なされること。要するに、こいつらは税金は払っていないのに社会保障費や年金は高齢化によって減っていく一方、だからこいつらを就職させなければ財政は破綻する、あまつさえ少子化だからなおさら、という論法。どうしてここで財政のスリム化や効率化という提言が出てこないのか。

 もう一つは「親の論理」。要するに、お前は今まで親に養ってもらったんだから、就職してその恩に報いなければいけないと。しかしそういう考えが蔓延しているからこそ逆にひきこもってしまう、というパターンも多くあるのです。要するに、自分は親に迷惑をかけている、自分はなんて駄目な人間なんだ、と思いつめた上での「ひきこもり」。こういう状況が存在する中で、更に教育に「愛国心」の強制なんて入れてしまったらもっと窮屈になるのは間違いありません。解決策としては、そういう「親の論理」による圧力を少しでも和らげる手段がありますが、例えば地域通貨でそれを行なっている自治体もあるようです(川戸和史「引きこもり癒す地域通貨の力」=「AERA」2002年9月23日号、朝日新聞社)。

 更に言っておきますと、どうやら多くの人は、「ひきこもり」もフリーターもパラサイト・シングルも若年無業も、「状態」を表すのであって決して「病理」ではない、ということに対する認識があまりにも欠けているようです。そういう認識の欠如状態があるからこそ、例えば「ニート」という言葉に関して言うならば、「ニート予備軍」「社内ニート」「TEET」といった誤用がたくさん出てくるようになる。「ひきこもり」だって「ひきこもり型」だとか「ひきこもり親和型殺人」などといった変な言葉で誤用されている。

 「ひきこもり」は生物学的に言って発達を阻害する、などと主張する言説もある。しかもどういうわけ過疎のような言説の発信元はことごとく中央公論新社だったりする(笑)。ことごとく、といっても、まあ2冊なのですがね。一つは、一応我がブログの最大の仮想敵である、京都大学霊長類研究所の曲学阿世の徒・正高信男の『ケータイを持ったサル』(中公新書)。もう一つは、最近出された、元京都大学霊長類研究所所長の杉山幸丸氏の『進化しすぎた日本人』(中公新書ラクレ)。これらの「科学的」社会論(若者論)に共通しているのは、社会という視座がないこと、あるいは社会学というバランサーがないことです。単純に霊長類学のアナロジーを「今時の若者」に当てはめて安易に語ろうとすると、この2冊のようなトンデモ本になってしまう。社会という視座を喪失すると、結局擬似生物学に基づいて「親は攻撃的に自立を促せ」みたいな主張になってしまう。

 この話題に関してもう一つ。

 minorhythm:図書館(茅原実里氏:声優)
 現在、フリーターや若年無業の問題を取り扱った本を読んでいるのですが、あまり金のない私にとって図書館はこの研究をする上で非常に役に立ちました。茅原氏は《今はパソコンで何でも調べることができちゃうけど、こうやって実際手にとって調べていると、手に入れた情報になんだか重みがあるというか》と書いていますけれども、この問題に関する言説は、ネット上の情報ではほとんど当てにならない。ブログの日記を検索しても、大半は若年無業者やフリーターを「甘え」だとか言って「親に問題がある」みたいな結論になってしまうのがほとんど常です。「2ちゃんねる」みたいな掲示板に至っては「プライドだけ高くて実際に働いたことのないニート必死だなw」みたいな書き込みは結構見られるし。

 少々出足が遅かったので、書評を公開するのは今月末になりそうです。今のところの進捗状況は以下の通り。ちなみに書評に関しては終了次第一斉に公開する予定です(既に書評を公開している、二神能基『希望のニート』は除く)。

 書評を脱稿した本
 橘木俊詔『脱フリーター社会』東洋経済新報社/二神能基『希望のニート』東洋経済新報社
 読んだが書評していない本
 玄田有史『仕事のなかの曖昧な不安』中央公論新社/宮本みち子『若者が《社会的弱者》に転落する』洋泉社新書y/三浦展『仕事をしなければ、自分はみつからない。』晶文社/斎藤環『「負けた」教の信者たち』中公新書ラクレ/小杉礼子(編)『フリーターとニート』勁草書房/本田由紀『若者と仕事』東京大学出版会
 「積ん読」状態の本
 小杉礼子『フリーターという生き方』勁草書房/玄田有史、曲沼美恵『ニート』幻冬舎/玄田有史、小杉礼子『子どもがニートになったなら』NHK出版生活人新書
 図書館で借りてきてまだ読んでいない本
 小杉礼子『自由の代償/フリーター』日本労働研究機構/矢幡洋『働こうとしない人たち』中公新書ラクレ
 宮城県図書館で注文した本
 丸山俊『フリーター亡国論』ダイヤモンド社/和田秀樹『ニート脱出』扶桑社/居神浩『大卒フリーター問題を考える』ミネルヴァ書房/澤井繁男『「ニートな子」をもつ親へ贈る本』PHP研究所
 若林図書館で注文した本(せんだいメディアテークが館内整理のため図書館を2週間ほど休館にするため)
 学研(編)『フリーターなぜ?どうする?』学研/浅井宏純『自分の子供をニートにさせない方法』宝島社/小島貴子『我が子をニートから救う本』すばる舎
 読む予定ではあるが注文していない本
 大久保幸夫『新卒無業』東洋経済新報社/安田雪『働きたいのに…高校生就職難の社会構造』勁草書房/香山リカ『就職がこわい』講談社
 現在検討中の本
 長山靖生『若者はなぜ「決められない」か』ちくま新書/波頭亮『若者のリアル』日本実業出版社/喜入克『叱らない教師、逃げる生徒』扶桑社

 保坂展人のどこどこ日記:郵政民営化法案の不思議(保坂展人氏:衆議院議員・社民党)
 保坂氏はかつて「国会の質問王」として名を馳せた人であり、利権政治家、官僚任せの政治家ばかりの昨今にあって、数少ない実力派なのですが、郵政民営化の不思議をこのようにブログで公開して閲覧者に議論させようとする覚悟は素晴らしいと思います。とりあえず、こういう重要なことを隠してきて選挙を煽ってきたマスコミはなんなのか、と。

 お知らせ。まず以下の記事を公開しました。
 「統計学の常識、やってTRY!第6回」(9月18日)
 「俗流若者論ケースファイル71・森昭雄」(9月21日)
 「三浦展研究・前編 ~郊外化と少年犯罪の関係は立証されたか~」(9月25日)
 「三浦展研究・中編 ~空疎なるマーケティング言説の行き着く先~」(9月27日)
 「三浦展研究・後編 ~消費フェミニズムの罠にはまる三浦展~」(9月28日)
 「俗流若者論ケースファイル72・読売新聞社説」(同上)

 また、bk1で以下の書評を公開しました。
 堀田純司『萌え萌えジャパン』講談社、2005年3月
 title:世界に想像する余地を
 内藤朝雄『いじめの社会理論』柏書房、2001年7月
 title:安易な共同体主義からの訣別
 越澤明『復興計画』中公新書、2005年8月
 title:現代の美観と先人の苦悩
 森真一『自己コントロールの檻』講談社選書メチエ、2000年2月
 title:心理学主義という妖怪が徘徊している
 斉藤弘子『器用に生きられない人たち』中公新書ラクレ、2005年1月
 title:俗流若者論スタディーズVol.5 ~症候群、症候群、症候群、症候群…~

 あと、「2005年7~9月の1冊」も近いうちに公開します。今回はワーストがたくさん出てきます。
 参考までに、私が今まで書いた書評&音楽評の記事も。
 「2004年・今年の1冊
 「2005年1~3月の1冊
 「2005年4~6月の1冊
 「2004年・今年の1曲
 「2005年上半期の1曲

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コメント

>産経新聞:「反進化論」
私このコラムを読んである意味電波を感じてしまいました。書いている人もそうだけど、一番来ているのはこの記事ににOKを出した産経編集部で頼むからこんな記事はボツにしてくれとしかいいようがありません。(まあ正論を出しているくらいだから、いっても無駄なのだろうけど…。同じ右派でも比較的まともな文芸春秋ならボツにするよね、ねえ文春さん(笑))

投稿: hts | 2005年10月 1日 (土) 08時29分

トラバおおきに!
反進化論ですが、↓のアメリカ在住のでんでん虫さんがこの問題を取り上げています。アメリカでは公立学校の生物授業で「反進化論」をマジにやろうとする動きがありますね、だから荒唐無稽として笑って済ませるわけにはいかないみたい。「でんでん虫」さんのこのブログは僕も時々コメントさせてもらっています。これから、後藤さんのこのエントリーをでんでん虫さんに紹介します。
http://nerdy.exblog.jp/1160230/

投稿: 葉っぱ64 | 2005年10月 1日 (土) 09時40分

こんにちは!いつも記事の更新楽しみにしています!
今回は、私のBlogで「おすすめBlog」としてここを紹介させていただきました!よろしければご確認下さい(^^

あと、リンクも勝手ながらさせていただきました。
今後ともよろしくお願いいたします!

投稿: ダイスケ | 2005年10月 2日 (日) 14時22分

トラックバックありがとうございます。

産経の反進化論記事を読んだときの衝撃を共有していただいたおかげでショックが二分の一に…なるかウワァァァァァァヽ(`Д´)ノァァァァァァン!

学力崩壊とかさんざん囃し立てているマスコミですがこんなものを素で通すこいつらの科学的教養(勉強不足に目を瞑って素養でもいいけれど)を見る限り、お前らにだけは言われたくないというコメントしか浮かばない…このまずはお前がなという感慨も毎度毎度のことでorz

投稿: 遊鬱 | 2005年10月 2日 (日) 21時51分

あいかわらず充実したブログですね。

わたしは金欠と軽いウツによってなかなか読めませんが、借りてきた本のエントリーがあるのでTBさせてもらいました。特に、社会的排除に関する2冊はオススメです。

投稿: ワタリ | 2005年10月 2日 (日) 23時34分

そういえば、大谷昭宏氏は、「禁煙ファシズム」に対しては、自身がヘビースモーカーであるが故に激しく抵抗していますね。
私は私で、友人や自分自身が分煙不備な職場の害を被っているので、本音では「もっと規制してくれ」なのですが。
放送日は忘れましたが、喫煙に関する最近の風潮に「禁煙ファシズムだ」との抵抗を示す議論に、日経CNBCの番組が反論していまして、”「禁煙ファシズム」ではなくて「煙草デモクラシー」である。デモクラシーなのだから、当然極端な禁煙論も出るが、それも含めて民主的な話し合いで決める事が大事。”という感じの内容でした。

幸い現在の環境ではしっかり分煙できていますので、現状は「煙草デモクラシー」が成り立っていると思います。

ところが、最近のゲーム規制論については、肝心な「話し合い」が成立していないという問題があるわけで、それこそ「ゲーム脳ファシズム」ではないかとさえ思えます。

昔、「買ってはいけない」というトンデモ本に対して、「『買ってはいけない』は買ってはいけない」という批判本がでましたけど、俗流若者論者たちを「『ゲーム脳』脳」と命名してみてはどうかと思います。

投稿: 古鳥羽護 | 2005年10月 3日 (月) 00時52分

と、思ったら既にあるんですね「ゲーム脳脳」って言葉。w
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%B2%A1%BC%A5%E0%C7%BE%C7%BE

投稿: 古鳥羽護 | 2005年10月 3日 (月) 01時05分

現在、フリーターや若年無業の問題を取り扱った本を読まれているようですが、私が雑誌で見つけたフリーターや若年無業に関する特集を、参考になればとここにあげさせてもらいます。すでにご存知のようならすいません。

・『週刊エコノミスト』(2005年 3月22日号)
「あなたは知ってますか? 娘、息子の悲惨な職場」
・同(2005年 5月31日号)
「娘、息子の悲惨な職場 Part2具体集」
・同(2005年 9月20号)
「娘、息子の悲惨な職場 Part3脱出編」

・『週刊ダイヤモンド』(2005年 6月4日号)
「息子・娘がニートになる日」

・『季刊教育法』(No.145 2005年)
「特集 フリーター・ニートへの支援と対策」

・『教育』(2005年4月号 国土社)
「『ニート』・・・・・・過保護な若者?無保護な若者?」

・『季刊人間と教育』(47号 2005年 旬報社)
「特集 若者が自由に働ける社会」

特に『教育』の特集は未読のようでしたら、是非読まれればと思います。


投稿: coma | 2005年10月 9日 (日) 18時24分

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