俗流若者論ケースファイル76・三浦展
緊急特集として、最近の児童が被害者となる犯罪を取り扱った若者論を検証しようと思ったのだが、前回採り上げた、民間シンクタンク研究員の三浦展氏がまた若者論を展開していたので、こちらを優先して採り上げることとする。三浦氏の論説が掲載されたのは平成17年12月27日付の読売新聞、「信頼喪失社会を語る」という連載の第1回として掲載されている。ここでは、三浦氏のほかに、東京大学教授の中尾政之氏の論説も掲載されていたのだが、中尾氏の理論は、「技術のブラックボックス化」という視点から所謂「姉歯問題」などを論じていて、読ませる論考であった、少なくとも最近建築環境から建築構造に興味が移りつつある私にとっては。
閑話休題、なぜ私が三浦氏の論説を採り上げたかというと、三浦氏の論説には、飛躍した断定が多すぎるからである。はっきりいって、この文章――正確には、読売新聞生活情報部の伊藤剛寛氏が三浦氏にインタヴューした内容を文章に起こしたものなのだが――全体が推論で成り立っているようなものだ。
例を挙げてみよう。三浦氏は昨今の「ファスト風土化」なる現象について述べているが、三浦氏の立論にはかなり疑問が多い(その点に関しては、「三浦展研究・前編 ~郊外化と少年犯罪の関係は立証されたか~」を参照されたし。誤解がないように言っておけば、私は地方が空洞化していることには問題意識を持っているが、少なくとも「今時の若者」をさも郊外化の鬼胎の如く扱う三浦氏の態度はアンフェアだと思っている)。例を挙げてみる。
ファスト風土化は、農村や商店街といった古いコミュニティーを破壊している。しかし、ファスト風土事態は新しいコミュニティーを作っているとは言えない。流動化し、匿名化した空間では、コミュニティーの基礎である人間同士の信頼関係を築くことは難しいだろう。
こうした地域社会の流動化と匿名化が、若者の心理にも影響を与えていると思う。パソコンや携帯電話などの新しいメディアが急速に普及してきたために、情報だけは増大しているが、地域社会の崩壊とともに、実体験はどんどん減っている。そういう生活環境では、地に足の着いた現実感覚は生まれにくい。現実の世界を、まるでゲームの世界のように見る人間が増えてもおかしくない。
2年ぐらい前に、不二家の人気マスコット「ペコちゃん」の人形を幹線道路沿いの店舗から盗んで、ネットオークションで売ろうとする事件があった。いささか冗談めくが、ペコちゃんを盗むのと、幼児の連れ去りが同じような感覚で行なわれている気がしてならない。
日本人は、人形はもちろん、針のようなものであっても、あたかも命があるように大切にし、使い終われば「供養」してきた。ところが、今は、人間にさえも「命」の感覚を持ちにくい人間が増えてきたのではないかと不安になる。(三浦展[2005]、以下、断りがないなら同様、強調引用者。引用部分は2~5段目)
ご覧の通り、最近の事件に関して、最低限の過去の事例も調べようとせず、報道で喧伝される情報と自らの立論だけで物事を語っている。しかし、警察庁の犯罪統計書によれば、小学生未満の子供が被害者となる殺人事件の件数は、少なくとも「ファスト風土」化が進展しておらず、地域コミュニティーの繋がりが強かった「はず」で、また人々が人に限らず物にも畏敬の念を抱いていた「はず」の時代に比して、地域コミュニティーが瓦解すると共に人間にさえも畏敬の念を抱かなくなった現在のほうがおよそ4分の1に減少している(「少年犯罪データベース」による)。
そもそも三浦氏の主張の根幹には、旧来のコミュニティーに対する無根拠の信頼がある。すなわち、三浦氏の理想とするコミュニティー、すなわち《人間がただ消費だけをしているファスト風土ではなく、人間が働きながらつながりあう場としての地域社会》(8段目)こそが「人間」を育てるのであり、そうでないもの(「ファスト風土」!)は「人間」を育てない、というものである。このような認識は、端的に言えばそれこそ「若者の人間力を高めるための国民運動」的なもので、要するに自分と違った「異常な」環境で育った者たちは、必然的に――自分の自意識の反映でしかない――「人間力」が劣る、という認識である。
三浦氏の議論の中心にあるのはどうやら「コミュニケーション能力」であるといえる(三浦氏の「下流社会」論にしろ、三浦氏の問題視している「人生への意識の低さ」の一つとして「コミュニケーション能力の低さ」が含まれている)。しかし、このような「コミュニケーション能力」を中心に据えるような議論は、むしろ「コミュニケーション能力」の低い人に対する「寛容」を失わせる、という議論も存在する。例えば東京大学助教授の佐藤俊樹氏は、昨今の「コミュニケーション能力」の重点化という現象を、「「ガリ勉」の絶滅」というコピーを用いて、「コミュニケーション能力」が前面に出てくるのと同時にサーヴィス産業の比率が高まってくると、何かに必死に追い立てられるが如く勉強をしている人は「能力がない」と評価されがちになる、と論じている(佐藤俊樹[2003])。三浦氏の言う「地域社会の再評価」は、かえって「コミュニケーション能力」に劣り、どこの共同体にもなかなか属しづらい人たちの行き場所を失わせるのではないか、という懸念が尽きない。
三浦氏が「地域社会」を再評価せよ、というのは、結局のところ東京大学助教授の本田由紀氏の表現を用いれば《もう若者の何だかよくわからない「心」などをとやかく言っていてもはかどらない、と焦れ、「早寝・早起き・朝ごはん」、「生活リズム」、「挨拶」などの外面的な、非知的なところで型にはめる方が手っ取り早い、という考え》(本田氏のブログ「もじれの日々」のエントリー「心から体へ」)を満たしてくれる存在としての「地域社会」に期待しているからかもしれない。そこには、青少年の「逸脱」を受け入れてくれるカウンター・コミュニティーの存在など、ない。
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三浦氏関連で、もう一つ採り上げたい発言がある。
朝日新聞社の週刊誌「AERA」は、平成15年12月29日・平成16年1月5日合併号から、コンビニで売られている最新の食品を採り上げた「Go! Go! Junkie」という連載を行なっており、平成17年の初夏には「Go! Go! コンビニライフ」という増刊号も出している。「コンビニ」はは、「AERA」にとって最近の関心事の一つとして捉えることもできる。
その絡みとして、同誌平成17年8月15・22日合併号において、ライターの吉岡秀子氏が「若者がコンビニ離れ」という記事を書いている。そこにおける三浦氏の発言に注目してみよう。
若者の消費行動に詳しいマーケティングアナリストの三浦展さんは、コンビニよりも若者の行動の変化に注目する。
ある研究所の調査では、一人暮らし20~25歳未満の男女約700人のうち4割近くが休日でも外へ出ず、5時間以上もパソコンに向かっている。また、フリーターの増加で可処分所得が低下し、コンビニの価格も高いと感じている。
「パソコン、プレステ、ページャー(端末)、ペットボトル――この4Pが今の若者の“4つの神器”。メシくう時間に時間を忘れてドリンクを片手にチャットしている。コンビニに行かないのは、お金もないし、引きこもっているからでしょう」(三浦さん)
(吉岡秀子[2005])
笑いを取りたいのであろうか。ここまでさらっと言い切れる三浦氏の、若年層に対する偏見も、相当に問題化されるべきだと思うけれども。そもそも吉岡氏は「ある研究所の調査」なるものに関して、どのような手法を用いて行なわれたのにも着目していないが、三浦氏もパソコンでチャットをするのが退廃的だ、と捉えている節もある。そもそもフリーターの増加で可処分所得が低下しているのであれば、フリーターと正社員の格差を問題化すべきではないかと思うのだが。私の三浦氏に対する疑問は尽きない。
参考文献・資料
広田照幸『教育には何ができないか』春秋社、2003年2月
本田由紀『多元化する「能力」と日本社会』NTT出版、2005年11月
三浦展[2005]「背景に画一化、階層化」=2005年12月27日付読売新聞
森真一『自己コントロールの檻』講談社選書メチエ、2000年2月
佐藤俊樹[2003]「「ガリ勉」の絶滅は新たな不平等社会の象徴だ」=「エコノミスト」2003年9月30日号、毎日新聞社
吉岡秀子[2005]「若者がコンビニ離れ」=「AERA」2005年8月15・22日号、朝日新聞社
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コメント
下流社会の内容は社会が成熟化(ほどほどに満足してがつがつしない生き方)したということを分析したものというくらいに軽く読み飛ばしていたんですけれどこの人も立派なアンチ若者論者だったんですね。
「脱アイデンティティ / 上野千鶴子/編」(http://books.yahoo.co.jp/book_detail/31638139)の三章で執筆しているんですがその内容に思わず苦笑してしまいました(そもそもこの本、編者の上野氏の問題意識が共有されておらず総て読むと何が言いたいのかよくわらかなくなるんですが)。3章だけなら既存のありふれた社会分析を除いた自説の部分は短いのでお読みいただいて研究の一助とされたしw
私の印象はようは自分のこれまでのマーケティング技法が成り立たない若者たちに対する敵意としか言いようがない(特に性行為に関する記述)。
投稿: 遊鬱 | 2005年12月29日 (木) 21時59分