トラックバック雑記文・05年11月11日
今回のトラックバック:本田由紀/古鳥羽護/杉村太蔵/「ANOTHER BRICK IN THE WALL」/「目に映る21世紀」/鈴木謙介/栗山光司/「わにぞう日記」/「月よお前が悪いから」
このブログは、今月8日で開設1周年となりました(旧ブログも含めて)。だからといって何かやる気もあまりないのですが。でも、何かやってみようかなあ。
もじれの日々:あっぷあっぷ(本田由紀氏:東京大学助教授)
フィギュア萌え族(仮)犯行説問題ブログ版:情報ツウ:杉村太蔵議員の若者へのエールと、福岡政行ゼミ「ニート問題」(古鳥羽護氏)
現在発売中の「SAPIO」(小学館)にて、エコノミストの田中秀臣氏が昨今の「ニート」論の広がりを批判する記事が掲載されているようです。もとより現在発売中の「SAPIO」に関しては、かの曲学阿世の徒・正高信男氏が登場しているので、それを斬る目的で近々買う予定なのですが(この疑似科学者の記事が掲載されていなかったら「SAPIO」なんて買わなかっただろうなあ)、最近の話題において「ニート」という言葉によって若年層の就業構造の問題や経済的な問題が隠蔽されている。
最近ではこのような「ニート」論に対する逆襲が静かながら始まっているようです。代表的なのは田中氏と本田由紀氏、そして内藤朝雄氏(明治大学専任講師)でしょう。本田氏も、最近は「ニート」論及び玄田有史氏(東京大学助教授)への批判のエントリーが多くなっている。本田氏に関して言うと、最近ネット上で話題になっているものといえば「日本の人事部」というサイトに掲載されたインタヴュー「働く意欲のない「ニート」は10年前から増えていない」ですが、本田氏は若年の就業の研究に携わってきた立場から、主として社会構造の視点から「ニート」論を批判している。
一方、内藤氏は、社会学的な立場から批判を加えています。内藤氏による「ニート」論批判に関しては、「図書新聞」平成17年3月18日号か、現在発売中の「10+1」(INAX出版)を読んで欲しいのですが、内藤氏による「ニート」論批判の論点は、「ニート」論が我が国においては社会構造の問題ではなく青少年の心理的な問題として受容されてしまっていること、「いい年して働かない奴」「親の金を食いつぶして遊びほうけている奴」は「金持ちの道楽息子」みたいに昔からいたのに、なぜか最近になって突然問題化されるようになったこと、そしてこのような「ニート」論の広がりが様々なことを隠蔽し、大衆の憎悪を煽り立てて国家主義的な策動が支持されてしまうことなどが挙げられます。
これらの議論に加えて、私は「自立」ということがなぜか絶対視されている、ということを付け加えてみたいと思います。山田昌弘氏(東京学芸大学教授)の「パラサイト・シングル」論に始まり、昨今では「自立しない」=悪、という図式がまかり通っている。正高信男に至っては、「自立しない」=サル、なんてことを言ってしまう始末です。しかし、これほど経済状況が悪化しているのであれば、「依存」というのも一つの手段、あるいはライフスタイルとして認められるべきではないかと。この「自立」を絶対視した「ニート」批判、という歪みは、元々「ニート」という言葉を輸入した玄田有史氏から始まっており、玄田氏は最近出た本(『働く過剰』NTT出版)や「中央公論」の連載コラムにおいて、「家事手伝い」をなぜ「ニート」と呼ばなくてはならないか、ということについて「家事手伝い」は家庭に縛り付けられて「自立できない」存在である、だから「ニート」であるということを言っている始末。
ある意味では、「ニート」論の歪みは、そのまま我が国における若者論の歪みのヴィヴィッドな反映といえるかもしれない。
参考までに、私のブログのエントリーで「ニート」について言及したものもいくつか挙げておきます。
「統計学の常識、やってTRY!第4回&俗流若者論ケースファイル42・弘兼憲史」
「俗流若者論ケースファイル43・奥田祥子&高畑基宏」
「ニート」論がらみで少々宣伝しておきますと、本田氏と内藤氏が来年の年明けに出す本に関して、私も執筆者の末席に加わることになるかもしれません。今は原稿のやり取りの真っ最中なのですが、とりあえず私は巷の「ニート」論を分析・検証する立場、ということで。
本田氏といえば、今月末あたりに「ハイパー・メリトクラシー社会化」(大雑把に言えば、「人間力」みたいなことを喧伝する社会のことらしい)に関して述べた本が出るそうなので、こちらも注目しておきたいところです。
何か勘違いしている人を発見。
杉村太蔵ブログ:「杉村太蔵が聞きたいっ!」開催のお知らせ(杉村太蔵氏:衆議院議員・自民党)
まず書き出しにびっくり。「我こそはフリーター、我こそはニートという皆様へ」ってなんですかぁ。そこまで堂々と言える人がいるんかいな。しかも杉村氏は、このエントリーにおいて、フリーターなり「ニート」なりをどうもポジティブに捉えすぎているのではないかという気がする。そもそもこの人、自分のことを「フリーター・ニート世代の代表」みたいに吹聴しているみたいですが、そもそも自分を「ある世代」の代表に置くこと自体が間違いなのではないか。そもそもそのような宣伝は、ある意味では上昇意識の低いフリーターや「ニート」を置き去りにしてしまう、という危険性もなきにしもあらず。
もっとも、市民の声を聞こうとする態度は評価できますが。その点において、最近公開した「総選挙総括:選挙「後」におけるメディアの頽廃に着目せよ」で紹介した、竹中平蔵氏のブログのこいつぁアホかと思わず天を見上げてしまうようなエントリーよりは遥かにマシ。杉村氏は、またある意味ではですが、今後大化けする可能性はかなり高い。一回会って話をしてみたいが、私は仙台在住だし、授業もかなり忙しいし。成人式実行委員会の仕事も詰まってきたし。
ANOTHER BRICK IN THE WALL:国民運動に参加した芸能人について
目に映る21世紀:「若者の人間力を高めるための国民運動」と、「若者の人間力を高めない非国民運動」
「若者の人間力を高めるための国民運動」。これこそ「何か勘違いしてるんじゃないか」の典型例かな。こういうのを杉村氏は目指しているのかどうかは分かりませんが、少なくともこういう歪んだ「希望」を与えることによって、目の前の問題が解決するかのごとき錯覚を与えることはやめて欲しい。こういう「人間力」喧伝って言うのは、ある意味においてカルト宗教的かもしれない。「人間力」向上による「解脱」を説く点において…。
SOUL for SALE:格差バブルと下層の論理(鈴木謙介氏:国際大学グローバル・コミュニケーション・センター研究員)
千人印の歩行器:[ネット編]文明の背後に野蛮が潜んでいる(栗山光司氏)
なんか最近「下流社会」みたいな議論が大流行ですが、私がどうもこの議論の後ろに胡散臭さを感じずにはいられないのは、こういう議論が、結局のところ単なるマーケティング的カテゴライズ及びそこから来る空疎な若年層バッシングにしかなりえないということ。その点においては、「下流社会」は本質的に「ゲーム脳」「ケータイを持ったサル」みたいな疑似科学的レイシズムと変わらないのかもしれない。私が何故こういうことを言えるかというと、それは本書、及び本書に対する書評(金子勝、吉田司、松原隆一郎の3氏。そしてこの3氏の「下流社会」評が掲載されているメディアが全て朝日新聞系だというのがこれまた興味深い)を読んで、結局のところ『下流社会』(光文社新書)の著者・三浦展氏と金子・吉田・松原の3氏が、最終的には若年層を危険視、あるいは蔑視していたことです。
金子氏と松原氏は信頼できる書き手なのですが、「下流社会」論への肩入れを見てかなりがっかりしました。金子氏については、先ほどリンクを貼った総選挙総括を参照してください。
我々は若年層を「説明」するための「便利な概念」を手に入れすぎたのではないか。「下流社会」「ゲーム脳の恐怖」「ケータイを持ったサル」はその典型ですが、我々はこのような「便利な概念」を手に入れすぎたことによって、それらに束縛されるようになった。そして、「理解できない」若年層の行動に対して、森昭雄や正高信男などといった扇動屋の言説に「癒し」を求めるようになった。このような「癒し」の行方、またはこれらの扇動言説がレイシズムにつながる可能性も見ないで。
「文明」というのが、「自己」と「他者」の線引きを強化し、「他者」に対してなら何をやってもいい、ということにつながるなら、それこそ「文明の超克」が必要なのではないか…って、ちょっと言いすぎたか。とりあえず、インターネットやテレビゲームに「はまっている」人たちは年収が低くて、それゆえに差別的言動に走ったり自民党を熱狂的に支持したり、という論理は偏見だ、ということを言っておきたいっ!
わにぞう日記:戦後教育のせいで子供はおかしくなったのか?
全面的に同意します。このエントリーの議論は、戦後教育なるものを批判する人たちが、青少年・若年層を過剰に貶めることによって、現代日本人を自虐している、という論理の錯誤というものですが、私がかねてから思っていたことをうまく文章化してくれています。
すこし飛躍するのだが、「自虐史観」をしばしば非難する論者たちが、現代日本社会に対してはきわめて自虐的な議論を好んで用いていることが気になっている。現代日本において、日本人も若者も堕落しきっていることを口を極めて指摘し、そのような彼らにかつての戦争の時代の国民や若者を非難する資格があるのか、と問いかける。多くのまじめな人がこの問いかけに影響を受け、現代日本の現状へのうしろめたさもあって、歴史への批判をみずから封じ込めているようにみえる場合がある。これは実は現代日本人の直接的自虐である。現代の日本人・少年を否定することにより、戦争中のある種の青春を天まで持ち上げるのだ。また、自虐=自己否定の焦点は何故か、自由や人権・個人の尊厳の尊重といった近代民主主義の原則、あるいは戦後民主主義そのものに向かうのである。この手の自虐の構造あるいはメカニズムも、どうも気になって仕方がない。
もっとも私は、このような議論の錯誤は、青少年と戦後教育を口走る人が、自分は「戦後」の人間ではない、悪としての「戦後」を脱した「正しい」人間なんだ、と錯覚していることから始まっていると思うのですが。
フィギュア萌え族(仮)犯行説問題ブログ版:板橋両親殺害事件「あんな単純な理由で殺したと思われたくない」マスコミが理由全部に触れない違和感(古鳥羽護氏)
こういう報道が蔓延するのは、結局のところ、背景にある特殊な事情を無視して、このような突発的事件を「どこでも起こりうる事件」に仕立て上げ、不安をあおりたいだけなのかもしれませんね。そういう報道に、断固として「NO」と言っていきましょう。そもそも少年犯罪はピーク時に比べてかなり低い水準を推移しているのですから、なぜ犯罪が「起こらないか」ということを検証すべきではないでしょうか。
月よお前が悪いから:[規制]恐れていたことが現実に
児童ポルノを持っているだけで、犯罪を起こしていないのに犯罪者扱いですか。そもそも「何々を持っているからこいつは犯罪を起こす可能性が高い」というのは、「良質な文化」みたいなものを国家が規定してしまう可能性がある。更にそれを通り越して、国家が「理想的な日本人」を規定してしまう可能性がある。
広田照幸『《愛国心》のゆくえ』(世織書房)という本において、国家が「正しいコドモ」を規定すると、ゆくゆくは「正しいオトナ」も国家によって規定されかねない、という議論がなされていますが、そういう点に無関心であってはいけないと思います。
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コメント
ガールズチャット,チャットレディー思っていたより楽しいですよ♪
いろんな人とおしゃべりできるから雑学いっぱいで稼げちゃうしね♪
投稿: ayame | 2013年5月 7日 (火) 17時14分
まだ、子供が小さくて家から出られません。お話ししたくて堪らなくなると携帯のチャットでお話しします。
投稿: 在宅 | 2013年5月21日 (火) 15時45分
2013年アイドルオーディション!
今すっごく話題になってるよ!!
一度でいいからまるきゅーで放送されてみたいよね♪
投稿: オーディション | 2013年6月10日 (月) 14時15分
ふっと、一人ぼっちの夜は、ついついチャットでお話して寂しさをまぎらわします…。あなたはどうですか?そんな時はありませんか?
投稿: チャットレディー | 2013年6月18日 (火) 12時29分
副収入のつもりで始めたんだけど、いろんな人とのチャットが楽しくってついつい朝が明けてしまうことがあります。
投稿: 携帯アルバイト | 2013年6月25日 (火) 14時51分
デビューするまで絶対にあきらめない!
ほんの少しでも可能性がある限り挑戦するって決めたから(>_<)
こんな私を応援してくれる人のためにもがんばるぞー!
投稿: デビュー | 2013年7月 1日 (月) 14時59分
アイドルの卵ってなんか良くないですか。アイドルを目指してる子ってたくさんいるんですよ。こんな時代だからこそ頑張ってる彼女たちがより輝いて見えます。
投稿: 美少女 | 2013年7月 8日 (月) 17時13分