総選挙総括:選挙「後」におけるメディアの頽廃に着目せよ
竹中平蔵氏の公式ブログで、「◆政局マニア系◆ フリーターと新しい自民党との革命的可能性(1)」なる記事があり、そこで《 20代自身の「9.11総選挙総括」が期待されるところです》と書かれていたので、私が総選挙の約半月後に書いて、「論座」に投稿して没になった原稿をトラックバックしておきます。
ちなみにこのエントリーの書き手(おそらく竹中氏ではない)は、このエントリーにおいて《 ここには、小泉総理と若い層が「真ん中」の層をサンドイッチにして「文化大革命」をしかけている、という新鮮な構図が》などということを書いておられますが、この論文でも紹介した、平成17年9月28日付の読売新聞の調査でも、若年層で自民党に投票した割合はせいぜい約45%と出ているので、若年層が自民党を積極的に支持した、ということはあまり言えない。
結局のところ、この書き手も、自分たちが若い人たちに支持された、と主張することによって、自己満足を得たいだけではないかと思われます。
このエントリーの書き手は、主として左派による若年層批判を採り上げていますけれども、若年層を過大視して、他の要因を見誤っている、という点では同じ穴のムジナです。
そもそもこの書き手は、自民党参議院議員の世耕弘成氏が、今回の総選挙のメディア作戦に関して「論座」平成17年11月号において「全てセオリー通り」と語っていることをいかに説明してくれるのでしょうか。
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1・東京新聞の若年層バッシング
平成17年9月11日の、自民党の「歴史的大勝利」で終わった衆議院議員総選挙の結果を、私は東京で知った。9月12日のことだ。というのも、私は9月12日から15日にかけて、東京と名古屋に旅行に行っていたので、11日の深夜に仙台を出発するバスに乗って、12日早朝に着いた。そしてコンビニで東京新聞を買い、ホテルに入って、荷物を預けようとしたところ、私が泊まるべき部屋が丁度空いていたので、早めにチェックインを済ませてもらい、私は部屋で2時間ほど仮眠を取った。
その際、私が気になっていたのが、その東京新聞の記事における、評論家の吉武輝子氏の談話であった。吉武氏は、今回の総選挙に関して、《イラクへの自衛隊派遣を見ても、本来は憲法を変えるかどうか、戦争ができる国にするかどうかが問われる選挙だった。だが(イラク派遣は主な争点とならず)郵政民営化に反対する政治家に「刺客」を立て反対は認めない首相の手法に争点が当たり、アナウンス効果に乗りやすい若い層に影響を与えた。行きつく先が「がけ」かもしれないのに、若者は笛吹きがうまい人に黙って付いていく雰囲気があり、平和憲法改正への動きが進むのではないか》と語っていた。どうして吉武氏はここまで若年層を見下したような視線で物を語れるのだろうか。もしこの選挙戦においてアナウンス効果が自民党の「歴史的大勝利」をもたらしたのであれば、まず批判されるべきはそのアナウンス効果を煽り立てたメディアではないか。それなのに吉武氏はその点を考慮せず、若い世代だけを叩いている。
同様の論調は、13日付の同紙で更に強くなった。同紙は、特集面の「こちら特報部」という欄で、「自民寄りくっきり 20代のココロ」なる記事を書いていたのである(大村歩、浅井正智[2005])。自民党を支持することさえ《ココロ》の問題かよ、と私は半ば呆れて読んでいた。この記事においては、今回の総選挙で自民党が「歴史的大勝利」を収めたのは、小泉純一郎という「強い存在」に憧れて、思考停止で支持し、投票したからだ、というスタイルで書かれており、これも若い世代ばかり問題化して、それ以外の要因を全く無視した記事であったとしか言いようがない。特に私が笑ったのは、日本青少年研究所所長の千石保氏の談話である。千石氏は、「改革を止めるな」という自民党のキャッチフレーズは「若者言葉」だ、と断定する。その根拠は《元気がいい。ただし中身は問われていない。まさに流行だしファッションなんだが、ある意味小泉首相自身が若者化していると思う》(大村、浅井、前掲)だということらしい。この談話において、「若者」という存在が、「流行に簡単に飛びつくが、その内実を考えない」存在として貶められているのは明らかだろう。第一、《元気がいい。ただし中身は問われていない》というのを《若者言葉》の定義と刷るならば、若者論にこそそのような言葉が溢れているのだが(例えば「ゲーム脳の恐怖」とか)。
また、この記事においては、北海道を除く全ての地方において、20代が自民党に多く入れたのだ、という調査の結果を載せている。しかし、どれくらいの割合の20代が自民党に投票したのか、ということは一切書かれていない。
2・朝日・毎日の若年層バッシング
そして仙台に帰ってきてから調べたところ、他の新聞でも、今回の投票結果を若年層のせいにする論調がちらほらと見られた。例えば平成17年9月13日付の毎日新聞においては、神戸女学院大学教授の内田樹氏が、総選挙の総括を書いていたのだが、その毎日新聞の記事に更に加筆した「勝者の非情・弱者の瀰漫」という文章において、内田氏はそこで若年層の投票行動を問題化している。曰く、
小泉首相のこの「先手必勝」の手法には若い有権者に強くアピールする要素があったように思われる。それは「負け犬を叩く」という嗜虐的な傾向である。
自民党の若い公募候補たちが党公認を得られなかったベテラン政治家を次々と追い落としてゆく風景に若い有権者はひそかな快感を覚えたはずである。
「弱者は醜い」、「敗者には何もやるな」。これが今回の選挙を通じて小泉首相が有権者に無言のうちに告げたメッセージである。そして、この「勝者の非情」に有権者たちは魅了されたのである。(内田樹氏のウェブサイトから)
と。なぜ内田氏は《若い有権者》をしきりに問題化するのか、最後まで読んでも分からなかった。おそらく今回の選挙において投票率が7%以上も上がったことから、これまで選挙に行かなかった若年層が投票に行ったのだ、と錯覚し(なぜ「錯覚」と断定するのかは、後に述べることにする)その若年層の多くが自民党に投票したと内田氏は感じ取ったから、このような論理を述べたのであろうか。しかし、この文章にも、先に引いた東京新聞の特集と同じように、若年層を過度に貶めるような論調が出ていることは否めないだろう。
同じような、今回の衆院選において若年層を問題化する言説は、朝日新聞にも出ていた。慶応義塾大学教授の金子勝氏は、平成17年9月28日付の朝日新聞「論壇時評」で、東京大学助教授の玄田有史氏の文章を引いたあたりから、《では、この大量のフリーターやニートを抱える20代は、どのような投票行動をとったのか》(金子勝[2005])と切り出す。そして金子氏は、民間コンサルタント代表の三浦展氏の最新刊『下流社会』(光文社新書)を引いて、《現在の生活を楽しもうとする、この若者たちの心象風景には、社会どころか家族さえ見えてこない》(金子、前掲)などと書いている。しかし三浦氏のプロファイリング(例えば《パソコン、携帯電話、テレビゲームを持ち、「しばしば非活動的で、ひとりでいることを好む」》というもの)が、ある種の偏見(ここで引いた文章で言うと、この三浦氏のプロファイリングには、パソコンや携帯電話、テレビゲームの所持者は内向的で、人とのコミュニケーションを拒む頽廃した人間である、という偏見)に基づいていることを忘れてはいけないと思う(そもそも同書においては、なぜ《下流》ではいけないのか、ということが説明されておらず、著者の感情が先走っているように思える)。
3・現役20代のささやかな疑問
さて、これらの、総選挙の結果を若年層のせいにする言説において、私にはいくつもの疑問が浮かんでくる。
一つは、今回の衆院選における投票率が前回の衆院選に比して7%以上上がったということは事実として存在するのだが、果たしてそのうちどれくらいが若年層なのか、ということ。世代別の投票率に関しては、「明るい選挙推進委員会」がまとめない限り分からないのだが、少なくとも東京新聞や打ち出し、及び金子氏が文章を書いた時点では、そのことはまだ分からない、ということだ。参考になる資料があるとすれば、高知新聞社のウェブサイトにおいて、若年層の投票率が前回衆院選の約24%だったのに対し今回は約42%と、およそ18ポイントほど上がった、ということが挙げられよう。しかし、全国において20歳代の投票率が仮に20%上がったとしても、そこで新規に得られる票数は約320万票であるが(この推計には総務省統計局の推計人口を用いた)、今回の総選挙で投票率の増分に相当する票数は小選挙区が約857万票、比例が約871万票であり、また全体の票数は小選挙区が約6780万票、比例が約6800万票なので、こと若年層ばかりを責めることはできないのではないか。
また、一体どれほどの若年層が自民党に投票したか、ということもここでは触れられていない。ここで参考になるのは、平成17年9月28日付読売新聞に掲載された、比例でどの政党に投票したか、という調査であろう。それによると、20歳代は、およそ45%が自民党に投票した、と答えている。しかし、これは他の世代と比べてみると、これは40歳代に次いで2番目に低い数字であり、一番多いのは60歳代で、およそ53%が自民党に投票したという。これはあくまでも調査の結果であり、実際に投票行動を調べたわけではないのだが、それでも若年層の多くが自民党を支持した、と考えるのは難しいようだ。
そもそも、データが不十分なうちに、若年層を「敵」として、こいつらが馬鹿だから自民党が勝ったのだ、と断定するのは、若年層に対する差別に他ならないか。
4・「小選挙区制」「公明党」は聖域なのか
実際問題、この選挙においては、これらの論者が触れようとはしない、いくつかの大きな問題が横たわっているようだ。
例えば小選挙区制。前回衆院選においては、小選挙区における得票率は自民党約44%、民主党約37%だった。しかし今回の衆院選では、自民党約48%、民主党36%と、民主党が微減したのに対し、自民党も微増程度だった。しかし議席は、ご存知の通り自民党は219議席、逆に民主党は52議席と、大きく差が開いた。これこそが小選挙区制のなせる業、というべきではないだろうか。要するに、小選挙区制度というものは、少しでも多くの人を見方に付けることができれば大幅に議席を伸ばすことができるが、逆に多くの民意をないがしろにしてしまう。そのような小選挙区制の特徴や恐ろしさを、自民党の「歴史的大勝利」という結果によって我々は学ぶことになってしまった、というのが、少なくとも今回の選挙の本質の一つになっているのではないか、と思えてならない。この事実は、逆に次回の選挙で民主党の宣伝戦略が成功したら大幅に議席を巻き返せる、ということも表しているのだが、それよりは現行の選挙制度の歪みを指摘したほうがいいような気がする。
また、今回の選挙において、自民党と公明党の選挙協力が明白になり、この2党はもはや切っても切れない関係になったということが一部で指摘されている。多くの自民党からの出馬者が「比例は公明党に」と演説したのは有名な話だ。各種調査においても、例えば平成17年9月30日付読売新聞に掲載された分析によると、公明党を推薦した人の約8割が小選挙区で勝利したり、また公明党の票が7割消えると自民党の出馬者が58人落選するなどという調査結果が出ている。若年層の投票行動に対しては口うるさく避難する人たちが、なぜこのような大きなファクターに触れようとしないのだろうか。
5・選挙分析を狂わせた「B層」的世代認識
私は、今回の選挙において、若年層を敵視する言説を読んでいると、自民党が(正確には自民党が発注したコンサルティング会社が)小泉内閣の支持基盤の一つである、小泉総理や閣僚のキャラクターを支持する層を「B層」と呼び、それらの層は「IQが低く、具体的なことは分からない」と勝手に規定し、そいつらを扇動しろ、と戦略を立てたことを知ったときと同様の気持ち悪さを覚えてしまう。「論座」編集部の高橋純子氏は、《小泉総理のキャラクターを支持する層が「IQ軸 Low」に位置づけられていたという事実は、覚えておきたい》(「論座」平成17年11月号「編集手帳」)と憤っているけれども、今回の選挙戦に関して、若年層の投票行動を問題視した人たちは、同様の認識を若年層に抱いてはいなかったか。
先に上げた3つの記事の執筆者、特に内田樹氏は、小泉首相や自民党を支持し、自民党に投票した人たちを、他人に対する想像力がなく、自民党の古老の議員が次々と落選していく様に密かな快感を覚えることしかできない人物であると描き出した。それ以外の執筆者も、若年層を、ただ「強い存在」についていくだけの、思考を放棄した存在として描いている。しかし、そのようなプロファイリングは、かえって若年層の現実を見誤らせることにならないか。
もし、若年層が、金子勝氏の言うとおり、《おそらく「政治のバブル」が崩壊すれば、彼らが最も被害を受けるだろう。だが、そうなっても、彼らは今を壊してくれる強者の出現をひたすら待つしかない》(平成17年9月28日付朝日新聞)ほど追い込まれているのであれば、それこそ若年層に対する社会的支援、若年層を苦しめる社会環境の改善を訴えるべきではないだろうか。それなのに、自民党を支持した(とされている)若年層を、例えば金子氏の言うとおり、テレビゲームや携帯電話、インターネットに没頭して社会が見えなくなってしまった存在として貶めたり、あるいは東京新聞の記事で登場していた、臨床心理士の矢幡洋氏の如く、若年層を《今の二十代は、いじめ問題をくぐり抜けてきた世代で、目立てばいじめられるため角が立つことに対する恐怖感がある一方で、強い者の決断を、内容を問わずにリスペクト(尊敬)する。つまり思考放棄だ》(大村歩、浅井正智[2005])とすることによって、社会的な問題を「内面」すなわち心理的な問題に矮小化したりという行為は、結局のところ残酷な「自己責任」論にしかなりえず、若年層を馬鹿にするだけのものにしかならないのではないか。金子氏は、玄田有史氏の《「200万を越すフリーターと80万ともいわれるニートの存在、そして年間3万人を数える自殺者」を「何よりも現代日本の『苦しみ』として捉え受け止める精神が、いま求められている」》(金子勝[2005])という言葉を引く。しかしそのような人たちに対する想像力がもっとも欠けていたのは、この選挙の結果を若年層の投票行動に責任をなすりつけた人たちではないか。
6・26歳の新人議員に執着するマスコミを嗤う
このようなマスメディアにおける、選挙「後」の頽廃に関しては、テレビにおいては、今回の総選挙で比例関東ブロックで当選した、26歳の新人議員の杉村太蔵氏に対する態度として現れた。杉村氏は、例えば「議員になれば電車が乗り放題」「年収が2500万円に上がった」などという、まさに庶民の感情を表面化させたかの如き発言でワイドショーや週刊誌をにぎわせた。杉村氏に対しては、多くの人がバッシングしていたが、そのバッシングを支える構造は、「俺にもこういうことを言わせろ」とか「こんな奴を税金で食わせるなんて」みたいなものに依拠していた。しかし、結局のところ、そのような認識は、結局のところ「今時の若者」風情が浮かれやがって、というルサンチマンに過ぎなかったのではないか。要するに、自分の大事な税金を、「今時の若者」という「社会の敵」に使わせるのは許せん、という歪んだ「納税者の論理」である。このようなバッシングは、私が成人式の実務の場に関わっているからだろうが、一部の人が起こした成人式の暴動に対する「自分の税金がこんなことに使われているなんて」というバッシングや、あるいはフリーターや若年無業者に対する支援に対する、「そんなのは親が悪いんだから、逆に親から税金を取ればいい」というバッシングと重なって見えてしまう。そういう瑣末なことに汲々としている間に、例えば青木幹雄氏のヤミ献金に関する証人喚問が覆い隠されていく。
7・投票するだけでいいのか
話が少々横道にそれてしまったが、再び「選挙と若者論」の話題に戻ろう。新聞の社説やコラムが若年層の投票率を上げようとする際、必ず使われるレトリックは「若年層が投票行動に出ないと、若年層を無視した政策が行なわれるし、現在国の背負っている借金も若年層に押し付けられる」というものである。だから若年層が投票行動に出て、その存在を示せばいい、となるわけだが、しかし事態はそんなに単純なのだろうか。例えば、「ひきこもり」や若年無業者に対する支援策は、その方法論には批判はいろいろあるし、これらの活動が政治家ではなく官庁がベースになっていたことも反証の一つとして挙げられるのだが、少なくとも若年層が投票行動に出たから、という理由で行われたものではなかった。また、このような語り口には、現在の政治家の力を過小評価している、あるいは政治家の「不作為」を問いただす、という視点が欠落している。
少なくとも今回の選挙戦において、青少年問題に関しては、マニフェストを開くまでは誰もわからずじまいだったのではないか。本来であれば、そのような「争点以前の問題」を争点のレヴェルに押し上げるのは、メディアの仕事であるはずだ。しかし、今回の選挙においては、マスコミは完全に自民党のメディア戦略に乗ってしまい、そのような作業を怠った。なので、そのような作業は、ネット上で有志が行なわざるを得なくなった。このようなメディア状況の中で、仮に投票率が上がったとしても、それは「B層」がうまくメディア戦略に乗ってくれた、という文脈でしか認識されないのではないか、という気がしてならない。
投票することに意義がある、という、さも投票を自己目的化しているかのごとき言説は、既存のメディア環境における政策論争の貧困さを覆い隠してしまうことにならないか。そうでなくとも、この選挙には、わずかながらの希望が見えている。
8・希望はある
一つはネット上の選挙活動について。私は自分のブログで、主要5政党のマニフェストにおける、青少年問題に関する記述を比較して、どの政党を支持すべきか、という記事を書いたことがあるが(ちなみに結論としては、私は民主党支持を打ち出し、そして民主党に投票した)、これはネット上で表現規制や青少年の行動規制に関心のある有志がネット上で行なった活動である「選挙に行こう」に触発されたものである。この選挙活動では、特にゲームやアニメに関する表現の規制や、コンテンツ産業に対する各議員の評価を明らかにして、誰に投票するべきか、ということを書いていた。この活動は朝日新聞の週刊誌「AERA」でも以下のように紹介された。
実はネットでは今、投票用紙と鉛筆を持った大きな目の女の子のキャラ「選挙たん」が一部で人気だ。「アニメ・マンガ・ゲームに味方してくれる候補者に投票しよう」と呼びかけているホームページ「選挙に行こう」で公開されている。サイトの管理者は、説明する。
「アニメやゲームは日本の誇る文化だと言いながら、凶悪事件が起こるたびに、アニメやゲームのせいにして、規制しようとする政治家が出てくる。だからオタクこそ、世間に背を向けずに、投票に行くべきなんです」(内山洋紀、柏木友紀[2005])
ただ「選挙に行け」と尻を叩くのではなく、今どのような事態が起こっているか、そしてどのような問題意識を持つべきか、ということを認識した上で選挙に行ったほうが、投票の「質」は高まる。そのような活動が、ネット上では散見された。これはいい方向に流れれば希望となるであろう。もちろん情報は取捨選択すべきものであるから、自分なりの問題を構築することができる。少なくとも、投票が自己目的化した選挙の中では、自分が政権に「つながっている」という感覚しか満足できないし、今回自民党に投票した人の中にそのような傾向を持った人が存在することはやはり否めない。
もう一つは鈴木宗男氏のことである。鈴木氏は、北海道の自立を掲げた政党「新党大地」を旗揚げしたが、鈴木氏は北海道への利益誘導のほかに、アイヌ民族の自立や、フリーターなどの若年層に対する支援を訴えたという。結果、北海道では、特に若年層に、安倍晋三氏を上回る人気を得たそうだ。また、関東でも、自民党の大勝利により比例の議席が一つ余ってしまったが、その恩恵をあずかれたのは、公明党の議員ではなく、社民党の保坂展人氏だった。保坂氏は、青少年問題に関してブログで熱心に発言を行なっているほか、表現規制の問題に関しても規制反対の側から発言している。これらの事実は、単純化された「争点」に対する風穴を開ける存在がいかに重要であるか、ということを物語っている。
9・単純化するマスコミ
巷では、若年層を呪詛する言葉が飛び交っている。例えば、マニフェストを検証したところ、自民党、民主党、共産党が、青少年の健全育成の為に「有害」表現の規制を訴えた。特に熱心だったのは、なぜか共産党だった。他にも、巷では、若年層が無能だから社会が悪くなるのだ、という類の本が売れるようになり(『ゲーム脳の恐怖』『ケータイを持ったサル』あたりはその典型であろう)、若年層が凶悪化している、といった説が大手を振ってまかり通る。我が国においては、若年層は既に「わかりやすい」ヒール(悪役)としての役割を背負わされている。しかし、そのような「わかりやすい」言説設定の裏で、本当の意味での弱者は永遠に世間と経済に押しつぶされ続ける。本来であれば、そのような人たちを支える政党や候補者が必要であった。あるいは、そのような人たちに対して福音となるような候補者をマスコミは探すべきであった。
もし、誰かが自分では再起できないほど打ちひしがれているのであれば、誰かが救いの手を差し伸べなければならない。誰かが声をあげるチャンスを探しているのであれば、それに手を貸すことが良心であろう。最近の言説は、そのような人たちに対して、お前が悪いのだと唾を吐きかけ、世間に対してはこいつらは病的だ、退化しているなどといって本当の意味での関心を逸らしている。マスコミも政治家も、そのような「強者の論理」「自己責任の論理」から一歩引いた人が出てくることを、私は期待するほかない。
そのために、まず、若年層を「B層」扱いすることはやめにしないか。
若年層を「B層」と呼んで恥じない態度こそ、独裁者への支援なのだから。
参考文献・資料
内山洋紀、柏木友紀[2005]
内山洋紀、柏木友紀「オタクと独身女の選挙」=「AERA」2005年9月12日号、朝日新聞社
大村歩、浅井正智[2005]
大村歩、浅井正智「自民寄りくっきり 20代のココロ」=2005年9月13日付東京新聞
金子勝[2005]
金子勝「論壇時評 政治のバブル」=2005年9月28日付朝日新聞
石田英敬「「テレビ国家」のクーデター」=「論座」2005年11月号、朝日新聞社
谷口将紀、菅原琢、蒲島郁夫「自民にスウィングした柔らかい構造改革派」=「論座」2005年11月号、朝日新聞社
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コメント
>2・朝日・毎日の若年層バッシング
のような項目入れたら投稿してもそれは条件反射で撥ねられますよ。
おそらく反・若者論(反という類のものではなく、真っ当な俗若者論に対する批判だとしても)を受け入れられる既存メディアはないと思います。それこそ、前回の選挙で右から左、与野党の区別なく青少年を取り巻く環境に対する対策を打ち出したように。
プランクではありませんが、一度考えをもった上の世代が翻意することを期待するのではなく、さっさと棺桶に収納されることを祈るしかないのでしょう。
投稿: 遊鬱 | 2005年11月 7日 (月) 20時49分
>受け入れられる既存メディア
多少なりとも可能性がありそうなのは週刊プレイボーイ(集英社)と月刊サイゾー(インフォバーン )ぐらいですか…。
まあその他はどうにもならないか…。(新聞系の朝毎読産の週刊誌やオピニオン誌はどうにもならないし、文芸系の文春や新潮も駄目。小学館や講談社もねえ…。)
投稿: hts | 2005年11月10日 (木) 23時42分
なかなか参考になりました。
今後とも期待しています。
投稿: 大津留公彦 | 2005年11月11日 (金) 08時49分
NHKの世論調査だったっけ、若い世代が自民党を支持していた、というのが割とはっきり出ていました。「放送研究と調査」誌の最近号に載っています。
投稿: す | 2005年11月24日 (木) 23時11分