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2005年10月 5日 (水)

2005年7~9月の1冊

 私が2005年7月1日~9月30日までに読んだ本に関して、特に印象に残ったものを紹介します。ちなみに、フリーターや若年無業者問題に関する本は、別のところで採り上げるのでここでは紹介しません。

 1:森真一『自己コントロールの檻』講談社選書メチエ、2000年2月
 書評:「心理学主義という妖怪が徘徊している
 心理学主義的言説が横行して、人々の「心」「内面」に高い関心が向けられる社会を批判的に考察した名著。その批判が社会学のツール(デュルケームなど)を用いて行なわれているため、心理学ばかりに没頭していると見えない危険な部分を見事に照射している。ちなみに本書が刊行されたのは今からおよそ5年半前なのだが、そのときの状況と比べて、現在はむしろ更に危険になっている気がするんですけど。とにかく必読。

 2:フリードリッヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ、適菜収:訳『キリスト教は邪教です!』講談社+α新書、2005年4月
 19世紀のドイツの哲学者・ニーチェの著書『アンチクリスト』を現代日本語の会話調に翻訳しなおしたもの。全編、キリスト教及びキリスト教徒に対する罵詈雑言集のような出来になっているが、騙されたと思って一度読んでほしい。キリスト教というものがいかに人間の良心を歪め、さらにイエス・キリストを歪めてきたか、ということを明確に主張している。東京大学教授・松原隆一郎氏による解説も一読の価値あり。「2005年1~3月の1冊」で紹介したB・R・アンベードカル『ブッダとそのダンマ』(山際素男:訳、光文社新書、2004年8月)と併せて読みたい。

 3:杉田敦『権力』岩波書店、2000年6月
 ミシェル・フーコーのパプティノコン理論から始まり、権力論の歴史を俯瞰しつつ、ハンナ・アレントやヴァルター・ベンヤミンなどの最近の権力論などを引用して、権力をいかに捉えなおすか、ということを問い直した好著。自分がいかに「権力」というものを捉えているか、ということを捉えなおす上では最高の出来である。

 4:村上宣寛『「心理テスト」はウソでした。』日経BP社、2005年4月
 血液型性格診断からロールシャッハ・テストまで、現代にはびこる「心理テスト」を心理学・統計学の立場からその虚構性を徹底的に暴く。それらの「心理テスト」に対する批判は至極真っ当であり、科学というものはこうでなくては、と膝をたたいてしまうほどだ。しかも本書で使われた統計学的手法に関しては「さらに理屈の好きな方は」というコラムで説明されている。欲を言えば、このような「心理テスト」の氾濫が新たなレイシズムや差別を生み出す構造にも言及してほしかった。

 5:ジャン・ジャック・ルソー、桑原武夫:訳、前川貞次郎:訳『社会契約論』岩波文庫、1954年12月
 社会思想の古典の一つで、社会契約、政府、法律、主権などを捉えなおす上では必読と言っていい。我々が普段当たり前と思って享受していること、あるいはその内実が日常生活ではほとんどと我得ないことに関して考え直す機会として。特に選挙という行動がかなりの部分で自己目的化してしまった言論状況を俯瞰してみるに、本書の必要性が高まっていることは言うまでもないだろう。

 6:山本貴光、吉川浩満『心脳問題』朝日出版社、2004年6月
 手短に説明するならば、森真一氏の『自己コントロールの檻』が心理学主義的な情報を相手にしているのに対し、本書は脳科学主義的な情報を相手にしている。「ゲーム脳」理論みたいな脳科学主義的な言説がもてはやされる中、脳情報とはいかに付き合うべきか。最初は哲学的なことが述べられているので少々読みづらいかもしれないが、例えばジル・ドゥルーズの管理社会論や、薬物投与による問題「解決」の危うさまで踏み込んでいるなど、読み応えがある。斎藤環『心理学化する社会』(PHP研究所、2003年10月)は要併読。

 それにしても、本書といい、森真一氏といい、村上宣寛氏といい、あるいは「1~3月の1冊」の芹沢一也氏といい、どうもこの手の「心理学(脳科学)と管理社会」的な本ばかり読んでいるなあ。年末に公表する「2005年・今年の1冊」では、特に心変わりしない限りはこの問題について取り扱う予定。

 7:森真一『日本はなぜ諍いの多い国になったのか』中公新書ラクレ、2005年7月
 『自己コントロールの檻』の内容を少々薄味にしたようなもの。そのため、読みやすさの点ではこちらのほうが勝っているが、切れ味としては前著に劣る。ただし、「社会的アイデンティティー」の問題や、万人の「お客様」化という議論など、前著では見られなかった新しい視座を開拓しており、前著同様に読み応えのある本であることは疑いない。

 8:浜口恵俊『「日本らしさ」の再発見』講談社学術文庫、1988年5月
 日本人の行動を、既存の日本文化異常論に対して批判する形で説明している。ここで使われている論理は、日本人は「状況」を中心にして動いている、というもの。更に東洋と西洋における人間観の違いや、「間柄」「義理」「家」など普段使われている言葉がいかなる文化的状況に根ざしているか、という点まで踏み込んでおり、奥の深い1冊となっている。それにしても昔は小原信氏ってかなりすごい人だったんだねえ。今は相当落ちぶれているのに。
 ※現在品切れ。

 9:ロナルド・ドーア、石塚雅彦:訳『働くということ』中公新書、2005年3月
 ILO(国際労働機関、国際労働事務局)の研究員として長い間日本における労働の実態を研究してきた著者による講演録。日本や世界における労働の歴史を総ざらいすると共に、グローバル化が世界にもたらした労働問題や、それ似た対する解決策を提示するなど、現代における労働の意義を考える上ではぜひとも読んでおきたい1冊に仕上がっている。

 10:斎藤美奈子『誤読日記』朝日新聞社、2005年7月
 書評:「皮肉に満ちた「書評欄の裏番組」
 「AERA」と「週刊朝日」に連載していた書評連載をまとめたもの。まず、この分量で税込み1575円というのが嬉しい。また、本書はその時々に話題になった本をワイドショー的に楽しむ、という名目で書かれているので、平成12年から16年中ごろにかけて、どのような本が話題になったか、を総ざらいすることができるし、何よりも『読者は踊る』『趣味は読書。』の流れを汲む斎藤氏の書評世界を楽しむことができる。(蛇足:この本に収録されている正高信男批判は必読ですよ…。)

 11:越澤明『復興計画』中公新書、2005年8月
 書評:「現代の美観と先人の苦悩
 東京の都市計画を中心に、災害や戦災によって都市が成長していく様子を都市計画の法制や実際の計画から読み解いた本。重要なのは、災害のたびに都市計画を立てた人は「復旧」ではなく「復興」を目指した、という点。現在札幌や仙台、横浜などで見られる美観は復興計画や、それ以降の都市計画の産物であり、そういうことを意識すると大都市の美観を見る目は変わるかもしれない。ただ、所々で見かける「日本人は自分の歴史を誇りに持つべきである」という主張は、少々しつこい。

 12:堀田純司『萌え萌えジャパン』講談社、2005年3月
 書評:「世界に想像する余地を
 我が国におけるキャラクター・ビジネスなど、アニメやゲームのキャラクターをめぐる現状を書いた極めて良心的なルポルタージュ。「カネ」という魅力が外れるや、あからさまに「嫌悪感」をむき出しにして「規制」を叫ぶマスコミとは違い、現状をいったん受け入れてそれに対する考察をしていく、という姿勢に好感が持てる。ところどころで現れる関係者へのインタヴュー、特に声優の清水愛氏へのインタヴューも卓越。

 13:小笠原喜康『議論のウソ』講談社現代新書、2005年9月
 大学生向けのレポート指南書の書き手として知られる学者の手による「情報との付き合い方」の本。例示されている事例が、少年犯罪報道、「ゲーム脳」理論、携帯電話の電磁波による悪影響、教育改革批判など、身近なものを引いていることによって、情報をいかに処理するのか、ということが分かりやすく書かれている。ちなみに著者は日本大学文理学部教授。筆者は「ゲーム脳」の宣教師である森昭雄氏が同僚であることには触れていないが、同僚の狼藉に我慢できなかったのか?

 14:マックス・ヴェーバー、脇圭平:訳『職業としての政治』岩波文庫、1980年3月
 政治哲学の古典の一つで、同時代の政治家に政治家であるとは何か、ということを説いた本。この本に込められたメッセージは現代でこそ光っている。ちなみに私が本書の一説を「俗流若者論ケースファイル34・石原慎太郎&養老孟司」で引いたのだが、後に朝日新聞編集委員の星浩氏が、平成17年5月10日の朝日新聞のコラムで偶然にも同じ部分を引いていたことが判明した。それくらい重要な部分なのだろう。

 15:日本放送協会放送文化研究所(編)『放送メディア研究3』丸善、2005年6月
 「情報空間の多様化と生活文化」についてまとめた論文集で、取り扱われている分野はテレビ(飯田崇雄、佐藤俊樹、小林直毅、水島久光、斎藤環)、インターネット(木村忠正、原由美子)、携帯電話(辻大介)。論旨の運びが解説的なので基本的な認識を得るためには最適である。データも充実している。こういう議論が増えてくれたら嬉しいのだが、「コミュニケーション」に関しては語る側の感情的判断基準が先行してしまうからなあ。正高信男とか(ついでに本書において辻大介氏がこの疑似科学者を批判している)。

 16:竹内薫『世界が変わる現代物理学』ちくま新書、2004年9月
 「世界が変わる」とは、要するに「世界の見方が変わる」ということらしい。現代物理学が「モノ」から「コト」に変化しているということを、アインシュタインの特殊相対性理論を出発点として、更に量子論や、科学史における実在論と実証論のせめぎ合いを手がかりに解明していく本。「世界の見方」を捉え直す上では絶好である。

 17:秦郁彦『南京事件』中公新書、1986年2月
 南京事件に関する実証的な研究で、この虐殺を語る上ではぜひとも読んでおきたい一冊。本書は中国などが主張する「被害者30万人」という主張に対し、「被害者約4万人」と結論付けている。ちなみに著者は現在「新しい歴史教科書をつくる会」に近い立場にいるが、それでも「虐殺」という記録を消したがる(「虐殺はなかった」と主張する)一部の跳ね上がりの存在は残念に思っているらしい(藤生明「ナショナリズム高揚地を歩く」=「AERA」2005年2月14日号、朝日新聞社)。

 18:森岡孝二『働きすぎの時代』岩波新書、2005年8月
 近年、労働時間の短縮どころかそれが更に長くなっている、という問題に対し、それはどのような構造によって引き起こされているか、ということを解き明かした本。「働きすぎ」や「労働時間の二極化」を問題として構築して告発し、それを解決しようという意欲は買えるが、どうも「働きすぎ」に抗うために会社員個人がやるべきこと、という提言に関しては、かなり共同体主義的な匂いがするのだが。9のロナルド・ドーアの著書と是非併読したい。

 19:星浩『自民党と戦後』講談社現代新書、2005年4月
 戦後政治における自民党の流れを、自身の政治記者としての体験から綴った自民党の小史。朝日新聞社の同僚である早野透氏の『日本政治の決算』(講談社現代新書)と読み比べると面白いかもしれない。先の衆院選における自民党の圧勝は何を意味するのか。大半は小選挙区制に起因しているのだろうけれども、自民党はもしかしたら焦っているのかもしれない。

 20:本田透『電波男』三才ブックス、2005年3月
 いまや我が国の経済構造どころか思想構造まで組み替えようとしている「萌え」について、「萌え」こそが現代の救済となる!と高らかに宣言した本。既存の恋愛資本主義に毒された「世間」の価値観や、何かにかこつけて現実至上主義を煽り立てるマスコミを斬っていく様は実に痛快(特に森昭雄、正高信男、大谷昭宏、小原信、江原啓之、柳田邦男の各氏にはぜひとも読んでほしい)。ただ、総論には大賛成だけれども、各論となると、どうも論理の飛躍や暴走が多すぎはしまいか。「オタク」を狭く捉えすぎていたりとか、疑似科学に傾倒していたりとか。俗流若者論も少々見られるし。

 ワースト1:斉藤弘子『器用に生きられない人たち』中公新書ラクレ、2005年1月
 書評:「俗流若者論スタディーズVol.5 ~症候群、症候群、症候群、症候群…~
 マスコミで(勝手に)問題とされている各種事象について、「心の知識」を適用することによりそれらの問題を抱えた人を「心の病気」だと決め付けて「「気づき」のメソッド」を与えて「生き直し」を支援する、というノリで書かれた本なのだが、そのような心理学主義的プロファイリングが支配する世の中の危険性については全く触れずじまい、それどころか逆に肯定している節さえある。

 ワースト2:正高信男『考えないヒト』中公新書、2005年7月
 書評:「俗流若者論スタディーズVol.4 ~これは科学に対する侮辱である~
 関連記事:「正高信男という斜陽」「正高信男という頽廃
 平成16年12月に出版された、同じ著者によるトンデモ本『人間性の進化史』(NHK人間講座)を再構成して新書にしたもの。新しい話題が入っているかと思えばそうでもなく、ただ本筋とは関係ない余計な部分が多く加わっているだけ。テキストの執筆時点における論理飛躍や疑似科学、アナロジーの乱用、そして傲慢な態度は少しも改善されていないのが痛い。少なくとも科学が人間の断片的な情報しか提供し得ないことくらいは理解して欲しいものだ。

 ワースト3:三浦展『「かまやつ女」の時代』牧野出版、2005年3月
 関連記事:「三浦展研究・後編 ~消費フェミニズムの罠にはまる三浦展~
 どうして《かまやつ女》ではいけないのか、ということに関しては、著者の感情ばかりが先行しすぎて、論証には至っていない感じがある。感情的な書き飛ばしばかりで、まあ俗流若者論に流されやすい人ならかなりすらすら読めるかもしれないけれども、真剣な議論を期待する人にとっては極めて残念な本になるのは疑いはないだろう。

 ワースト4:三浦展『ファスト風土化する日本』洋泉社新書y、2004年9月
 関連記事:「三浦展研究・前編 ~郊外化と少年犯罪の関係は立証されたか~
 そもそも地方が豊かになってそこでほどほどの消費分化を謳歌できることがいけないことなのか、ということに関しては、著者の感情ばかりが先行しすぎて、論証には至っていない感じがある。これも感情的な書き飛ばしが目立ち、読んでいくうちに「郊外化」というテーマはだんだん脇に追われているような気がして不思議に思えてくる。少なくとも都市計画論や地方商店街の発展に関してはもっといい本がある(例えば、神野直彦『地域再生の経済学』中公新書、2002年9月)。

 ワースト5:澤口俊之『幸せになる成功知能HQ』講談社、2005年9月
 いつもながらの俗流脳科学にはもう突っ込まないけれども、まさかレイシズムの分野にまで領域を広げるとは思わなかった!

 ワースト6:杉山幸丸『進化しすぎた日本人』中公新書ラクレ、2005年9月
 正高信男の一連の疑似科学本と同工異曲。「進化しすぎた」とか言っておきながら、結局のところそれは正高言うところの「退化」と同じ。っていうかあんたは卑しくも京都大学霊長類研究所の元所長でしょ。

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