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2006年2月24日 (金)

トラックバック雑記文・06年02月24日

 今回のトラックバック:加野瀬未友/安原宏美/本田由紀/木村剛/「アキバの王に俺はなる!」/「冬枯れの街」/大竹文雄/「ニート・ひきこもり・失業 ポータルネット」/小林美佐/保坂展人

 始めに、このブログの右の「参考サイト」に「ジェンダーフリーとは」と、「深夜のシマネコ」を、また「おすすめブログ」に「保坂展人のどこどこ日記」と「成城トランスカレッジ!」を追加しました。

 少々考えさせられる記事が。
 ARTIFACT@ハテナ系:[個人サイト]はあちゅう氏の発言にみる「ブロガーの病」(加野瀬未友氏:オタク文化研究家)
 自戒を込めてトラックバックしておきます。というのも、加野瀬氏の問題提起が、ネット上で文章を書いているものにとっては避けて通ることのできない問題だからです。

 加野瀬氏は、以前のエントリー([個人サイト][教育]美少女革命家はあちゅう)で触れたある文章(私も「はてなブックマーク」で呆れてみせましたが)における極めて世俗的な「憂国」的な物言いに関して、「発言したい欲望」という言葉を用いて以下のように表現しております。

はあちゅう氏の発言からは、「発言したい欲望」によって、ただ単に突き動かされ、私はよく知らないんだけど何か言わなといけない!という衝動にかられているのを感じる。これも「ブログ」という場所があるからこそ加速している訳で、「ブロガーの病」だろう。

 この文章を読んで、ジャーナリストの日垣隆氏の著書『使えるレファ本150選』(ちくま新書)の、カバーに書かれてある紹介文を思い出しました。

 メールやブログなど、今やだれも「書く」時代だ。せっかく書いても、それが事実に反していたり、何の新味もなかったりしたら、説得力を失うばかりか、大恥をかきかねない。

 文章を書く以上、少なくとも相手を説得するために様々な資料を用いたり、あるいは反論に耐えうるような論理を搾り出したりと、ある程度の努力はしないといけない。少なくとも、勝ち馬に乗るような言論は控えたほうがいいのかもしれません。そのためにも、まずは多くの本や雑誌やサイトを読み、様々な言説に触れたほうがいいのでしょう。私もまだまだ修行が足りません。

 もう一つ、加野瀬氏の文章で気になったところが。

興味深いのは、使っている言葉は「国民」とか「国家」とか大文字なのに、社会問題の発生をすべて個人の内面にしてしまうところだ。だから、その内面を変える方法として「教育」が出てくるのだろう。もちろん、教育も必要だが、雇用問題などはすべてすっとばされてしまう。

 これは私が現在やっている仕事と深く関わってくるのですが(あるテーマに関する共著の本。4月か5月ごろには出版予定?)、「国民」とか「国家」という(空疎な)大文字は、ある意味では自らを高みにおいて、相手をバッシングするための方便になりえているのではないか、ということを、主として保守論壇の若者論を読んで思うわけです。私は、単なる私憤を「国家」と結び付けて、(自分の理想としての)「国家」に同一化しないからお前たちみたいなバカになるんだ!などといった具合にバッシングしてしまう行為はできるだけ避けたい。また、俗流若者論は、私憤がそのまま国家論や社会論につながっている感じが強い。

 この点でもっとも繋がりが強いのはやはりこれか。
 女子リベ:少年犯罪には先進国中一番厳しい日本(安原宏美氏:フリー編集者)
 浜井浩一氏(龍谷大学教授。過去に犯罪白書の執筆経験あり)が行なった調査に関する安原氏の感想です。

 さらに少年犯罪が注目である。
 参加先進国中、少年犯罪には厳罰をもって処すべしという態度は、堂々の1位という結果である。
 ようするに、犯罪にあう確率は少ないのに、大げさで、とくに少年が罪を犯したら、「許さ~ん!」と過剰反応してしまう国となっているのである。
 浜井教授の分析についてはとても興味深いのが、そちらは本稿をあたっていただきたい。
 しかし少年になぜそこまで厳しいのかというと、やはり90年代後半からの「少年犯罪」大ブームが大きいだろう。こちらの考察分析については、わたしが編集として関わらせていただいた芹沢一也さんの「ホラーハウス社会」に詳しいのでぜひそちらを見ていただきたい。

 とりあえず、ここで採り上げられている芹沢一也氏(京都造形芸術大学非常勤講師)の最新刊『ホラーハウス社会』(講談社+α新書)は、芹沢氏の前著『狂気と犯罪』(講談社+α新書)とあわせて必読です。

 少年犯罪の「凶悪化」が云々されるようになってから、そのような議論の高まりに比例して少年犯罪は本当は凶悪化していないのではないか、という議論も生まれました(例えば、広田照幸「メディアと「青少年凶悪化」幻想」(平成12年8月24日付朝日新聞/広田『教育には何ができないか』(春秋社)に収録)、宮崎哲弥、藤井誠二『少年の「罪と罰」論』(春秋社)、パオロ・マッツァリーノ『反社会学講座』(イースト・プレス)、小笠原喜康『議論のウソ』(講談社現代新書)、など)。ただ、いまだにマスコミにおいては「少年犯罪凶悪化論」が大手を振っており、「少年犯罪凶悪化幻想論」は、マスコミではせいぜいエクスキューズ程度に使われるか、あるいは専門的な雑誌や論壇誌に掲載される程度。新書でもいくらか出ているが、それらの本がベストセラーになったという声は余り聞かない(せいぜい『反社会学講座』くらい?)。「凶悪化論」が今なお平然とまかり通っているのは、「少年は自分の世代(中高年世代)よりも凶悪であって欲しい」という世論があるからではないか、とうがった見方をしてしまいたくなる。

 浜井氏に関しては、『犯罪統計入門』(日本評論社)という本が出ているので、こちらもチェックしてみる必要がありそうです。

もじれの日々:若者バッシングに抗う本(本田由紀氏:東京大学助教授)
 本田氏が採り上げている、社会学者の浅野智彦氏らによる『検証・若者の変貌』(勁草書房)という本は、平成4年と平成14年に若年層に行なったアンケートから、昨今の若年層バッシング――例えば、礼儀を知らない、とか、携帯電話に依存することで関係性が希薄化しているとか――は本当に正しいのか、ということを検証した良書です。できるだけ多くの人に買って読んで欲しいのですが、いかんせん値段が高い(税込み2520円)。ただし、買っておいて、更に座右に置いておいて決して損のない本です。
 また、最近買った本に関しては、政策研究大学院大学教授の岡本薫氏の『日本を滅ぼす教育論議』(講談社現代新書)もお勧め。本書は、我が国における教育言説の海外との比較から、なぜわが国において「教育改革」が失敗したか、ということを検証した良書です。こちらは新書なので、値段も手頃(税込み756円)。

 更に、念願だった、赤塚行雄『青少年非行・犯罪史資料』全3巻(刊々堂出版社、1・2巻昭和57年、3巻昭和58年)もやっと手に入りました。問題は収納するスペースか…。
 とはいえ、今月の講談社現代新書の新刊で『他人を見下す若者たち』なる本が出ているからなぁ…。立ち読みでチェックした限りでは、とっとと浅野氏の本を読んで出直して来い、という代物だった。本格的にチェックしてみるか…。

 以前、ある人から、「このブログはテレビのことを採り上げない」と指摘されたことがありました。理由としては、私はテレビのニュースをあまり見ない、ということがあるのですが。

 週刊!木村剛:[ゴーログ]ニュースは作られているのか?(木村剛氏:エコノミスト)

 このエントリーを読んで、次のエントリーを思い出した。

 アキバの王に俺はなる!:子供、若者は大人の敵といったような番組を見て
 冬枯れの街:緊急大激論SP2006!“子供たちが危ない”って危ないのはあなたたちの妄想ですから!

 今月15日にTBS系列で放送された番組「緊急大激論SP2006!“子供たちが危ない”こんな日本に誰がした!?全国民に“喝”!! あなたは怒れますか?キレる子供…守れますか?こわれる子供」(つくづく長えタイトルだな)に関しては、上の2つのエントリーのほか、「2ちゃんねる」の大谷昭宏スレッド(私が2chで唯一覗いているスレッドで、現在は事実上オタクバッシング批判スレッド)と「DAIのゲーマーズルーム」を読んだのですが、いずれも評価は最悪だったなあ。私はとりあえずヴィデオに撮ってあるので、あまり乗り気ではないのですが、近いうちにチェックします。余りにひどいなら雑誌に抗議文を投稿するか。

 ただ、ジャーナリストの草薙厚子氏が、テレビで堂々と「ゲーム脳」を言った(らしい)ことにはやはり戦慄した。草薙氏に関しては、私の「子育て言説は「脅迫」であるべきなのか ~草薙厚子『子どもが壊れる家』が壊しているもの」をご参照あれ。

 新たなる問題発言登場…なのかな。

 大竹文雄のブログ:待ち組(大竹文雄氏:大阪大学教授)

 ニート・ひきこもり・失業 ポータルネット:待ち組?なんだそりゃ。
 ずいぶん前の話になってしまうのですが、小泉純一郎首相やら猪口邦子氏やらが「待ち組」なる変な言葉使ったことが批判されています。私は基本的に、大竹氏の以下の記述に賛成。

 でも、フリーターやニートの中には好んでそうなっている人もいるのも事実だが、大多数の人たちは、学校卒業時点の就職活動でうまく行かなかった人たちか、うまく行きそうにないとあきらめた人たちだ。あまりにも可能性が低かったり、何度も失敗が続くとやる気を失うのは自然ではないだろうか。就職氷河期に卒業した人たちは努力不足や挑戦しなかったというよりも、運が悪かったというべきだ。そういう人たちに「反省しろ」というのは酷ではないか。

 とりあえず、フリーターや若年無業者に対する、小泉首相や猪口氏の認識の甘さは批判されて然るべきでしょう。このような認識は、所詮はマスコミが面白がって取り上げたがるような、それこそ「働いたら負けかなと思ってる」(笑)に代表されるような「ベタ」な「ニート」像でしかないわけで。責任のある立場の人なのですから、もう少し勉強してください。

 オリンピック開催中ですが。
 ☆こばみ~だす~☆:☆おめでとう☆(小林美佐氏:声優)
 トリノ五輪で、日本勢の初めてのメダルとなったフィギュアスケートの荒川静香選手ですが、私の家で購読している読売新聞の宮城県版では、地方面で荒川氏の特集や荒川氏への応援メッセージが掲載されていたことがある。なぜなのか、と考えていたところ、どうやら荒川氏は東北高校の出身らしい。仙台のメディアが沸き立つのも無理はないか。

 この問題も見逃してはならない。
 保坂展人のどこどこ日記:共謀罪、ふたたび攻防が始まった(保坂展人氏:衆議院議員・社民党)

 今のところ我が国の政治は所謂「偽造メール」事件で紛糾中です。もちろんこの問題も悪くないのですが、共謀罪とか、少年法の改正とかにも、もう少し興味を持ってもいいのではないか、と思います。

 これからの予告ですが、少々忙しくて更新が停滞していたので、雑誌が大量にたまっております。そのため、「論座」平成18年3月号、「諸君!」平成18年3月号、「世界」平成18年3月号、「中央公論」平成18年2月号と3月号、「ユリイカ」平成18年2月号の「論壇私論」をこれから逐次公開していく予定です。

 最後に、平成18年2月24日付で「この「反若者論」がすごい!02・河北新報社説」に投稿されたコメントが、明らかに荒らしだったので削除しました。

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コメント

『検証・若者の変貌』は中立的文体(私には無理!)でたんたんとそれもいいかげんなアンケートで都合のいい補強材料を見出すのではなくきちんと統計分析を通したデータに基づいて検証をしているだけにこれが若者論の土台とならずに何が土台となりえるのかといった良書ですね。

難癖をつけたいのならばデータを追試するしかないけれどどう考えても耐えうる妥当性をもった結論ですから。まあ、それでも無視する人は無視して今までどおり脳内お花畑の主張を繰り返すんだろうけれどorz

投稿: 遊鬱 | 2006年2月24日 (金) 21時32分

少年犯罪の厳罰化の背景として、忘れてならないのは、犯罪被害者の存在です。現行の司法制度では、少年審判に被害者(の遺族)は立ち会うこともできません。加害少年の人権のみが優遇されているとの不公平感から厳罰化を望む声が沸き起こっています。この司法制度の不備により、犯罪被害者は二次被害に会います。
 これまで司法制度で不平に扱われてきた被害者たちの感情を集めて、マスコミなどで取り上げられ、犯罪被害者の会が大きな力をもつようになりました。そして、そのような犯罪被害者の置かれた弱い立場に共鳴し、少年犯罪の厳罰化に賛同している国民も多いと思います。
 このような犯罪被害者の会の方の話を聞きに行ったことがありますが、その怒りはすごいです。少年犯罪に厳罰化を望むのも無理はないと思います。また、それに同調する国民がいてもおかしくないと思います。従って、単に若者が犯罪を犯したらオヤジがけしからんと怒るのとは次元が違うと思います。
 少年犯罪の厳罰化を望む意見が多いという社会現象は、(若者/オヤジ)という区別よりも、(被害者/加害者)という区別で分析した方が適切だと思います。少年だけでなく、犯罪一般も被害者の人権という観点から観察されるようになり、犯罪者の厳罰化・監視化が叫ばれるようになったと思います。最近の性犯罪に対する世間の過剰反応もその一例です。
 従って、ある意味、犯罪者に対する厳しい最近の世論や体感治安の悪化を妄想だと否定することは、被害者の立場を否定することにもなりかねませんので、慎重に扱った方がいいかもしれません。

投稿: 露庵 | 2006年2月25日 (土) 00時23分

露庵さんに同意します。少年犯罪の厳罰化傾向は、被害者・加害者という区別で分析したほうがよいと思います。決定的だったのは、やはり犯罪被害者の「発見」です。さらに、その上に、94年以来の検挙から防犯への警察戦略の転換、そのなかでの「安全なまちづくり」路線が重なっているのが現状だと思います。

投稿: 芹沢一也 | 2006年2月25日 (土) 11時09分

>露庵様、芹沢様

お二人のお話を聞いて、釈然としないものを感じたので、自分の学のなさを棚にあげて意見させていただきます。
まず、犯罪被害者のおかれた立場に関しては確かに悲惨なものがありますし、それに対する対策が日本では全くなかったことへの批判はなされてしかるべきだと思います。
問題は犯罪被害者というカテゴライズ自体に、被害者=無謬・瑕疵のない存在という暗黙の了解があるように思われることです。
特に報道の領域でそれはあきらかです。そうであるかあらぬか、(報道する側にとって)被害者側に何らかの不都合な点がある場合は、報道されないのが通例です。例えば、1992年に少女を強姦した上、その家族をころした当時19歳の少年事件の場合、少女が家庭内で性的虐待を受けていた事実はほぼ報じられませんでした。
また、被害者の人権を訴えたのが、主として保守系のマスメディアだったと言う事実も忘れてはならない点でしょう。(例えば「週刊新潮」)人権概念が従来左派系のメディアから主として報じられていた点からみて、(かつ保守派の批判であった点から見ても)「犯罪被害者の人権」自体それまでの人権論議とはあきらかに違った質のものであるように思われます。
いずれにしても、管理人氏が懸念するとおり、「犯罪被害者の人権」と言うタームは、社会全体の保守化と何らかの形でリンクするものがあるように思われます。

投稿: 匿名 | 2006年2月25日 (土) 17時02分

私は現行の少年法および少年院法は憲法14条に違反するものであるとすら考えています。少年犯罪の件数は減っていることは確かですが、それはすなわちこれまで少年によって犯罪被害を受けた人間は完全に放置されてきたということでもあります。マスコミ報道がヒステリックであることは確かで、少年事件をさも多発化凶悪化しているかのように報道するのは誤りですが、それら被害者の怨嗟の声に耳を傾けるべきでない、少年法に指一本触れてはならないという弁護士会やアムネスティの主張には全く賛成しかねます。犯罪被害者の会の活動には怒りのあまり我を忘れた部分もあるように感じますが、頷けるものが少なからずあると思います。少年事件に限らず、刑罰の厳罰化は必要と考えますし、死刑判決に比して執行件数はあまりにも少ないことも、法のもとの平等に反していると考えるべきでしょう。
もっともこうした事件が起こるたび、安全なまちづくりという理念を目指すという機運が巻き起こりますが、そう言う研究をしても何も出てこないばかりか単なる監視社会になるだけで逆効果だろうと、滋賀県長浜市の事件の報道を見てやや悲観的になっております。

投稿: Lenazo | 2006年2月25日 (土) 17時40分

少年犯罪は凶悪化も急増もしていない。しかしながら、犯罪被害者の発見が社会の保守化・厳罰化傾向と共鳴したということだと思います。ただし、lenazoさんがおっしゃるとおり、これまでの保護主義の理念は虞犯というカテゴリーに明らかなように「予防拘束」的な側面をもっていたし、また犯罪被害者を完全に蚊帳の外に置いていたという意味でかなり問題があった。しかしながら、犯罪被害者の存在と運動はオーバーランしている側面があるし、ここが「安全なまちづくり」という名の治安共同体の構築と完全に連動してしまっています。ここは匿名さんのおっしゃるとおりだと思います。要するに、少年非行の問題はふたつの事柄を同時に考えなくてはならない。法のもとでの平等についてが一点、それからセキュリティの暴走が一点です。このふたつを『ホラーハウス社会』では視野に入れて論じたつもりです。

投稿: 芹沢一也 | 2006年2月25日 (土) 21時05分

>後藤さん

あいかわらずいいエントリーですね。

>待ち組 についてよく指摘・情報紹介してくれました。わたしなど、もうアホらしくて記事にする気もうせていたものですから。「待つ」戦略の何がおかしい? って思ってしまいます。おまけに、反省? 交通費節約したいと思ったり、疲れ果てた人が英気を養うことが、いったい誰に迷惑になるのでしょう? 結局、叩きのための叩きなんでしょうね。それを支持する選挙民も情けないですけれど。

いわゆる“人権派”の人たちは、これまで相当おかしなことをやってきました。マスコミ等によって派手に騒がれた事件から、身近な暴力事件に至るまで、おしなべて加害者に感情移入・同情し、被害者を無視するか場合によっては悪者よわばりさえする傾向があります。(公の席の発言以外に、インフォーマルな飲み会やカラオケでの会話は大変ひどいものです。)
だからといって厳罰化すれば問題が解決するわけではない。
さらに、危ない兆候を片っ端からマークしていては、簡単な計算ですが、誰もが危ない人にされてしまう。
人口のうちある種の危険グループを1%、その他の危ないグループをまた1%と異常認定し、囲い込むとしましょう。そうすれば、しまいにはほとんどの人たちが、犯罪者予備軍として監視や予防拘禁の対象となってしまいます。賛成できません。

それにしても、よく難しい問題にチャレンジされておられます。あなたの勇気に敬意を表します。

投稿: ワタリ | 2006年2月25日 (土) 21時48分

ワタリさんのコメントを見て、どうしても首を傾げざるを得ないのでコメントさせてもらいます。

>いわゆる“人権派”の人たちは、これまで相当おかしなことをやってきました。マスコミ等によって派手に騒がれた事件から、身近な暴力事件に至るまで、おしなべて加害者に感情移入・同情し、被害者を無視するか場合によっては悪者よわばりさえする傾向があります。(公の席の発言以外に、インフォーマルな飲み会やカラオケでの会話は大変ひどいものです。)

私の大学の時の指導教授は、世間様から見れば俗に言う「人権派(ナンセンスな言葉だと私は思いますが)」になると思います。えん罪や死刑など問題について積極的に発言してますし、近時の厳罰化政策についても批判的です。それは、功名心とか目立ちたいとかではなく、それまでのいろいろな研究・経験などのなかから、今の政策はまずいのではないかという考えからです。私はゼミ生のなかでも割と親しくさせてもらったと思いますが、ワタリさんが言われるような振る舞いをインフォーマルな場面においてもを見たことがありませんし、わたしたちの前ではそのような面をかくしていたとも思えません。それだけじゃ、何の証明にもならないとは言われかもしれませんが。
ワタリさんが具体的に誰らを指しているのかわかりませんし、「人権派」と世間から言われるなかで、ワタリさんの言われるような者が何%で、そうでないものは何%なんだと言われれば答えられませんが、全員がそのような者ではないです。

ワタリさんには大変不愉快な思いをさせるかもしれませんが(ワタリさんは自身の経験から問題提起されたのであり、馬鹿な雑誌によくある揶揄とはちがうと思います)、私としては、今回のコメントが、山田昌弘の「現実から逃げ『夢』にすがる若者」とか三浦展の「下流」の人間は「意欲」がないといったものと同種のレッテル貼りとも見えると思ったのでコメントさせてもらいました。

今の所、自分のプログではあつかっていませんが私も教授と同じような問題意識を持ってるので俗に言う「人権派」に括られると思います。なので、そういう言説を目にするとつらいものがあります。

投稿: coma | 2006年2月26日 (日) 00時30分

 「ホラーハウス社会」の編集をしました、安原宏美です。後藤さんエントリーありがとうございました。
 ひとつ補足させていただきます。芹沢一也氏著の『ホラーハウス社会』の解説は、犯罪被害者の処遇を真摯に世に問うてきた藤井誠二さんにお願いしました。でも、これは「両論併記」という意味でお願いしたわけではありません。
 近代法の興味は、言わば「殺し」(犯罪事実)→「殺す」(加害者)→「殺される」(被害者)とうつってきています。つまり、今後の法改正(つまり民主主義の根幹であるルールづくり)は「犯罪被害者」を中心に作られていくような流れです。藤井氏は、ある意味「犯罪被害者」が活用されるであろう「修復的司法」について、解説のなかで意義をとなえます。
 芹沢一也氏(前作の『狂気と犯罪』+『ホラーハウス社会 - 法を犯した「少年」と「異常者」たち』)+藤井誠二氏の解説は、明治からのパラダイムの変遷をふまえた、今の社会の様態について冷静な議論の提起となるものだと思っています。専門用語をなるべく使わず、契機となった思想や事件のみを抽出して書かれていると思います。

 私もこれまで、犯罪被害者の方たちの講演やお話も伺ってきております。
 彼らは、犯罪被害の実態を訴えただけではなく、論理的に少年法の思想そのものを問い直しました。その改正を求めた論拠はもっともだと考えます。「犯罪被害者の人権」という今ある言葉は、そもそもなく、彼らはただの「証拠」でしかありませんでした。
 しかしながら、現在の「子どもを守るキャンペーン」の熱意、「青少年ネガディブキャンペーン」に代表される被害者化、厳罰化する社会については、「犯罪被害者の発見」という法の世界の「事件」を語らずしては冷静に問い直すことができないのではないかと思いました。
 さらに「犯罪被害者」をどのように捉えるかという先行研究については、編集をしながらいろいろ探してみましたが、ほぼ見当たりません。
 唯一私が知り得た論考は、龍谷大学、浜井浩一氏の下記の論文です。友人に教えてもらいました。
 ■日本の治安悪化神話はいかに作られたか
   ――治安悪化の実態と 背景要因(モラル・パニックを超えて)■
 浜井氏は治安悪化の統計からの分析をもとに、治安は悪化していないことを実証し、犯罪被害者」が声をあげなかったら、「凶悪な少年犯罪」という言説は、いわゆるモラルパニックだけで終わったと考察します。いろいろな方に読んでいただきたいシャープな論文です。
 「犯罪被害者」の厳然たる悲劇の前に言葉を失ってしまうのではなく、多種多様な主体のあり様が存在していくために、みなさんがコメントのなかで語っていらっしゃるような、冷静なる思考に基づいた言葉を持つことが切に必要ではないかと思っております。

投稿: 安原宏美 | 2006年2月26日 (日) 01時57分

失礼しました。先の安原です。
漢字をまちがえました。えらいちがいです。すいません。

藤井氏は、ある意味「犯罪被害者」が活用されるであろう「修復的司法」について、解説のなかで意義をとなえます。

解説のなかで「異議」をとなえます。

投稿: 安原宏美 | 2006年2月26日 (日) 02時06分

先ほどは被害妄想に駆られたコメントをしてしまったように思えて、反省してます。
隠れ「人権派」みたいな者ですが、毛嫌いせずにつきあって頂ければと思います。


>安原さん
はじめまして。
安原さんの言われる「『犯罪被害者』をどのように捉えるかという先行研究」についてですが、鮎川潤「新版 少年非行の社会学」(世界思想社 2002年)の第八章、特にP237以下は参考にならないでしょうか?すでに読まれた上での発言でしたら申し訳ありません。

これもまたご存知のようでしたら申し訳ないです。矯正図書館(http://www.kyousei-k.gr.jp/library/index.htm)というものがあるのですが、ご存知でしょうか?
ここのHPにある「雑誌記事論文速報」を見るだけでも関心を持つ論文が引っかかるかもしれません。

投稿: coma | 2006年2月26日 (日) 03時30分

 comaさん、はじめまして。情報ありがとうございます。矯正図書館は知りませんでした。まだまだ勉強不足ですね。ありがとうございました。

ワタリさん、comaさんが下記のようにコメントされています。
>人口のうちある種の危険グループを1%、その他の危ないグループをまた1%と異常認定し、囲い込むとしましょう。
>ワタリさんの言われるような者が何%で、そうでないものは何%なんだと言われれば答えられませんが、

 お答えになるかわかりませんが、例えばこういうものかと思います。いっけん関係なさそうですが、昨年「動物愛護法」が改正されました。罰則が強化されました。鳥インフルエンザや悪質業者の事件が背景にあるようです。
 その報道がどういうものかをみてみると、「少年」「学校」関連を目立っている気がしますし、あの酒鬼薔薇事件を彷彿とさせます。何より、「動物虐待」について、「それは極悪非道だろう」という認識は世の中の感性となっていると思います。大変異議のとなえにくい事象です。なぜ、いま世の中の感性なのか? しばらく前は家でニワトリしめていた国です。

----少年3人、ウサギ蹴り殺す サッカー遊び「面白半分やった」 2006/2/16
 東京都江東区の小学校で児童が飼育していたウサギをけり殺し、運河に捨てたとして、警視庁少年事件課は動物愛護法違反などの疑いで、同区の無職少年(18)を逮捕、別の窃盗事件で逮捕されたいずれも十八歳の無職少年二人を追送検した。三人は「ゲームのつもりで面白半分にやった」と供述。
  公園では約十五分間、ウサギを取り囲み、逃げようとするとけって虐待を加えていた。三人はオートバイ盗やひったくりを繰り返していたグループの一員で、うち二人は同校の卒業生だった。けるのをやめるように訴えた少年は別の小学校で動物の飼育係だったという。少年三人は「最初は面白半分だったがエスカレートしてしまった。サッカーのインサイドキックやボレーシュートのようにけった」と供述しているという。
 死んだウサギはオスで名前は「ゆきのすけ」。
----産経新聞より一部抜粋

----中3、猫を踏みつけ殺す 愛護法違反容疑で補導/山口・下関 2005/9/21
 山口県下関市で8月、市内の中学3年男子生徒(14)が、子猫を踏みつけて殺し、県警下関署に動物愛護法違反容疑で補導されていたことが20日、分かった。生徒は犯行を認めている。
 同署や住民によると、生徒は8月19日午後3時ごろ、ビルとビルの間(約50センチ)にいた親猫と子猫2匹のうち、子猫1匹を踏みつけて殺した。鳴き声を聞きつけた近所の人が目撃し、「何をしてるんだ」と大声で注意したところ、生徒は走って逃げたが、通報で駆けつけた署員に補導された。
 同校によると、少年は特別目立つようなこともなく、2学期も休まずに登校しているという。住民から連絡を受けた同校は事件当日の夜、担任教諭と生徒指導教諭を生徒宅に派遣した。生徒から事情を聞いたという。
 同校の校長は「信じられない事件でショックだ。子猫を殺した動機は分からないが、警察で厳しく諭されたので、特に指導はしていない。今後、(カウンセラーなどを通じて)心の奥底にあるものを見ていきたい」と話した。
----読売新聞より一部抜粋

 早速、産経新聞は少年事件「増加」のイメージを活用して、「少年事件の前兆行動」として、下記のようにアピールしています。

 ----特に、昨今の少年、少女による殺傷事件の増加の前兆現象として「動物に対する虐待行為」があると聞くとき、動物の飼育体験を介し生命を体感することを通じて心の健康教育を推進することが望まれる。【産経新聞より一部抜粋 2005/12/13】----

 アメリカでは実際こういう考え方のもとに、動物虐待の事実があると捜査官が子どもであろうとも身柄を押さえるそうです。つまり、「犯罪予備軍」としての補足です。
 「殺人者になる少年」は過去「動物虐待」をしているという一般「常識」が広まり、それが、このたびの少年法改正、教育機関と警察との連絡制度とかといっしょになると、まったく違った意味の包囲網が敷かれるのではないかと。

 私はもちろん動物大好きですし、「ゆきのすけ」あまりに可哀想です。そういう法(ルール)をもってる国なわけですから、その罪で捕まって罰せられることは今となっては当然でしょう。
 しかしながら、そのルールが別のどういう考え方とルールとくっつくのかは注意したほうがよいかと感じております。

投稿: 安原宏美 | 2006年2月26日 (日) 21時04分

多少上記の議論とずれるのかもしれないけれど、体感治安の悪化の背景や、犯罪被害者の補償について論ずることは大切なことだと思います。

しかしそのような深部に踏み込んでいる間に、少年犯罪が増加、凶悪化、あるいはメディア悪影響論といったとんでも言説があたかも真実であるかのように着々と浸透しているという状況こそが最も危機的な事ではないですか?

議論を複雑化させることはB層を明確に意識して単純な煽りという広告戦略でもって向かってくる統治者側からすればほくそ笑む事態ではないでしょうか?対抗言説を編み出すのではなくただ否定すること、感情には分かりやすい数字で、科学性を纏った言説にはその非科学性を突きつけることまずはその一点に戦力を集中させるべきだと思いますが…。

投稿: 遊鬱 | 2006年2月27日 (月) 15時25分

遊鬱さん

>対抗言説を編み出すのではなくただ否定すること、感情には分かりやすい数字で、科学性を纏った言説にはその非科学性を突きつけること

ごもっともかと思います。私が書いてるのはですね、どういう「分析軸」を持ち込むか、背景や系譜を知ることで、その非科学性を見る眼というのは格段にあがるのではないかと思います。そういった意味で私も仕事で仕入れたお話など、ブログたまに書きますので、利用していただければと思います。

あと、後藤さんも書いてらっしゃいますが私も「大文字権力観」というのを持ち込むを下手に相手を大きくするので、もしくはないところに作り出してしまうので、あんまりやりたくないんですね。

システムは、よきにつけ、悪きにつけ「関係性」ですんで、最後の動物虐待の例は、『全く別の意図をもったものが別の意図を組み合わさったときに、別の仕組みが動く(かもよ)』という事象を関知する目という意味で出したサンプルだと思っていただければと思います。

投稿: 安原宏美 | 2006年2月27日 (月) 16時58分

 皆様の意見 大変興味あります。芹沢さん ありがとうございます。芹沢さんの本はすぐに買いたいと思っています。

 ところで、少年犯罪の増加についてですが、少年非行の三つの波が有名ですね。確か金八先生が最初に放送されていたころが一番非行が多かった時期だと記憶しています。尾崎豊的な感性で教師に反抗していた時代です。当時は、動かない社会に自由が束縛されているという感覚が強かったです。個人が何をやっても社会は動かんみたいな感じです。
 
 実は、オヤジという観念が適切に機能していたのは、この時代までのような気がします。昔は、オヤジが今の若者はダメだと言うと、若者もオヤジ=大人社会に反抗していました。大人社会への反抗という通過儀礼によって自立するという一つの物語がまだ機能していたと思います。反抗期そのものが前期近代産業社会特有の現象であり、成熟社会ではなくなってきていると感じています。実際、ニートやひきこもりだと言われても、あまり反抗している若者はおらず、むしろそういうレッテルを社会参加のために逆利用している印象さえ受けます。自分でニートやひきこもりって言っている若者ブログはめちゃくちゃ多いですね。大人社会からのそんな変なレッテルには反発したらいいのになと思いますが、なぜ安易に自己概念として取り入れるのか不思議です。

 俗流若者論批判の根底には、「もっと大人からのレッテルに反発して自立せよ」というような60年代、70年代的な価値意識があるのでしょうか?

投稿: 露庵 | 2006年3月 1日 (水) 00時15分

>comaさん

ご批判、ありがとうございます。
個人的にはメールでも連絡さしあげたのですが、広く読者の方がたへの誤解を避けるために、こちらでも訂正しておきます。

2月25日のわたくしワタリのカキコ

>いわゆる“人権派”の人たちは

→いわゆる“人権派”のうち一部の人たちは

に訂正します。comaさんのご指摘のとおり、すべての人権派が被害者を責めたり加害者を祭り上げたりしているわけではないからです。
「いわゆる」と前置きをつけ、“”でくくったことによってそのニュアンスを出したつもりでした。ただし、実際にはうまく通じなかったので、「一部の」と付け加えます。

そういうタイプのグループは、「人権派」というよりも、「人権派もどき」と言ったほうがいいのかもしれません。

まぎらわしい書き方になって、申し訳ありませんでした。
管理人の後藤さん、人様のブログでややこしいことを書いてしまい、お騒がせしました。

>安原宏美さん

はじめまして。

comaさんがおっしゃったのは、加害者を礼賛し、被害者をおとしめる人権派もどきの割合のことです。

引用された少年の動物虐待に関する新聞記事、興味深いです。心の闇をカウンセラーがさぐる、となると、J・S・ミルが「自由論」で批判した道徳警察ですね。それこそ自由にとって危険な兆候です。


投稿: ワタリ | 2006年3月 1日 (水) 23時03分

プロファイル研究所みたいに少年犯罪の凶悪化。低年齢化に否定的でも厳罰化に賛成する人もいるのですね。

投稿: プロファイル研究所みたいな | 2006年3月 2日 (木) 00時41分

プロファイル研究所の方はたんなる厳罰化ではないですね。カントを引き合いに出した上で、絶対応報刑を唱えていますし。おそらく、刑法に一般予防の効果を期待せずにし、ルールとしての事後処理システムだけを担わせようというお考えだと思います。

投稿: 芹沢一也 | 2006年3月 2日 (木) 09時43分

特別予防も否定していますね。アメリカの「法と秩序」アプローチに近い考え方でしょうか?

投稿: 芹沢一也 | 2006年3月 2日 (木) 09時55分

>露庵 さん

>俗流若者論批判の根底には、「もっと大人からのレッテルに反発して自立せよ」
これは意気込みとしてはある人もいるかもしれないなあーとは思いますが、オヤジ/若者の分析軸となると、昔のオヤジは少年に過剰に優しいですから、つまり、これは「教育の強権性」とパラフレーズします。それはそれで問題かと。今の状況は「教育より処罰」という排除モードだと思われます。これは、露庵さんが先にコメントくださったように被害者/加害者の軸として、とらえたほうが見えてくるのではと思います。「環境犯罪学」の隆盛もその流れでみるとよく見えてくるのではないでしょうか。

>comaさん
>ワタリさん
>>いわゆる“人権派”の人たちは
ここについては、「人権」自体が加害者だけに使われていたので日弁連、少年法関係者の方たちというのは、90年代後半被害者が登場したときにまさに彼らは「想定外」だった。
つまり、どんなに「人権」に対して真面目にやっていたとしても(反対に真面目にやればやるほど、加害者に肩入れすることになりますから)被害者からみると、どうやってもおかしく見える、蚊帳の外におかれているように見えてしまうという相容れなさがあったのかと思います。
「ホラーハウス社会」でも酒鬼薔薇事件の井垣判事の言説(当時かなり失笑をもって世に受け取られた)をまえがきに使わせてもらってます。つまり、失笑とこの真面目さの間をきちっと分析しなくては、という意味です。まあ、あの状況であの発言「50年後に老人Aが被害者のお墓参りをする」はまわりが見えてないという意味で、コミュニケーション的にかなり大失敗だと思いますが・・・・。私自身は少年法の問題点は犯罪被害者を忘れていたことが一番大きくて、境遇を解消するための努力をする少年法の施策はまちがっていないと思います。実際少年犯罪は減少してきているわけですから。

ちょっとおふたりの問いかけでふと思い出したこともあり、私の下手な文章で不安ですが、他人様のブログでメモリをたくさん使うのも悪いので、私のほうのブログに、昔の凶悪事件を例に今のモードがわかるように書いてみましたので、ご覧いただければ幸いです。
http://ameblo.jp/hiromiyasuhara/

投稿: 安原宏美 | 2006年3月 2日 (木) 14時12分

 社会学では、道徳は社会の秩序維持のために必要であると言う古典的な説もありますが、道徳の機能はそれに留まらず、人々の怒りを一つの方向に加工し、昇華する機能があります。
 私憤は通俗道徳を通じて発散されないと、社会の秩序が乱れるばかりか、個々人の内面的自己統制にも支障をきたします。
 感情社会学的に言うと、私憤のあるオヤジが道徳を利用して怒るのは、社会の感情規則の一つです。人は道徳を通じてのみ、怒りを発散させることが社会的に許されます。言い換えれば、怒るのも正当だから、他人から非難されずに怒ることができるというわけです。被害者に害を与えた犯罪者が悪いとして怒ることは、この社会では非難されない怒りの感情規則であるわけです。一方、社会から認められない怒りの発散は、自分勝手だとして非難されます。
 小林よしのりも色々な物事についてよく怒っていますが、伝統主義の価値観に基づき、こういうことについては怒るべきだという道徳的メッセージを送り、世間から非難されずに若者が怒ることができる対象をつくりだしています。道徳による感情規則の創発ですね。つまり、公憤の創出です。
 (私憤/公憤)の区別は、道徳による感情規則に基づいています。
 
 公憤をつくりだす人間=俗流若者論者などがオピニオンリーダーとなる時代がまだ続くのかどうかはわかりませんが、私は理論的な知識人の登場を待っています。

投稿: 露庵 | 2006年3月 4日 (土) 12時41分

露庵さま
そうですね、おっしゃるとおりかと。
少しずれますが、少年法の領域では、犯罪被害者運動が私憤を公憤へと転換させる回路をつくるだけの力量を、九十年代以降にもったということが大きかったと思います。
その結果、加害者と社会というパラダイム(保護主義)から被害者と社会(厳罰主義)というパラダムイへと転換した。
ではなぜ、そのような力量を九十年代以降の被害者運動がもちえたのか?
この辺りを分析する必要があるのでしょう。

投稿: 芹沢一也 | 2006年3月 4日 (土) 13時13分

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